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2011.01.18(Tue)

鏡の間を出でよ 

また忙しくなってきてしまったもので、簡単な文章で済みません。

私は時たま「冷たい人間だ」と言われることがあります。なんでなのかなと思ったんですが、多分、個別の現象より、それを何が引き起こしているかという大元の原因の方に関心が向いてるからなんじゃないかというところに行き着きました。

個々別々の出来事で大騒ぎしないというのは、ある意味非常に楽です。なんでかというと、いちいち精神をかき乱されずに、やるべきことをやるという風に気持ちを持っていくことができるからです。

それが一番あてはまるのは経済に関する話題です。

たとえば、今の日本は不況だから景気をよくしなければダメだとか、少子高齢化しているんだから増税や負担増をやっても財源を確保しなければダメだとか、そういう議論に加わろうという気がそもそも起きません。

なんでかというと、今の経済のシステムがある限り、行き着く場所は全て同じだという結論が見えているからです。

今の経済の仕組み、呼びにくいので仮に「近代経済システム」とでも呼んでおくと、このシステムは誰にでも分かるいくつかの特徴があります。

a.人間の活動力の交換が、ほぼ全てカネによって行われている(物々交換の例外性)
b.カネを得るには、自分の作った物や労働力を売るか、金を持っている人間から借りるしかない
c.カネを借りると、金利をつけて返さなければいけない


そんなの当たり前だろ、なんて言ってるあなた。そんなこと言ってるから、新聞の見出しや中吊り広告を見て世の中終わりだとか思ってしまうんですよ。

たまにはちょっと目線を変えて、いろいろ考えてみてください。

さて、上に挙げた特徴から導き出される事柄を見てみましょう。

・企業や個人が少し規模の大きい経済活動を行おうとすれば、人からカネを借りることになる
・そのカネには利子がついているため、返済するには元金よりよけいに稼がなければならない
・よけいに稼ぐためには、今よりたくさん売らなければならない(拡大再生産、もしくは生産性の向上)
・たくさん売っていると、物やサービスの量がカネの量よりも多くなってしまい、物やサービスの価値が落ちる(いわゆるデフレ)
・デフレになると、物やサービスが売れなくなるので、必然的に値段を下げざるを得なくなる
・そうなると、物やサービスを生み出すための材料費や賃金は低くせざるを得ない
・それをやると、物やサービスを買うためのカネが出回らなくなり、もっとデフレが進む


まさに、今の日本がはまっているドツボですね。

このような現象は、一番最初に上げたa、b、cという仕組み、つまり近代経済システムそのものから導き出されるもので、目先の仕組みを替えたり、個人個人が頑張ったりして解決できるものではありません。

近代経済システムの下で、永久に物やサービスが売れ続けるための条件はたった一つだけです。それは、

・誰かが世の中にカネを放出し続け、物・サービス≦カネという状態を作り出し続ける


ということです。

その「誰か」というのは、基本的に二人しかいません。「政府」「企業」です。

この出し続ける、というのも、別にないものを作っているわけではなくて、どこかから取ってきたカネ(税金とか、売り上げとか言われる)を、また世の中に放り出しているだけです。

政府がそれをやれば財政支出ということになり、企業がやれば賃金アップ、もしくは設備投資ということになります。

しかし、企業は自分のところの利益を追求することが存在意義なわけですから、デフレになったら賃金はカットします。最近の日本人が大好きな「自助努力」というのはそういうものです。日本人の平均給与が1997年から10年間連続下がったのは、まさに企業努力のたまものなのです。

そうなると、結局政府がやるしかないということになります。

しかし、それを聞くと今の日本人は「うっ」となるわけです。はい。そうですね。政府が「ムダ」なカネを「バラマキ」することになるわけですからね。

昔の私はそういう考えをする人に対して、誤りだ、考え直せ、と一生懸命言っていた訳です(今でも同じようなことをやっている人がいます)が、多分もう私や物事を分かっている学者が何をいってもムダでしょうね。もういい加減熱くなるのも疲れました。

では、仮に、物事をよく分かっている政府(たとえば、中曽根政権以前の戦後日本政府)が、じゃんじゃんカネを国内に放出し続けたとしましょう。

しかし、そんなことが永遠に続かないことはすぐにわかるはずです。なぜなら、我々が地球環境という有限なシステムの上で生存しているのにもかかわらず、近代経済システムは無限の拡大がなければ成り立たないシステムだからです。

たとえば、ある国のGDPが5%拡大したとします。GDPは(いろいろ問題はある数字だが)、その国の中で行われた経済活動、言い換えれば財やサービスの交換がどれだけ多かったかを表しています。そうだとすれば、GDPが5%大きくなったということは、国内で使われたエネルギーが5%増えたということでもあります。

