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2007.11.10(Sat)

商人の歴史(4)~グローバル帝国・唐の誕生 

  ●前回の記事で、中国の王朝の中でも隋・唐というのは非常に重要だという前振りをしました。今回は、この二つの王朝を通じて、中国が大きく変容していったということを考えてみたいです。

  隋というのは、非常に短命な王朝です。たったの4代で、30年続きませんでした。
  しかし、この王朝は、次の唐王朝への重要な橋渡しをすることになります。それが「大運河の建設」です。下記の画像をご覧下さい。
隋代の運河

  このときの大出費と国民への負担が仇になって、隋はあっけなく滅びてしまうわけですが、だからといってこの運河建設を過小評価してはいけません。
  大陸の川というのは、日本の川のように、急激に上流から下流に向かって流れていきません。どういうことかというと、遡上が可能なんです。ということは、船舶を使った大量の物資の移動が可能だということです。
  そして、この運河建設によって、中国は初めて南北が完全に結ばれたのです。具体的に言うと、通済渠と江南河が揚子江と黄河を結び、永済渠が天津と黄河を結びました。
  こういうものができて、一番嬉しいのは誰だと思いますか?もちろん、隋の皇帝は嬉しかったと思うんですが、一番嬉しいのは大商人だと思うのです。
  なぜなら、大きな商人なら、船を使って大規模な輸送ができるからです。私は●以前の記事で、「商社」が利益を出すコツは、ものが頻繁に動くこと(大量性・反復性)と、遠くからものを仕入れること(遠隔性)だという話をしましたが、そのためには有利な輸送手段が絶対に必要になります。
  だから、商人の歴史というのは、輸送手段・交通手段の発達の歴史でもあるのです。おそらく、隋の皇帝が勝手に考えたと言うより、御用商人のような連中、おそらくはシルクロードで中央アジアやヨーロッパと取引していた商人が考えたのでしょう。
  そういう人間たちが、メリットを訴えて権力者を動かしているのです。隋が滅んだのは、もちろん最大の敵である高句麗に対する遠征で過大な出費を強いられたという面もあるのですが、実は商人たちの「ニーズ」に応えすぎたことが原因じゃないかと考えています。

  完全に余談ですが、この隋を取り巻く国際関係を見ると、非常にためになることが多いです。
  当時、隋は高句麗という強敵を抱えていました。今の中国東北部から北朝鮮にかけて存在した、ツングース系の国です。この高句麗が、万里の長城の北にいる突厥(とっけつ)という遊牧民と手を組もうとしたことが、隋に高句麗遠征をさせた原因だったと言われています。
  このような隋の苦しい立場を的確に見抜いていたのが、当時の日本、要するに聖徳太子です。まあ、この人も実在したかどうかわからない人なんで、あえていうなら「蘇我氏を中心とした当時の大和朝廷中枢部」とでもいうべきかもしれません。彼(ら)は、隋から優れた制度や文物を仕入れる必要性を感じていました。そのためには、朝貢、つまり奴隷契約でない形で国交を結びたかったわけです。だから、「天子」なんていう、中国の皇帝しか使えないような称号をわざと用いた国書を届けたんですね。隋は、この失礼な国書に対して、返礼の使者をよこしました。要するに、対等にやりましょうという日本の主張を認めてしまったわけです。
  これは、現代の国際関係でも応用可能ですね。北朝鮮の存在する意味はそこにあるといっても過言ではありません。朝鮮人があれほど「高句麗・渤海史」を自分の歴史だといって譲らないのを、もっと利用した方がいいです。

  さて、そういう無理繰りをしていた隋は、簡単に滅亡しました。しかし、これはある意味、次の唐王朝の露払いをしたのだと思えば、納得がいきます。
  唐王朝は、中国の中では結構長続きした王朝です。7世紀初めに登場して、10世紀まで存続しました。
  この時代の中国というのは、はっきり言って世界最強国家といっても過言ではありません。これは、単に軍事力のことを言っているのではありません。
  この時代は中国が空前の豊かさを享受した時代でもあったわけです。もちろん、中国のことですから、別に庶民が豊かになったわけじゃありません。皇帝やその下にいる貴族連中が豊かだったということです。
  そのことは、唐代の文化にも現れています。今でも残っている「中国文化」というのは、大半がこの時代です。李白や杜甫に代表される「唐詩」、空海も学んだと言われる「書道」、今でも通用する高い技術を誇った陶磁器の「唐三彩」、それに歴史研究(修史)や真言宗・天台宗に代表される仏教の隆盛です。遣唐使船は、このような文化を日本に伝える役割をしました。
  唐が比較的簡単に全国統一を成し遂げることができたのは、隋のおかげです。隋の最後の皇帝が、李淵という北方の豪族に地位を譲り渡した、まあ禅譲というやつを行ったのもあるんですが、何より大運河が出来ていたおかげで、軍事作戦を非常に行いやすかったということがありました。
  これは推測ですが、おそらく隋代に力をつけた商業資本、隋の煬帝に運河を造らせた人々が、李淵の一族の方に乗り換えたというのが本当の原因かもしれません。もともと隋も唐も「武川鎮軍閥」といって、3世紀から6世紀にかけての南北朝時代に万里の長城の内部に移り住んだ騎馬民族でした。だから、黄河以南の漢民族と違って武力はあるわけです。この連中が内部での競争を経て強大になって、隋や唐になったということです。
  隋がなぜ中国を完全に統一できたのかと言えば、漢と同じで、シルクロードの起点に当たる中原といわれる地域を支配できたからです。具体的に言うと、今の陝西省です。

