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2011.05.23(Mon)

今はっきりさせておくべきこと 

福島第一原発の事故について、ある記事が出てきたので紹介しておきます。

福島第1原発:海水注入と中断は東電の判断 官邸は知らず
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110522k0000m040075000c.html

 炉心溶融を起こした東京電力福島第1原発1号機で3月12日夜、炉心を冷やすために始めた海水注入が55分間中断した問題で、政府・東京電力統合対策室は21日の会見で経緯を説明した。12日午後7時過ぎに注入を始めたのも中断したのも東電の判断によるもので、その事実を官邸は最近まで知らなかったとした。中断が冷却作業に与えた影響について経済産業省原子力安全・保安院は「現時点では分からない」としている。

 説明によると、海水注入は12日午後7時4分、発電所長らの判断で始まった。前後して、官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローが現地と連絡を取り、官邸で核燃料の再臨界の可能性について検討中であることを伝えた。現地は「政府の判断を待つ」として同7時25分に注水を中断。その30分後、菅直人首相の注水指示が出たのを受け、同8時20分に注水が再開された。

 官邸では午後6時ごろから海水注入の検討を始め、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長の指摘に基づき、再臨界を防ぐホウ酸を投入するなど防止策を協議していた。その間に東電が海水注入を始めたことは官邸には伝わっていなかったという。ホウ酸投入は同8時45分に始まった。

 細野豪志首相補佐官は会見で「当時は現地と連絡を取るのにも時間がかかった。政府内では、午後7時半ごろまでは注水は困難という前提で議論しており、7時4分に海水注入が行われていたことも後日知った」と強調した。

 政府の原子力災害対策本部の資料で、午後6時に首相が「真水での処理をあきらめ海水を使え」と指示したとの記述があることについても「正確ではない」と否定。「午後6時の時点では『(海江田万里)経済産業相が東電に海水注入の準備を進めるよう指示した』というのが事実だ」と釈明した。

 1号機では12日早朝には核燃料の大半が溶融、同日午後3時36分には水素爆発が発生した。原子炉を海水で冷やすという決断がどのような経緯でなされ、事態の悪化にどう影響したかは、今後の検証の焦点になるとみられる。


みなさんは、これを見て何を感じたでしょうか。

「なんでこんなニュースを取り上げるんだ?」と思った方は、なかなか鋭いです。なぜなら、この記事が本当にどうでもいいことを扱っているからです。

確かに、海水の注入が遅れたか否かによって、原子炉の燃料(棒状になって束ねられている)が溶けてしまうタイミングは変わってくるでしょう。

しかし、本当に問題なのは、そういうことではないのです。

原子炉が爆発するというケースは、極端な話ひとつしかありません。炉心を冷却できなくなった場合です。

ものすごい雑ぱくな言い方をすれば、原子炉の内部で起きている現象は、ボールがどんどん加速するビリヤードみたいなものです。だから、ほっとくといつまでも(燃料が寿命を迎えるまで)核分裂が続きます。途中で止めるには、特殊な物質で出来た制御棒というものを突っ込んで中性子を吸収させる他ありません。

その反応が続くと熱が大量に発生します。福島第一原発のような軽水炉の場合は、原子炉内部で水を循環させて熱を奪い、その奪った熱で水蒸気を発生させてタービンを回しています。

その冷却水を循環させる機能がなくなり、緊急炉心冷却装置も作動しなければ、あとは燃料棒の温度がどんどん上がり、やがて炉心が溶けてしまうわけです。

そうだとすると、そもそも初めに冷却機能が失われたのは何故か、というところを徹底的に解明しなければいけません。電源が喪失しただけの問題なのか、電源は生きていても配電設備が死んでしまったのか、それとも配管がやられて冷却水が溢れてしまったのか、その辺をはっきりさせないといけないのです。

そうなると、あとから海水を注入してうまくいったかどうかは二の次であり、その海水注入作業が中断したかどうかというのはさらに後に出てくる問題だということになります。

だから、斑目とかいうオッサンがどんな発言をしたのかとか、菅直人が海水注入を中断させたどか、そういうことは正直言ってどうでもいい話といってもいいと思うのです。



どうも、最近の原発関連の報道を見ると、原発事故を「過去の出来事」にしようとしているような気がしてなりません。

それどころか、こういう些末な論点でメディアを賑わせておいて、肝心の原子力事業の持つ問題点(たとえば、万全の地震対策は無理だということ)を隠しているのではないかとすら思います。