ということは、それだけ多く石油なり天然ガスが消費されていることになるわけですから、いつか、というか、経済が発展すればするほど、どんどん終わりの時が近づいてくるわけです。

だから、私は、中国が日本のGDPを抜く!などとニュースで騒いでいた時、ずっと「中国も日本やアメリカみたいになるのか、かわいそうだなぁ」としか考えていませんでした。

あの国の環境破壊は、中国人がバカだからではなく、世界の経済を引っ張っていけるほどの経済発展が生み出した排泄物みたいなものです。日本も昔は四大公害みたいな形で、たくさん排出していたはずです。

じゃあ。発展なんかしなけりゃいいじゃねえかよ、と思うかもしれませんが、それは無理です。近代経済システムというのは、生きていこうと思えば発展を目指すしかありません。

個々人のレベルでは、現状維持で生きていけるという人は結構います。しかし、社会全体としては、どこかで前よりたくさん稼いで金利を含めた借金を返済していかなければ成り立たないようになっています。

資金繰りに苦労していて、発展しないとバタッと倒れるような企業を「自転車操業」などと言ったりしますが、そんなことを言ったら近代経済システムを取っている国、というか、全世界が今や自転車操業しているのです。

そんなことをしたら、日本も中国もなく、みんな一緒に死んでしまうことは誰にでもわかるでしょう。

しかし、人間というのは身の回りのことしか考えませんから、来年の給料はいくらだろうとか、俺の会社の売り上げは前年比プラスだマイナスだとか、そんなことしか考えられません。要するにみんなカネの亡者になっています。私だってそうです。今の仕事をやめたら、まず売上げを増やそうということから考えるはずですから。

それもある意味、仕方がないでしょう。今の経済システムの中で出来る、ほとんど唯一の生存方法は、カネを稼ぐことだからです。

もうお分かりだと思いますが、個々人が努力してカネを稼ぐことで、近代経済システムが抱えている宿命を変えることはできません。福祉だとか分配だとかも、いくらやってもムダです。(←こういう言い方が冷たい風に聞こえるのかもしれませんね)


だったら、どうすればいいのか?


簡単です。冒頭に挙げた、

a.人間の活動力の交換が、ほぼ全てカネによって行われている(物々交換の例外性)
b.カネを得るには、自分の作った物や労働力を売るか、金を持っている人間から借りるしかない
c.カネを借りると、金利をつけて返さなければいけない


この三つの仕組みを変えてしまえばいいのです。

それを考えずに、世の中がどうだこうだ論じるのは、鏡張りの部屋にいるようなものです。鏡をいくら見ていても、昨日と同じ自分が映っているだけです。鏡に顔をどう映すか、磨けば美しくなるかどうか、そんなことをいくら考えても意味がありません。

たった一つの方法は、そうです。わかりますね。鏡を壊して、外に出ることです。

さあ、一緒にハンマーを持って、スカッとしませんか?

そんなことを言っているだけでは学生運動家(爆)と変わらないので、具体的にどういう風にしていったらいいか、こちらでぼちぼち書いていくつもりですので、お楽しみに。


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2011.01.07(Fri)

「都会の一人勝ち許容」と「地方への分配強化」という二分論について 

●早雲さんのブログ・晴耕雨読に載っていた引用文を見て思いついたことがあるので、書いてみます。

早雲さんが取り上げているのは、週刊ポストに出ていた民主党の小沢一郎氏へのインタビューです。以下に、その書き起こしがあります。

http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/750.html

その中で、名古屋市の河村市長が小沢氏に寄せている質問と、その答えが大変興味深いものでした。


河村たかし・名古屋市長はこう言っている。

「私がやってきた『1割減税』や『職員の人件費1割カット』とは、税金の使い方は納税者が決めるという視点から進めてきた改革だ。小沢さんは、党代表選で地方への一括交付金を掲げた。だが、私に言わせると、それでも足りない。地方の起債権及び徴税権も自由化してもらいたい。それで『税金の安い自治体』をつくって成功すれば、名古屋は東京と競争出来るようになるし、失敗すれば首長は責任を問われる。それこそが地方主権だ。当然、既存利権派からは大きな反撃があり、抵抗がある。しかし、身を捨ててでもやる勇気が必要だ」

小沢 一括交付金は絶対やらないと駄目ですね。それは地域の活性化、地方の自立、そして行政コストの削減、あらゆる面から絶対にやらなければならないことだと思います。

(中略)

だけど、徴税権や起債権となると、ちょっと違う。今直ぐ税源まで全部地方にやっちゃうと、大都会は金がどんどん入ってくるから喜ぶけれど、田舎はもう全部アウトになりますよ。だから、裕福なところが地方税を別に取るというのは一向に構わないと思うけれど、所得税と法人税、消費税、そういう基本の税は国にいったん集めるシステムを当分続けないといけないと思います。その税金を地方に交付してやらないと、東京などの大都会だけがどんどん裕福になってしまう。

