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2010.12.20(Mon)

「新しい戦前」の始まりか 

「こち亀の両さん」普通の生活しか送れない? 漫画の性描写規制に漫画家や出版社大反対
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1219&f=business_1219_016.shtml

 東京都が、性描写を規制する青少年健全育成条例改正案が可決した。漫画家や出版社など反対派は多く、経済面にも影響を与えそうだ。

  東京都議会総務委員会は13日、子どもの登場人物による露骨な性行為が描かれた漫画などの販売・レンタルを規制する青少年健全育成条例改正案を可決。都議会の民主、自民、公明の3会派が賛成した。改正案では「刑罰法規に触れる性交等」などを「不当に賛美・誇張」して描いたものを規制対象とし、書店に対して18歳未満への販売を禁止し、店頭での区分陳列を義務づける。

  これまで賛成派、反対派ともに活発な動きを見せていた。賛成派の都小学校PTA協議会ら5団体は12月3日、石原慎太郎都知事に要望書を提出。都小学校PTA協議会の新谷珠恵会長は「子どもたちが健やかに育てるように、社会作りにお力添えをいただきたい」と述べ、児童が性的対象になることが、野放しの状態となっている現状に、早急な改善を訴えた。

  一方、反対派としては、11月29日には漫画家のちばてつや氏、秋本治氏や出版社の幹部などが条例に反対する声明を発表。ちば氏は「この条例によりアニメや漫画を志す若者たちが萎縮するのではないか」「漫画やアニメーションの文化がしぼんでしまうことをすごく心配している」と語っていた。秋本氏は「自由度があるのが漫画の世界。それを規制すれば、『こち亀』の両さんは単なる普通の生活を送らざるを得ない」との意見を述べていた。

  12月3日には、改正案に反対する弁護士や日本ペンクラブ、大学教授らが、規制範囲が拡大しているとして会見を行った。規制の対象となる行為をキャラクターの年齢制限ではなく、「刑罰法規に触れる性行為」に変更したことで規制範囲が広がり明らかに表現規制だと主張している。

  12月10日には、角川書店のほか講談社、集英社、小学館など主要な漫画雑誌や単行本を発行する出版社でつくる「コミック10社会」も同改正案に抗議の意思を示すため、「東京国際アニメフェア」への出展辞退を表明した。このイベントは石原都知事が実行委員長を務め、2011年3月下旬に開催予定とされていたが、現時点では開催を危ぶむ声も上がっているという。

  インターネット上でもさまざまな声が上がっており、「漫画やアニメが害悪で、小説なら害悪じゃないと言いたいのか?」といった指摘や「もうこれはオタク文化だとかそういうレベルじゃない。この法案を通したら、他のものまで一気に失う」といった反対派の意見が多く見られた。

  賛成する声としては「理性が未熟な子どもが、過激な物に触れてはいけないとも思う。ゾーニングの徹底なら賛成」「漫画は好きだが、今の惨状を認めたら、せめてブース分けぐらいの努力は必要。海外で変態が日本文化として紹介されているのは異常」といった意見もある。

  一方で「日本の漫画やアニメ文化は、10兆円規模ともいわれており、今や日本経済を支える産業の一つとなっている。それを自ら縮小させようとするのだから滑稽だ」という経済への影響を懸念する声も見られる。

  東京都には、出版社や印刷会社が集中しており、漫画やアニメなどサブカルチャーの聖地ともいえる秋葉原もある。またビッグサイトでは、同人誌の即売会も開催されている。今回の規制は、市場の縮小傾向が続いている出版業界にとって、経済的な打撃も大きそうだ。


ところで、問題の条例を立案した東京都青少年・治安対策本部長の倉田潤さんというお方は、とんでもないお方らしい。

なんてったって、冤罪事件で下がった株を、この条例で上げようっていうのだから。

以下のリンクに、その辺の事情が書いてある。

http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/503.html

リンク先で言及されている志布志事件というのは、こういう事件である。

志布志事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

要するに、冤罪事件で「左遷」になった警察官僚が、出世街道に復帰するために冒頭記事の条例で点数を稼ごうと思ったようだ。

エロ漫画やエロアニメが取り締まれるようになれば、警察の検挙件数が増えて予算が獲得しやすくなる。そして、アングラが表立って発表できなくなれば、当然地下に潜る(規制=人間の欲望が減るわけではない)ことになり、そこでは警察と昵懇のヤクザが法外な値段でシノギを得ることになる。そんな感じだろう。

しかし、私利私欲を、「公共のため」という嘘で塗り固める。エリートにはそれが許されると思っている節がある所など、この倉田という人物は、まさに我が国のエリート官僚という感じがする。

戦前にも、そうやって国家を私し、国民を不幸のどん底に叩き込んだ「エリート」がいた。革新官僚である。

革新官僚とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%A9%E6%96%B0%E5%AE%98%E5%83%9A

革新官僚については、●前のgooブログでも記事を書いた。昔の記事はネット右翼そのものという感じのものが多く、はずかしい限りだが、これについては訂正の余地を感じない。

そして、問題はこういう条例を支持している側の人間にもある。

この手の「健全育成」条例と、そのような決まりを用いて統制国家を作ろうとする官僚を支援する連中がいる。PTA協議会などがそうだが、そういうところに集まる人間は、奇妙な純潔主義に染まっているところがある。

たとえば、政治家はカネに汚いとか、ネットは犯罪の温床だいうことをそういう人たちはよく言い、一番大事なのは清廉で健全であることだと唱える。

しかし、面白いもので、そういう連中は、政治を実際に動かしている官僚がいるとか、ネットを使って企業がサービスや宣伝を行っている事実については全く目を向けない。

そして、こういう連中こそが、戦前に「政治家は腐ってる、軍人さんは陛下の息子だから高潔なひとたちだ」とか思って、中国侵略や対米英戦争を熱狂的に支持した連中なのである。

たとえば、以下のリンクにあるような婦人団体など良い例である。

国防婦人会
http://myp2004.blog66.fc2.com/blog-entry-22.html

恐ろしいことは、国防婦人会に参加していた人たちの多くが、善意で若者を戦場に送り出していたことだ。これは、エロ本狩りに血道を上げる現代のPTAにも言えることである。

そして、そういう活動をしていた人間は、戦争が終わったら、手のひらを返すように平和が一番とか、国家が悪い天皇が悪いとか言い始めたタイプである。●戦時中、時局婦人会に加わり、戦争遂行に協力した市川房枝など、まさしくそういう生き方をしてきた人間だ。

「他人が不快に思う娯楽など要らない。そんなのを楽しみたい人間はクズだ」
「性欲を解消したいならパートナーを見つければいい。できないのは努力が足りないから」
「サブカルチャーなんて不健全なものはこの世から消えてなくなれ」
「私たちが望んでいるのは、心が清らかで理性的な人たちだけが集うきれいな社会。くだらないゴミどもは消えろ」