私が思うに、今回の原発事故に関して、とりあえず今の段階ではっきりさせておかなければいけないことが二つあります。

一つは、原子炉の冷却機能が失われた原因が、地震によるものかどうかはっきりさせることです。

東京電力や、電力会社にカネをもらって研究をしてきた学者達は、当初から「津波による想定外の事故」というフレーズをやたらと繰り返してきました。簡単な話で、巨大津波のせいにしてしまえば、自分たちが地震対策をしていなかった、もっといえば、地震国の日本で原子力発電所を安全に運営していくのは根本的に無理だということを、国民に知らせずにおくことができます。

しかし、最近になってさすがに無理な筋書きだということが分かってきたらしく、東京電力は●原子炉内の圧力が冷やしすぎて急激に下がったので、手動で冷却装置を止めたと言っています。

それも、マニュアルに従った行動だったようですが、起動と停止を繰り返すうちに冷却装置が作動しなくなったのではないかという説明にひっかかりを感じます。

「地震によってすでに冷却装置そのものや、炉内の配管や配電設備が壊れていた」ということなら、冷却装置が動かなくなったことの説明が簡単に付きます。あれだけ津波津波と繰り返しておいて、急に手動で装置を動かしたせいだと言い出したのですから、安易に信用はできません。そこを、公の場ではっきりさせておくことです。

地震対策が取れなかった、そもそも地震対策が原理的に無理だということになれば、想定外の天災だから賠償額は限定する、などという論理も通用しなくなりますし、その後の原子力政策の参考にもなります。これは、原発はやっぱり必要だと考えている人びとにとっても必要なことでしょう。



もう一つは、平成23年3月11日のどこかで地震によって冷却機能が失われてから、翌12日に水素爆発によって放射能が大量に拡散するまでにかかった時間をなるべく正確に調べ、国民に知らせることです。

あまり考えたくないのですが、もし他の地域で原発事故が起きた時のためです。近辺の住民や、放射性物質を含んだ空気が到達する地域の人びとが、いつまでに逃げればいいのか、もしくはコンクリートで出来た建物の中にいつまで退避していればいいのか、日本にあるのは原理の違いこそあれ、全て軽水炉の原発なので、かなりの程度参考になるでしょう。


そういうことをしないで、ただ何となく事故が終結したような雰囲気を作ることには、断固として反対すべきです。


その辺を曖昧にして、今後原発をどうするのか、エネルギーをどのように作っていくのか、なんとなくお茶を濁して先に進んでしまえば、どうせまた同じような事故が起きます。

今回は日本で一番東にある原発で起きた事故だから、まだ放射性物質を含んだ空気が西風に乗って海に流れていくということで済みました。しかし、福井県(敦賀や美浜、高速増殖炉もんじゅ)や佐賀県(玄海原発)で起きたら、ほぼ日本全土が放射性物質の被害に遭うことだって出てくるわけです。

考えてみれば、戦後もそういうことがありました。軍部を隠れ蓑にして、全体主義的な政策を推し進めて戦時体制を純化していった「革新官僚」は、戦後も日本の官庁の中にいて国家体制作りに大いに力を振るいました。彼らの代表である岸信介はのちに公職に復帰し、首相にまでなりました。

そして、選挙の洗礼を受けない偏向したエリート達が国家を動かす体制が、今の今までずっと続いてきたわけです。いまだに原発の海外輸出にこだわっている経済産業省や、子供の健康より学校運営の方を優先してとんでもない放射線量の基準を作っている文部科学省などに、その残滓を見ることができます。

それもこれも、きちんとした反省をせず、一億層懺悔という訳の分からない言葉で反省したつもりになってきたから起こった事態だと言えます。

今度こそ、お上まかせにせず、我々自身も真剣に今後のことを考え、行動しましょう。


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2011.05.11(Wed)

電力事業を見直すということ 

今まで「キセーカンワ」というと、小泉政権が外資や大企業の都合の良いように弱肉強食の世界を作り出すための仕組みだと思っていた。その考えは基本的に変わっていないが、


「本当に規制緩和が必要な分野もある」


ということも、最近は考えるようになってきた。それが、電気事業というものだ。

この電気事業というものは、実に不便な仕組みになっている。

仮に、私が自分の家の裏庭にバイオガスのプラントを作り、それを用いたガスタービン発電で電気を作れるようになったとする。

その電気を他人に売るには、「特定電気事業者」にならなければならない。これは、平成7年になってやっと認められた仕組みで、それまでは地域独占の電力会社以外は電気を作って他人様に売ることは全くできなかった。