  あ、すみません。今軽くびっくりしたんですが、私の使っている一太郎2007というワープロは、「しゃんしー」って入れて変換すると、「陝西」という漢字が出てくるんですね。そういう文字入力をするニーズが相当あるんでしょう。日本と中国の相互依存がかなり進んでいる証拠ですね。
  こういう時代は、前にもありましたね。普通の人が上海を「しゃんはい」と呼び始めた時代です。ええ、第一次世界大戦後です。大陸進出のあと、ハシゴを外されて戦争へ・・・なんていう風にならないといいんですが。

  戻ります。この中原という地域を支配する、もしくは支配しそうな連中に、おそらく中国の商人たちというのは積極的に支援してきたんじゃないかという気がするんです。
  ここはシルクロードの拠点でもあるわけですが、同時にすぐそばにモンゴル高原があるのがおわかりでしょうか。要するに、遊牧民という危険な連中が商売の邪魔をしてくる可能性が高いわけです。だから、中国の支配者というのは、ここをきちんと守れる勢力でないといけないわけです。
  隋は、この点では失格でした。高句麗という、中原と何の関係もない場所にいる敵とダラダラダラダラ3回も戦って、しかも全部負けてる(笑)。だから、大運河作りに協力した商人たちに見放されてしまったんじゃないかと勝手に考えています。
  なにしろ、ローマ帝国の国庫が空になってしまうほど、中国側はシルクロード貿易で儲けていたのです。それを流通させている商人たちも、当然金を持っていたと見るべきでしょう。そして、そういう人たちが隋より唐を選んだというのが、禅譲の真相という気がしています。

  唐は、中国の支配者としてはもう文句のつけようのないくらい「優秀」でした。まず、東にいる高句麗を新羅と組んで叩きつぶし、大陸に干渉してこようとする日本とその傀儡である百済を白村江の戦いで叩きのめして、新羅を子分にして朝鮮半島を安定させました。
  これで、何の憂いもなくなった唐は、万里の長城の北にいる宿敵・突厥に大軍を差し向けて服属させます。これは大きいです。シルクロードの東端でちょっかいを出してくるチンピラ野郎が、もう悪さはしませんと誓うことになり、中国の商人たちは安心して貿易ができるようになったからです。
  こうすると、まるで何か唐の皇帝が商人たちの使いっ走り、用心棒みたいな感じすらしてきますが、それが本当なんです。つまり、大商人というのは常に国家権力と二人三脚であり、互いに補完し合っているのです。
  だから、国家権力と経済は別だという、新自由主義的な考え方というのは歴史の法則を無視した空理空論もいいところなんです。まあ、そういう連中も、国家権力を動かして自分たちが収奪しやすいキセーカンワだとかミンエーカなどという仕組みを作っているだけなんですがね・・・。

  そうやって、前代未聞の繁栄の時代を迎えた中国ですが、実はここにすでに落とし穴があったのです。歴史というのは面白いもので、ある国が繁栄の絶頂にある裏で、滅亡への青写真ができあがっていることがあまりに多いのです。唐もその例外ではありませんでした。
  
  というところで、次回に続きます。

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Comment

●TBありがとうございます。

近代史の縮図としての中国:中国は自滅の道を進むのか孤立に追い込まれるのか
http://sun.ap.teacup.com/souun/1009.html
日本はなぜ負債大国になったか
http://sun.ap.teacup.com/souun/126.html
早雲 | 2007年11月10日(土) 11:52 | URL | コメント編集

私も世界史を高校でやってたので、中国史にはずいぶんと
苦しめられました(笑)
>ある国が繁栄の絶頂にある裏で、滅亡への青写真ができあがっていることがあまりに多いのです
推測ですが、府兵制の瓦解でしょうか?唐の軍隊は農民を基としていましたが、逃亡者の増大で兵士を徴兵制から、募兵制にした(傭兵)ことかと推測しています。それか、交通ネットワークを利用した商人による安史の乱が原因かと思っています。
エキゼエル | 2007年11月10日(土) 19:21 | URL | コメント編集

●>>エキゼエルさん

>推測ですが、府兵制の瓦解でしょうか?

