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2009.11.12(Thu)

「国産」の置かれている地位 

  私は今現在、塾講師をやっているので、昼下がりの出勤時間まで時間の余裕があります。
  そこで、今日はある展示を見ようと思い、農林水産省まで出掛けました。

  中央省庁は、みなさんもご存じの通り、千代田区の霞が関という区域に集中しています。地下鉄を利用して霞ヶ関まで行くと、農水省の周りが工事中で、目当ての展示場所に行くまでえらい時間がかかりました。
  その「北別館」という場所には、農水省の食堂があります。本当は3箇所あるらしいのですが、二つが先月末に閉店していたため、1階の蕎麦屋だけが開いています。どうやら、国産の材料を使用したメニューもあるらしいという話を聞いていたので、何かのネタになるかと思い、蕎麦を食べることにしました。
  まず、券売機でチケットを買うのですが、ここでハードルがありました。

           80円増し

  食糧自給率アップを宣伝している省庁のくせに、国産のそば粉・小麦粉使用の場合は80円増ししないと買えません。値段が高いのはいいとして(笑)、どうせなら全部国産にして、少しでも国内の生産者を助けてやれよ、と、釈然としないものを感じながら、野菜そばとかき揚げ、それにこのチケットを購入しました。
  その後、セルフサービスということでカウンターに並ぶのですが、ここでも「特別扱い」が待っていました。

           国産はこちらで

  なぜか別の窓口に並ばされてしまいます。
  その後、なぜだかはよく分かりませんが、やたらと待たされます。後ろのフツーの蕎麦うどんを頼むお客さんは長蛇の列をなしていたのですが、どんどん注文の品が出てきます。私だけ一人でポツンと「国産はこちらで」の札の前に並んでいるので、いい晒し者になった気分でした。

           野菜そば+かき揚げ

  これが我慢を重ねて(笑)たどりついた国産の蕎麦です。自体はまあなかなかイケると思いましたが、若干つゆがぬるかったのが残念でした。昼時の殺人的な忙しさもあったので、仕方がないでしょう。

  しかし、なんというか、自給率向上の旗降り役の役所が、ここまで「国産」を特別扱いしているのには正直ガッカリしました。
  それもそうでしょう。そば粉の主な輸入相手はあの中国ですが、値段に直すと国産の半分くらいで取引されているそうです。それに、農水省としては、外部の業者に食堂の営業を委託しているのでしょうから、その業者が利益を上げるにはチュウゴク産を使う方が合理的ではあります。
  まして、チュウゴク産の蕎麦の実からは基準を超える農薬や殺虫剤が検出されたこともないそうですから、なおさら国産を積極的に選ぶ理由がなくなります。むしろ、含有量が多い小麦の方が、殺虫剤やポストハーベスト農薬(収穫後に保存するために用いる農薬)の危険があるほとです。

  それはそうと、私の後ろに並んでいた農水省の職員の方々も、ほとんどが国産でない蕎麦を注文していました。それが自然でしょう。同じ蕎麦を食べられるなら、安い方がいいに決まっています。だいいち、外食する時に、どこ産のそば粉だとか、どこ産の小麦粉だとか、いちいちチェックしたりするなんて面倒でやっていられません。
  食糧自給率は、高い方がいいに決まっています。何か外国とトラブルがあった時でも、飢えずに済むからです。農林水産省の職員の方々も、それは同じ気持ちでしょう。
  しかし、実際に賃金労働者として、外でご飯を食べてくるとなると、口に入った時うまい(少なくとも、まずくはない)もので、安ければそれでいいという発想になってしまうのです。昔の私は、そういう人びとをなんとまあ警戒心の足りない人たちだろうと嘲っていましたが、今はそうは思いません。
  カネという抽象的な価値を通せば、誰が作ったとか、どこで作ったとか、どんな風に作ったとか、そういうことはほとんど忘れ去られて、ただ「いくら」であるかという一点にのみ価値判断が集中してしまうのです。それが貨幣経済であり、都市化であり、文明化というものです。
  前にも言いましたが、人間の行動や思想を決めているのは、その人や集団が置かれている物的条件です。物的条件というのは、人間の生存を規定しているあらゆる外部的条件のことです。自然環境や地理的条件、利用できる財やサービス、人間関係、法制度などです。
  もちろん、好ましくない物的条件というのはあるわけで、チュウゴク産が猖獗を極めている(そして、我々がそれを様々な場面で選ばざるを得なくなっている)というのも好ましい物とは思えません。
  しかし、中国が憎くて憎くてたまらないバカウヨクやバカ保守が言うように、チュウゴク産を叩き出して国産に切り替えろ、と言うだけではどうしようもありません。嫌なら食うなと言ったら、食べるものがなくなる場合さえあります。そういう意味で、彼らの発言は物的条件を無視した荒唐無稽なものであり、現状を変えていく力は皆無と言ってもいいでしょう。

  今日の食堂の一件で、農水省は本気で国内の一次産業について考えていないということはなんとなく分かりました。財務省や総務省みたいな売国的活動が目立つ省庁に比べれば頑張っているとは思いますが、結局は自分の守備範囲や天下り先の範囲内というだけなのでしょう。
  やはり、近代国家の役人達に自分の生命を預けっぱなしではいかんという思いをますます強くしました。

  なお、目当てだった展示(有機農業が開く未来、みたいな感じのやつ)はいつ予定が変わったのか、私が単に見間違ったか分かりませんが、すでに終わっていて、代わりに展示会場にはピーナッツの宣伝が入っていました。こちらもガッカリしました。もっとも、今度の土曜日にその展示に出ていた農園に見学に行くので、そちらを楽しみにします。

  次の記事は、籾殻ハウス作りの続きを書きます。お楽しみに。

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2009.11.11(Wed)

非電化工房「もみがらハウス作りワークショップ」顛末記(上) 

  「籾殻(もみがら)を使って、素人が2週間で家を作る。費用は6万円」

  こんなキャッチコピーの入ったチラシを配っていたら、みなさんどう思われますか?「素人が家なんて作れるわけねーだろ」「6万円で家が建つなんてありえない」という感想を持つのが普通かも知れませんね。
  ところが、それを本当にやろうとしている人たちがいるのです。しかも、私自身もその家造りに参加してきました。その時のことを記事にしたいと思います。

  「籾殻ハウス」というのは、籾殻を断熱材に使った家のことです。
  このアイデアを実行に移したのは、●非電化工房という、その名の通り電化していない便利な品物を作っている企業さんです。私が所属している●平和党のメンバーから、非電化工房さんが籾殻で家造りをやるらしいということを聞き、このブログでも提唱しているような自律的な生活のヒントになるのではないかと思って参加してきました。
  家造りに参加、といっても、実際に関与したのは、ワークショップとして開催された11月3日と8日の二日間だけです。非常に人手の要る作業が何日間かあるため、そこに体験学習会をかねて募集をかけていたのです。
  10月に行われてた第1回のワークショップでは、壁と床に籾殻を詰める作業を行ったということです。私が参加したのは、骨組みができあがってから後の工程でした。籾殻ハウスのそれまでの様子などは、●非電化工房のお弟子さん達がやっているブログをご覧下さい。
  今日は11月3日に参加した時のことを書いてみます。