だから、平成7年をもって電力事業は「規制緩和」したと言われている。電気事業連合会もそういう風に言っているし、一応●六本木エネルギーサービス(注:PDFです)のような特定電気事業者も存在はしている。

しかし、これをもって規制緩和などというのは詐欺に等しい。電気事業法を見てみれば分かる。


第五条(許可の基準)

経済産業大臣は、第三条第一項の許可の申請が次の各号のいずれにも適合していると認めるときでなければ、同項の許可をしてはならない。

(略)

六  特定電気事業でその供給地点が一般電気事業者の供給区域内にあるものにあつては、その事業の開始によつて当該一般電気事業者の供給区域内の電気の使用者の利益が阻害されるおそれがないこと。



一般事業者(=東京電力)を利用している人間を損させるような業者は電力事業に参入させない、ということを言っている。建前としては、電気はライフラインだから、それをちゃんと維持できない業者を参入させられない、ということなのだろう。

しかし、たとえば、電気を使うということは、その家庭の自己責任のはずだ。東京電力の電気供給を自分からNOと言っているわけだから、「利益を阻害される」もクソもない。それに、たかだか震度5くらいの地震で原発の冷却用の電源を喪失したり、自分たちのミスを正面から認めずにダラダラ放射性物質を地球環境に垂れ流しているような連中に、公共性という言葉を語る資格はない。

電力会社でなくても、自己完結する発電システムは作れる。げんに製鉄所やNTTはそうしている。

一般事業者、すなわち東京電力から供給される電気とミックスして使うと安全上支障があるなどと言われる。東京ガスが主導している●エネファームという燃料電池は、停電になるとシステムが作動しなくなってしまうが、そういう配慮のためらしい。

しかし、それも程度の問題でしかない。JR東日本などは、自社の発電所と東京電力からの電気を普段から併用している。同じ事をどうして家庭用燃料電池でやってはいけないのだろうか。


要するに、日本政府は、家庭向け電力供給に特定電気事業者を参入させる気など初めからないのである。


裏を返せば、特定事業者を自由に参入させれば、それによって地域単位で勝手に電気を調達できるようになり、エネルギーを一元管理して国民生活を統制するということができなくなる。「計画停電」という馬鹿げたイベントは、まさに、東京電力が首都圏の人間の生殺与奪を握っていることを見せつけるための大がかりな恫喝だった、というのは考えすぎだろうか。

要するに、我々が自律して、お上や大企業に頼らなくなるという事態を、政府や電力会社という「電力ムラ」の住人達は怖れているのである。そういう規制こそぶっ壊すべきである。小泉や竹中がやっていた「キセーカンワ」は、単なる弱者の競争激化でデフレを起こさせるためだけのものであり、本当にたたき壊すべきである一般電気事業者のようなヘドロ溜まりは放置してきたのだ。

こういうことを書くと、電力事業を自由化したら、アメリカのカリフォルニア州で起こった大規模停電のような事態が起こりかねないという人がよくいる。

しかし、それは論点がずれている。電源が分散すれば、かえって大規模停電は起こりにくくなるはずだ。それもそのはずで、カリフォルニア州のケースは、単に小売価格を自由化しただけの話で、簡単な話、東京電力のような大きな会社が好きな値段で消費者に売電できるようになったというだけの話である。それでは利益目当てに無茶苦茶なリストラが横行するに決まっている。

もし、経産省の役人が、あくまで一般事業者から電気を恵んでもらっている哀れな子羊ちゃんたちの利益を守りたい(という建前で電力会社を守る)というのなら、一つ案がある。

「特定電気事業者を一種、二種に分け、通常の業者を一種、地方自治体を二種にして特定電気事業に参入させる」

「第二種は自治体単位に限って電力供給を認める」


ことである。その上で、第二種は、第一種と違い、許可推定条項でもつけておいて、不許可理由を限定するというのがいいだろう。

たとえば、神奈川県にある小田原市が第二種特定電気事業者として参入してきたとする。そうしたら、小田原市は自分で電気を作って、小田原市民に売ることができるというわけだ。

