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2007.09.14(Fri)

刑法39条の話~「理念バカ」に陥ることの危険性とは 

  最近、似たようなニュースが連発したので、取り上げておきます。

心神喪失で29歳女を不起訴=JR横浜駅の女児刺傷-横浜地裁
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007091300471
--------以下引用--------
 JR横浜駅地下街で今年5月、女児がナイフで刺され重傷を負った事件で、横浜地検は13日、傷害の現行犯で逮捕され殺人未遂と銃刀法違反の疑いで調べていた無職女(29)=新潟県三条市=を不起訴処分にした。同地検は、心神喪失で刑事責任を問えないと判断した。
 同地検は同日、心神喪失者医療観察法の適用を横浜地裁に申し立てた。同地裁は申し立てを受け鑑定入院命令を出した。
 調べによると、女は5月25日午前、横浜駅東口地下街でナイフで女児の背中を1回刺し、重傷を負わせた。
--------引用以上--------


心神喪失で無職男を不起訴=老人介護施設2人刺傷-仙台地検
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-16X822.html
--------以下引用--------
 仙台市太白区の市医療センター介護老人保健施設「茂庭台豊齢ホーム」で3月、看護師の女性ら2人が男に果物ナイフで刺され負傷した事件で、仙台地検は16日、殺人未遂の現行犯で逮捕された無職の男(32)について「心神喪失で責任能力がない」として不起訴処分とした。

 男は逮捕当時「誰でもいいから殺してやろうと思った」などと供述。地検は、妄想に支配されて犯行に及んだと判断した。 
--------引用以上--------


  よく殺人事件などが起こると、弁護側が「被告は犯行当時心神喪失の状態にあった」から無罪だと主張することがあります。
  これは、刑法39条1項に、「心神喪失者の行為は、罰しない。」という条文があるためです。なぜこんな条文があるのかというと、自分の行為の意味がわからなかったり、自分のやっていることをコントロールしたりできない(責任能力がない)奴を責めるのは酷だろうという判断があるからです。
  確かに、理論的にはわかるのですが、それじゃあ頭のおかしくなった奴は何をやってもお咎めなしなのかというと、そうでもないようです。一応、「精神保健法」と「心神喪失者等医療観察法」という法律があります。

心神喪失者等医療観察法Q&A
http://www.moj.go.jp/HOGO/hogo11-01.html
  ポイントは、以下の通りです。

(1)重大な犯罪を犯したが不起訴や無罪になった心身喪失者などが対象になる
(2)地方裁判所で裁判かと精神科医が相談して入院通院を決定する
(3)審判には必ず弁護士が付き添う
(4)受け入れ先になるのは、24カ所の「指定医療機関」である
(5)社会復帰を促すために、保護観察所も関与する


  従前から「精神保健法」という法律があって、犯罪をやったのに不起訴になった心神喪失者らの面倒を見てきたのですが、その限界が見えてきたので、処遇を見直そうということでできた法律です。
  きっかけになったのは、間違いなく「大阪教育大学池田小学校の連続児童殺傷事件」です。この事件の犯人であった宅間守は、度重なる犯罪にも関わらず、医療機関や行政の関与が不十分で、結局あのようなひどい犯罪を犯すまで「野放し」にされてしまっていました。そのことについての反省が、このような立法の出発点にあります。

  そして、こういう「ちょっと変わった人たち」について行政が処遇を変えようとすると、必ず出てくる声があります。

  「精神障がいを抱えた人たちの人権を守れ」
 
 というのがそれです。そのような意見も見てみましょう。

心神喪失者医療観察法 7月法律施行前に異例の法「改正」の事態! 2005/03/30
http://www.janjan.jp/living/0503/0503295090/1.php
---------------------------------------以下引用----------------------------------------
 心神喪失者医療観察法が、7月の法施行を前に「改正」されるとの報道がなされた(3月27日・朝日)。このような施行前の法律改正自体極めて異例とのことである。
 