最終的に、欧米みたいに大きな企業も地方に本社を持っていって何の不便もないという社会になれば、その時には税源移譲の話になるでしょう。でも、今直ぐ「お前たち、勝手に税金を取って、勝手にやれ」なんて言われたって、例えば私の岩手県などはどうしようもない。税金を払う人が少ないわけですからね。

だからそれまでは、徴税は先ず国がやって、それを豊かでない地方に配分する。しばらくはまだ、そういうことをやらなきゃいけないでしょうね。


要約すれば、河村氏は「国にいちいち言われずに税を取ったり地方債を発行したりしたい」という主張をしているのに対して、小沢氏は「それをやったら地方はめちゃくちゃになる。政府が地方へ分配することが必要だ」という反論をしているということです。

もっと荒っぽい言い方をすれば「自由競争」を肯定する河村氏と「分配による平等」を主張する小沢氏という構図になっています。

これ自体は、近代経済システムにおける政府の役割という点について、本質的な議論だといえるでしょう。

フランス革命以降一般的になった国民国家は、国家という大きな枠の中で徴税を行い、その対価として政府が防衛や生活条件の整備といったサービスを供給するという仕組みになっています。

その際重要なのは、ある国の中では単一の通貨のみを媒介にして経済活動が行われるということです。

たとえば、我が国の明治政府が行った地租改正などがそうで、穀物や野菜ではなく日本円で土地税を納めることになりました。そうなると、地主としては小作料を日本円で取るようになり、必然的に小作人も農作物を現金化する必要に迫られます。今までは物をやりとりしていたところに、貨幣が入り込んでくるわけです。

こうなると、経済主体としての個々人は手持ちのカネの大小で序列化することになり、どうしても金融や工業生産でカネを大量に稼ぐことができる都市の側が有利になっていきます。都会と地方の格差というのは、そうやって生まれてきました。

世界レベルで見れば、これが先進国と途上国の差となって現れているわけです。

前述の議論で言えば、河村名古屋市長が主張しているのは、カネを稼げる都市が自主的に財政を行うべきだということであり、これでは都市と地方の格差がどんどん開いていくことは目に見えています。

それに対して小沢氏の言いたいことは、都市からカネを取って地方に付け替えろということであり、国民全体の発展を考えればベターな考えだと言えますが、そのカネはどこから取ってくるのだという問題が常につきまといます。

結論から言えば、どっちもどっちです。

というか、この二人の議論、もっと言えば、国家の役割を巡る自由競争と分配重視の対立は、重要な点を見逃しているため、本質的な解決を図ることはできないと考えています。

その重要な点とは何でしょうか?

実は、もうすでに上の方で述べてしまっています。

そうですね。「ある国の中では単一の通貨のみを媒介にして経済活動が行われる」という点です。

日本円を使って物やサービスを購入し、日本円で給料をもらっていること、すなわち経済活動が「労働→貨幣→物・サービス」という流れになっていることを誰も疑問には思いませんが、これは実はそんなに自然なことでも当たり前のことでもありません。

げんに日本では、程度の問題はあるにせよ、明治時代に地租改正が行われ、日本銀行が設立されるまでは、かなりの程度「労働→物・サービス」という直接的な経済活動が行われていました。世界の中では、ニューギニアの奥地だとか、シベリアの寒村みたいに、今でもそうやってくらしている人が少なくありません。

労働と、物・サービスの間に貨幣が割って入るということは、政府がみなさんの生活に介入するということです。労働の成果である貨幣を租税という形でむしり取り、カネが行き渡らなければ税金で物やサービスを供給(いわゆる社会保障)していろいろ世話を焼いています。

この仕組みはもう当たり前のものだと思っている人がほとんどだと思うのですが、そこを疑ってみなければ、現在我が国や世界が抱えている問題は解決できません。都会と地方の格差も、恒久化する不況も、グローバル化によってい引き起こされる移民流入などの問題も、全てカネの仕組みによって引き起こされています。その辺は、このブログの「経済とグローバリゼーション」にある記事を見ていただけるとだいたいお分かりになるのではないかという気がします。

さて、河村氏と小沢氏の対立に話を戻しましょう。

そうは言っても、現状ではあまりにも都市への貨幣集中が進みすぎていますから、小沢氏の言うような分配を一時的には行う必要があると思います。

しかし、問題を引き起こしているもの=国家の通貨発行権をそのままにしているのですから、結局時期が来れば「無駄遣いを減らせ」「グローバル化した世界では競争力が必要だ」などという声がマスコミを賑わし、小泉カイカクのようなことが行われて分配は否定されることになるでしょう。