最後のなんて、まるで『デスノート』の主人公みたいな考えだが、PTAにいる目のつり上がった連中の考え方からはそう離れていないだろう。

そして、その純潔主義は、ソ連に範を求め、完璧な国家統制経済を夢見た革新官僚に相通ずるものがある(そして、戦中から戦後にかけて、その一部が実現した)。

なにより、この件で一番問題があるのは、表現の自由を一番守るべき立場にあるマスコミである。

マスコミ各社は、この件に関してはやけに「客観的」だ。小沢一郎に対する「説明責任を果たせ」「国会で弁明しろ」の継続的かつ熱烈な大合唱と比べてみるといい。「表現の自由を守れ」という社説を掲げる新聞もなければ、反対キャンペーンをやるテレビもない。

石原がナンキンだとかヤスクニだとか、はっきり言って庶民にとってどうでもいいことに言及すると、ムキになってそれを叩くのとえらい違いだ。

おまえら、アツくなるのは、小沢の政治とカネの問題じゃなくてこっちだろう、と言いたくもなるものだ。

以上のように、白か黒かしか見えない純潔主義と、それに乗じて統制国家を作ろうとする革新官僚。そして、それらを抑止するどころか、火に油を注ぐマスコミ。 これを見て、みなさんは何を思うだろう。

これこそ、まさに「新しい戦前」ではないのか。

貧しくなっていく国民(ついに●一人あたりGDPで台湾に抜かれた!)、尖閣問題に見られる国家主義的な意見の台頭を見ても、そういう懸念を感じざるを得ない。

このブログの読者のみなさんには、最後の最後まで、理性を失わず、国家やマスコミの姿勢を批判する視点を忘れないでいただきたいものである。

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2009.12.31(Thu)

嘘のつき方について 

  面白い記事を見つけたので、紹介しておきたい。

10年前より200万円も安くなった35歳の年収~『"35歳"を救え』
http://www.webdoku.jp/tsushin/2009/12/21/006890.html

 若い頃に思い描いていた「35歳」とは、どういう姿ですか? そう問われて本作に登場する35歳の男性の一人がつぶやきます。

 「いまじゃ想像もつかないですけど、間違いなく結婚して、子どもがいて、普通の家庭を築いているんだろうなと」。

 現在、この男性は埼玉県の職業訓練校に通いながら、再就職に向けて準備中。電気工事士、ボイラー技士など彼が持つ資格は15個以上。どれも国家資格や都知事から与えられる正式な資格ばかり。それでも、就職先が決まりません。もともとトラック運転手として働いていた彼は、ビル管理会社に転職。最終的に年収が300万円を切るようになり、再び転職を考えました。付き合っていた女性もいましたが、年収を理由に結婚は断念。今も結婚はしておらず、アパートで一人過ごす日々を送っています。
 
 「団塊ジュニア世代」と呼ばれる現代の35歳。10年前ならば、35歳といえば家庭を持ち、会社で責任あるポストを任され、社会を担っていくはずの存在でした。それが現在では低所得化、未婚化、雇用の非正規化など、不景気のあおりを正面から受けています。本書はNHK「あすの日本」プロジェクトとして放映された内容を再構築したもの。1万人の35歳のアンケートデータから浮き彫りになる、35歳の「現在」をリアルに伝えています。

 たとえば、年収。1997年には平均年収が500万~600万円だったのが、現在は300万円台。10年前よりも200万円は安くなっているのがわかります。35歳時点での出生率は0.86、また正社員の69%の人が、会社に対して不安に思うことについて「収入が増えないのではないか」と回答しています。

 今のままでも十分目を背けたくなりますが、この先20年後の日本は「ゼロ成長」「消費税18%」「医療費の自己負担額は現在の2倍」「失業率10%超」「年金30%カット」など、想像したくもない社会になってしまう可能性があるのだそうです。現在、日本の失業率は5.1%。15~24歳の若者に至っては失業率9.9%と、すでにその予兆は始まっています。

 今後、日本の社会はどこに向かっていくのか――。今年を振り返りながら、2010年を迎える前に読みたい一冊です。


  不安な気分になっているあなたは、もしかしたらある種の人たちの都合の良いように誘導されやすいタイプかも知れない。注意した方がよい。
  私が危ないと思うのは、この部分を読んで「こんなに悲惨になるのか・・・」と思ってしまった人だ。

>この先20年後の日本は「ゼロ成長」「消費税18%」「医療費の自己負担額は現在の2倍」
>「失業率10%超」「年金30%カット」など、想像したくもない社会に
>なってしまう可能性があるのだそうです。

  「可能性がある」からこんな内容を放送しているのではない。
  「これからこういう社会にしたい」から、そのためのプロパガンダを今からしているのである。
  仕方なくてこうなったんだ、環境が変化したせいだ、今はこういう世の中だから・・・このような論調でメディアから発信される情報は、ほとんどがプロパガンダか、それを鵜呑みにしている二次生成的言論である。こんなものを信用する必要はないし、その通りの未来を受け入れることを検討することすら不要である。
  NHKがこのような内容の番組を放送しているのだとしたら、良識ぶった国家権力の道具という、最悪の評価をせざるを得ないだろう。こんな連中に、受信料など払う必要はない。もう、我々はテレビを捨てるべき時が来ているのではないだろうか。

  このようなプロパガンダが巧妙なのは、

>1997年には平均年収が500万~600万円だったのが、現在は300万円台。
>10年前よりも200万円は安くなっている

  こういう事実を混ぜてきているところである。こういう部分と、消費税うんぬんという支配側(財務省、日本をデフレ漬けにしたいアメリカや中国、グローバリスト企業)の願望とを分けて検討するのはかなり難しい。
  このブログは、皆さんに有益だとか興味深いと思われるもののとらえ方を紹介する(その当否はみなさんに決めていただければよい)ことを趣旨としているので、ここで一つプロパガンダの仕掛け方というものを紹介しておこう。それは、

1.すべて嘘にはせず、事実と混ぜておく(半分以上は本当)
2.前半は本当、後半は嘘
3.事実は本当、解釈が嘘
4.過去・現在は本当、未来が嘘


  1.は、嘘の比率が高いとバレやすくなるからだ。人間は、ある文章や演説を聴く時、一つ一つの言葉の意味を細かく検討するのではなく、全体の雰囲気で判断している。そのとき、嘘が大半を占めると、全体的に地に足の付いていないような印象を与えて、嘘がバレやすくなる。●東京スポーツという新聞は「日付と天気予報だけホント」なので、こんなところが消費税18%だと言っても誰も信じないだろう(笑)。
  しかし、本当のことの割合が多ければ、そういう直感的な判断ができなくなり、信用できるかもしれないという予断をもって受け入れてしまうのだ。
  こういった効果は、発表している主体に権威があればさらに高まる。「NHKが言ってるんだから」というわけだ。まあ、だからこそこのブログに需要が出てくるわけだが・・・。