  私は東京よりの埼玉県に住んでいるので、栃木県北部にある非電化工房までは電車で片道3時間くらいかけて訪ねることになりました。大宮から那須塩原まで新幹線を使うと1時間ほど早くなるのですが、運賃が倍になるので各駅停車で出かけます。
  福島県境に近い黒磯駅まで行くと、送迎車が来てくれることになっていました。この日は非常に寒く、私が駅前で昼食を食べていると、外にはあられが降ってきました。もっとも、前日に「最高気温が5度くらいになるのでご注意ください」というメールをいただいていたので、防寒対策はしっかりできていました。
  13時少し前になると、駅に非電化工房の方が迎えに来てくれました。他の電車組の人たちと一緒に移動です。
  その途中、副代表の藤村健介さん(代表の藤村先生のご子息)に、現在の場所に移るまでの経緯などうかがいました。もともと神奈川県の葉山町にアトリエがあったのですが、手狭になったのと、カフェなどを併設する「非電化パーク」構想を実行に移すために、数年がかりで土地を探した末、栃木県の那須町に適当なところが見つかったそうです。
  ちなみに、非電化工房の敷地はこんな感じです。

    非電化工房敷地
    池
  なかなか素敵な眺めであります。

     アトリエと池
     アトリエ側面
  非電化工房のアトリエも池のほとりにあります。
  将来的には敷地内で稲を育てたり、カフェを経営したりするそうです。

  さて、肝心の籾殻ハウスはというと、こんな感じです。
     籾殻ハウス(11月3日)

  前日に、雪が降る(!)中、屋根を上げる作業を行ったそうです。さすがにお弟子さん達の力だけでは無理なので、助っ人の大工さん達に手伝ってもらったとのことですが、それでもほとんどが素人による手作業です。
  みなさんはきっと「これ、小さすぎないか?」と思われたかもしれませんが、これにはちゃんと訳があります。その辺は、次回に書きます。

     籾殻の山

  籾殻です。壁や床に入れるのですが、その後も少しずつ各工程で使われます。ちなみに、左端にあるのは藤村先生がモンゴルに行かれた時に現地で仕入れてきた「ゲル」(伝統的なテント式住居)です。寝泊まりもできる本格的なもので、今回はプロジェクトリーダーの不破さん(途中から奥様も合流)が寝泊まりされていました。
  到着後、受付を済ませてから、作業についてミーティングです。

     師弟コンビ
  左が非電化工房の代表・藤村靖之氏、右が今回の「籾殻ハウスプロジェクト」のリーダーである不破博志さんです。不破さんは東京で建築事務所をやっていらっしゃる建築士の方です(ホームページは●こちら)が、藤村先生が主催する●発明起業塾の受講生でした。今回の籾殻ハウスも、発明起業塾の卒業課題を素にして計画されたそうです。

     建築家コンビ
  不破さんの右側にいらっしゃるのが、左官の大森さんです。不破さんの仲間で、今回は壁塗りのプロとしてワークショップを手伝いに来て下さいました。

     迷犬パグ
  非電化工房のマスコット犬です。ダックスフントなのに「パグ」というのはここだけの秘密です。かなり人見知りするようで、私が近づくとすぐ逃げます(写真は逃亡中のもの)。作業中そこらじゅうちょろちょろしていました。
  その後、 4つの班に分かれて、(1)内壁塗り (2)土壁の材料作り (3)屋根を葺くススキの束作り (4)その材料になるススキ刈り の各作業を交代交代でこなしていきました。私は幸運にも、一番面白い内壁塗りからです。
  まず、大森さんが砂漆喰(すなじっくい)について説明をなさいました。

     砂漆喰
  材料は「消石灰」に海藻ノリや砂、さらには籾殻です。これらを固まらないようにミキサーで混ぜておきます。
  その後コテを使う練習をします。コテというのは、●こういう道具ですが、漆喰を板の上に載せてこね回し、うまくコテにすくうのが意外と難しく、練習が要ります。
  しばらく大森さんの指導で練習した後、籾殻ハウスの内部で壁塗りです。なかなか楽しい作業です。班ごとに塗る面積が決まっていて、すぐ終わってしまうからつまらんなぁと思っていたら、隙間無く塗るとなるとなかなか塗り終わりません。30分少々かけて塗り終わった時には、汗だくになっていました。

     内壁塗り
  こんな感じになります。
  内壁塗りが終わると、次は外壁の材料となる土作りです。土壁の製法を研究されている中村さんという方に、ワラ菌を活性化させて土壁材料を作る方法について教わり、その後仕事に移ります。

     土壁用の土
  まだ私たちが「作業」する前の土です。
  中村さんによると、土壁にワラを混ぜておくとワラ菌が増殖し、土の粘度が増すということで、本来は3年くらい寝かせておくのが良いとのことです。しかし、中村さんが特許を取った方法だと、3年間を5日間にまで縮められるようになったとの話。

     特製の粉
  小麦粉などを配合した粉です。植物性タンパク質を土に混ぜると、菌の増殖が早まるとのことです。

    酵素(特許出願済)
  これが中村さんが開発した酵素です。これを混ぜると、土がみるみるうちに粘りけを帯びてくるそうです。
  で、私たちは何をやるのかというと、この中に入って泥を足でかき混ぜるわけです。

     踏みまくり
  こんな感じで混ぜると、粉や酵素が行き渡るだけでなく、好気性の菌に空気を与えることができるのです。ワラ菌は大喜びですが、こちらは転ばないように必死です。

    だいぶ粘りが出た土
  30分以上踏んでいると、目に見えて粘りけが出てきました。これを次のワークショップまで寝かせておくと、立派な材料になるわけです。

  大の大人がどろんこ遊びをした後は、休憩時間です。

    たき火準備中
  これは開始前の光景ですが、寒いので中央の広場に焚き火をたいていただきました。

     おやつ
  藤村先生の奥さまやお弟子さんがお餅を焼いて振る舞ってくれました。

     そこには食べものはありません
  この子もお腹がすいていたようですが、餅には見向きもしませんでした(笑)。

     謎の物体
  作業場の片隅に妙なものがありましたが・・・

     実は保温器
  このように、みんなが飲むお茶の保温をするためのものでした(籾殻燻炭器というらしい)。

  そのあとは、ススキを束にする作業と、そのススキを近くの野っ原(誰の土地かは不明。田舎はおおらかである)に取りに行く作業です。
  ちなみに、7~8人でススキを刈りまくると、こんな感じになります。

     まるで山車
  このススキは、屋根を葺く材料になります。防水シートをかぶせた後、3㎝ほどに束ねたススキで葺いておく(シートとススキの間に少し隙間を作っておくのがポイント)と、太陽熱を防いで夏は快適になるそうです。
  普通のかやぶき屋根は、10㎝くらいの厚みがあるそうですが、これだと雨が降り続いたときなど中から腐ってしまうそうです。それを防ぐには、下から燻すなどするようですが、それはいくらなんでも難しいので、初めから薄めに葺いておき、水分が蒸発しやすくしているのだそうです。
  ススキを刈っている途中で、日がほとんど暮れてしまい、かなり寒くなってきました。周りに人家の明かりがないので、寒さも3割増くらいに感じます。