しかも、我が国では外国や国際組織と結託した一部の官僚(そのほとんどは財務省にいる)が選挙で選ばれた政治家を隠れ蓑にして専横を尽くしているわけで、河村氏の言うような自由な財政も実現されず、ただただデフレと政府による統制だけが進行するという最悪の事態が進行しています。

大事なのは、国家が貨幣を発行して国民の経済活動を支配するという形ではなく、地方や地域が自律的に経済循環を作り出すことです。

以前からこのブログで主張している地域通貨というものが意味を持つのは、そういう場面です。地域通貨ならば、流通量や配分をより柔軟にコントロールすることができます。通貨そのものを期限付きにしておけば、カネをため込んで人に貸すという行為が合理的でなくなるので、貨幣が活動力の交換という本来の役割を取り戻すことになります。

今の世の中は、中央銀行が発行する貨幣の力が強すぎるのです。これは、自民党政権の頃に一部で盛り上がった政府紙幣にもつきまとう問題です。中央で貨幣を発行し、それを国民が受け取るしかないという仕組みでは今ある問題は解決しません。

もし河村氏が「徴税権や起債権だけでなく、地域独自の通貨を発行し、それで市長や議員を含めた公務員の給与の一部を支払う」と言い出したら最高でしょうね。

そういうわけで、私としては、こういう風に考えるのがベストだと思います。

「まずは一時しのぎの分配強化を行い、それと併行して国民を統制している官僚や、それを通じて我が国を支配している某外国の影響力を排除する施策を実行すべきである」

「次に、地方レベルでは、徴税や起債について裁量の幅を拡大しつつ、その地域独自の通貨の発行を認め、地方が自ら経済循環を作り出せる余地を認める」

ただ、こんなにうまいこと事が運ぶかというと、正直私は疑問です。日本というのは、自分たちが想像しているよりはるかに大きな影響を世界に与える可能性がある国です(それが悪い方に出たのが、大日本帝国の爆死)から、諸外国、特にアメリカと中国が、日本の自律を望むとは思えません。

それでも国家としての自律に向けた努力はするべきですが、それが実を結ぶという希望的観測を取るのは危険です。

だから、私は政府に期待するよりもまず、気づいた人が自分で食糧なり衣服なりを生産し、相互扶助を自主的に行う仕組みをつくってしまう方がいいと言っているのです。

比較の問題にすぎないのですが、上に挙げた二人の政治家は、大都市の商人出身(河村氏)と、地方富裕層出身(小沢氏)という風に、立場こそ違いますが、自分の頭で考えて近代国家の本質にたどり着いています。

また、金融資本の欲得丸出しの新自由主義や、怨みや妬みを煽る公務員「改革」や、狼少年のような日本財政危機論を信じていないという点も共通しています。

今は彼らのような、「まともな」政治家を応援しておくのも一つの手としてはありなのかなと思っています。

少なくとも、上の二人の議論というのは、なんちゃら倫理審査会に誰それを呼ぶとかいう議論よりは遥かに本質に迫るものだということができます。マスコミが大きな声で取り上げる「論点」「焦点」など、無視するに限るという好例ですね。

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2011.01.01(Sat)

【新年早々】 連合は消費税増税に賛成するそうです 【がっかり】 

  あけましておめでとうございます。

  年号が変わった途端、不愉快を通り越して笑える記事を見つけたので、ご紹介しておきます。

「消費増税受け入れねば」連合会長が年頭所感
http://www.asahi.com/business/update/1231/TKY201012310174.html

 連合の古賀伸明会長は2011年の年頭所感として、「福祉をきちんとするためには我々も負担をしていく。消費増税は受け入れていかなければならない」と述べ、政府が進める社会保障と税制の一体改革で、消費税の引き上げは避けられないとの考えを示した。

 古賀会長は、「税収の倍以上の予算を組むような姿が続くのはどうなのか。税と社会保障の一体改革を早く国民に提示して、負担と給付のあり方を議論する必要がある」と指摘。「我々も低負担で高福祉を求めない」と強調した。

 一方、厳しさが続く若年層の就労問題では、「働くことを通じて社会に参画していく実感や、支え合いながら目標に向かって努力するという価値観が醸成されない日本になるのを危惧する」と語った。


  ご存じでない方がもしかしたらいらっしゃるかもしれないので一言説明しておくと、連合というのは日本最大の労働組合です。正確に言うと、労働組合の上部団体ですが、いずれにしろ労働者よりの団体であるということは間違いありません。

>「働くことを通じて社会に参画していく実感や、支え合いながら目標に向かって努力するという価値観が醸成されない日本になるのを危惧する」

  「もうすでにそうなってるよ」と失笑したくなる箇所ですね。現場どころか国民生活の実態すら知らない労働貴族様の対岸の火事っぷりの見事さに感心してしまいますが、それよりも、やはりすごいのは以下の二箇所。