  2.や3.は、1.を段落や意味のまとまりごとの役割で分類したものである。初めの方に本当のことが書いてあれば、後ろも本当だろうと推定するのが人間である。試験の選択肢でも、間違いは後段に混ぜるのが常套手段だ。
  さらに、取り上げた出来事や事件が本当だと、それにどんな意味があるのかという部分をとりあえず読んでしまいがちである。事実の解釈など何とでもできるのだから、その部分に嘘を混ぜるのが一番効果的だということだ。
  そして、その解釈は、ほどよく感情を煽るような要素を持たせるとよい。たとえば、ちょっとだけ外国人への排斥感情を煽るようにしておくとか、ちょっとだけ悲惨な未来を描いて見せるとか、そんな感じである。そうすると、感情を揺さぶられるので、そこに書いてある解釈を強い印象で受け取ってしまうことが多い。ただし、あまりにも大げさにしてしまうと、それが主目的だとばれてしまう。モロ出しは風趣を欠く(笑)のである。
  そして、4.は1.を時間軸でとらえたものである。外国のメディアや、予算が欲しい研究機関がよくやるものだ。たとえば、「チキューオンダンカがこれ以上進むと・・・」という感じである。未来がどうなるかなど誰にも分からない。いわば白紙のキャンバスなのだから、そこにどんな絵を描いても完全な検証は不可能だ。詐欺師は、そこにつけ込んでくるのである。

  もっとも、私のような30代の年収がダウンしてきているのは事実である。その原因や、そこから起こりうる現象を検討しておくことは無駄ではない。

  まず、これだけは絶対に間違えて欲しくないので言っておくが、年収は下がったのではない。「企業が賃金を下げた」という言い方が正しい。平成に入ってからの日本企業は、利益を配当や役員報酬、さらには内部留保に回すことを優先し、従業員の給与を「コスト」としてみなすようになってきた。だから、正社員には残業代を出さず、派遣やバイトを使うわけだ。
  そして、企業はそれを「競争力の強化」ということで正当化し、メディアはリストラだの格差社会だのグローバル化だのというキーワードを氾濫させて援護射撃しているのだ。

  もっとも、このような企業側の認識は必ずしも正しくない。賃金は国民経済の中に放出されて需要を形成し、やがて企業自身の売上となって還流するからである。外部経済から獲得した利益(貿易黒字や資本収支)をくっつけて放流すれば、それだけ需要が大きくなっていく。このブログのいつもの言い回しで言えば、総需要が拡大するということだ。
  これに対して、投資家への配当や役員報酬はそのほとんどが消費に回らず、投資や貯蓄として金利や配当といった不労所得を生み出す原資になってしまう。●前の記事で書いたとおり、これは国民経済にとっては「死んだカネ」である。
  金利支出という消費につながらないカネを差し出さなければならない経済主体が増え、しかもその原資は金持ちのもとで滞留するのだから、デフレが拡大する一方なのは誰が考えても分かるだろう。
  金持ちになれないのは努力が足りない証拠だとマスメディアや学者がわめき、それを錦の御旗に同じ弱者を叩くバカがネット上に湧いてくるのは、全て上にあげたようなデフレの過程を正当化するためである。もしくは、そのような正当化をしかけた人間の敷いたレールに乗っかってものを考えたつもりになっているバカ(二次生成的言論)である。
  これは、一部の経済学者やケインズを盲信する者たちが言うように、財政支出を増やせば解決するものではない。公共事業など、財政支出をいくらやろうと、末端に分配しないメカニズムが出来上がっている。このような状況を正確に認識せず、小さな政府か大きな政府かを議論したところで無駄である。
  問題は、カネが滞留し、その溜まったカネを元手にして金利を取って貸付する行為が当然視されていることである。中世までのキリスト教や今のイスラム教が金利取得を禁じているのは、カネの持つ危険性をイエス・キリストやムハンマドが、さらには、旧約聖書をまとめた人たちがよく分かっていたからに他ならない。しかし、どうやら我々は彼らの生きていた時代より確実に愚かになっているようだ。
  今後の経済についての議論は、上のような近代経済システムの欠陥を捉えた上で、そのシステム内で微調整をするのではなく、根本的な枠組みの転換について検討するものでなければならない。私が「もう景気は良くならない」という記事を続けて書いているのもそのためである。

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(追記があります)






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2009.10.15(Thu)

人間はなぜ違いを乗り越えて生きていこうとするのか 

  更新が滞っている上に、ハードな記事が少なくて済みません。このブログを北朝鮮とか中国をコケにするネタ探しのためにのぞいている方には結構苦痛(笑)な内容が今回も続きます。●一つ前の記事に、先ほど、「じろ吉」さんが以下のようなコメントをされました。
 

私の生息している田舎でも ‘人との繋がり’への軽視が至る所で見受けられます。
 
 私の個人的な考えですが ‘繋がり’や‘付き合い’というものは お互いに少しずつ無理をしあいながら 続けていくものと思っています。

 今は一見無駄に見えても いざというときに協力しあえる関係の維持といいますか “共同体”というものの本来の意味ではないかと思います。都会でしたらいざ知らず 田舎に生きている意味が無いのではと感じます。

 昨今のマスコミの世論操作は悔しいかな大成功です。今では一般国民も口を開けば「無駄は… 無駄は…」のオンパレードです。自分達がその“無駄”により生かされている立場というのに…。一般国民が本当に気付かないと 現状は変わらないと思いますが 一度ハードクラッシュしなくては正直無理だと気ずきました。まぁ近い将来嫌でも経験 させられる筈ですが…。


  なるほど、私のような都会暮らしで、田舎といえば美化してしまいがちな人間には真似の出来ない、鋭い洞察だと思います。中でも、この部分は本質を突いています。

>‘繋がり’や‘付き合い’というものは お互いに少しずつ無理をしあいながら 続けていくもの

  人間というのは、一人として同じ人がいないわけですから、どこかしら違いがあって当然です。それにも関わらず、その「違い」を乗り越えていこうとするのはなぜだろうかと考えてみました。
  たとえば、ヘーゲルという哲学者は、「弁証法」という考えを持ち出しています。これは、対立するもの同士がぶつかり合うと、やがて昇華してより高度なものになるという考え方です。卑近な例ですが、計算ミスばかりしていて「ケアレスミスだよ」ですませている塾の生徒に、数学の先生が「それも実力のうちだ」と、彼の考えと反対のことをぶつけることで、この生徒は自分の考えを改め、数学の点数をアップさせるという感じです。ヘーゲルは結婚も違う人同士でするほうがいいよと言っていますから、人間関係にもそのことを応用しているのでしょう(ちなみに、ヘーゲル自身は隠し子が数人いたそうです)。
  また、社会主義の教祖(笑)であるマルクスは、人間には個人の活動を他者との協調、すなわち社会共通の利益につなげたいという欲求があると言っています。「類的本質」とかいうらしいですが、資本主義というのは労働を商品にしていることで類的本質を妨げている狂った仕組みだということのようです。
  これらの考えは、おそらく近代のヨーロッパにおいて、人びとがつながりを失ってバラバラになっていく様子を見て、これはいかん、なんとかせねば、ということで生み出されてきた考えなのでしょう。
  