  全ての作業が終わった後は、シュタイナー教育の保育園を併設している●創造の森レストランから運ばれてきたお弁当を食べながら交流会です。
     薪ストーブ
  これは交流会より前に撮ったものですが、このような薪ストーブに火を入れて、それを囲みながら各人が自己紹介していきます。私が地域通貨などの話を喋りまくって藤村先生に「面白いけど長いから次の人へ・・・」と言われてしまったのはここだけの秘密です(笑)。
  しかし、驚いたのは、地域活動やエコビレッジの運営など、まさに我々が目指している方向性で活動をなさっている方が多数参加していたことです。ブログでご高説を垂れて満足していても全く意味がないということが身にしみてわかりました。
  そして、参加されている方の職業などを聞かせていただいて思ったのは、サラリーマンや公務員が意外なほど少ないということです。帰りの車で副代表の健介さんやお弟子さんの方にうかがったところ、サラリーマンの奥さんがたは結構いらっしゃるようですが、その旦那がなかなか来ないみたいです。
  その話を聞いてますます確信を強めたのは、近代経済システムの中で中途半端に成功しているのは、もしかしたらかなり不幸なことかも知れないということです。非電化工房が取り組んでいる事業や、今回の籾殻ハウスのようなワークショップは、カネさえ払えば他人がやってくれるようなものばかりです。
  自分の仕事をこなして、カネを稼いで、それ以上何をやる必要があるんだ?という人は結構多いと思います。しかし、その仕事というのは、「総需要」や「景気」といった、自分では全く手に負えない何かに左右されるという点で、もしかしたら今後かなり危険な部類に属することになるかもしれません。
  これも以前から言っていることですが、ワーキングプアとか、ハケン切りの対象になっている人とか、そういう人もなぜか非電化工房のようなちょっと変わった場所には目を向けません。もちろん、日々の生活に追われて籾殻ハウス作りどころではないという風に言われてしまうのかも知れませんが、そんな生活をいつまでもしていたら、ますますグローバリストの思うツボのような器がします。
  実は、この辺の話は、8日のワークショップで藤村先生に質問をぶつけて、何か「答え」になるようなものをお聞かせいただいたところです。

  では、この辺で次回に続きます。

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2009.09.22(Tue)

なぜ昔の家の庭には柿の木があったのか 

    柿の木

  秋らしい話題で一つ書いてみたいと思います。

  昔の家の庭には、よく柿の木が植わっていました。私が以前新宿区に住んでいた時、戦前からあると思われるお宅の庭に木が生えていて、カラスがつついていたのを見たことがあります。
  ああいった柿の木は、住人が実を取って食べるのだろうと長年思っていましたが、どうもそうとは限らないようです。
  そもそも、柿には、大きく分けて

  「甘柿」

  「渋柿」


  という種類があります。
  食用の柿というと甘柿ですが、初めて記録に出てくるのは鎌倉時代で、突然変異した柿であると考えられています。
  普通日本で見かけられるのは渋柿です。渋い柿というくらいですから、苦み成分のタンニンが多く含まれています。この柿は、よほど熟さないと食用にすることはできません。

  では、なんでそんなものをわざわざ育てているかというと、渋柿には食用以外の役割があったからです。それは、「柿渋」の原料になるということです。
  この「柿渋」という言葉を初めて聞いた方も多いと思います。私もそうでした。初めて聞いた時は「渋柿の間違いだろうこれは」などと思ったほどです。
  柿渋は、渋柿から絞って漉し取った液体です。通常は、2~3年程度発酵させて使います。当たり前ですが、非常にタンニン分の多い液体です。銀杏(ぎんなん)とよく似た匂いがしますが、これを聞いただけで、ウッとなる人も多いかもしれません(笑)。
  主な柿渋の用途を挙げてみます。

★天然の防水剤

  昔は漁網に多く用いられていました。また、木綿の糸に柿渋を塗ると、それだけで釣り糸として十分なほどの防水効果、補強効果があるようです。

★天然の防腐剤

  建物の壁などに塗られていたそうです。防かび・防虫効果もあるそうです。

★天然の染料

  いわゆる「柿渋染め」です。●こちらのリンクで、色合いなどご確認いただくとよいでしょう。防虫防腐効果もあります。  

★和紙の補強

  繰り返し塗ると、「渋紙」と言われる紙になります。非常に腐食に強く、保存用の書類などに用いられてきました。
  渋紙は、「紙衣」(かみこ)という、和紙で作った衣服にもなります。何に使われていたかというと、雨ガッパです。かなり強力な撥水効果があることがうかがえます。
  この渋紙は、伝統工芸としていまでも残っています。佐賀県の●名尾和紙などです。

★醸造用の絞り袋

  柿渋で木綿を染めた生地が、日本酒や醤油の圧搾用の袋に用いられてきました。●こちらのリンクを見ていただくと、昔ながらの酒袋を使ったもろみの圧搾がどんな感じかお分かりかと思います。
  現在は、機械でやるのが主流なので、なかなか柿渋の酒袋は見ることはできません。しかし、柿渋にはタンパク質を分離する作用があるので、今でも日本酒の「清澄剤」として用いられています。

★民間医療の薬

  あかぎれや火傷に塗布するという形で用いられてきました。血圧降下剤としても用いることができるようですが、タンニンが鉄分と反応してしまう(つまり、血中の鉄分濃度が下がる)ので、お医者さんの指導がない限り用いるべきではなさそうです。

  こうやって挙げてみると、柿渋は「日本最古の工業原料」と言ってもいいほどの多様な用途を誇っているように思えます。

  しかし、今の我々の生活では、柿渋は全くと言っていいほど用いられていません。
  
  理由は簡単で、柿渋の役割は全て「あるもの」が代替しているからです。そのあるものというのは、化石燃料です。
  防水剤・防腐剤はコールタール(石炭をコークスにしたときの副産物)や安息香酸(石油から合成)によって作ることが出来ます。染料は合成インディゴなどの石油由来のものがあります。和紙は蛍光剤や漂白剤を用いた工業的な紙に駆逐され、医薬品は石油からできた化学物質で作るのが普通です。
  石油や石炭で作るメリットは、大量にしかも安価に作れるということです。要するに、工場で機械を使って作れるということです。熟成に2年もかかる柿渋を保管しておくと、倉庫代や地代がかかりますから、二重の意味で工業製品の方が有利です。
  このブログは何度となく、「石油文明には遠くない将来終わりが来る。その時を頭に置いて行動しなければいけない」ということを訴えています。しかし、だからといって渋柿の木を今から植えようとする人はほとんどいないでしょう。都会で生活している人たちにはそもそも木を植える場所がありませんし、田舎で暮らしていても、わざわざ柿渋を作るより、「島忠」や「カインズホーム」で工業製品を買ってくる方が楽ができます。
  そういう人たちをだらしがないとか弱いとか非難するつもりはありません。げんに、私も現代文明の恩恵を受けて暮らしている仲間だからです。