 この法律は、全国24カ所に、「特別病棟」を造り、「重大な他害行為(各種未遂も含まれる)」を心神喪失、耗弱状態で行ったものに対して、「審判」を経て「強制入院(上限なし)」、「強制通院(上限5年)」を命じることが出来る、という内容で、2001年6月の池田小事件以来、小泉首相の発言にも一つのきっかけとして、急速に浮上し、全国各地の当事者団体、JDやDPI日本会議等障害者団体、精神医療医療従事者団体、日本精神神経学会、元ハンセン氏病患者団体、各種労働団体、日弁連、人権諸団体等の強い反対を押し切って、政治献金疑惑も浮上するなか、2003年7月に2度にわたる「強行採決」を経て成立したという、いわくつきの法律である。

 この法律の施行が延期される。主な理由は、7カ所の国立関係病院周辺の地元住民の「理解」が90回以上の説明会にもかかわらず、得られないことにあると報道されている。しかし1年4カ月(3会期)の異例の長期にわたった国会審議での多くの論点と、医療観察法施行準備の現状を分析してみると、今回の事態の問題点がよりくっきりと浮かび上がってくる。

 まず、この法律は「精神障害者は何をするか分からない」等の、残念ながら一般にいまだ根強い精神障害者に対する「差別感情」にいわば乗っかる形で成立してきたといえる。この法律が精神障害者に対する差別意識を余計、強化するのではないか、という点は、国会でも論点となったが、まさに危惧されたように、たとえば私も参加した(ただし当事者の発言は阻止された)国立精神・神経センター武蔵病院(東京都小平市)地元説明会での住民の発でも、そのようなものも少なくはなかった。現在建設予定地各地で反対運動が起きているが、周辺住民1万7000人以上の署名を集めた、名古屋の東尾張病院のケースでは、なんと病院ごと郊外に移転して欲しいという内容の「代替案」までもが厚生労働大臣宛に出されている。

 その他の地域でも地元の反対は強く、他府県の患者を受け入れるという点で、県議会等の同意が得にくい等の理由、そして、 なによりも、法成立・施行そのものに多くの当事者、精神医療従事者が反対しつづけてきたこともあって、現在7月までにわずか2カ所(66床)完成のめどしか立っていない。

 これでは、年間300人程度と予想される、新規入院患者の数にはとうてい足りず、厚生労働省は都道府県立病院に予算・人員等を配置し、「当面」それを「代用」するという、「改正案」を今国会に提出する協議が始まったとの新聞報道がなされたわけである。

 また、現在、この法律に付きまとっていた「再犯予測」「偽陽性(再犯を行わないのに結果的に強制入院させられてしまう人)」の問題が、急速に再浮上してきている。2002年11月に提出された「塩崎修正案」では、「再犯のおそれ」という言葉は削られ、再び「同様な行為を行うことなく」「社会復帰」を促進する法律であることが強調された。しかし、昨年末に出された「鑑定ガイドライン」では「リスクアセスメント」という評価軸が加わった。不起訴処分になった事件等の過去の経歴・生活歴・さらには海外渡航歴・宗教まで、調べる「リスクアセスメント評価」を、強制入院・通院を決定する「審判」の際に重要な判断材料になる鑑定材料にするというのである。

 医療観察法に関して、政府がこれまで主張してきた趣旨は、当該「行為」を行った「原因となった標的症状」に「手厚い治療」を行い、本人の「社会復帰」を行うための「医療制度」である。国会答弁でもこの点が繰り返し強調されてきた。しかし、長期にわたる「リスクアセスメント評価」はどう見ても「再犯予測」である。強制入院の長期化にも直結するだろう。日弁連は「リスクアセスメント評価」の導入は医療観察法自体にも違反するものと、非常に問題視し、現在「鑑定ガイドライン策定」の中止を正式に申し入れている。

 最後に、2003年の参議院審議段階で非常に問題となった、法案成立・審議過程における、「政治献金」問題であるが、上野公成内閣副官房長官(当時)関係政治団体への日精協政治連盟からの「政治献金」未記載の件の「政治資金規正法違反」に関する、検察の不起訴処分に対して、検察審査会は3月15日不起訴処分不当決定をくだした。