  しかし、これらの考えを聞いて、何か首を傾げることはありませんか。

  そうです。その「弁証法」が成り立たず、「類的本質」が発揮されていないからこそ、今の社会でみんなが勝手なことをし始めているのではないか、と、難しそうな言葉を丸暗記したがる知的(痴的)バカではないフツーの人びとは思うはずです。
  そもそも、ヘーゲルだろうとマルクスだろうと、初めから終わりまで一人の人間が物語を作っているのですから、うまく文章を書けさえすれば、世の中のあり方に整合性のある説明ができるのは当たり前です。
  しかし、それを現実の世界に当てはめると、そこらじゅうに矛盾点が出てきてしまい、それを説明するためにまた訳の分からない小難しいことを言い始めるという最悪のサイクルに陥ってしまうわけです。
  それでもダメなら、しまいには「ヘーゲルを信じないと地獄に堕ちるぞ」とか「マルクス先生を疑う奴は資本家の手先だ」などという風に、考えを素直に信じない人間を排撃するようになります。まるでカルト宗教です。マルクスを熱心に信奉していた連合赤軍などの左翼が内ゲバを起こしていたのも、そういうことと無縁ではないでしょう。
  人間が協力し合って生きる美しい姿を、論理的に説明しようとしたのに、逆に殺し合いを始めるもとになってしまうのは皮肉なものです。

  さて、それでも人間同士がバラバラなのは好ましくないはずですから、なんとかしたいものです。
  そこで、二つのアプローチが考えられます。

  一つは、「論理とかそういうものはどうでもいいから、とにかく教育でガキの頃から叩き込めばいいんだ」という考えです。
  つまりは、他人に害を与えてはいけないこと、人と仲良くすること、苦しい時はお互い助け合うこと、多少の違いがあっても乗り越えてやっていくこと、悪いことではなく良いことをすること、良いことというのは利他的なことですよ・・・というような感じで、もうとにかく刷り込みに刷り込みまくって、常識にしてしまうのです。ヘーゲルやマルクスみたいなすごい頭のいい人でも説明できないのですから、なぜそうなるのか、というのを説明するのは無駄だということでしょうか。
  確かに、戦前の日本では、●「教育勅語」のようなもので、忠告愛君を筆頭に、利他精神の涵養や共同意識の醸成に成功していた、という見方もできそうです。

  では、もし生徒の一人がこういうことを言ったらどうしますか?

 「先生、確かにそういう方が人間の社会はうまく行くというのは頭では分かるよ。実際ぼくのうちでもみんな仲良くやっているし、その方がなんだかよく分からないけど一人でいるよりいいというのも確かだと思う。だけど、そんなことをしなくても生きていける人なんて、この世の中にはたくさんいるよね?

  別の、もっと鋭い生徒はこう付け加えるかもしれません。

 「○○くんの言うとおりだと思います。今の世の中は、働いてお金を稼げば何でもできると思います。お金があれば、人と助け合って生きていく必要もないし、その方が自由でいられます。先生は、お金をもらわずに教師をやろうと思いますか?」

  とにかくヒヨコに行動を刷り込むことしかやってこなかった先生は、この二人の生徒に対して有効な反論ができるでしょうか?私は無理だと思います。
  また、頑張って否定を使用とすれば、結局「自分勝手な人は地獄に堕ちる」的な脅迫しかできなくなって、カルト宗教みたいなノリになるのが関の山です。
  
  もちろん、上の二人、特に後者のような悟りきった(笑)子供は、おそらくこの世の中にあまり多くは存在していないでしょう。
  しかし、ほとんどの子供は、大人になって行くにつれ、必ず目にするはずです。

  不正をやっているのに、カネや地位(これも結局カネを生み出す場所にいるということ)があるゆえに咎められない大人がたくさんいること。

  面倒くさいことや都合の悪いことを、金を払うことで片付けてしまう人間がたくさんいること。

  人身売買や買春という形で、自分たちをカネで買おうとする大人さえいるということ。
 
  そして、今の社会ではカネを出せば他人と助け合わなくても生きていけるということ。


  こんなものを見ていて、それでも「人間は違いを乗り越えて助けあわなくてはいけないんだ」と言い続ける方がかえって難しいのではないかと思います。
  
  ひどい話をするなぁ、と思った人もいるかもしれませんが、これはあくまで「子供の頃から教育して利他精神や共同意識を持った人間を育てれば、この社会にある様々な問題は解決するはずだ」というアプローチを取った場合、どうなるかということを推論しただけです。
  ここまで考えてブログに書いているわけですから、もちろん私はそのような立場を取っていません。以前は、教育勅語にはいいところもあるとか、利他精神を教えればいいんだとか、そういうことをムキになってブログにも書いていました。しかし、それではうまく行かないことが多すぎるのです。
  そのうち、安倍内閣が残業代ゼロ法案を検討し始めたあたりで完全にネット右翼から足を洗った頃、ある考えに至ったのです。  

  「ほとんどの人は今の社会は何かおかしいということに何となく気づいているはずだし、このままでは行けないと思ってもいる。それにも関わらず、世の中が良い方向に変わっていかないのはなぜだろう?」

  そして、自然的経済という非常にユニークな政策を掲げる●平和党に関わるようになってから、確信したことがあります。

  「ひょっとして、今まで自分は何か重大な思い違いをしていたんじゃないか。個々の人間がどういうことを思い、どういうことを願うかという精神的、心理的な面をなんとかすれば世の中の問題はなくなっていくはずだと思っていたが、本当は人の心や気持ちではない別のものが原因なんじゃないか?」

  今の私であれば、これに対して自信を持って解答をすることができます。

  「人間の行動や思想を決めているのは、その人や集団が置かれている物的条件である」

  「物的条件」というのは、人間の生存を規定しているあらゆる外部的条件のことです。自然環境や地理的条件、利用できる財やサービス、人間関係、法制度その他もろもろです(ただし、ここには道徳や倫理といった精神的なものは含まれない)。
  要するに、社会のあり方を決めているのは、人間の精神の善悪ではなく、その人が置かれている状況だということです。