  しかし、それでも私は、なぜ昔の家には必ず柿の木が植えられていたかを知ることには意味があると思っています。
  石油や石炭で作られた製品には絶対的に不利な点が一つだけあります。それは、「一般庶民が手に入れたくてもダメなときはダメ」だということです。
  原料の石油は、そもそも国産はほとんどありません。石炭はあるにはありますが、炭鉱をろくに保全していないので、もう採掘はできないでしょう。そうなると、結局輸入に頼らなければならないわけです。
  また、もし運良く自分の家の庭に石油が自噴したり(笑)、庭を掘っていたら石炭が出てきたり(笑)したとしても、それを自分の家の納屋やガレージでコールタールとか合成インディゴに加工できるという人はいないはずです。
  つまり、石油や石炭由来の工業製品は、輸入に依存している点、そして、自前で製造が不可能であるという点、二つの点で他人に依存してしまっているわけです。
  それでも我々がそういうものに頼って不便を感じないのは、カネさえあればそういった製品を買うことができるからです。今思えば、柿渋が見捨てられたのも、石炭が掘られなくなっていったのも、代わりのものを作ったり買ったりした方がカネになるからでした。
  しかし、今の日本ではカネを庶民に分配する仕組みはかなりの程度破壊されています。よく時代の流れだと言われますが、人為的に収奪が可能な制度改革が推し進められてきたというのは間違いありません(たとえば、労働者派遣は昭和61年まで原則禁止だった)。
  いまさらこれを完全に元に、すなわち、一連の「構造カイカク」の端緒となる中曽根政権以前の仕組みに戻すことはおそらく無理です。一部の政治家(たとえば亀井静香や小泉龍司)はそういう流れに必死で抵抗していますが、「自己責任」:だとか「企業の論理」といったものは、シンプルで素朴な実感に訴えやすいため、なかなか覆すことはできません。だから、政府が弱者を助けるという方向性も、だんだんと悪い方へ修正されているわけです。
  つまり、普通の人びとが「努力してカネを稼ぐ」という希望が持てなくなってきているのが、今の日本だということができます。そういう意味では、日本も、かつてのような分厚い中産階級がいる希有な国ではなく、アメリカやヨーロッパによくある国、要するに●誰かさんがいうような「普通の国」になってきているわけです。
  そこにきて石油減耗が進んだり、国際情勢が悪化(たとえば中国が崩壊したり、中東でイスラエルが暴発)したりすれば、今より数倍も輪を掛けてひどい状況に置かれることは目に見えています。
  そもそも、私たちは、自分たちが生きるということを、他者に依存しすぎてきたのです。
  戦前は、確かに今よりも数倍不自由な時代でしたが、庭がある家には柿の木があって、そこから柿渋の原料を取ることができました。その柿渋を使って家の壁を塗り、投網を補強し、雨ガッパを作り、火傷やしもやけを自分たちの手で直すことが出来ていたのです。
  どうせこういうことを書くと「戦前にもアパートや長屋住まいの連中がいたじゃないか」ということを言う人がいますが、そのような人たちが少数だったか、今のようにごく普通なのかによって、その社会がどれだけ自律的かは全く変わってくるでしょう。当たり前ですが、そういう時代はたとえ長屋住まいでもラッシュの通勤地獄はほとんどなく、近所で世話を焼き合い、口に入れるものはほとんどが近くで作られた(最悪でも日本生まれの)食品でした。今の便利な社会の方が絶対に良いと手放しでいうことが果たしてできるでしょうか。
  今の我々にせめて出来ることは、この便利な生活が国際分業やグローバル貿易システムという、非常に脆弱で依存性の強い仕組みで出来ていることを知ること、そして、そこから少しでも抜け出すための物的条件を整えていくことです。それが、以前の記事で書いた●入会地(いりあいち)の考えであり、●「半農半X」を勧める理由なのです。
  どうも、今の世の中で「自立」だとか「人に依存しない」という考えの持ち主の主張を見てみると、いかに自分をうまく商品化して金を稼ぐかという観点しかないような気がします。
  そして、それ以上に首を傾げたくなるのは、そういう自己商品化に失敗している人びと、たとえば「ハケン切り」にあった人や、「ワーキングプア」といった人びとでさえ、そういう観点を何の疑いも無く受け入れて、自分で自分を苦しめていることです。

  柿渋がごく普通に用いられていた社会は、一見不便に見えるかもしれませんが、根本的なところで自由だったのかもしれません。少なくとも、現代とは全く違う文脈で、自立(というより「自律」)した生活ができていた社会だったのではないでしょうか。
  この季節になってもまだ青みの残った柿をどこかでみかけたら、ほんの少し立ち止まってこの記事のことを思い出していただけると幸いです。

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2009.09.03(Thu)

中国、日本、そして近代化について 

「増加する未婚男女」、深刻な結婚の経済事情―中国
http://excite.co.jp/News/china/20090903/Recordchina_20090903013.html

2009年9月2日、21世紀経済報道によると、旧暦の七夕にあたる先月26日、中国各地では大規模なお見合いパーティーが開かれた。こうしたイベントは毎週末のように行われており、中には未婚の子供を持つ親を対象にしたものも多い。あるメディアの報道によれば、現在、北京市の結婚適齢期を過ぎた独身女性は50万人に及んでいるという。

コロンビア大学の魏尚(ウェイ・シャン)教授はこうしたお見合いパーティーについて、「新居から結納品、披露宴など諸々の費用を支払う男性側の経済的負担はきわめて大きい」と指摘した。結婚にかかるコストが過度に高くなった結果、社会全体の貯蓄率にも影響を及ぼし、社会全体の消費率が長期にわたって低迷する原因にまでなっていると話す。上海市では披露宴の費用だけでも平均20万元(約270万円)もかかるという。

中国社会科学院人口研究所の専門家によれば、成人男女の未婚率は上昇を続けているが、特に男性に未婚の割合が多い原因については「80年代に男の子が増え過ぎたからだ」と指摘。さらに、女性の理想が高くなったことも男性側の負担を増す大きな原因だと話す。ある出稼ぎ労働者の男女のケースでは、女性側が男性側に6万元(約80万円)の結納金を請求したが、男性の年収が少ないため、6年間働きずくめでようやく結納金を貯めたという。

結婚にかかるコストの増加は、親の負担も増している。国際ブライダル博覧会の調べでは、北京や上海の若者が結婚する際、両親からの経済的サポートを受けている割合は80%に上るという。こうした背景のもと、子供の結婚のために貯蓄する親が増えているようだ。


>お見合いパーティー

>諸々の費用を支払う男性側の経済的負担はきわめて大きい

>特に男性に未婚の割合が多い

>女性の理想が高くなった

  一体何処の国の話だ?と思った人も多いことでしょうが、中国のニュースです。
  続けて、こんなものもあります。

18歳以上の不安障害患者数は5700万人、その9割が治療受けられず―中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090901-00000017-rcdc-cn