中身は、それこそバイオガスを燃やすなり、マイクロ水力発電なり、ゴミ焼却場の発電なり、何でもいい。その地域にあったものを、勝手に選択して勝手に売ればいいのだ。

そうなると、メンテナンスがしやすいから、自家発電か、それに限りなく近い狭い単位の電力供給になるだろう。もちろん、対象となる地域の市民が一般事業者から買いたいというなら、好きにすればいい。

地方自治体に発電事業なんかできない、などという人は勉強が足りない。公営電気事業というものがちゃんと法律上も規定されている。たとえば、●栃木県は9箇所の発電所を運営している

ただ、その作った電気の行き先が問題だ。公営電気事業は、特別に認められた「卸供給事業者」でしかない。作った電気は原則、東京電力のような一般電気事業者に売ることしかできない。

だから、それをその地域の住民のために活かせるような法改正をすればいいのである。

そして、世界的に見ても高コストな事業用電力は、いわゆる「特定規模電気事業者」だけでなく、幅広い商業発電を認めて、健全な競争を促す。公共交通(電車やモノレール)などには、税金を優遇して、自家発電用の会社を作らせるといいかもしれない。

こうすれば、公益性を保持しつつ、技術の部分を導入する部分だけ民間企業の力を借りられるようになり、地元に密着した発電方式を開発・発展させる中小企業も出てくる。要するに、今水道でやっているようなことと同じような仕組みを電気にも導入するのである。

市民も、自分の自治体が何をやっているかということに、もっと強い関心を持つようになる。かりに、大企業と結びついておかしな電力事業をやっているというなら、それこそ市役所に押しかければいい。現状では、東京電力や経済産業省という伏魔殿があるだけで、市民の声は電力事業の内容に全く繁栄されない。

●入会地の話でも書いたが、なぜ環境問題が解決しないのかというと、資源を調達する場所が自分たちの手の届くところにないからである。だから、首都圏の人間のために、福島県浜通り地方に超危険で超非効率的な発電施設ができてしまうのだ。自分の近くにエネルギー供給設備があれば、だれもウランやプルトニウムを使おうとは思わない。

何事も、地域単位の小さな環にした方がコントロールしやすいのだ。小さな循環系であれば、傷ついてもすぐに再生ができる。その点、今の電力供給は、東京電力がこけたらみんな死んでしまうようになっている。心臓や肺をひとつの営利企業に握られているようなものだ。

今必要なのは、単体の技術(たとえば、風力発電)がどれだけ優位かという論争ではなく、そもそも健全なイノベーションが出てくるような土台ではないだろうか。当たり前だが、そこには原子力という、外部電源がなければ暴走するような超欠陥エネルギーは、存在する余地がない。

そのような「良い競争」によって目指すべき目標は、災害等の危険を可能な限り分散し、国家全体としては軽微な被害に留めつつ。各地域が実情にあったエネルギーを作り出して自律していくことだ。大規模な設備による一括管理は、大元が傷ついた時とりかえしのつかない破綻を来す。しかも、文句を言っても相変わらず業者に都合の良い規制は続いていく。

もっと我々から見て近いところへ、我々の生活の基盤を引き寄せなければならない。

その時、既存の電力会社の設備投資が、などという配慮は一切不要だ。公益に奉仕するはずの一般電気事業者様が役人や政治屋と癒着することで、原発がどんどん作られてきたし、何かそれをクリーンだとか資源の節約だとかのたまうプロパガンダが通用してきたわけだ。

エネルギーシフトを目指す国会議員の集まりも出来たそうだ。是非、電気事業法の見直しを検討課題にしてもらいたいと思う。

当たり前だが、電気というのは、電力会社やその投資家がカネを儲けるための道具ではない。我々が生活するための手段である。本当なら、電気も使わずになんとかするのが理想だが、現状ではそれもなかなか難しい。

それならば、せめてその電気の供給のされ方を、もっと庶民の近いところに引き戻すことができないだろうか。今ほんとうに必要なのは、「エネルギーの地方分権」なのだと思う。


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2011.05.10(Tue)

真の「原発問題」とは 

原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか(晴耕雨読)
http://sun.ap.teacup.com/souun/4550.html