  たとえば、こういう話を聞いたことがあります。

  阪神大震災があった時のことです。震災の翌日以降、行き場が無くなった被災者の方々が、続々と避難所に集まってきました。しかし、備蓄してある物資は乏しく、みんなに十分行き渡る量のものはありません。それでも、その乏しいものをみんなで分け合い、譲り合いをしながらつらい日々をしのいでたそうです。
  ところが、日本各地から続々と被災地に救援物資が届き始めた時から、異変が起こったのです。
  昨日まであれほどみんな助け合いの精神でやっていたのに、物資が手に入る状況が用意されると、途端にその奪い合いが始まったそうです。今まではなかったような罵り合いや喧嘩が起きるようにもなったと聞いています。

  この話は非常に示唆に富んでいます。普通であれば、ものが乏しいから生き残るために奪い合いになると思いがちです。しかし、そうではなくて、そういう状況では、かえってみんなでつらさを共有してやっていけるのです。
  しかし、他人に譲ったり、次のことを考えて我慢したりしなくなってもいい物的条件ができあがった途端、みんなのエゴが噴出したわけです。
  今の日本は、「救援物資をそこら中から集めてくることができる巨大な避難所」みたいなものです。ものがあるから、それをカネで買えるから、我慢をする必要も、面倒くさい思いをして他人と協調する必要もありません。
  戦前の日本で、教育勅語に代表される「洗脳教育」がうまく行ったのは、お題目が素晴らしかったわけでも、日本人が優秀だったわけでもありません。近代経済システム、つまり「なければ他から奪ってきてカネを使って手に入れる」という仕組みが、全国すみずみまで行き渡っておらず、本当に我慢や協調性が必要な物的条件だったからです。
  逆に、そういう物的条件がなくなり、カネでなんでも手に入る便利な世の中になれば、そうでなかった時代を知っている人たちはいざ知らず、それが当たり前になった世代から順々におかしくなっていくのは当然のことです。
  それでもまだ「人間はカネではない」と言える人間がいるのは、一つはもちろんただ単にそういう習性が世代を超えて受け継がれているというのもあるのでしょうが、カネではなく人間同士の結びつきに頼って生きていく方が都合がいいことをヒトという生き物が本能的に知っているからなのかもしれません。
  もちろん、そういう習性ですら、もっと世代を経れば完全になくなってしまうかもしれません。家畜の豚が猪だった頃の記憶をほとんどなくしてしまっているように、ヒトという生き物も、やがて何物かの管理がなければ生きていくことすらままならないようになってしまうかもしれません。

  では、なんとか近代経済システムの「毒」に染まりきっていない人たちは、一体どうすればいいのでしょうか?

  他人に説教をぶって考えを変えさせたり、強制的に洗脳を施して社会性を植え付けたりするのは、すでに見たように無駄でしょう。いくら洗脳をしまくって道徳を植え付けたとしても、その道徳が必要ない物的条件が整っている以上、徒労に終わる率は非常に高いものになります。
  また、いくら物的条件が問題だからと言って、それを政府の力で無理矢理取り上げたり、地震や戦争が起きればいいと思うのも筋違いでしょう。そんなことをしたら、願っている当の本人ですら死んでしまう可能性が高まります。

  そうなれば、もう答えは限られています。

  「カネや便利さが全てではない世界を作り、それを見せること」

  そして、

  「そういう生活がしたいと思っている人びとに、そのやり方を教えられるようにすること」

  です。

  社会全体の物的条件が嫌なものだからといって、それに乗り続けることはありません。自分たちで違う物的条件に支えられた社会を作っていけばいいのです。私が「地域通貨」だとか、「入会地」だとか「半農半X」だとか、何度もこのブログで書いているのはそういう目的です。
  国会に議席を持っている政党がどこも(国民新党さえも!)ダメなのは、現在ある物的条件をそのままに、理想の社会だの活力ある日本だのといった夢物語を唱えていることです。そんなところで勝負をしたら、結局利子を付けてカネを貸す奴らにカネが集まっていき、我々はどんどん酷使させられるだけです。
  幸い、最近私も、そう遠くない将来塾講師をやめても食っていけるような条件が整ってきました。まずは畑や田んぼでなんとか食べられるものを作る環境を整えてから、こちらのブログでも取り上げた柿渋を使い、大麻はさすがに無理でも●亜麻(あま)や苧麻(ちょま)といった作物から繊維を作り、なるべくカネがかからず石油に頼らないような生活をやってみたいと思っています。
  断っておきますが、私はそういうのを義務感でやっているのではありません。他人に要らないものを売りつけたり、隣の席に座っている同僚と足を引っ張り合ったり、忙しすぎて仕事のことしか考えられない生活をするより、その方が楽だと思っているからです。
  そういう生活をする上での他人との協調なら、必要があってやることですから、別に嫌だとか言っていられません。自分が困る、下手をすると死ぬかもしれないわけですから、選択の余地がありません。それが、物的条件というものなのです。
  最近またちょっと暇がなくなってきて、なんだかんだと先延ばしになっているところはありますが、とりあえず将来の目鼻はついてきたので、このブログももう少し具体的な話をできる場になるのではないかと思っています。  
  
  もしかしたら、近いうちに、こちらのブログをご覧になっていて、そういう話に興味がある方がいれば、何か一緒にやらせていただくのもいいかもしれませんね。

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2009.08.19(Wed)

最近気づいたこと 

  更新が少なくてすみません。連日塾の方で夏期講習があり、お盆休みの間も東北に行ったり富山に行ったりで、あまり時間がありませんでした。
  明日から仕事なので、今日は家事や骨休めをいたします。あまり本格的な記事を書けなくて申し訳ありませんが、お盆休みの経験を通じて気づいたことを書いておきます。

  たいしたことではないのですが、ここのところで、わかり合える人間というか、多少の差異を無視して共にやっていける人の類型が明らかになりました。

  それは、男性ならば、

・農作業を嫌がらない
・大工仕事を厭わない


  このどちらかに当てはまる人で、女性であれば、これに加えて、

・家事、特に針仕事を厭わない

  という要素のどれかを満たす人です。これを抽象化すると、

・自分のことを他人に投げない人間
・手間のかかる作業をカネで解決しようとしない人間


  ということになるでしょうか。さらに、この論理を敷衍すると、

・すぐに面倒くさいと言い出す奴
・やらない言い訳ばかり口にする人間



  は、他の要素がどれだけ優れていてもNGということになります。

・物事をやるとき文句を言う人間

  というのは、二種類に分かれると思います。
  ひとつは、やり始めると真摯に取り組む人間で、もう一つは、二度目からその作業から逃げ出す人間です。前者は単なる食わず嫌いであり、一度口に入れると「結構うまいな」とか言い始める単純な人間といえるので、害はありません。しかし、後者は上に挙げたNGの人間です。

  ここで大事なのは、このような分け方は言語的な表現とは関係がないということです。たとえば、人にきかれて「家事は得意です」と答える人イコール好きな人というわけではないということです。そうやって「自分はこういう人間だ」ということを表出したがる人は、肝心の時に役に立たないタイプが多いのではないかとすら思います。
  なにしろ、肝心の場面になったとき、黙って仕事に取り組む人間であるかどうかが大切です。
  そのような人の特徴をもう一つ挙げておくと、