 これは、池田小事件の2カ月後の8月8日、日精協政治連盟からの、上野公成参議院議員(当時)関係の「休眠政治団体」への4件各50万円、12月に1件50万円の計250万円の「政治献金」が、各政治団体の政治資金報告書に一切記載されておらず、代表、会計責任者をつとめていた秘書3名が、精神医療ユーザーグループ5名によって東京地検に刑事告発された事件である。今年1月に出された検察不起訴処分に、ユーザーグループ5名が申立をおこない、今回、政策秘書辻修治の検察不起訴「不当決定」がだされたのである。

  (中略)

 言うまでもないことであるが、医療というおよそ市民の生命・健康、そして人権にも直接関わる分野の政策が、不透明なお金の動きによって左右されることは、決してあってはならないことである。

 以上のように、疑惑や諸問題が山積、法施行前から、すでに「改正案」が議論されるような「心神喪失者等医療観察法」は、その根本問題を今一度しっかり認識したうえで、その場しのぎの「改正」ではなく、いったん法施行を中止した上で、本当の意味での解決にむけて、今一度、原点に戻った議論を国会で行うべきだと強く主張したい。

 「保安処分施設」に入所したという事実は、いわばレッテルとなって、その人の一生を決定的に左右しかねないのである。諸外国の事例をみても、やがて入院の長期化が問題となるのは必至である。そしてむしろ精神障害者の人権を擁護することを通じて、「不幸な事件」の被害者をも減らす方策こそが本来、追求されるべきだったのではないだろうか。
---------------------------------------引用以上----------------------------------------

  まあ、確かに強行採決を経てまでやるべき立法なのかどうかは怪しいところです。十分な議論が必要だという意見には同意します。
  しかし、この記事の最後に付してある「主張」に、強い違和感を覚えるのは私だけではないはずです。

>むしろ精神障害者の人権を擁護することを通じて、
>「不幸な事件」の被害者をも減らす方策

  私はこのブログで、さんざん「ネット右翼」的な人々を非難しています。理由は簡単で、彼らには生産性がないからです。
  しかし、私は「左翼」と言われるような人間も、同じくらい生産性がないと感じています。
  はっきり言って、右翼とか左翼とかいった人間は、どちらも役立たずです。理由は簡単で、彼らは現実の問題に対して観念的な議論を優先させて、状況を改善するというアプローチを取ることができないからです。

  この引用記事は、おそらく「左」の人間が書いたものだということは、政治不信を煽るような論調や、私が今さっき引用した「人権を擁護する」うんぬんというくだりから十分に推察できます。
  まず思うことは、なぜここまで法案の成立過程について詳細な記述をしておきながら、自説については曖昧な主張ですませているのかということです。「人権を擁護する」というのがどういうことを指しているのか、また、精神障害者の人権を擁護するとどうして「不幸な事件の被害者」とやらが減るのか、全く言及がありません。
  JANJANの記者ごときにそんなことを期待するな、などと言う人がいそうですが、それなら自分の主張に近いことを言っている精神科医や人権団体の見解を引用するか、インタビューでもすればいいのではないでしょうか。インターネットでも探せばいくらでも出てくるはずです。
  ただ文句を言いたいだけならともかく、自分の立場から国民のためになるような知識や情報を提供したいというのなら、そういうことを提示しなければ意味がありません。

  どうも、「左」や「地球市民」を自称する、あるいはそういう傾向のある人間にありがちなのですが、理念や公理(自由、平等、人権尊重など)に反しているという価値判断だけで、「ではどうするのか」というところについて全く考えていない人があまりに多くないでしょうか。
  そういう人間は「理念バカ」と呼ぶべきです。理念バカは、「どうするか」ではなくて「何が正しいか」という点にだけ議論を集中する、あるいは他人にさせようとする人間です。つまり、善悪を判定することだけを目的に人と会話したり、言い争っていたりする人間です。
  やっかいなのは、そういう人間たち、特に左側の理念バカの問題提起というのは、意外とまともなことが多いのです。たとえば、イラク戦争はアメリカの侵略戦争だとか、そういう戦争に自衛隊が関与すべきではないとか、そういう目の付け所自体は決して理屈をこねくりまわした議論ではないのです。
  それにも関わらず、彼らの言っていることが何かおかしいと感じるのは、それが現実に存在している条件を無視して、極めて単純な三段論法によって物事を判断しているからです。今回の記事の場合は、

