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2007.09.12(Wed)

話し言葉で歴史を語る(3)~フランス革命と明治維新その3 

  さて、今回がこのシリーズの最後です。明治維新が我が国に与えた影響というのを考えてみたいと思います。

  明治維新というのは、近代化の一種です。こういうことを言うと、「いや、近代市民革命の担い手は市民だったが、明治維新は西日本の武士だった」とか訳の分からないことをいう人がいたりします。どうでもいいことを長々と語る人というのはどんな世界にもいるもんですが、歴史というのは殊更そういう人が多いみたいですね。
  「市民」かどうかという問題じゃないんですよ。「革命」という呼び名かどうかも、どうでもいいことです。

  私は以前、

  「近代化とは、土着勢力を抹殺し、国家や社会を無色透明化することである」

  という定義を挙げました。フランス革命ならば、「国王や貴族、教会」から権威を奪い、場合によっては処刑して、「フランス共和国」という無色透明な国を作りました。そして、これで一番得をしたのは「資本家」という人たちです。

  じゃあ、日本はどうなのかというと、まず抹殺されたのは「徳川家を代表とする東日本の武士」です。明治維新の直前にあった●戊辰戦争で、朝廷の敵だとされた藩は、長岡、会津、米沢、仙台と、きれいに東日本に固まっています。徳川家も江戸ですね。新撰組だって東京の日野とかそういうところの出身者でした。
  少しそれてしまいますが、こういうところはみんな「米の文化」なんですね。まあ、言うなれば農業国です。新政府軍はおなじみの薩摩や長州で、西日本の国です。土佐はちょっと変わっていますが、薩長土肥のうち三つまでが、薩摩焼、萩焼、有田焼や伊万里焼、という風に、藩内に陶磁器という特産品を持っています。そういうものを売って金をもうけていたわけですから、まあ、つまり商業国だったんです。商業の西が農業の東を倒した、というのが戊辰戦争だったんですね。
  で、「無色透明化」はどうなのかというと、日本は明治時代になってから、西欧化しました。たとえば、旧暦を捨てて太陽暦に乗り換えたり、建物は石造りのものがどんどん建ちます。上方も「散切り頭」です。建物のことは後でまた触れますが、とにかく日本的な色がついているものは次々否定されました。「遅れているから」と。これも無色透明化です。
  そして、得をしたのは誰だったかというと、これは「維新の雄藩」、つまり西日本の勢力です。
  ここで面白いのは、フランス革命の時には資本家が得をしたと言いましたが、明治維新ではこの資本家を「明治政府」だと捉えると非常に分かりやすいと思うんです。南米やインドやアフリカの国民経済をぶっ壊して資本を蓄積したヨーロッパと違って、日本には資本家が存在する下地がなかった。だから、政府がその役目を果たしたんです。いわゆる「国家資本主義」というやつですね。
  どうですか。徳川家などの東日本の大名たちを抹殺し、西欧化で日本独自の文化を否定し、得をしたのは新政府を組織した西日本の連中・・・フランス革命と形は同じだということを分かっていただけると嬉しいです。
  
  フランス革命の時は、その後にフランスという国が非常に不安定な状態に置かれて、人が死にまくったと言いました。日本にはそういう現象はなかったとよく言われますが、本当でしょうか。
  確かに、フランス革命ほど人間は死んでいません。天皇という権威がそのまま残ったからです。もし天皇がいなくて、西日本の武士たちが共和国政府を作っていたら、おかしなことになっていたかもしれません。この辺は、戊辰戦争の時バックにいたイギリスの入れ知恵があったのだと思います。●長州ファイブ
とかいう連中は、多分そういうことを教わって帰ってきたんでしょう。イギリスは相手の国を非常によく研究していますからね。
  で、まあ私もそうだったんですが、ネットの世界の愛国とか保守だとか自称する人たちは、こういう日本の仕組みは素晴らしいとか言ってるわけです。
  しかしですね、士族の反乱というのを忘れない方がいいんじゃないでしょうか。士族というのは、明治時代以降の武士の呼び名です。彼らは初めこそ武士的な生活が出来ていましたが、やがて「廃刀令」で刀、武士の魂を奪われ、そして、「禄の廃止」で収入までなくなりました。それで反乱を起こすんですが、ことごとく新政府が弾圧に成功します。一番でっかいのは西郷隆盛がリーダーになった西南戦争ですが、これも結局何ひとつ成果を上げられずに終わってしまいます。
  皮肉なものだと思いませんか。戊辰戦争で一番活躍したのは、薩摩藩の武士、中でも西郷隆盛だったんです。それが、まあなんというか、抵抗勢力として切り捨てられてしまったんですね。
  それもそのはずで、土着勢力だった士族は、いつか必ず近代化の過程で没落する、いや、するというよりは「させられる」運命なんです。そんなやつらが土地を支配していたら、中央集権ということができなくなってしまうわけですから、死んでいただくしかないんですね。
  明治維新を肯定する人から見れば、それは仕方がなかったんだということになるのかもしれません。しかし、それはフランス革命のときのジャコバン派が「革命の理念を理解しない連中は死んでもらうしかない」と言って、王党派や反革命的な農民を次々殺していったのと何が違うんですかと言いたいです。