・独立している

  ということが言えます。何かに寄りかかっていないので、タブーだとか右翼左翼みたいなスタンスがない、あっても固執しないという傾向があるようです。
  裏を返せば、右翼だとか左翼だとか保守だとか地球市民だとかいう連中は、現実の問題を観念で解決しようとする人間であり、政府のカネや暴力装置(警察など)を当てにしているどうしようもない人間だということです。
  私自身、そういう人間だった時期があるわけですが、それでも今にいたってコメント欄で韓国や中国や左翼を感情的に貶し、あふれるメディアリテラシーで「消去法で自民党」とか言っていた人たちはこのブログから遠ざかっていきました。また、私自身もそういう人たちのブログや掲示板には足を向けなくなりました。お互い、何か感じるものがあってそうなったのでしょう。
  たまに政局のことを書くと「そういう感じ」の人が寄ってくるのは、まあなんというか、近代国家における政治が観念の現実化という不毛な作業であることに尽きるのではないかと思います。
  そういう余計なものに惑わされず、本質を俯瞰できるブログとして細々とやっていきたいと思います。みなさん、これからもどうぞよろしく。

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2008.10.15(Wed)

留学すれば、「自分」になれるのか(後) 

  また間に記事が入って飛んでしまい恐縮です。●留学すれば、「自分」になれるのか(前)の続きです。
  再度、ニュース記事を引用します。

ゲートウェイ21破綻:債権者説明会 「詐欺だ」800人怒り 預かり金流用、常態化
http://mainichi.jp/select/biz/news/20081006ddm041020082000c.html

破産申し立て中の留学支援会社大手「ゲートウェイ21」(東京都新宿区)の債権者説明会が5日、東京都内であり、福井伴昌社長は「本当にすみませんでした」と土下座して謝罪した。経営破綻(はたん)後、社長が公の場で発言するのは初めて。社長は「集めた資金をそのまま海外送金すればよかったが、会社が存続できない状態となり手をつけた」と資金流用を認めた。約800人の被害者は「詐欺だ」と厳しく批判した。

 同社は、留学予定者から預かった資金を、専属契約する海外の現地法人を介して、留学先やホームステイ先に支払う。このシステム通りに送金されれば留学に支障はないが、実際には払われていないケースが相次いでいた。

 会場から「預かり金に手をつけたのか」と追及されると、福井社長は「その通り。そうせざるを得なかった」と認めた。使途は先行してあっせんした他の留学生の費用だけでなく、会社の事務所の家賃や人件費にも及んでいた。さらに「『送金が集中する3、4、8、9月を乗り切れば』と思っていた。昨年もそれで乗り切った」と流用が常態化していたことも認めた。

 説明会に同席した野間啓弁護士は「昨年6月ごろから資金繰りが厳しくなっていた」と説明した。

 一方で個人的な蓄財など私的流用は否定。「私財を4000万円(会社に)入れた。個人財産は残っていない」と強調した。野間弁護士が「返金は難しい」と話すと、ため息に包まれた。男性が「あなた(社長)を刑事告訴します」と発言すると、一斉に拍手が起こった。

 訪れた被害者が会場(定員約200人)に入りきれず、外の歩道に50メートル以上の列を作った。参加者を入れ替え説明会を2度を開いたが、流用した原因は「全国展開に伴って経費が増え、売り上げが落ちたため」とだけ説明した。

 イタリアで料理人の修業をするため、肉体労働のアルバイトでためた約80万円を支払った埼玉県北川辺町の男性(30)は「答えられなくなると『すみません』で済ます。具体的なことは聞けなかった」とあきれ顔だった。



  私が、読んでいて非常に強い違和感を覚えたのは、この部分です。

>イタリアで料理人の修業をするため、肉体労働のアルバイトでためた
>約80万円を支払った埼玉県北川辺町の男性(30)は「答えられなくなると
>『すみません』で済ます。具体的なことは聞けなかった」とあきれ顔だった。


  イタリア料理の修行は、本場のイタリアでないと出来ないという理屈は、分かる気がします。しかし、それなら、なぜ普段から「肉体労働のアルバイト」ではなく、イタリア料理の店でアルバイトしないのか、不思議で仕方がないのです。
  どうも、ゲートウェイ社の「被害者」として取り上げられている例には、首をかしげる留学志望者が多いような気がします。いくつか拾ってみたので、引用部分をご覧下さい。

  まずは、読売新聞の記事です。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081005-OYT1T00531.htm?from=main5

 英国留学の仲介を依頼し、約180万円を納めた都内の30歳代の男性会社員は、勤務先に退職を申し出た後に破綻を知った。入学予定だった現地の語学学校に電話で確認したところ、「授業料は受け取っていない」との答え。「懸命に働いて留学費を作ったのに……」と言葉を絞り出した。

 都内の無職女性(26)は、米国に留学しようと約150万円を同社に納めた。アルバイトをかけ持ちしてためた資金だった。説明会で今後の対応を聞こうとしたが、「『すみません』と言うばかりで何も分からなかった」と憤る。


  一つの仕事に就いてそこからしっかり学ぶ方が、留学するよりずっと価値があると思っているのは私だけでしょうか?

  続いて同じく読売、九州版の記事です。某半島に近いという土地柄(笑)が出ています。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20081008-OYS1T00459.htm

 「短期留学がうまく行けば、1年はソウルにいる気だったんです」。福岡県大野城市のアルバイト女性(21)は自宅で肩を落とした。

 女性は9月21日~10月1日、ソウルの語学学校に通う契約をゲ社と交わし、約36万円を支払った。滞在中はソウルの会社員(30歳代)宅にホームステイした。

 「24万ウォン(約1万8600円)払え」。9月28日、会社員の妻から突然要求された。まくしたてられても言葉が分からない。妻は親しい日本人に電話。受話器を交互に渡し、日本人の通訳を介しながらの問答が続いた。

 会社員側は「ゲートウェイ21と提携するソウルの会社から経費を受け取っていない」と主張。「日本で支払いは済ませた」と女性は拒否したが、「払うまで日本に帰さない」と迫ったという。女性は結局要求通りに支払い、29日に帰国した。


  福岡には韓国語の学校がないのでしょうか?

  毎日新聞の記事も取り上げます

http://mainichi.jp/select/biz/news/20081001ddm041020105000c.html

 カナダへ1年間留学予定だった東京都八王子市の女性(28)会社を辞め、5日に出発予定だった。ホームステイ代や語学学校への授業料も支払われていないといい、「航空券のキャンセル代がもったいないから出発するつもり。だけど到着後はどうすればよいのか」と途方に暮れていた。


  とりあえず出発して、どうしようというのでしょうか?「とりあえず留学」「とりあえず退職」と来た流れなのでしょうか?