原文を是非参照してほしいが、要約すると以下のようになる。


・原発には「入口」すなわち燃料となるウラン採掘の問題と、「出口」すなわち核廃棄物の問題とがある。

・ウラン採掘の際に出てくるトリウムやラジウムはガンや骨肉腫を引き起こす。

・ウラン鉱山の周辺の環境は確実に汚染される。

・使用済みの核燃料を完全に無害化する技術はない。それにも関わらず、放射性物質は出続ける。

・使用済み燃料は非常に長期間の管理が必要。中には数百万年もの長期にわたって管理が必要なものもある。

・原発で起こっている現象が本当の問題なのではない。

・要するに、原子力発電は「トイレのないマンション」のようなもの。



これを頭に入れて、以下の記事を読んでみるといい。


モンゴルに使用済み核燃料施設 日米構想
http://www.asahi.com/politics/update/0509/TKY201105090114.html

--------以下引用--------

 日本と米国、モンゴルが共同して、使用済み核燃料などの国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する構想を持っていることが9日、分かった。経済産業省は原発の輸出を目指し、新興国でニーズが高い使用済み核燃料の処分もセットにして売り込む狙いだ。

 ただ、菅政権は福島第一原発事故を受けて原発の輸出も含めた原子力政策を見直す方針。構想が実現するかどうかは不透明だ。

 原発の新規導入を計画する国にとって、使用済み燃料をはじめとする放射性廃棄物の処分は大きな課題。日米両国とも最終処分施設を持っていない。一方でロシアなどは、放射性廃棄物の引き取りも材料にして原発を売り込んでいる。

 そこで原発の燃料になるウランの埋蔵量が豊富で、原子力産業の育成を望むモンゴルに国際的な処分施設をつくる構想が日米両国で浮上。昨秋から経済産業省、米エネルギー省、モンゴル外務省の間で協力関係を模索してきた。核燃料の再処理で出るプルトニウムを核兵器に転用されないよう防ぐ意味もある。だが、福島第一原発の事故で議論は進んでいない。

 日本政府は昨年決定した新成長戦略で、官民一体となった新興国への原発輸出を打ち出した。昨年10月にはベトナムとの間で原発輸出に合意。トルコやヨルダンとも交渉している。

--------引用以上--------


自分の国でないならいい、そういう問題ではない。

自国ですら許されないような暴挙を、他国に金の力で押しつけようとしている。これに対して嫌悪感を抱かないなら、その人は人間として必要な何かを失っていると断言してもいい。

本質的な問題は、

>原子力産業の育成を望むモンゴル

というところにあるのだが、長くなるのはそれについては機会を改めて触れる。

この地球は一つの大きなイノチのワである。

モンゴルだろうとシベリアだろうと、環境中に存在することが許されない汚染物質を蓄積していけば、どこかで巡り巡って、それが我々自身を殺す。

もっと卑近な話でもいい。外国に処分場を作って、そこで何か問題が起きたらどうなるのか。その国の国民から、日本はどんな評価を受けるのか。

それらを総合すれば、結論は一つしかない。


「原発は不要」


電力不足の問題なら、原発のシェアにあたる3割、電気利用を削減すればいい。結局、原発必要論者の言い分は、「原発がなくなると電気が…」という程度でしかない。

産業の維持発展にどうしても原発の電力が必要だというなら、そんな産業は滅んでよい。自国民を原発奴隷にし、他国の環境を不可逆的に破壊するようなエネルギーに頼る産業など存在すべきでなかったのだ。

核兵器を持つ能力を担保するためだというなら、上述の入口と出口のリスクを正直に国民に説明した上で、それでも防衛のために必要だと堂々と訴えればよい。正当な目的だからと言って、マイナス面を覆い隠すのはよくない。

原発関連の雇用が維持できなくなるなど、言語道断だ。殺し屋や麻薬の売人を「雇用を維持するために」容認する阿呆がどこにいるだろう。原発がダメなら、他のエネルギーをやるなり、公共事業をやるなり、雇用を維持すればいい。ザイゲン?そんなのは電源交付金や原子力関連の積立金を使えばいいだろう。

もう一度言う。


「原発は不要」


それ以外に結論はない。あとは、それをどのように実現するかである。


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2010.02.02(Tue)

不破博志さんの英断を称えたい 

  以前、こちらのブログで●非電化籾殻ハウスという画期的な発明について扱ったことがあります。
  その発案者である建築家の●不破博志(ふわひろし)さんが、こんなことをおっしゃっています。