  (大前提)精神障害者には人権がある
  (小前提)心神喪失者等医療法観察法には、人権侵害のおそれがある
  (結論)同法は妥当ではない


  と、要するに「左」の人間が言いたいことはこれだけです。万事こういう判断をしているのです。まあ、「右」というのも似たようなものですが。

  しかし、普通に人生経験があり、日々面倒ごとに接している人間であれば、こんなことで世の中にある物事を一刀両断するのは危険だということにすぐに気がつくはずです。●以前の記事で挙げた大峰山の話もそうですが、理念バカの行動というのは、論証は難しいのですが何かおかしいという感じがするはずです。その直感の方がおそらく正しいということです。
  こういう理念バカをうまく扱うには、彼らの設定したリングの上には絶対に上がらないことです。今回であれば、「人権侵害か否か」というところには決して上がってはいけません。「こういう配慮をしています。以上」で十分です。
  理念バカにお付き合いすれば、彼らは延々と「懸念」や「憂慮」を次から次へと出してきて、戦うのをやめようとしません。例のジューグンイアンフの問題で、社民党や共産党に追究されて、「広義の強制性はあったかもしれないが、狭義の強制性はなかった」などという反論をしてしまった安倍前首相など、その辺を全くわかっていなかったといえるでしょう。喧嘩の下手な戦う政治家・・・まったく日本は平和ですね(笑)。
  では、そういう人間たちに全く存在意義がないのかというと、そんなことはありません。なぜなら、彼らの懸念や憂慮も全体として見れば、それなりに妥当だからです。そういったものが、国民の側にある程度の判断材料を提供したり、立法担当者に性急な決定を躊躇させるという利点はあるのです。
  ただし、個別の問題で付き合っていたらきりがないということです。

  では、おまえの考えはどうなんだ、という声が聞こえてきそうなので、一応心神喪失者の処遇について私の考えを示しておきます。
  まず、絶対に忘れてはならないのは、精神に障害があるからといって、健常者より利益を得る立場に置いてはならないということです。
  私が思うに、「平等」というのは、機会の平等でも結果の平等でもなく、責任の平等だと思います。つまり、犯した罪や、その期待される責任に応じて、相応の責任は誰でも取るべきだということです。
  私が許すべきではないと思うのは、殺人を犯した人間の家庭境遇などを刑の重さの判断材料にすることです。たとえば、債権者に追い詰められた債務者が耐えきれずに債権者を殺してしまったということなら、債権者にも殺された責任はあるわけですから、減刑をしてもいいでしょう。しかし、「不幸な身の上だった」とか「誰にも受け入れてもらえなかった」という個人的な事情は、殺された人間には何の関係もないことです。そんなことを弁明として受け入れてしまえば、不幸な人間は何をやってもいいということになってしまうでしょう。
  精神障害者についてもそれは妥当します。ほとんどの精神障害を抱えた人たちは、自分の障害と闘いながら何とか一般社会についていこうと努力しています。しかし、だからといって健常者より甘い判定をしてくれというのはおかしな話です。殺されたり、傷つけられたりした相手には、全く関知しない事情です。仇討ちが許されていない以上、国が応報としての刑を科すのは当然です。民事なら、賠償をきちんとすべきです。
  そういった賠償ができないなら、国がするしかありません。精神障害が深刻なら、その症状を緩和するための必要な措置を執るべきです。彼らが害悪を生じさせたということは動かしがたい事実であり、同じ事態を繰り返させるべきではないからです。
  たとえば、今回の心神喪失者等医療観察法についていえば、おそらく一番問題なのは、

>7カ所の国立関係病院周辺の地元住民の「理解」が90回以上の
>説明会にもかかわらず、得られないこと

  です。そうだとすれば、全く違う場所に治療のための機関を作るしかないはずです。
  議論というのは、そういう風にするものなのであって、人権に関わる問題になったら「守れ、変えるな」とばかり叫んでいては何も解決しません。