  ええ、それも含んでいますよ。

  唐帝国は、グローバリゼーションの元祖です。
ろろ | 2007年11月11日(日) 17:15 | URL | コメント編集

●続きが楽しみです

ろろさん、こんにちは。

全記事の終わりで

>私は、世界の歴史で重要だったと思われる国を一つあげろ、といわれたら絶対に「唐」と答えます

とありましたね。私はそれは元(モンゴル帝国⇒これは『世界史の誕生』岡田英弘著の受け売りですが)だろうと思っていたのですが、今回の記事を読んで、

唐帝国=グローバリゼーションの元祖 というろろさんの意見も腑に落ちました。

で、このあとモンゴル帝国のことも出てくるのでしょうか? 続きが楽しみです。
愚樵 | 2007年11月11日(日) 19:25 | URL | コメント編集

唐の意味は日本の平安期国風文化と対で考えて初めて理解できます。グローバルとローカルの合わせ鏡、原点がそこにあります
道真や時平のやろうとしたことは、律令制の「日本風修正改革」でした・・・
孔明 | 2007年11月11日(日) 19:30 | URL | コメント編集

●運河の話はわが国でも……

なくはなかったんですよ。工費が膨大ということで頓挫しましたが。

本州が日本海側と太平洋側を分断する巨大な島(といってももっと大きな島は世界中をみれば沢山あるが)であることは皆さんの目にも明らかでしょう。

この中で、日本海と太平洋の距離が比較的小さい本州中央部に大運河建設をしようともくろむ構想があったらしいです。具体的には、若狭湾から琵琶湖の一部を経由して伊勢湾に抜けるルートです。

しかし、経路は短いものの、途中に峻険な山々があって、これを崩すのが難儀だということで頓挫しました。

変わって陸路で作られたのが、全通まであと少しとされている東海北陸自動車道です。が、最後の難工事区間の飛騨トンネルで、全通したものの、予想以上に岩盤圧力が強いため、来年春の開通予定を夏休み前まで延期したことがつい最近報道されていました。

しかし、こういうろろさんのお話を見させていただくと、あの「大動脈」もうっかり開通させないほうが、後々のわが国にとってはいいのかもしれないと思えてきました。
のらくろ | 2007年11月11日(日) 22:02 | URL | コメント編集

●コメントありがとうございます

>>愚樵さん

  もちろん、モンゴルもこの後出てきますよ。

  もっとも、私はモンゴル・元より「宋」の方が重要だと思っています。中国が曲がり角を曲がったのは唐代で、没落が目に見えてきたのは宋代だと考えています。商業資本の発達とランドパワー中国の強さが反比例しているのも面白いです。

>>孔明さん

>唐の意味は日本の平安期国風文化と対で考えて初めて理解できます。
>グローバルとローカルの合わせ鏡、原点がそこにあります

  おっしゃる通りです。菅原道真の遣唐使廃止の上奏は、徳川家光の鎖国並にエポックメイキングでした。日本が日本になったきっかけだったと言っても過言ではありません。
  今よりもはるかに少ない情報の中、大陸を冷静な目で見つめ、真の国益を考えた先人たちの偉大さはこのブログで語り尽くせませんね。

>>のらくろさん

>東海北陸自動車道

  あれですね、白川郷の下を通っている高速道路ですか。

>しかし、こういうろろさんのお話を見させていただくと、あの「大動脈」も
>うっかり開通させないほうが、後々のわが国にとってはいいのかも
>しれないと思えてきました。

  地域の平準化がさらに進むでしょうね。隋代の運河によって中国が中国として一体化したのと同じようなことが起こるでしょう。

  高速道路は昔の東海道や中山道と違い、沿道の持続的な経済効果がないんですよね。しかも、流通の動脈になると、大資本が地方を支配するのが簡単になってしまいます。19世紀の鉄道と同じですね。
  点と線だけで、面になっていかない、土木事業としての価値しかない寂しい建造物だと思っています。
ろろ | 2007年11月11日(日) 23:08 | URL | コメント編集

私が思うに、真の日本の独立とは、鎌倉幕府が平泉と京都を制覇した時点だと思っています。
孔明 | 2007年11月12日(月) 01:46 | URL | コメント編集

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