意匠登録の「放棄」のお知らせ
http://fuwahirosi.exblog.jp/9635467/

小生は、想う・・・。


 「一度の人生、自分にしかできないことをやっていこう」と。

 自分にしかできないことをやるのであれば、『特許という枠』は、必要ない・・・


また、

 一人 が「権利化」することによって、減ってしまう
 人々 の「無限の可能性」に眼を向けると、
 今回の小生の行為は「汚欲」とも考える。



という次第で、

昨年、「非電化もみがらハウス」と銘打って建築した
「三角形パネルで構成される小屋」を
意匠登録申請をしていたのだが、この度、破棄することにした。


  私は、この記事を拝見して、不覚にも目頭が熱くなってしまいました。
  ネット上の画像一枚にも権利をつけて売り物にするのが当たり前であり、そのような行為がむしろ理に適った素晴らしいものとして称揚されることすらある今の日本社会に、みんなに使ってもらいたいからと、画期的な発明の権利を放棄しようという人がいるのです。
  
  私はもう今の経済システムは、単なる微調整やプログラムの書き換えでなんとかなるレベルを越えてしまっているように思っています。もう分配の仕組みをいじったり、競争力を強化したり、そんなことで崩壊を免れることは無理でしょう。
  しかし、それにも関わらず、私を含めた多くの人びとが、沈み行く船である今のシステムにしがみつこうとしています。
  人間の精神や行動のあり方を決定しているのは、物的条件です。そうだとすれば、世界中からカネの力で財やサービスをかき集められるうちは、その条件に最適化した行動や考え方をとり続けることでしょう。
  
  そんなジレンマを打破するただ一つの方法は、力と志を兼ねそろえた人たちが、あえて今の経済システムの枠組みから飛び出し、新しい時代を作っていくことなのではないかと思います。
  この力というのは、何も肉体的な力とは限りません。他人の暮らしや人生をより豊かにするなら、なんでもいいのです。それがある人には歌かも知れないし、笑いを取るセンスかもしれないし、黙って地味な作業を黙々とこなせる性質かもしれません。
  今後大事になるのは、「カネをかけず」「誰にでもできる」「楽しい」やり方を編み出す人がどれだけ活躍できるかという点です。そういう点で、不破さんが画期的な発案に関する権利を自分から投げ打ったことは、本当に素晴らしいことだといえるでしょう。
  不破さんを生んだ●発明起業塾の卒業生の方々には、きっとそのような気高い志の持ち主がたくさんいらっしゃることでしょう。そういう人びとがたくさん生まれて、社会のいろいろな部分に入っていくことによってしか、今の社会の仕組みは変わっていかないのではないかと思います。
  もちろん、発明などというすごいことはできませんが、私もそういう中の一人に加わろうと思っています。
  そのせいで、ブログがお留守になっていてはいけませんが・・・(笑)。

  寒い日が続きますが、不破さんの勇気ある決断を拝見し、心がぬくむような気がしました。

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2009.11.24(Tue)

非電化工房「もみがらハウス作りワークショップ」顛末記(下) 

           ここぼくんち

  記事のアップが滞りがちですみません。ここのところ忙しいことと、正直ブログを書くのが億劫になり始めたことがあり、ずいぶん遅れましたが、11月8日に栃木県那須町の非電化工房で開催された「籾殻ハウスづくりワークショップ」の報告と雑感をまとめておきます。
  
  11月3日には、主に土壁の材料となる泥づくりと、籾殻ハウス内部の漆喰塗りの作業を行いました。そのとき酵素などを混ぜて粘度を高めた土を、いよいよ外壁として塗り込んでいきます。

           よく見ると籾殻が

  土を塗り込める前の外壁です。簾(すだれ)を用意し、そこに断熱材の役割をする籾殻を詰めてあります。籾殻が隙間から見えますね。

           みんなで土壁塗り1

  そこに、こうやってみんなで手分けして泥を塗っていきます。3日のような底冷えのするヒデはなかったものの、関東最北部の那須の空気は冷たく、手が冷えます。真ん中で屈んでいるニット帽の男性が、今回のプロジェクトリーダーである建築士の不破博志さんです。