2009年8月28日、世界的に権威ある英国の医学論文雑誌「The Lancet」によると、不安障害に悩む患者が中国全土に約5700万人存在するという。北京晩報が伝えた。

この数字は山東省、浙江省、青海省、寧夏回族自治区の3省1自治区の統計資料から算出されたもので、18歳未満の患者数は含まれていない。全国5700万人の不安障害患者のうち90%が適切な治療を受けられない状況にあると同誌は指摘している。おりしも中国では初の「全国不安障害学術会議」が中華医学会精神病学分会の主催、製薬会社GSK(グラクソ・スミス・クライン)中国法人の協賛で大連市にて開催されたばかり。

中華医学会精神病学分会主任委員の周東豊(ジョウ・ドンフォン)教授は「不安障害は患者の健康だけでなく、社会関係や職業、家庭生活など多方面に影響を及ぼすため、抑うつ症などそのほかの精神疾患を引き起こす可能性がある」と指摘。さらに不安障害と抑うつ症を同時に抱えた患者の自殺率が高いという報告もあることから、「不安障害患者に対する有効治療は緊急性を有する」と主張した。

不安障害の治療には、薬物療法と認知療法、認知行動療法などがあり、単独または併用で用いられる。完治までの道のりは長く、再発の可能性も高い疾病であることから、患者には多くの忍耐が必要とされる。


  5700万人というのは、中国の全人口の4%程度に過ぎませんから、日本で言うと580万人ぐらいということになります。日本のそれが急激に増えた結果、最近300万人を超えたと推定されているほどですから、かなりの割合です。

  上の二つのニュースを付き合わせて分かるのは、日本では明治維新から140年かけてゆっくり進んできた共同体の破壊、ムラ的な価値観の破壊が、中国ではわずか30年ほどで完了しつつあるということです。
  統合失調症など、環境的要因にかかわらず一定の確率で罹患する病気は別として、うつ病などの精神疾患は、にっちもさっちも行かない立場にいたり、継続的に不安を増大させる状況があったりと、社会環境によって発病する確率が高まります。●某政党の政調会長(このたびめでたく落選)が「うつ病になるのは気が弱いから」だと発言をしていましたてちょっとした騒ぎになりましたが、無知もいいところでしょう。
  日本でそういう人が増えてきているのは、企業の行動様式が変化したからです。すなわち、正規雇用を派遣など非正規のものに置き換え、残った正社員には過度の責任を負わせるようになってきたのがこの十数年の日本の企業です。そして、それに耐えられないのは、努力が足りないのだという風に片付けられます(いわゆる「自己責任」論)。企業にとっては、非常に都合の良い論理です。
  そればかりでなく、恋愛、結婚などでも、自己責任での競争が全面的に肯定されてきています。狭い範囲で対象の異性を探す必要がないということが広く認知されたため、「もっと自分にふさわしい相手がいる」と考える男女が増え、抽象化された価値(たとえば年収)によって競争が行われている
のです。結婚できないのは魅力がないから、彼女ができないのは話が面白くないから・・・という風に、ここでも自己責任が持ち出され、勝者と敗者が生まれるのは当然だということになっています。
  こういう社会では、いわゆる「弱者」というのは非常に生きづらくなるということは、誰が考えても分かるでしょう。「嫌なら努力しろ!!」とかそういう問題ではなく、事実としてそうなっているのです。

  そして、このような現象が、遅れて「近代化」を始めた中国にも現れているというのが、大変興味深いところです。

  ●毛沢東が君臨していた頃の中国には、まだ土の匂いを肯定するようなところがありました。基幹産業は農業で、圧倒的多数の人口が農村に居住していました。
  その毛沢東が1976年に亡くなり、2年後に権力を握ったのが●小平でした。小平の国家運営の方針はは、いわゆる「改革・解放」と言われています。(本人達の意図はさておき)自国内完結型だった経済を、外国からの投資を積極的に受け入れ、グローバル貿易に全面的に参加する方向へ転換するというものでした。
  中国がこのような方針転換を行ったのは、●以前の記事でも述べたように、世界経済支配層であるアメリカの金融資本が、産業の育成から、金融による収奪へ戦略を転換したからです。金融資本が各国の産業や社会基盤をカネで買いたたくには、大規模なデフレになったほうが都合がいいわけで、中国に過剰な工業生産を行わせることが最も有効な方法だったということです。
  どんな合意があったのかは知りませんが、その後小平の「改革・解放」は大成功を収めました。円高に苦しむ日本がちょうどよくバブル崩壊し、生産拠点を中国に移さざるを得なくなったこともあり、「世界の工場」の地位を奪うことに成功しました。
  しかし、その経済発展が、日本以上に過熱する「婚活」や、異常な数の精神疾患患者数となって現れてしまったというわけです。小平とすれば、それでも中国が世界の列強に名を連ねるようになったので、草葉の陰で満足しているのかもしれませんが・・・。

  そのような経済的側面を助長したのが、近代的教育です。共産党支配下になってからの中国では、唯物論を絶対視し、霊的信仰を全否定するようになりました。日本で明治時代に、国家神道という人工的なイデオロギーを掲げて、●廃仏毀釈●神社合祀令で民間信仰を破壊していきましたが、それでも神道の伝統を完全に無視はできませんでした。しかし、今の中国で、およそ民間信仰に類するものはほとんど見ることができません。太極拳や気功という形で生き残ったという見方もできますが、共産党が政権を奪取する前から生き残っている宗教団体や、神社の氏子区域のような共同体は皆無です。
  改革・開放後の中国には、すさまじいまでの拝金主義が蔓延しました。●牛乳へのメラミン混入など、あからさまな食品偽装が次々と行われるのも、全てその方が儲かるからというのが動機でした。こういうのも、唯物論的な教育と無縁ではないでしょう。

  それでも中国が国として何とかやってこられたのは、毛沢東や小平に代表される革命世代に圧倒的なカリスマや政治家としての人間力(いい人かどうかは別)があったからです。そして、彼がいなくなった後は、金儲けのためだけに中国を利用しようとする欧米や日本のグローバリストたちの思惑と、その結果としての順調な経済発展があったからです。
  それとてかつて唐詩に詠われた自然を犠牲にし、冒頭のような価値観の変容を生んでしまったのです。
  自然破壊、物質を優先した人間同士のつながりの否定…どうやら、カネを持って豊かになると、人間は総じて同じ方向へ進むようです。教育は、そのような状況を助長することはあっても、押しとどめる力はほとんど持っていないように感じます。
  そもそも、近代国家じたい、●こちらの記事でも述べたように、ある種の人びとがカネの力で自分のやりたいことをやるために作られたものなのですから、政府のやる公教育によって何かポジティブな変化を起こすことは無理な話です。
  同様に、政府が行う対症療法も効果はありません。企業から税金を取って生きている近代国家や、企業献金をもらって贅沢な暮らしをしている政治家が、「うつ病の原因は労働環境だから一人一人が楽に働けるくらいまで正社員をどんどん雇え」などと口が裂けても言えないからです。どうせ、税金で訳の分からない財団法人でも作り、PRのリーフレットでも作っておしまいでしょう。今の経済システムが続いている限り、状況が改善することはあり得ないのです。