>消費増税は受け入れていかなければならない

>「我々も低負担で高福祉を求めない」と強調した。

  もう一つ記事を参照いただきましょう。

消費税引き上げ議論を、経団連会長と同友会代表幹事-年頭所感で表明
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=a55OpybSU4SU

日本経団連の米倉弘昌会長(住友化学会長)と経済同友会の桜井正光代表幹事(リコー会長)は1日の年頭所感で、日本の経済成長と財政改革のために消費税の引き上げ議論が必要だと強調した。

米倉会長は、強い経済・財政・社会保障実現のために「消費税率上げを含めた税・財政・社会保障制度の一体改革断行で国民の将来不安を払しょくする必要がある」と述べた。

桜井代表幹事は、人口構造が変わる中で所得課税により働き手が負担を多く負う制度は限界になりつつあるとして「幅広い世代が薄く負担する仕組み、消費税上げ議論は避けて通ることはできない」と語った。

米倉氏と桜井氏はまた、経済成長への取り組みと同時に農業改革の必要性も示した。桜井氏は、日本の農業の問題点は低い生産性や担い手不足、多額の補助金にあり、こうした問題を解決することが必要とした。


  なんともまぁ、すごい時代になったものです。労働組合のトップが、経営者と同じことを言うようになったのですから。経団連などの経営者団体と、連合のような労組は裏で結託していると思った方が間違いがないでしょう。

  そもそも、私は労働組合というものに対して非常にその役割を疑問視してきた人間です。

  なぜかというと、彼らは労働者の保護という本分をほとんど顧みてこなかったからです。労働組合のホームページ(たとえば●ここ)とか●ここや機関誌を見ると、なぜか「イラク戦争反対」だとか「普天間基地反対」だとか、おおよそ労働基本権と関係がなさそうな事柄に対する政治的なアピールが出てきます。労働者の生活が大事だというなら、消費増税反対だとか、TPP(環太平洋経済パートナーシップ)反対だとか、そういうところに資源を投下した方がいいと思うのですが、暇があるとすぐ平和運動に走ってしまうところが多いようです。
  彼らとしては、労働者の生存を一番脅かすのは戦争、だという理屈で動いているようですが、そういう活動が何か具体的に実を結んだという話をとんと聴きません。それどころか、比較的若い年代の人に「労働組合というのはただの左翼の集まりではないのか」という思いを抱かせて、加入率を低迷させるのに一役買っているのではないかという気すらします。
  連合の代表が消費税増税に賛成したから、労働組合の組合員がみんなそういう意志を持っているということはないのでしょうが、代表が経団連と示し合わせたように年頭にこのような宣言をすることに対して、明確に反対の意思表示をする組合員がどれだけいるのでしょうか。
  もし、地方組織などから何の異論も出てこないとしたら、もう労働組合は生活者の利益を擁護する役割を放棄したと見て構わないと思います。