  
  そして、この明治維新という近代化は、取り返しの付かない傷を日本の社会に与えてしまいました。それが自国文化の否定、もっとひどい言い方をすれば「日本人による日本嫌い」です。
  それまでの日本は、外国と比べて優れているとか劣っているとか考える必要はあまりありませんでした。どちらかというと、俺たちは優れていると思っていたフシがあります。たとえば、一休宗純、あの一休さんですけど、彼は日本の仏教思想は唐、つまり中国よりも上だということを宣言していました。
  江戸時代には国学という学問が興って、中国古典に毒される前の日本の姿に光が当てられていました。もともとあった儒教も、本家の中国とはひと味違った国家思想というレベルにあったようです。尊皇攘夷という発想は、そういうところから生まれたんです。
  しかし、そういう日本人の思想が、明治維新を機に完全に崩壊してしまいます。
  近代化の手本はヨーロッパでしたから、何でもかんでもその真似をしました。確かにこれは効率がよかったのですが、そのうちに、我が日本は劣っていて、白人の国は優れているという発想が根付き始めます。
  その一番良い例は、●森有礼です。彼は文部大臣だったんですが、「学校では国語ではなくて英語を教えるべきだ」などと提唱しています。森はイギリスとアメリカに留学していますが、今でもこういうタイプの日本人は多いんじゃないでしょうか。
  また、これは噂にすぎなかったのかもしれませんが、彼は伊勢神宮の社殿の中を覗いたということも言われています。私が●以前の記事でも取り上げたように、伊勢神宮というのはあんまり中を見せたがらない神社です。しかも、森は御簾、要するに視界をさえぎるのれんみたいなものをステッキでどけたというんですね。昔の日本人では、御伊勢様に対してこういう態度は採れなかったと思うんですが、森はできるですね。まあ、もちろん、噂が本当だったとしての話ですが。
  彼は立派な薩摩藩出身の武士だったんですが、それでもこの有様です。さっき取り上げた長州ファイブといい、どうも明治政府というのはこういうタイプの人間が多いようです。だから、西郷さんが飛び出してしまったんじゃないかという気がします。
  この欧米礼賛みたいな姿勢が、高等教育機関で蔓延して、それがやがて革新官僚につながっていったと思っています。革新官僚というのは、●大東亜戦争が起こった原因の話でも取り上げましたが、マルクス主義が大好きでした。なんで好きだったのかと言えば、欧米の理論だったからです。そっちの方が進んでいると思って無批判に摂取した結果が、国家総動員法だったというわけです。
  革新官僚だけじゃありません、昭和初期の軍のトップも、欧米文化万歳という発想に染まりきっていました。のちに首相になった岸信介と佐藤栄作の兄に、佐藤市郎という人がいたんですが、彼は軍艦に乗っているときもスタンダールの本を原書で読んでいたというエピソードがあります。本居宣長でも夏目漱石でもなかったのは、それだけ彼が欧米文化を好きだったからでしょう。
  こういう人たちが、教育をしろというときに、日本の文化伝統なんて教えるでしょうか。私は無理だと思いますね。