  最後は、旅行業界の情報サイト「トラベルビジョン」からです。

http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=38260

 新宿支店にも、既に300万円を支払済で、9月に会社を退職し、11月1日の出発予定でロサンゼルスに1年間の予定で留学を申し込んだ人が訪れていた。9月中旬に同社から連絡があると伝えられていたが、この対応がなかったため先週末に電話で連絡し、担当以外のスタッフが応対。「担当者からかけなおす」と伝えられたが、週末には連絡がつかなかったという。


  300万円で1年間ですか・・ちょっとかかりすぎじゃないですか?

  確かに、大学生の被害例もあるのですが、目に付くのが、それ相応の年齢の社会人が大金を払っているという事例ばかり紹介されています。
  ことさら悲惨な例を取り上げて、センセーショナルにしようというマスコミの意図もあるのでしょうが、何かしっくり来ません。

  前編の記事でもお話ししましたが、私も実は留学を考えていました。

  留学したいと思っていた国は、カナダです。どうも、私はそれこそ落合信彦(笑)のような「国際ジャーナリスト」になりたいと思っていて、それなら英語が出来て、外国での生活を経験しておかないとダメだと思っていたようです。
  しかし、準備は真剣にやりました。大学4年くらいから独学で英語を勉強して、留学に必要なTOEFLという試験も受け(旧試験で597点)、志望していた大学のアドミッション・オフィスとも英語でメールをやりとりしました。カナダドルで3万ドル(当時はだいたい280万円くらい)貯め、TOEFLの成績表のコピーと、カナダドルの預金証明と、学部で取った単位証明も送りつけて、「3年から編入できますよ」という返事をもらっていました。

  それが、ちょっとしたきっかけで留学に興味がなくなっていき、今に至るわけですが、留学しなくてもいろいろ分かるようになってきたことがあるので、別にそれ自体後悔はしていません。司法試験に無駄に費やした6年間の方は今でも時々振り返って頭を抱えることがありますが・・・。

  みなさんに分かっていただきたかったのは、留学を本当にしたいと思えば、私がやったようなことくらいはやって当然なのではないか、ということです。つまり、

★現地で困らないための語学力等を日本で身につける
★受け入れ先と直接交渉する


  くらいはやると思うのです。
  それをやらずに、留学斡旋会社に丸投げしているというのは、本当に真剣に勉強する気持ちがあるのだろうか、と、首をかしげてしまうのです。
  留学といえども、自分の人生の一部なわけですから、他人に完全に任せてしまうのが好ましいとは思えません。他者に依存すると自分では関知し得ないリスクを背負い込むことになってしまいかねないからです。
  たとえば、「料理するのが面倒」だと言って、ファミリーレストランやコンビニの弁当で食事を済ませているとします。そういうところには、価格競争力を高めるために、必ずと言っていいほど「チュウゴク産」の食材が使われています。普段使いの値段で、調理という手間を掛けて提供するのですから、売る側としてはそうせざるを得ない面があるのです。
  そういうものにすっかり自分の食生活を依存しておいて、「安全な食品を」などと言い出す人間がいても、私は一切耳を貸しません。他人に、調理という生活に必要不可欠な行為を任せっきりにしているつけが回ってきているだけです。
  ゲートウェイ21というのは、「料金が安くても、現地スタッフが24時間サポート」というサービスを謳っていました。相当な無理をしていたことは間違いありません。そういう点では、「安くおいしく安全に」という無理難題を押しつけられている外食産業とよく似た立場にあったということができます。
  そう考えると、ゲートウェイ社だけを一方的に責めるのは間違いだということにならないでしょうか。

  もっとも、大金を払って留学に夢を求めてしまう人びとの気持ちも、分からなくはありません。

  今の世の中には一つ困った風潮があります。それは、「自己実現をしない人生は生きる意味がない」という、誤った認識がまかり通っていることです。
  自己実現というのは、「なりたいと思っている自分になること」といった感じの意味でしょうか、とにかく、そういうものを追い求めていない人生はつまらないという認識が、かなり多くの人びとの間で共有されている気がするのです。
  それが、日本人特有の「海外」に対する漠然とした憧れ(未知の世界なので、素晴らしいものに違いないという認識)と結びついて、留学に走る人が出てくるのでしょう。簡単に言えば、日本では思うように自分の願望を達成できないから、よくわからないけどすごそうな外国に行ってみればうまく行くかも知れないと期待しているのが、上に挙げたような留学生の実態です。
  こういうことを言うと、英語や国際感覚を身につけるためだ、というもっともらしい理由で反論するのでしょうが、そんなものは日本国内にいても十分身につけることが出来ます。海外旅行というと、ロシアに1回しか行ったことがない私が、1年そこら留学した同年代の人間より、国際情勢や世界経済に対する認識が不足しているとは思いません。
  それに、たかだか半年や1年留学したところで、日本では身につけようがない英語力や国際感覚が身につくのでしょうか。ビジネスや研究に携わり、レベルの高い人材と交流して、初めてそういう力がついてくるのではないでしょうか。
  なにより、言語を理解し、論理に従って本質を見抜くという知性のあり方は、欧米だろうと日本だろうとアフリカだろうと、全く変わりがありません。その国の特殊な事情を研究するためとか、専門的な研究をやっている場所がそこにないという限り、留学は必要ないのではないかと思っています。
  そう言う点では、●外国に留学しないと実力がつかないなどとぬかしている人事院官僚など、外国滞在を税金で楽しんでいるだけだ、という批判ができるでしょう。