  そして、そのことと、精神障害を持った人々の人権擁護というのは、切り離して考えるべきだということも言っておかなければいけません。
  精神障害は、よほど重度のものでない限り、なんとか症状を抑えることができるものばかりです。統合失調症がいい例です。
  しかし、もうこれは押さえきれないというレベルのものについては、やはり公的機関が何らかの処置をせざるを得ないでしょう。もちろん、その中身が人格を否定するようなものでないことは、議論や修正を続けるべきです。そういう避けようのない問題を抜かしたまま「不当な拘束だ」とか「人権侵害のおそれがある」という表面的な論理展開しかしないから、左翼はおかしいと思われるし、一般の人々に信用もされないのです。

  何より重要なのは、こういう問題は「穏当」なのが一番なのであって、理念バカの戦いの場にしてしまってはいけないということです。
  極端な意見に走ってしまうには原因があります。「左」も「右」も、とりあえず自分のよってたつ理念に従って言いたいことを言っておけば、誰かが何とかしてくれるだろうという甘えがあるのです。現実がどうなるかということは、彼らには二の次なのです。だから、どこの国の軍隊が襲ってきても9条を守ればいいと発言できたり、国民生活をほっぽらかしにしてもケンポーカイセーさえできればいいと臆面もなくブログに書けたりするのでしょう。
  私は、そういう人たちと議論をしたいと思いません。どうせ、自分の理念に反すると気づいたら、あらゆるところで揚げ足取りをし始め、彼らが「論破」したと認めるまで「懸念」や「憂慮」や「矛盾点」や「国益に反する点」を作り続けるに決まっているからです。  それよりも、今現実にある困ったことについて、被害を最小限に食い止めながら、少しでも多くの日本人が不幸にならないようにする方法を考えていくことが大切なのだと思います。

  そういう問題提起として、私はあえて

  「刑法39条は廃止も含めてどんどん議論しろ」

  と、提唱したいです。

  私個人は、以前は廃止すべきだと思っていましたが、現行の法律でも十分対処できるので無理に改正する必要はないという立場です。
  ただし、心神喪失者用の指定医療機関には何倍もの予算を投下して、「本気」でやるべきです。コームインカイカクなどというものをバカの一つ覚えのように唱えている人間や、何でもかんでも自己責任を強調する脳みその皺のない人間の言うことなど聞く必要はありません。社会の安定を維持するというこれ以上にない利益があるのですから、法務省も臆面なく予算を要求すべきです。
  左右の理念バカ同士(困ったことに国会議員にまでこういう連中がいる)が生産性のない議論を続けている間に、現場職員がどんどん多忙になって追い詰められていくというのは、児童相談所の例でも明らかです。虐待児童が増えているとかいろいろ報じられていますが、埼玉県を例に取ると、収容率が94%にも達しており、職員の努力も限界に近いところまできています。何でもかんでも公務員を悪者にすればいいと思っているアホ(特に「保守」や「愛国」を名乗る構造改革信者に多い)は、そういう現実を直視すべきです。それができないなら、あなたがたはバカ左翼と同じです。
  
  なにしろ、まじめにやっている人間や、何の落ち度もない人間が馬鹿馬鹿しさやむなしさを感じないような仕組みを少しずつ作り上げていくことです。

  理念ばかり叫んでいるほど、人生は暇ではないはずですからね・・・。

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Comment

拝啓
最近は特に感じるのですが、屁理屈をこねる大人が増えている気がします。
まあ、屁理屈をこねている時点で大人ではありませんが、、、
その様な人の話を聞いていると、マルチ商法のトークに類似しています。
おっしゃる通りで、同じ土俵にあがってはいけないと、痛切に感じています。
「理念バカ」に本当の理念など無いと言うことですね。敬具
和尚 | 2007年09月14日(金) 16:43 | URL | コメント編集

●政治家を見習うべき?