  まあ、こういうことを言うと、批判だとか反論とかが大好きな労組の方々に文句を言われるかもしれませんね。いわく、

  「日本の財政が大変なのは間違いないし、少子高齢化も進行している。だから、消費税を増税して福祉の財源にするのは仕方がないのではないか?」

  これに対して、私だったら、よく新聞やニュースをご覧になって勉強なさってますね、と、敬意を表しながら次のように逆に質問するでしょう。

・1997年に税率を2%上げた時、経済成長率が実質でもマイナスになり、所得税が落ち込んだが、消費税でその税収の目減りをカバーできるのか

・消費税増税と法人税減税が必ずワンセットになっているが、なぜ後者には反対しないのか 

・消費税は一般財源になるので、福祉の財源に使われる保証は全くないのではないか

・そもそも、労働組合がなぜ大衆課税である消費税の増税に賛成するのか


  特に、一番最後の点は重要です。
  「日本の将来や少子高齢化の現状を考えたらしょうがないじゃないか」と言うのなら、私も労働組合のみなさんに是非とも申し上げたい。

  会社の将来やデフレ、グローバル化の現状を考えたら、労働者の賃金引き下げや待遇悪化もしょうがないじゃないか。

  この論理と、消費税増税を仕方ないと受け入れる論理と、一体どこにどう違いがあるんでしょうか。
  結局、識者やマスコミの言うことを鵜呑みにして、なんとなく経営者(支配者)有利のフォーマットでものを考えるクセがついてしまっているということでしょう。情けないことです。
  この分で行くと、来年辺りには、連合の会長が「合理的な経営のためには労働者の権利を多少制限することもやむを得ない」だとか、「法人税を引き下げないと日本から企業が出て行ってしまう」だとか、「移民を受け入れないと社会の活力が失われる」だとか、訳の分からないことを言い出すんじゃないでしょうか。
  ただ、私としてはむしろそうなってほしいと思っているところもあります。別に、笑いの種にするわけではなくて、「労働組合は労働者の権利を守ってくれる団体だ」という、変な幻想を完全に人びとの中から消し去ってほしいからです。
  そうすれば、もう連合みたいな上部団体に頼らずに、自分たちの手で労働者団体を作ろうという機運が盛り上がってくるような気もします。その中には、マスコミの言っていることは基本的に正しいという、上の世代にありがちな認識を持たない自由なものの考え方の人びとも相当数混ざっているはずです。今はインターネットという、記者や編集者の解釈ぬきで情報を伝達できる媒体もあるわけですから、
  まあ、●ユニオンショップ協定のある組合は難しいのでしょうが、それなら一応大元の組合に所属して、別にもう一つ団体に参加すればいいのです。面倒くさいかもしれませんが、新しいことをやるというのはそういうことでしょうし、別に初めの活動場所はツイッターでもミクシーでも構わないのです。
  そのような「自律的な」労働者に対して、統制権を振りかざして活動を妨害してきたら、もう本当に労組というのはDV夫と変わらない存在です。今後新たに基盤を拡大することはないでしょう。
  
  さんざん労働組合をけなしてしまいましたが、●大阪生コン闘争のような画期的な運動も中にはあります。この運動が良かったのは、「個別会社・各協同組合に春闘ストライキ圧力をかける事によって、彼らをせっぱ詰まらせ、その背後にいる・生コン関連産業を不当に支配搾取している大企業(ゼネコンやセメントメーカー)に立ち向かわせ、賃上げと業界建て直し・大倒産回避の原資(生コン価格1立米1万8000円への適正化値上など)を引き出させる」(リンク先より引用)という、明確な経済的目標設定があったことです。
  もはや形骸化している春闘や、惰性でやっているとしか思えないメーデーなどとは比べものにならないほど有意義な運動だったと評価できます。

  これからの労働者に必要なのは、労組が言うことだからと盲目的に平和運動や消費税増税賛成に走ってしまうことではなく、この生コン闘争のような有益な活動を見極めて主体的に参加していく意識でしょう。
  連合の会長さん自ら「私は経団連と歩調を合わせまーす」と言って親離れを勧めてくれているのですから、是非この機会に、今の世の中で労働力を切り売りすることの意味も含めて、いろいろ考えてみるといいんじゃないでしょうか。

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2010.12.15(Wed)

自殺はなぜなくならないのか 

お久しぶりです。

某所で日記として書いていたものですが、こちらでお見せするべきかなと思ったので投稿しておきます。

なお、今後も定期的な更新があるかどうかは未定ですので、RSSリーダでもお使いになって気長にお待ち下さい。



自殺者、今年も3万人超確実に 警察庁まとめ、11月末で2万9105人
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101206/crm1012061709017-n1.htm

--------以下引用-------- 

警察庁は6日、11月の自殺者数(速報値)を公表した。前年同月比9・6%増の2765人で、1~11月の合計は2万9105人に上った。1カ月間の自殺者は2400~2900人台で推移しており、平成10年以降13年連続で年3万人超がほぼ確実になった。

 政府は昨年、自殺対策緊急戦略チームを発足。今年2月には相談態勢の充実などを盛り込んだ「いのちを守る自殺対策緊急プラン」を策定するなど、自殺防止策を強化し、今年上半期は前年同期比7・4%減の1万5906人と、下半期次第で3万人を下回る可能性も出ていた。

 しかし、7、8月は一転して前年同月を上回り、11月は今年最高の上昇率を記録。前年1~11月の3万357人を下回っているものの、3万人突破は避けられない情勢になっている。

 都道府県別では東京が2693人で最多。次いで大阪が1898人、神奈川が1682人となっている。

--------引用以上--------


>自殺防止策を強化

私は、優しくないので、「何もやらないよりはマシ」という評価すらしない。

こんなことはいくらやっても無駄である。それどころか、根本的な解決を先延ばしにしているだけと断ずる。

なぜなら、自殺は結果であり、それ自体をなくしたり是正したりできるものではないからである。

2009年の自殺者の原因(特定者のみ)のトップは、「経済的理由」である。そして、自殺者のうち約57%の職業は「無職」である。

おそらく、その他の要因も、経済的な理由で生活が行き詰まり、その結果として引き起こされたものが大半であると推測できる。

よく若年者が世をはかなんで自殺するというケースが大々的に報じられるが、そんなものはごくごく一部でしかない。

むしろ、ああいった報道はメディアが「自殺というのは、心に傷を負った人が一大決心をしてやるもの」という情報を拡散するために流しているもの、要するにプロパガンダなのではないかと思っている。

そして、ジャーナリストやら作家やらが「生きづらさ」などという言葉でお茶を濁し、なにやら文学的なストーリーを語り出してしまう。

くだらんお遊びは大概にしておけ、と言いたい。

阪神大震災ですら、6000人が亡くなったに過ぎない。それをはるかに上回る人間が死んでいる。労働力も税収も減っているし、何より残された家族に対する社会的影響(もちろんマイナス)も大きい。