  ●少し前の記事でも書きましたが、今後日本の経済は良くなるということはまず考えられません。45兆円という巨大な需給ギャップ、すなわちデフレ状態にあるにも関わらず、いわゆる二大政党と言われる政党のどちらもがそれについて全く言及していないからです。
  考えてみれば、近代国家の役割は、金持ちをアシストすることにあったわけですから、経団連や外資が望んでいないデフレ解消など行われるわけがないのです。高額所得者や、株式投資に対して課税するということもまず間違いなくないでしょう。
  だから、国民新党のように、デフレこそが真の問題であると主張している勢力は、マスメディアに徹底的に無視され続けるでしょう。日本の政治をたらい回しにする二大政党は、相手が失策する度「まだまだカイカクが足りない!」と言って、より過激な(そして金持ちや外国にとって有利な)政策をとり続けることでしょう。
  要するに、中国で共産党が一党独裁でやっていることを、日本では二大政党と官僚が民主主義や法治国家という体裁を取りながらやっているというだけなのです。
  そうやって、短期的には揺り戻しがあったとしても、長い目で見れば、日本の経済はとことん没落していくことでしょう。
  そればかりか、●石油減耗が進めば、化石燃料を自給できない日本や中国は窮地に陥ります。今言われているような経済発展やGDPの成長が不可能になる時代は、遅かれ早かれやってくるのです。

  それでも生きていくためには、やるべきことは一つしかありません。貨幣に頼り、景気の波や有効需要などという自分ではどうにもならないものに依存した職業生活から、必要なものを自分で生産する生活へ少しずつ移行していくことです。
  そういう点で、面白い考え方が提唱されています。

新時代のキーワード「半農半X」って?
http://allabout.co.jp/family/simplelife/closeup/CU20080228A/

ガイド:「半農半X」って、耳新しい言葉ですが、どんな考え方なのでしょうか。

塩見:半農半Xとは、「持続可能な農ある小さな暮らしをしつつ、天の才(個性や能力、特技など)を社会のために生かし、天職(X)を行う生き方、暮らし方」と、私は定義づけているんです。

ガイド:それって、「農業の傍ら好きなことをやって暮らす”田舎暮らし”」のことですか?

塩見:う~ん、似ているけど、ちょっと違う。田舎暮らしは、田舎が舞台で、田舎で暮らすことが目的だけれど、半農半Xは、都会でもできる、そこが違いますね。「小さな農」を暮らしに取り入れつつ、自分の大好きなことをテーマにして食べていくのが、半農半Xなんです。

「半」は「二分の一」じゃない

塩見:ここで言う「農」は、「農家になる」「農業で食っていく」とイコールではありません。農は”広さ”でも”時間”でもない、と思うんです。つまり、耕作面積や、費やす時間は問題でなく、「暮らしの中に農があること、農を意識して生きること」が重要なのです。ですから、「ペットボトルでスプラウトを育てる」も「ニンジンのヘタから芽を育てる」も「農」。

ガイド:おぉっ、じゃあ、隣町に畑を借りて、ベランダで「段ボールコンポスト」を育ててるガイドは、「半農半ライター」!?

塩見:そうそう!(笑) 「農」とは言い換えれば「ていねいに暮らすこと」であり、「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン)をもって生きることなんです。暮らしの中に農の視点を持つことで、「いつかは終わる生命体である自分」を意識することになり、それが、時間に対する考え方を変え、自然や他の生命や後世に思いをいたすことを可能にする。ひいては、食糧問題や環境問題の解決につながる、という考え方です。

ガイド:なるほど~。実はすごく壮大な考え方なんですね!

塩見:半農半Xは、お金や時間に追われず、ほんとうに大事なことに集中し、人間らしさを回復するライフスタイルでもある、と私は考えています。

   (中略)

塩見さんによる「半農半Xの8つのキーワード」を教えていただきました。

・地球、環境、持続可能性(サステナビリティ)
・コミュニティ、地元
・家族
・瞑想、散歩、思索(精神性)
・小さな農、採集(身体性)
・手仕事、アート
・天職、ミッション、役割
・情報発信


「今いるところ、今あるものを大切にしながら、遠い未来の子孫と、遠い国の人々に思いを馳せる生き方」が想像されます。それは、シンプルライフ的考え方とも大きく重なります。


  おそらく、今はこのブログをご覧の方でも、「そんなことをやるよりは仕事で努力してもっとたくさん稼げるようになるべきだ」とか、「素人の園芸で食糧生産を代替できるわけがない」とかいう風に否定的人や、「そんなことを言っても、便利な生活は変えられないし、変えたくないよ」と諦めている人が少なくないのではないかと思います。
  しかし、私は、もう少し時期が経てば、上の記事のようなライフスタイルに賛成する人が増えてくると確信しています。近代的な「努力」をしてもどうにもならない、何もよくならない時代が来るからです。おそらく、中国の大多数の人びとにとっては、もうそういう時代が来ているのでしょう。
  明日からいきなり半農半Xな生き方を始めなくても構いません。ちょっと頑張ればいい生活が出来た高度成長の時代や、コンビニやスーパーで何でも手に入る今の生活が絶対のものではないということが分かっていれば、きっと政治や経済のニュースで頭がおかしくなることはないのではないかと思います。
  私も近いうちにプランターを買ってきて、ベランダで●再生ネギでも育てようかなと思っています(笑)。

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EDIT  |  22:43 |  生活(環境・エネルギー・衣食住)  | TB(2)  | CM(11) | Top↑
2009.07.09(Thu)

中国との競争より、我々が生きていけることの方が大事 

  みなさんがこのニュースにどう反応するか、非常に興味深いです。

中国は今年、日本を抜いて世界第2位の経済体に―中国紙
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090709-00000007-rcdc-cn

2009年7月8日、中国の華僑向け通信社、中国新聞社のウェブサイト中国新聞網は、中国は今年、日本を抜いて世界第2位の経済体になる可能性が高いと報じた。

米紙ワシントンポストは今年初め、中国国家統計局の最終データをもとに、中国は07年、ドイツを抜いて世界第3位の経済体となったが、このままの速さで成長を続ければ3年以内に2位の日本を、18年以内に1位の米国を追い抜くと推測した。

国家統計局の謝鴻光(シエ・ホングワン)副局長はこれに対し、「3年もいらない。年内には日本を追い抜く」と強気の発言をしている。謝副局長によれば、中国の昨年の国内総生産(GDP)は30兆元(約410兆円)を超え、日本との差は約5000億ドル(約47兆円)となった。

中国は今年、8%の経済成長率は「達成可能」との見通しを発表している。同副局長は世界的金融危機の影響で日本の今年の経済成長率が「マイナスになるのは確実」とした上で、「中国が今年、日本を抜いて世界第2位の経済体の座に就くことは十分考えられる」と自信を見せた。


  さて、みなさんは何を感じたでしょうか?