「彼らの設定したリングの上には絶対に上がらないこと」は、仰るとおりですが、これは真面目な人ほど難しい。視野が狭いとも言いますが、とにかくこうした人はきっちりと向き合わねばという強迫観念に駆られ、彼らの土俵に引きずり込まれていくのでしょう。

真面目がアダになるなら、見習うべきは不真面目な政治家でしょうか? 絶対に相手の土俵には乗りませんからね。

政治家同士の全く噛み合わない話ほど空しいものもありませんが。
愚樵 | 2007年09月14日(金) 19:20 | URL | コメント編集

今回のエントリを読んで私が思い出した、ある家族の話です。子供さんが統合失調症なのですが、処方された薬を飲まない。医者のところへ行こうと御両親が言っても聞かない。錯乱して暴れるが、御両親は老齢で体力的に敵わず押さえられない。堪り兼ねて、「強制的に入院させられないか」と病院や公的機関にかけあっても聞き入れてもらえない。そして御両親が帰宅すると、子供さんの放火で家が焼け落ちていた…。結末が自殺や他者への殺傷等に終わる、類似例も多いでしょうね。理念だけが守られて、患者とその家族は救われない、本末転倒の実例です。「差別を無くせ」とスローガンを叫ぶより先に、たとえ半強制的にでも治療措置を施せるような体制を整えていく方が、“結果的に”差別を抑制できる気がします。
RAS | 2007年09月15日(土) 00:30 | URL | コメント編集

●管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 | 2007年09月15日(土) 01:00 |  | コメント編集

●コメントありがとうございます

>>和尚さん

>「理念バカ」に本当の理念など無いと言うことですね。

  あるのかもしれませんが、あったとしても、それに基づいて異議申し立てすることそれ自体にカタルシスを感じてしまっているのです。現実を解決するのに役に立たないというのはそういうことです。

>>愚樵さん

>これは真面目な人ほど難しい。

  まさにその通りです。

  私は最近安倍(前)首相についての見方を少し変えました。以前は、グローバリストの手先として積極的に国を売り渡す悪人に見えたのですが、実際のところ、ただ真面目で頭の回転が極端に悪いだけのように見えてきました。
  また、彼は理念バカでもあります。対話や討論が苦手で、ヨイショ役がいる著書になると途端に生き生きし始めるところがまさにそうです。社民党とその信者と同じで、同じ考え方の人以外とはコミュニケーションできないタイプです。

>真面目がアダになるなら、見習うべきは
>不真面目な政治家でしょうか?

  政治家がみんな不真面目だというわけではないのでしょうが、私が言いたいのは「現実を動かすために、理念バカとの戦いにエネルギーを使っている暇はない」ということです。単なる開き直りではありません。
  やるべきことがあった上で、まとわりついてくる蠅をどうするかという問題であって、初めからチャランポランであっていいというわけではありません。そこは、注意していただきたいのです。

>政治家同士の全く噛み合わない話ほど空しいものもありませんが。

  支持者がいる手前、立場上そうなってしまうのはしかたがないでしょう。国会の論戦とかいうものは、話しているその場で何か答えが出ると言うより、変なことを言い合っている内に摺り合わせがなされるという性質のものです。
  だから、あまりあの場で友人同士の誤魔化しのない意見のぶつかり合いが実現するとか思わない方がいいです。そういうことを国会に求めると、絶望しか残りませんから。

>>RASさん

  私の言いたいのもそういうことなんです。おっしゃるようなご家族の方にとって、理念バカの言論は何の役にも立ちません。

  現場の役人とかは、方向性が間違うことは時々ありますが、目の前の問題を処理しようと結構一生懸命やっていると思うんです。
  政治家の役目は、その方針や行動規範となる法律や政令を適切に定めて、ニーズにあった動きができるかどうかです。役人を叩いて正義の味方面をしている髪の毛の薄い厚生労働大臣(もうすぐクビだろうが)は、政治家ではなく大道芸人です。
  結局、理念バカや大道芸人は、本気で人のためになりたいとか、不幸な人を減らそうとか考えていないのです。自分が注目を浴びて、カタルシスを感じることが全てなんだと思います。

>>管理人のみ閲覧の方

  なかなか面白い意見じゃありませんか。公序良俗にも反しているとは思いません。
  ただ、コメント欄に載せておくより、ちゃんとしたブログにした方が価値が出るような気がしますよ。
ろろ | 2007年09月15日(土) 07:18 | URL | コメント編集

●同じように疑問に感じています

何故に、「責任能力のないものは罰することが出来ない」とする絶対的前提条件から出発するのか?
私には非常に疑問に思え、この部分においては、「言論の自由を叫びながらも、日本国憲法改正については論議も許さない」とするのと同じ宗教論の様相を感じます。