           みんなで土壁塗り2
 
  もちろん、休みの日に集まってやっているからというのもあるのでしょうが、みんな楽しそうに、すすんで仕事に取り組んでいきます。不破さんや、応援に来た左官の大森さんたち数名をのぞけば、みんな素人です。それでも、作業自体滞りなく進んでいきます。人手の足りないところには、手の空いた人が応援に入るなど、無理強いをしなくてもちゃんと作業として回っていくのです。
  おそらく、昔の家造りというのは、こんな感じでやっていたのではないでしょうか。農作業が暇になる時期に、手の空いた人間が同じ集落の仲間を助けるという実利的な面ももちろんあるのでしょうが、なにより「みんなで何かやること」の喜びがそこにはあります。
  近代化が成し遂げられ、カネを払ってプロにお願いすることで、時間や手間をかけずに建築や修繕ができるようにはなりました。しかし、そもそもそういうプロにお願いするためのカネは、一日の大半を他人のために働いて稼がなければならないのです。当たり前ですが、現代では何のためにやっているかよく分からない仕事があまりにも多いので、ほとんどの人はやり甲斐を持てずに悶々としたまま働いています。
  我々の今の生活というのは、なにか非常に余計な迂回をしているような気がしてなりません。

  さて、  一通り塗り終わったあと、コテを使ってみんなで仕上げをし、こんな感じになりました。

           土壁一応完成

  なかなか家らしくなってきました。あとは、屋根を葺いて、外壁を仕上げれば終わりです。色的にもう少し映えるように、最後は白い漆喰で外壁を塗るようです。
  
           籾殻ハウス玄関

  三角形の玄関です。なぜ三角形なのかというと、リーダーの不破さんによると、三角形が多角形の中で一番強度が強いからだそうです。確かに、外壁を見ても、全て三角形を互い違いになるように組み合わせています。
  もちろん、あけっぱなしでは困りますから、この後ステップを兼ねる三角形の扉をとりつけて、中に入ったら手すりを持って引っ張り上げられるようにするとのことです。

           籾殻ハウス天窓

  天窓が開いているのは、二つの目的があります。一つは、中央部に据え付けた薪ストーブの排気口にするためで、もう一つは、藤村先生(非電化工房代表)の開発した「非電化換気装置」というのを取り付けるためです。なんでも、風が吹くと外気を取り込んで、その勢いで中の空気も排出するという優れものだそうです。
  籾殻が作り出す空気の層が外気を断熱し、中には空気が循環する。まさに理想の住宅のできあがりです。

           日干し煉瓦1

  余った泥を使って、左官である高橋さんの指導の下、日干し煉瓦を作っているところです。このまま乾燥させれば、門から玄関までの飛び石など、いろいろな用途で使えるとのこと。

  そうやって、規定の作業が全て終わったので、夕方の5時くらいから交流会とあいなりました。

  冒頭で、藤村先生から、一応、籾殻ハウス作りじたいはこの3回目で終わる予定だったのですが、上でも書いたような外壁の仕上げ作業のために、もう一回(11月22日)に追加のワークショップを開くことが発表されました。 。私も是非参加したかったのですが、ちょうど休日に出勤しなければならない日だったので断念せざるをえませんでした。
  それでも、一つの区切りということで、プロジェクトリーダーの不破さんから今回の籾殻ハウス作りの趣旨説明のようなお話がありました。
  そもそも、この企画は、藤村先生が各地で主催する●発明起業塾川崎校に参加していた不破さんが、藤村先生から出された宿題の答えでした。その課題とは、

  「建築確認が要らない、素人が安く作れる家を発明しなさい」

  というものだったそうです。
  現行の建築基準法では、床面積が10平方メートル以上の建築物は全て建築確認を受けなければなりません。確認を受ければいいだけの話ですが、その後表示登記や保存登記などのお金もかかりますし、なによりそうやって作られた普通の建物は、固定資産税の課税対象になってしまいます。それをなんとか出来ないものか、と思って、藤村先生が不破さんに頼んだのだそうです。
  そんなものは無視すればいいという人もいるのですが、ヤクザや野武士でもあるまいし、普通の胆力の持ち主では無理です。

  しかし、10平方メートルの床面積では狭すぎるのではないか?という人は当然いるでしょう。私も当然そう思いました。

  そこも不破さんはちゃんと考えていました。上に挙げたいくつかの写真をよく見ていただくと、籾殻ハウスの壁が、床から外に向かって張り出しているのがお分かりでしょう。これによって、人の腰から目線にかけての部分の広さは約15平方メートルまで広がっています。つまり、感覚的にはほぼ1,5倍の広さになるわけです。私も他の参加者の方達数人といっしょに中に入ってああでもないこうでもないと感想を述べ合いましたが、窮屈な感じは全くしません。これを二つ三つ作れば、4、5人の家族でも十分生活していけるような感じです。
  もちろん、この床面積をごまかすテクニックも、あまり派手にやりすぎると罰則の対象になるようですが、そのへんは1級建築士である不破さんが周到な計算を施しています。専門家の知恵というのは、こういうことのために使うものなのだと、改めて思いました。