  私が感じたことはただ一つ。「そりゃ当たり前だよね」ということです。

  かたや金融危機後ますます需要が高まる低価格輸出品で世界を再び席巻し始めた人口13億人の大国であり、かたや相変わらずバカなデフレ政策を採り続けて国内の購買力が激減し続ける老いた元経済大国。
  差が詰まる一方なのは、当然のことでしょう。
  かつて、あの小泉純一郎が自民党の会合で主張したという「日本はアジアの片隅で、貧しく、ひっそり、小さくなって生きるべきだ」が実現しつつあるという感じです。

  予想ですが、今年の11月、12月あたりにGDPを中国に抜かれた辺りで、いわゆる保守とかいう連中が騒ぎ始めます。産経新聞あたりが先導して、「日本は経済でも中国に勝てなくなった」「日本は停滞し続けている。思い切ったカイカクが必要だ」という意見が巷にあふれるでしょう。愛国節は伴わないでしょうが、朝日新聞や日経新聞なども「日本の敗北」などといったタイトルの記事を書いたりするかも知れません。センセーショナルな方が受けますからね。
  そして、政治ブログや2ちゃんねるなどはそれに反応して勢いよく炎上します。そういった層をターゲットにして、日本の未来を悲観する書籍と、日本ややはり中国は上だという自慰行為まがいの書物が書店に平積みになるでしょう。

  私のような人間からすると、何をそんなに大騒ぎするんだろうと思ってしまうのですが、政治に関心のある人たち、特に、右寄りや保守と名乗っている人たちには、「日本が中国に負けた」というのはとんでもない大事なのです。
  そもそも、保守とか愛国とかいう連中が好きなのは、「西洋化した日本」や「明治維新以降の日本」だけです。彼らの日本への愛は、欧米並みの国力があり、アジアを見下すことができるという条件付きの愛情であり、それらが欠ければまるで「反日」のごとく日本を呪う発言をし始めます。
  愛国的な思想を掲げたブログなどを見てみればこの辺はすぐに分かります。好きな時代はとたずねると「幕末・明治」という答えが必ず返ってきます。西欧列強に屈服し、同じように近代文明を受け入れ始めた時代だから好きなのでしょう。
  他にも、日本の文化伝統の中心は何か、と質問すると、答えの中には「天皇」とか「剣道」とか「武士道」とかいったものが含まれているはずです。剣道は明治生まれのスポーツです。それ以前の剣術とは全く違い、フェンシングを真似て防具を付けるようになったものです。武士道などというものは、多くの庶民にとっては全く縁のない、武士の世界だけの道徳でした。それが一気に庶民にも広まったのは、明治時代以降です。そういう教育をしたからです。新渡戸稲造の『武士道』という書物も、そういう文脈で登場したものです。
  天皇にしても、確かに為政者に権威を与える存在ではあったにせよ、多くの国民にはどんな人か全く知らない人物に過ぎませんでした。それが、全国民を領導するような立場になったのは明治維新以降です。国家神道という、キリスト教の猿真似のような制度を作り上げて、国民意識を無理矢理作り上げようとしたのです。
  こういう近代化のプロセスを賞賛する人がよく口にするのは、「アジアで近代化に成功したのは日本だけだ」ということです。つまり、日本は中国や朝鮮と違い、欧米という先生の言うことをよくきく優等生であるということを誇りに思っているわけです。
  もっとも、このへんは、変わり者である保守やウヨクだけでなく、国民の多くが無意識に心の中に抱えている観念かもしれません。どの歴史の教科書を見ても、「明治維新は日本が発展するきっかけになった画期的な出来事だった」と書かれているのが普通だからです。そう考えると、あまり強く非難すべき現象ではないかもしれません。

  GDPというのも当然近代経済学の考えにのっとって出てきた指標です。それらの数字で日本がアジアのトップに立てなくなるという事実は、保守や愛国にとっては非常に屈辱に思えるでしょうし、そうでない普通の国民にも、「えー中国に負けちゃうの、がっかりだなぁ」という感じで受け止められることでしょう。
 
  しかし、私に言わせれば、GDPの数値評価で中国に負けたからどうしたとしか思いません。それどころか、むしろ中国に同情すべきだとさえ思っています。
 
  ●この記事●この記事でも書きましたが、中国は欧米や日本にバカにされたくないと、必死になって経済力や軍事力をつけています。そして、その割には欧米に軽く見られていることを、非常に屈辱に感じてもいます。欧米は別に中国を仲間に入れるつもりはないのですから当然なのですが、可哀想なのは中国です。
  欧米に認められたい、力さえあればきっと認めてくれるはず、そう信じて国内の窮状を見捨ててただひたすら輸出を拡大して国力増強に走る中国にそっくりの国がかつてありました。「大日本帝国」です。以前の我が国も、欧米に肩を並べようと必死に産業を成長させ、貿易額を大きくしてきましたが、結局米英にいいようにあしらわれてしまい、最終的には戦争でボロボロにされてしまいました。
  その時も、国内外で日本を揺さぶる動きがあったわけですが、今の中国も見事にそういう揺さぶりの対象になっています。最近も格好のネタが出てきました。
  

中国:新疆・ウイグル族暴動 当事者すべてに自制を呼びかけ--米国務長官
http://mainichi.jp/select/world/news/20090708dde007030036000c.html

 クリントン米国務長官は7日の記者会見で、中国新疆ウイグル自治区での大規模暴動について「深く懸念している」と述べ、すべての当事者に自制を呼びかけた。

 クリントン長官は同自治区での「長年にわたる緊張と不満の歴史を承知している」と指摘。「今直ちに重要なことは暴力を終わらせることだ」と語った。


  中国が中国なのは、あの広い国土と豊富な資源、そして巨大な人口を抱えているからです。パイが大きいから、ものを売ったり収奪したりする相手として最適だと思われているだけです。中国を賞賛する金融アナリストや経済評論家、それに各国の政府関係者は、別に中国の文化や伝統に引かれているわけではありません。
  中国が不幸なのは、そういった欧米の関心を「自分が何処よりも優れているからに違いない」と勘違いしている節があるということです。単に欧米にとって利用しやすい相手に過ぎないから褒められているのに、自分たちが素晴らしい存在だから好かれているのだと思っているということです。
  同時に、中国人は、そんな素晴らしい自分たちをなぜ欧米が「人権を軽視している」「法制度が整備されていない」などと批判するのだろうかと、困惑しています。国境付近で異民族が暴れているのを力で叩きつぶすのは、中国では当たり前のことです。何千年もそうやって一つの経済圏としてやってきたからです。それをなぜ批判するのだろう?と彼らは思っているはずです。
  それでいながら、欧米の持っている物流網やノウハウを利用せざるを得ない・・・そういうアンビバレンス(二律背反)を抱えているのが中国なのです。
  だから、中国に対しては、おかしな奴だと叩いたりするよりも、どうすれば暴発した時の火の粉が日本に降りかからないようにするか、暴走する中国とドンパチやり合う当事者にならずに住むか、そういうことを考えていくべきです。