自殺を、情緒的な問題に終わらせてはいけない。

では、一体どうすれば自殺が防げるか。

自殺の原因が経済的な理由だということは、煎じ詰めれば必要なカネが手に入らないからそうなってしまうのである。

だから、まず第一の対策は、必要なところにカネが行くようにすること、カネに困っている連中から収奪しないことである。

亀井静香(国民新党代表)が金融担当大臣だったとき、中小企業向け返済猶予(モラトリアム)を実行したことがあった。日経新聞などのメディアが大反対キャンペーンをやったが、それでもやりぬいた。去年の終わりの頃だった。

そうしたら、今年の自殺者は前年比で1300人近く減った。資金繰りに困って首をくくる中小企業の経営者がいなくなったのは間違いない。

自殺者の数が急増したのは、今年の下半期である。あの時期にあったのは参院選だ。菅直人が消費税増税を打ち出し、選挙に大敗して、国民に「民主党政権はだめだ」という絶望感を蔓延させた時期と重なっている。

言い換えれば、適切なマクロ経済政策(財政出動など、国単位で大きく考えた経済政策)を採れば、自殺者は減少する可能性は高い。

しかし、今の日本ではそういう方向を目指すと政権が持たない。鳩山政権が外部どころか、民主党という内部からも攻撃されて撃沈したことからも明らかだ。

代わりに成立した菅政権は、自民党も真っ青の緊縮財政を指向している。

詳しくは述べないが、政治を支配している人びと(財界や某外国など)は、日本にいつまでも不況でいてほしいのである。だから、適切なマクロ経済政策が採られる見込みは、今後ほとんどない。

唯一可能性があるのは、亀井静香ら国民経済重視派を政権に据えるだけの見識があるリーダー、すなわち小沢一郎の復権である。しかし、大多数の国民は、小沢の名前を見ただけで反射的に嫌悪感を持つように「教育」されてしまっている。まるで、パブロフの犬のように。

だから、もうそういう方面にはあまり期待できないし、すべきではない。

では、一体どうすれば自殺者を減らせるのか。

というか、我々自身が自殺せずに済むのか。

それは、今ある経済の仕組みを個々人が越えていくことより他ない。

下品な言い方だが、今の世の中は、人間の値段がどんどん安くなっている。たとえば、昔に比べて高度な労働力を安い値段で買えるようになっている。派遣労働者の中には、高度成長の頃の正社員よりずっと能力が高い人が多数存在するが、それらを企業は低いコストで雇うことができるわけだ。

努力をすれば豊かになれるというが、その努力のレベルも並大抵のものではなくなっている。というより、たまたまそういう場所にいるかどうかで給料や待遇が大きく変わってくるという不公平な状況が生まれてくる。

だから、自分の商品価値を高めて幸せになろう、という方向に、あまり力を割かない方がよい。というか、そんなことを考えているから自殺してしまうのである。

これからは、お金のかからない生活に徐々にシフトしていくのが正しい。

地方に住んでいる人は是非とも始めてほしいのだが、自分の家の庭で野菜作りをやってみるのはどうだろう。農家の知り合いや親戚がいたら、畑や田んぼを丸ごと借りてみるのもいい。それで、とりあえず飢え死には防げる。

エネルギーもなんとかなる。私の友人である大学の先生が「石油の要らない車」の開発に成功しつつある。

えひめECO FESTIVAL参加!!
http://www.hitoeco.com/contents/%e9%80%b2%e8%a1%8c%e7%8a%b6%e6%b3%81/475.html

事前の面倒なプロセス抜きに植物廃油で走る車である。こういうものがどんどん広まれば、石油資本や東京電力にカネをむしり取られることはほとんどなくなる。

とっておきの秘策が「地域通貨」なのだが、その方面で最近痛い目に遭ったので声を大にしては言わない(笑)。

こういう生活のためには、今当たり前だと思っているものをいくつか捨てなければならなくなるかもしれない。あるいは、もう手に入れるのを諦めなければならないかもしれない。

しかし、そのうち本当に必要なモノがどれだけあるか考えてみたことはあるだろうか?