  それはさておき、こんな風に留学に対してはあまり必要性を感じていない私も、ゲートウェイ21の被害者に対して「自己責任だ」「考えが甘い」という言葉を使って一方的に非難する気にはなりません。
  なぜなら、今の世の中には、上に挙げたような人びとが、「夢」や「希望」を追い求めざるを得ないようあ状況が確かに存在するからです。
  その下敷きになっているのは、「日本社会の地滑り現象」です。要するに、日本という国が没落の途上にあるということなのですが、これは主に経済の世界でいえることです。
  バブル経済に突入するまでの日本は、大企業が稼いできた利益を税金で吸い上げ、社会保障や公共事業を用いて国内で循環させるという仕組みを取っていました。多くの国営企業(たとえば国鉄)などが存在していたことも、雇用の安定には役立っていました。
  ところが、80年代半ばの中曽根政権の辺りから、貯蓄より投機が推奨され始め、国営企業は無駄が多いと民営化する方向へ舵を切りました。その分、民間企業の活力を利用して、無駄な税金として使われていた部分を生きたお金にしようということです。いわゆる「民活」というやつです。
  これ以降の政権の経済政策というのは一貫しています。社会のあらゆる分野を、政府や自治体による面倒見から、私企業の営利活動と個人の自己防衛へとシフトしていくということです。これによって、確かに無駄は少なくなりましたが、競争力がずば抜けて高い一部の個人や企業にばかり金が行くようになり、「広く浅く」という従来の分配方式は行われなくなります。
  それでいいじゃないか、と思うかも知れませんが、そうなると、社会全体の需要が減るので、あなたも含めて能力が中以下の人間はどんどん仕事がなくなっていきます。いまや政権与党が「移民を1000万人入れよう」という議員連盟を発足させている時代です。そうなると、高度なスキルを要する職業のみならず、単純労働の世界まで、外国人と競争させられることになるわけです。
  そういう世の中で、なんとか箔をつけたい、という思いで、留学を選択するという人が出てくるのは不思議ではありません。
  あるいは、もっと進んで、そういう過度の競争を強いる世界で戦わされるより、漠然とした夢の方に自己実現を見いだしたいという人が増えるという現象も出てきます。
  みなさんも、物事が思うようにいかなかった時、歌を歌ったり、お酒を飲んだりして、憂さ晴らしをしたことはないでしょうか。歌や酒それ自体には、それをやったからといって、うまくいかなかった物事を好転させる効果はありません。しかし、始終努力を強いられるとなると、そこから逃げなければやっていられない、という気持ちは誰しもが持っているものです。
  そんなことはない、俺は自分の努力で何でも実現してきた!甘えるんじゃない!とか思っている人は、こんなブログは見ないで、「日本ベンチャー協議会」にでも入って自民党の格差推進政策をどんどん応援してください(笑)。
  面白いもので、「夢」や「希望」は安定している社会よりも、今の日本のように、社会全体が不安定化している(というより、政府当局や外国の干渉で、そうさせられている)社会の方で、より重みを持ってしまうのです。●宝くじと資格試験のことを扱った記事でも言いましたが、現実が報れないものであればあるほど、それを忘れるために、勝算の少ない一発逆転に走ってしまう人が増えるのです。学歴が低かったり、外国語が嫌いだったりすると、パチンコや宝くじや司法試験になってしまうのが、たまたま外国にかぶれていたり、外国語のテストで良い点を取れていたりすると、留学になるということです。どちらも、現に存在する情けない現実から目をそらしたいという点では、根本的な違いはありません。
  だから、全体としての留学者数は減っている(=一番の利用者だった大学生の親御さんにお金がなくなってきている)にも関わらず、ゲートウェイ21の被害者のような、社会人による短期留学が増えているのではないかということです。
  昨今の事件というのはどれも、過度の競争社会化で追い詰められた「弱者」が、それでもなんとか生きようともがいた結果なのではないかという気さえします。別に犯罪を正当化するつもりはないのですが、そういう「弱者」を「犯罪予備軍」に変えるような方向をわざわざ取る必要があるのかどうかは大いに疑問です。

  もちろん、こういうことを是正するには、経済社会のあり方を、多数の「弱者」にとって居心地の良いものに変えることが第一です。格差を助長し、分配を否定している今の政権には、即刻死んでもらうしかないでしょう。
  しかし、もう一つ大事なことがあります。それは「教育」です。
  要するに、学校で「夢を持って生きることが大切だ」とか、「努力すればなりたい自分になれる」ということを教えるのはやめろ、ということです。公教育というのは国家が自分に都合の良い世界観や価値体系を教え込むための仕組みですから、どうしても無理矢理詰め込んだり、選別したりする過程が必要です。それを正当化するためには、「努力すればいいことがある」という風に、抽象的に訴えるしかないのです。
  もちろん、ひねくれた人間はそういうことを信じませんし、本当に優秀な人間は何があっても大丈夫なのでしょうが、純粋で、学習能力が高い生徒は「自己実現真理教」の犠牲になってしまいます。ゲートウェイ21の被害者にも、そういう人がかなり多いことが予想されます。
  ●以前の記事で触れた「熱く生きろ!」と若者を扇動するカルトなども、同じような構造を持っていると思ってもらってもいいでしょう。真面目で、素直な人間を食い物にしているあたり、学校教育も、落合信彦や大前研一のようなカルトの教祖も、詐欺師と同列だということもできます。
  こういうことが話題になるといつも思ってしまうのですが、そもそも「夢」や「希望」がなければ、人生は生きるに値しないのでしょうか?
  学校教育や、メディアの場面で語られるのは、いつも成功して名を馳せた人間の話ばかりです。「偉人伝」などというものが典型でしょう。発明王エジソンは学歴がありませんでしたが、優秀な父母に個人教育を施されて、持ち前の才能が開花し天才です。「天才は99%の努力と1%のひらめき」と言いますが、何日も寝ずに研究に没頭できるというのは、もうそれだけでかなりの才能の持ち主だということができます。
  エジソンはまだ人の役に立つ発明をしていたからいいのですが、ロックフェラーだとかカーネギーだとか、ただたんに金儲けをしただけの人物が称揚されるのはどうなのでしょうか。日本で言えば、本田宗一郎や松下幸之助はまだいいとして、「ホリエモン」だとか楽天の三木谷社長みたいな人物を、素晴らしい人物だと称揚するようなものです。他人の損で儲けを挙げた連中を「カリスマトレーダー」だとか呼んだり、どうも、現実に手にした財産の多寡で、人間の価値を決めつける風潮が蔓延している気がしてなりません。
  そういう世の中だからこそ、地道に周囲の人びとの役に立つような生き方だとか、親孝行することの価値だとか、目立たないところで社会に貢献している人に光を当てるとかいった作業が必要になってくるのではなないかと思うのです。そうでなければ、この世の中は才能と環境に恵まれた一握りの人間以外に生きるに値しないものになってしまうのではないでしょうか。
  私は、安倍内閣の教育カイカクというやつに、初めは期待していたのですが、蓋を開けてみると「武道の必修化」だとか「教育バウチャー」だとか、どうしようもないことばかり唱えていたのを見て、正直がっかりしたのを覚えています。あとあと、安倍晋三やその周囲に集まっている人間の正体が分かった時は、「ああ、なるほど、愛国心を植え付けて、国民の不満をそらしたり、対外進出をさせやすくするためなんだな」と、納得したのを覚えています。
  近代の経済システムでは、結果にならない努力は全て無駄になってしまいます。だから、教育くらいはそういうものの逆を行ってほしいと思っていたのですが、学力テストの低下と日教組の組合組織率の関係についてぐちゃぐちゃと下らない話をしているような「ウヨク」や、いまだに憲法9条に対するカルト崇拝だとか自虐教育だとかを推進している「サヨク」が跋扈している現状では、なかなかそういう声は盛り上がらないようです。
  私が今いる場所で、結果が伴わなかった努力を私なりに称えてやるしかないのかもしれません。
  
  せめてこの記事を見て、単なる「違う自分になるため」の留学を思いとどまる人が出てきてくれると嬉しいです。大事なお金と、若い頃の時間を無駄にしないためにも・・・。

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