  それだけじゃありません。明治維新の後、日本の伝統的な神道、つまり神社信仰も変質させられました。いわゆる「国家神道」です。
  神道というのは、世界でも珍しい排他的性格のない宗教なんですが、まあ宗教と言うよりは民間信仰に近いと思います。それを、明治政府は、天皇をヒエラルキーの頂点にしたカトリック教会みたいなシステムにしてしまったんですね。
  その中心は、もちろん靖国神社です。まあ、あそこはあそこで国のために亡くなった方に感謝できる場としてありがたいと思うんですが、何で戊辰戦争の英雄である西郷さんが祀られていないで、入り口に大村益次郎の像が立っているのか、しかも高い台の上からものすごく偉そうにこっちを見下ろしているのか(笑)なんかどうも、ある種の人間にとって非常に都合のいい道具に成り下がっているような気がします。
  国家神道がつくられた目的は、近代国家日本の支配強化です。天皇陛下は今でも八百万の神々にお祈りしているんですが、国家神道の時期はキリストみたいな役割にさせられていました。いわゆる「現人神(あらひとがみ)」という考え方です。学校にはご真影という陛下の写真があって、みんなそれを拝んでいました。江戸時代までは、そんな習慣は全くなくて、天子様というのは、京都で暮らしている神秘的な人だという感じだったんです。それが、絶対的な神のような存在に祭り上げられてしまったのが国家神道の時代です。まあ、国民国家の統合イデオロギーとして用いられたということです。
  この国家神道の時代に、「神社合祀令」という命令が出されています。ここに、近代化としての明治維新の本質が現れているような気がします。神社合祀令というのは、小さい神社や祠(ほこら)をどんどん廃止して近所にあるでかい神社にくっつけてしまえというものでした。
  これに、民俗学者として有名な南方熊楠が大反対しているのは、非常に示唆に富んでいます。理由は簡単で、民間信仰が死に絶えるからです。
  神道の特長は、どんなところにでも神様を見いだして、それを尊敬するというところにあります。それを、国家の都合で合祀したりランク付けしたりする。南方熊楠はそういうのが許せなかったんじゃないかという気がします。私も同感です。神社がいっぱいあると効率が悪いから、というのは、いかにも近代国家的な発想です。
  きっと、小さな祠一つ一つにも由来があって、そこにお参りしたりお供えをしたりする人がいたと思うんです。そして、それは地域社会の風景になっていたはずです。それが、国の都合で壊されてしまう。まさに、近代化が招いた文化伝統の破壊です。

  どうでしょう。これでもまだ、明治維新を「日本が植民地化されないためには仕方がなかった」と、素直に礼賛する気になりますかね。

  欧米礼賛と土着文化の破壊というのは、きっと一本の糸でつながっています。それは、日本人が日本人であろうとすることを否定し始めたということです。しかも、無自覚にです。
  非常にたちが悪いです。きっと「アメリカではこうこう」「ヨーロッパではこれが当たり前」とのたまう人々というのは、別に日本文化を破壊しようと思ってそういうことを言っているわけじゃなくて、純粋に近代的で優れたものだから紹介しようと思っているんです。その背景には、明治時代から一貫して我が国のエリートたちが持っていた「欧米は優れていて、日本はダメだ」という発想があるんじゃないかと思うんです。
  それでもまだ、方便として近代化をしていた伊藤博文の世代まではよかったんです。確信犯でしたし、日本を自立させるために仕方なくやっているという割り切りもあったからです。
  ところが、そういう世代がいなくなってしまうと、欧米から「近代的」で「優れた」制度を学ばなければならないという慣例だけが残って、その趣旨は忘れられてしまったのです。要するに、森有礼だらけになってしまったんです。しかも、江戸時代を知らない森有礼です。ただの欧米かぶれ、近代マンセー人間の集まりです。
  こういう人ばっかりになったから、日本は一等国だとか、大東亜の盟主だとか恥じらいもなく喧伝し始めたんじゃないかという気さえしてきます。そういうことを屈託無く言える人たちって、自分たちは、イギリス人の親戚だと思っていたんじゃないでしょうかね。

  誤解しないで下さいよ。私は、先人たちがやってきたことをけなしたいわけじゃないんです。彼らがよかれと思ってやってきたことを、そのまま受け取ってはいかんということを言いたいんです。ましてや、靖国神社を戦争の道具だとか、訳の分からないレッテル貼りなんてするつもりはありません。

  考えてみて下さい。昔からその土地に住んでいた、それなりにプライドの高い人たちがいたら、そこまで欧米礼賛に突き進んだでしょうか。そういう人たちを、近代化で葬り去った時から、きっと日本は日本でなくなり始めたんです。
  しかし、重要なのは、それでもまだこの段階で土着文化を完全に殺すことはできなかったということです。それは、有力な農民が地主として生き延びていたからです。そういう人たちがスポンサーになって、地域のお祭りや、神社信仰が昭和時代まで生き続けていたのです。
  それに、国家神道や神社合祀令があっても、それなりの規模の神社は生き延びましたから、そこを中心として地域社会が形成されて、独自の文化というのもしっかり残ってきたのです。これが、フランスと違ったところです。  