たとえば、塾に行かなければ高校入試や大学入試に合格しないわけではない。大学入試は楽になってきているし、合格するための方法などただでいくらでも手に入る。

その結果として塾が成り立たなくなっても、そんなのはもうすぐやめる私にとってはどうでもいい(笑)。

また、持ち家に住まなければ死ぬわけでもない。需要が減っているから、ちゃんと家賃(これくらいは稼ごう)を払ってまともに暮らしている人を、大家も邪険にはしない。

服も、アクセサリも、高級な食べものも、回数を減らせばいいし、なければないでなんとかなる。

大事なのは、そういう生活をしている自分を惨めに思わないことである。

そうは言っても、ほとんどの人は、上記のような生活をすることを「貧乏」だとか「つまらない」ものだと思ってしまうに違いない。

だからこそ、先駆者が必要だと思っている。

これから我々が神奈川の片隅で進めているプロジェクトは、大企業や政府にひざまづかず(無視したいが今は難しい)、カネを単なる手段としてテキトーに扱い(敵視はしない)、それでも面白おかしく生活できるコミュニティ作りである。

今は体制作りの苦労が続いているが、そのうち団体としてまともな活動ができるようになるだろう。ゆくゆくは、東京のカネが回っているところに負けない知的能力、戦闘能力、生存能力のある集団を作り上げるつもりである。

「自殺するくらいなら、ここに来て一緒にやってみよう」と、呼びかけられるような場所をつくる。それが、私の答えである。

みんなにはどうか、その日までなんとしてでも絶望しないで生き抜いてほしい。

こんな下らん世の中のために自分が死ぬ必要はない。


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2010.06.24(Thu)

○と△の話(1) 

私は経済学など全く学んだことがない人間ですが、こんな話を考えてみました。私が前回の記事で言及した「地域通貨」や「自律的な生活」に行き着いたのは必然だったとご理解いただくのに有用かと思いますので、掲載してみます。

なお、他所からの転載のため、口調が普段と異なるのはご容赦ください。




まず、以下のようなモデルを仮定する。

★構成員が四人だけという非常に狭い経済循環
★登場人物 A、B、C、D


この経済循環に与えられた条件は以下の三つ。

(1)四人はそれぞれ他の三人からおにぎり(△)をもらえないと生きていけない
(2)おにぎりを手に入れるには銭(○)が必要である
(3)○を手に入れるに、四人はなんらかの労働を他のメンバーに提供する必要がある(自給自足はここでは考慮しない)


  (1)から(3)の条件は、現実に行われている生産や取引を抽象化したものである。△が生活必需品、○が貨幣だと思えばよい。自給自足を考慮しないということは、今の貨幣経済の実態に合わせてある。
  そして、スタート時に存在する△の量は100、○の量は400だとする。すなわち、△1=○4 であり、△1つ買うには○が4つ必要だと言うことを表してる。


  では、始め。


  経済循環、すなわち(1)から(3)のサイクルが始まると、この四人の間で△と○が頻繁に行き来する。
  しかし、この中でAだけは他と少し違うことを考え始めた。それは、「この○を貯めておいて、あとで使おう」ということである。
  Aは毎年○を10個ずつ貯めていくことにした。少し△を食べるのを我慢すればいいだけのことだ。

  そして、10年年経つと、こういう状態になる。

○=300(ABCD間で交換されている分)+100(Aが貯めている分)
△=100


  では、△と○の関係はどうなるだろう?この場合も、△1=○4という関係になるだろうか?
  そうはならない。なぜなら、Aが貯めた○は、四人の間で行き来しないので、この経済循環には「ない」ものとして扱わざるを得ないからだ。
  そうなると、○300に対して△が100ということになり、△1=○3になる。△の値段が下がった。

  要するに、これが「デフレ」である。

  これは、別にA一人が○を貯めなくても、四人が少しずつ○を手元に置いても同じ事が起きる。しかし、ここではとりあえず、Aだけが○を貯めようとするセコい奴だということにしておく。

  そこからまた10年が経ち、こうなった。

○=200(循環する分)+200(Aが貯めている分)
△=100


  また△の値段が下がった。今度は△1=○2。値段が半分になった。

  ここで、ABCDは△の値段が半分になったから、安くなったねーと素直に喜ぶだろうか?
 
  おそらく、喜ばないだろう。
  なぜなら、その分経済循環の中にある○、すなわち、自分たちが手に入れることができる○の量も減ってるからだ。
  物がどんどん安くなるということは、それ以前に、経済循環の中からカネがなくなっているという現象が先行しているということである。デフレが進むのは、それ以前に給料や設備投資が減っているのだ。
  だから、○が安くなっても誰も嬉しくないということになる。


  ただ一人、Aを除いては。


  しかし、Aがもし○を使って△を買い占めたりすれば(手持ちの○200を使えば可能)、一時的に△は経済循環から消える。しかし、再び△が生産されれば、その○は再び経済循環の中に戻っていってしまう。
  そうなると、他人よりも○を持っているというAの有利さは無意味なものになってしまうことだろう。



  ここで質問。



  あなたがAなら、ここでどういう行動を取るのが一番「合理的」だろうか?




  次回に続きます。

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~追伸~

前回の記事で紹介した、米とリンクした地域通貨「むすび」については、こちらをご覧下さい。

おむすび通貨のホームページ
http://greens-net.com/butubutu/


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