  その後も参加者の自己紹介(今度は私も簡単に収めました)や質問等、軽食を交えながら楽しい時間が過ぎていきます。今回もやはり、発明起業塾の卒業生が多数参加していました。
  もうそろそろ時間か、という頃に、非電化工房そのものについてのやりとりが行われていたので、私がしめくくりにふさわしい(笑)質問を藤村先生にぶつけてみました。

  「先生は、どういう未来になってほしいと思っていらっしゃいますか」

  藤村先生がされたのは、以下のようなお話です。多少記憶が曖昧になっているところもありますが、ご容赦下さい。

  自分は平和主義者であり、原発や核燃料サイクル施設などの形で、科学技術があらぬ方向に向かっていくことを非常に残念に感じている。本来科学技術というものは、人間を幸福にするためのもののはずなのに、それが一部の先進国と大企業のものになってしまっている。そういう一部の人間たちを「ギャフンと言わせたい」と思い、非電化にこだわった発明を続けている。
  発明起業塾で後進を育てているのも、そこで育った人たちが地域社会の中に入っていき、本当に地域の人びとを幸せにするような発明をして世の中を良くしてほしいと思っているからだ。限られた人生だが、できるだけのことをやっていき、多くの人びとが幸福を感じられるような世の中になっていってほしい・・・。

  以前の私であれば、先生が「平和主義者」で「原発反対」と聞いた途端に、ありがちな偏見を抱いてしまったことは確実(笑)なので、イデオロギーのバカさ加減に疲れ切ったあとに非電化工房の仕事の一端に関われたのは幸運でした。
  しかし、そんな私も、藤村先生や不破さん、さらには発明起業塾を出て各地で奮闘されている人びとや、先生のお弟子さんたちに比べれば足元にも及びません。私は、具体的に何もやっていないのです。
  いや、ただ何もやっていないというより、ブログで近代経済システムを批判しただけで何かやったような気になっているわけですから、自己満足の部分が大きく、ネット右翼やブログのコメント愛国者、さらには自民党叩きやイラク戦争反対だけが生き甲斐になっている地球市民ブロガーとたいした差はなかったというのが実情でしょう。近代経済システムを捨てろというのも、一つのイデオロギーには違いないのです。
  自己弁護をするわけではありませんが、普通の庶民は頭では分かっていても、なかなか行動に踏み出せないものです。現代のように、賃労働や自己研鑽というものが異常な時間的負担を生んでいるならなおさらです。本当は私も行動に踏み出せないワーキングプアの人びとや派嫌切りにあった人たちを批判できる立場にはないのです。

  しかし、それでも一つ希望を持って良いのは、藤村先生やお弟子さんたちのように、誰でも使える、誰でもできるような方法で、今の世の中を少しずつでも改善していこうとしている人たちがいるということです。
  その根本にあるのは、人の役に立ちたい、喜ぶ顔がみたいという純粋な思いでしょう。それなしに、やれ世の中を変えたいとか、システムを転換するとか言ってみても、おそらくごく少数の人たち以外は共感してもらえないはずです。
  非電化工房と、そこに集まる方々の言葉や表情に、素朴な感情を思い出させてもらい、さらには脳みそと文字に偏った自分のやり方を反省する機会をいただけたことは、非常に大きな収穫でした。  
  
  なにやら興味深い発明が今後ともいろいろ企画されているそうなので、その成果や進捗状況を拝見しに、那須の非電化工房にうかがいたいと思っています。よろしかったら、このブログをご覧の関東や南東北の方もご一緒にいかがでしょうか。

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【追記】

  ついに、籾殻ハウスが完成したようです。

摩訶不思議なり。籾殻ハウス。 (非電化工房弟子入り日記)
http://plaza.rakuten.co.jp/hidenkawwoofer/diary/200911230000/

  ああ、ここが自分の塗った辺りだな・・・と思うと、なにか感慨深いものを感じます。
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