  そこに来て、地方に残った文化伝統に深刻な打撃を与えたのが戦後GHQが行わせた「農地改革」です。文化を支えてきた名主さんや庄屋さんが、その経済力の背景であった土地を奪われてしまったからです。
  しかも、欧米礼賛という明治維新以来の底流は続いていて、それが今までと違うお面を付けて出てきたのが、いわゆる「自虐教育」だと思うんですね。日本人自身が日本を否定するというのを、今度は自覚的にやり始めたということです。まあ、文部省には別の狙いもあったと思っていますが、教え手だったエリート層、すなわち教員たちはそういう姿勢で教壇に立っていたと思います。
  日教組の教員なんかが、よく明治維新を帝国主義の運動だとか、大東亜戦争をアジアのひとびと(笑)に迷惑をかけた蛮行だとか言っているのは、どうも若い頃の自分をむきになって否定している大人という感じがしますね。そういう大人というのは、簡単にいえば自分を持っていません。明治維新以来、我が国の勉強のできる人たちは、常に「近代的で優れた欧米」と「泥臭くて遅れた日本」という構図で物事を考えてきましたから、自己肯定なんてできるわけがないんです。

  これは、愛国心を植え付けたから直るもんじゃないです。

  愛国心教育なら、フランスもやっています。だから、「ラ・マルセイエーズ」なんていう、●おどろおどろしい歌を子供に覚えさせるんです。あの歌が言いたいのは、近代化に逆らう奴は殺せということです。どっかのライオン丸ではありませんが、「抵抗勢力」は刺客を立てて駆逐しろというわけです。
  近代国家は自分を否定しませんから、愛国心教育といっても必ず近代化万歳という文脈になってしまうんです。安倍政権は、伝統を尊重代だとか武道を教えろとか言っていますが、近代化の肯定が前提になっている以上、本当の意味で文化伝統を尊重できるはずがありません。文化伝統というのは、尊重したところで結局「博物館行き」に予算がつくくらいなのであって、担い手が近代化で死に絶えていくというところを変えなければダメなんです。
  まあ、安倍さんの考えていることですから、どうせ長州藩が活躍した明治維新以降のことしか頭にないんでしょう。その程度の見識で文化伝統の尊重と言わざるを得なかった辺り、かわいそうな人です。
  私も教育基本法の改正を歓迎したくちなんですが、こういう文脈が分かってから大して喜べなくなりました。以前の、100%自己否定という文言より多少はましだという程度でしか考えていません。

  なにか、ひどい話になってきましたね。

  しかし、日本の文化伝統が死に絶えたのかというと、決してそうではないのです。まだ、細々とではありますが、神社だって残っているし、お祭りや年中行事というものも存在しています。それだって多分今リストアップすることができないくらい沢山あるでしょう。
  本当の意味での日本文化の伝統は、力こそ弱まりましたが、まだ死に絶えていません。近代化という暴風雨に晒されて、よくここまで生きてきた、と、感涙にむせぶほとです。そして、それこそが私たちが、誰というでもなく、自分たち自身に対して誇っていいことなのだと思います。

  そこで、私が強調しておきたいことが三点あります。

  一つは、みなさんに、文化伝統に対する考え方を変えてもらいたいということです。
  小泉さんがいた時代に「ようこそ日本へ」とかなんとかいって、観光客を沢山呼ぼうというキャンペーンをやっていました。今でも、公明党の大臣がやけに熱心に取り組んでいます。おそらく、中国人や朝鮮人を日本に呼びたいと思っているんでしょうが、そういう人たちが発信している「日本文化とはこうだ」という情報は、信用しない方がいいということです。
  なぜかというと、政府が発信している日本文化というのは、観光化・商業化されたものばかりだからです。もちろん、そういう中にも本当に昔から続いてきたものがあるのは事実ですが、それだけを残しておけばいいというものじゃないと思うんです。
  私が大事だと思うのは、そこらへんにある神社や、時には嫌々参加させられるような地域の年中行事なんです。昔から人の生活にとけ込んできたものというのは、それを機に地域がまとまりを確認したり、その土地の風土を改めて認識できるような貴重な機会だからです。こういう時代だからこそ、プライドを持ってやっていってほしい。年中行事より塾を優先する子供がいたら、休ませてもいいかもしれない(笑)。まあ、勉強はちゃんとしておいてほしいですが(笑)。
  まあ、世田谷区みたいな都会だと難しいでしょうから、やはり地方の人々に頑張ってほしいですね。東京でも、下町や山沿いの地域の人には期待しています。ベッドタウンでも、近くにある八幡様とか、大切にしてあげてほしいと思います。
  そういう土着の文化には、近代国家からみた合理性、要するに金が儲かるとか出世するとかモテるとか(笑)、そういうものは全くありません。しかし、そういう観点でばかりものごとを見ていると、おそらく人間はどんどん無色透明になってしまうでしょう。そういう合理主義を相対化する意味でも、土着の伝統はしっかり生かしていかなければいけません。