極論すれば、法学とは、世の中から隔絶された、自分らだけがさも偉いと考えているような学者たちが寄って集って創り上げた理論に過ぎません。
世間常識から考えておかしければ、学問的にも、おかしいと考えるのが当り前のはずです。
私も大学で法律を学びましたし、職業も法律関係ですが、学べば学ぶほど、現実社会と理論との乖離・矛盾に対する疑問が大きくなっていきました。

刑法理論について言えば、私は「応報刑論」が本筋だと考えます。
「やられたらやり返す」という私的復讐・仇討ちが社会の平穏・秩序に馴染まないため、刑法を作り、個人からそれらの権利を国家が取り上げたと考えるのが、刑罰の本来の姿です。
ならば、「加害者の人権に対する扱いを被害者の蒙った程度にできる限り近づけること」こそ刑事裁判の目的のはずです。

常識から考えても、人権は加害者よりも被害者のほうを当然優先すべきなのですが、殺人事件ではこれは不可能。何故ならば、被害者の人権はことごとく加害者によって既に抹殺されているのですから。
さらに、加害者が裁判にかけられること事態、すでに裁判を受けるという権利を認められていることであり、早々と被害者よりも優遇されています。
法の下の平等とは、機会の平等であり、命の重さの平等であるはず。
この基本理念に反する刑法理論とは、一体何なのでしょう?
個人から取り上げた復讐・仇討ちの権利を国家が行使しないのであれば、その権利を被害者またはその遺族に返すべきです。

刑法39条は、憲法14条違反だと思っています。

なお、「犯罪は社会適合性にかけた結果なのだから、社会に適合できるように更正させるべき」とする「教育刑論」は、再犯の時点で破綻したと考えられます。
釣りキチおやじ | 2007年09月15日(土) 09:36 | URL | コメント編集

●TBです

ちょっと違いますが。

皆さんは、隷属から抜け出したいとは思っていないのか?
http://sun.ap.teacup.com/souun/779.html
「知識」ではなく「想像力」です
http://sun.ap.teacup.com/souun/980.html
早雲 | 2007年09月15日(土) 20:59 | URL | コメント編集

●コメントありがとうございます

>>釣りキチおやじさん

  お久しぶりですね。

>刑法理論について言えば、私は「応報刑論」が本筋だと考えます。

  全くその通りでしょう。日本国憲法の成立あたりを境に、刑法の人権保障機能という概念が現れました。主導したのは団藤さんや大塚さんだと思うのですが、一応野放図な警察権力の行使への問題提起としては役に立っていたのです。
  ところが、世代を経るにつれて、人権保障機能が一人歩きしてしまったのが現在の学会の状況なのでしょう。保安処分一つをとっても学会をあげて反対するというのは、もう思想統制が働いているといってもいいのではないかと・・・。
  応報刑もそうですが、私は一般予防が大切だと思っています。責任能力者は一般予防が通じない相手ですから、害悪の程度をうすめる施策を国家が行う必要があります。
  まあ、そうは言っても、こういいうものを理解して発信するのは「マニア」向けですね。

>>早雲さん

  またまたピッタリの記事を探していらっしゃる・・・。私があっしら哲学のパクリだと思われそうで怖いです(笑)。私程度で気づくことは、もうそちらで気づいていらっしゃるのは道理ですね・・・。
ろろ | 2007年09月15日(土) 22:09 | URL | コメント編集

●管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 | 2007年09月17日(月) 14:09 |  | コメント編集

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内乱に繋がる構造カイカク

30年後の日本はどうなるかこちらに今後の日本の行く末の「とっても甘い」未来予想図が書かれています。さて、本命はこちらです。竹中平蔵氏の個人ウェブサイトにその未来が書かれています。http://takenakaheizo.
2007/09/14(金) 20:47:04 | 復活!三輪のレッドアラート!

朝日クオリティと言ふもの

 役所が勤務時間帯と思われる時間帯に、「ウィキペディア」の自分達に関わる項目を改竄していたという事実が最近問題になっている訳ですが、このような事は当然の事ながら役所だけが行っていた訳では無く、日本最大のゴミと
2007/09/15(土) 00:43:28 | 或る浪人の手記
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