  裏を返せば、我々は絶対に中国に張り合うような真似をしてはならないということです。

  私が怖れているのは、庶民に自分たちの都合の良いような政策を呑ませたいと思っている連中(グローバリストやその手先になる政治家たち)は、ことあるごとに「中国に負けていいのか」という扇動を仕掛けてくることです。先ほども触れたように、日本だけが近代化に「成功」したという認識は、公教育を通じて我々に刷り込まれているといってもいいほど浸透しているからです。中国に対して、あらぬ敵対意識が目覚めてしまう可能性もあります。
  そういう意識が昂じて、戦前のように戦争に駆り立てられる可能性だってなくはないのです。
  そういう暴走の危険を生むカイカクを提唱している人たちがいます。

参議院は要らない?!一院制、自民のマニフェストへ
http://www.data-max.co.jp/2009/07/post_6237.html

 自民党の次期衆院選に向けたマニフェストの骨格が一部マスコミで明らかにされた。それによれば、国会改革では「4年後までに国会議員の定数を1割削減し、10年後までに一院制とした上で3割減」を目指すという。この案は事実上の参議院廃止である。詳細は総選挙の告示後に明らかにされるが、一院制については当の参議院から猛烈な反発も予想され、また国民の政治参加、民意の反映という面からも多くの問題点がある。そう簡単に実現しそうもない。
 自民党の案には、「働かない国会議員」への国民からの批判から、「自ら身を削る」姿勢を見せることで有権者の歓心を買おうとする選挙向けのポーズという面も見え隠れする。
 参議院は衆議院の「カーボンコピー」などと言われて久しい。また「参議院無用論」が叫ばれるたび、参議院側から猛反発が起きてきたという経過がある。


  この記事の持つ意味に関しては又後日取り上げたいと思いますが、自民党の願望は、何かあったら解散して多数を取れる衆議院だけにしたいということです。
  二院制の趣旨は、慎重な審議を行って、解散により一夜にして構成が変わりうる衆議院に暴走させないことにあります。そういう安全装置が取れたときに、郵政選挙の時の小泉純一郎のような指導者が出てきたら、一体どういうことになるのか、想像しただけで恐ろしくなります。
  しかし、残念ながら、もうプロパガンダは始まっているようです。上の記事の、

>「参議院無用論」が叫ばれるたび、参議院側から猛反発が起きてきたという経過がある。

  という部分自体、「参議院は抵抗勢力である」という印象操作になっているのに気づいたでしょうか。
  とにかく今ここで言いたいのは、今の日本には経済の惨状を招いた原因を確かめもせず、暴走しても構わないというような鬱屈した空気が流れており、それに迎合するようなカイカクを唱える勢力もいるということです。
  そして、そういうものが一点に集中すれば、日本は今までやらなかった対外進出や、それにともなう軍拡という方針を採るようになり、中国と衝突するということもあり得るということです。まるで左翼のブログみたいになってしまいますが(笑)、そういう心配をしておいた方が後になって後悔をせずに済むでしょう。

  では、その上でどうしたらいいのか。

  とにかく、中国と張り合ってさらなる外需開拓や輸出競争力の向上に走るような真似は絶対に避けるべきです。そんなことをしても、お互いにとって不幸になるだけです。
  何よりまず手を付けるべきなのは、一次産業の活性化です。食糧自給率の向上だけでなく、都市の過剰労働人口の受け皿にすることが目的です。
  ここでいう「活性化」というのは、もうかる産業にするという意味ではありません。農漁業を通じて自律的な生存が可能な人口が増えるということです。そういう観点から言えば、個人単位での農業への新規参入を促進し、兼業農家であっても所得補償をしていくべきでしょう。新規参入農家には、有機農法や無肥料農法などで営農させるべきです。もし石油が入ってこず、化学肥料や農薬に頼れなくてもなんとかなるからです。
  そのうえで、エネルギーを自給できるようになっていけば、とりあえずは安心できます。このブログでもいろいろ紹介しましたが、こういう動きも出てきています。

水産庁が海藻からバイオエタノール製造技術を研究開発・5年間で技術確立へ
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/01/5_35.html

【読売新聞】が伝えるところによると水産庁は海藻からバイオエタノールを作る技術の開発に2008年度から着手する。すでに2008年度の政府予算で6000万円の研究費用を確保、今後5年間で技術を確立する計画。

すでに当サイトでも何度か伝えているように、ガソリンに混ぜてガソリンそのものの消費量を減らす目的で利用されている、植物の主成分セルロース(植物細胞や繊維)を原材料とするバイオエタノールが「原油節約」と「環境保全」にプラスとなるとして注目を集めている。バイオエタノールは現在のところ、とうもろこしなどの穀物から作られているが、今度は需要が急増したとうもろこしなどの穀物の価格が上昇し、バイオエタノールのコスト高や食料自身の高騰を導いてしまっている。そこで、穀物(農地)よりも生産できる場所が多い海藻(海中)を原料にしてバイオエタノールを量産できれば、食物と「取り合い」をすることがなくなるのではないかと期待されている。

今回決定された●2008年度水産庁予算(PDF)によれば、「水産業振興型技術開発事業」という題目で、該当項目として「海藻からバイオエタノールを生産するために必要となる技術(アルギン酸などから単糖=エタノールに分解する技術など)を開発」などが目に留まる。他の項目と合わせて予算は1億800万円とあり、この項目での予算割当ては昨年度の1億2500万円から逆に減っているのが不可解ではあるが、バイオエタノールそのものへの研究予算割当ては今年から始まっているので、あくまでも「他の項目とあわせて」ということなのだろう。なお海藻は普段食べ慣れているわかめや昆布などではなく、●「海藻からバイオエタノールを400万トン/年生産」水産振興会構想発表・2013年から実証事業開始などで伝えているような、成長が早く燃料作成に適している海藻を使う方針。恐らくは「ホンダワラ」などを用いるものと思われる。


  引用記事のすぐ後にも触れていますが、農水省が提案している●「バイオマス・ニッポン」構想というのはなかなかよいアイデアが多いです。少なくとも、この方針であれば、遺伝子組み換えトウモロコシの生産を牛耳る某国がバイオエタノールの生産を牛耳るという事態は避けることができるでしょう。
  内需を拡大したり、補助金を付けたりというのも、一時しのぎであればいいのですが、どうせなら農業やエネルギー自給に関わる分野「だけ」に限定してみたらいいのではないでしょうか。農家への戸別所得補償と地方での兼業農家増加策に年間10兆円くらいつければ、かなりの効果が望めるはずです。こういうときに、身内からの突き上げを怖れて、1世帯あたり12000円ぽっちのケーキタイサクしかしないような女々しい真似ではいけません(笑)。
  とにかく、まだ残っている日本の活力を、「日本人の自律的な生存」に向けることが大切です。国民一人一人が今および将来にわたってちゃんと生きていければいいのです。それさえできれば、GDPがどうなろうと知ったことではありませんし、中国に勝った負けたで大騒ぎする必要もないのです。
  自分のペースで生きていくことを、頭のどこかに置いてニュースなりなんなり見てほしいと思っています。

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