  もう一つは、地方の生活にきちんと配慮するということです。東京のような場所では、神社とか年中行事というとなかなか難しいですし、それを通じて花鳥風月を味わうというのも難しくなっています。しかし、地方はそうではありません。神社の氏子になっている方も結構いるはずですし、年中行事もまだまだ続いているところが多いです。
  しかし、そういうものを支えて行くには、ある程度の経済的基盤が絶対に必要です。生活の余裕がなければ、文化などとても維持していけません。
  今はただでさえ都会からジャスコみたいな大資本が殴り込んできたり、外国産の農作物と競争させられたり、地方の方がかえって厳しい経済事情になっているのです。そういう状況を緩和する措置は、絶対に必要です。そうでなければ、ただただ荒涼とした風景、スカスカしているだけの「劣化版東京」が日本中にできてしまうことになります。これは、文化的にも言えることです。
 
  この二つ以上に私が大事だと思うのは、私たちがよかれと思ってやってきた「近代化」というものを少しでもいいから疑ってみるということです。
  たとえば、絶対にやめてほしいと思うことは、文化や伝統を保守すると言いながら、明治維新を礼賛することです。明治維新がきっかけになって、文化伝統が破壊され始めたということは、私が述べた通りです。
  そうじゃない、俺は明治維新の大切さを理解している、おまえが言っているような弊害より、日本を近代国家にした先人の営みの方が重要だ、というのなら、それはそれで構いません。しかし、そういう人には「保守」なんて名乗るのはやめていただきたいのです。全然保守なんてしていないじゃないですか。愛国心とか反日だとかそういうところにばかり気が行ってしまうのは、保守じゃないんです。「国家主義」というんです。
  そういう考えに走ることの不自然さは、自覚しなければ直せないと思います。なにしろ、国家を運営している側は「近代化は自明だ」という前提で制度を組み立てているわけですから、放っておけば間違いなくそういう方向へ流されてしまうのです。
  欧米が近代的で優れていると盲信することも、愛国心に拘泥することも、近代化がもたらしたトラウマだと言うことができます。どちらに行ってもいけません。どちらも自己破壊につながることは、ここまで読んで頂いた方にはお分かりだと思います。

  今自分が立っている位置を疑うこと。そして、それでいながら土着のものを愛でること。難しいと思いますが、それこそが近代化が極限まで進んでしまった今の世の中で必要になることです。
  そして、出来るなら明治維新とは違ったフォーマットで、地域社会が本当の意味で自律的に生きていけるような政治経済の仕組みや教育のノウハウを作っていけたらいいですね。このブログでも、そういう観点は大切にしていこうと思います。  

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Comment

●はじめまして

(1)から(3)まで、かなり感激しながら読み進みました。文体も理解しやすく、スッと入ってくる。これこれ、こういうことだと思いながら。95%意見に賛成です。

>絶対にやめてほしいと思うことは、文化や伝統を保守すると言いながら、明治維新を礼賛すること

これには諸手を挙げて賛成、です。

ろろさんは塾講師とのことですが、歴史が受け持ちなのですか? もし、そうだとすると受験教育とバランスをとるのが大変そうですね。

ところで私は右か左かといえば左、9条擁護派ですが、ろろさんは周囲のリンクなどを拝見すると、そうではないようですね。たとえこのあたりが違うにせよ、ろろさんの主張は充分に耳を傾ける価値があるように思いました。これからときどきお邪魔させてもらうかもしれません。是非ともよろしくお願いします。
愚樵 | 2007年09月12日(水) 12:10 | URL | コメント編集

(2)を拝読した後、まず頭に浮かんだのが伊勢神宮(初夏に人生二度目のお参りをし何とも言えない安堵感に包まれて来ました)です。また、このエントリーを否定する者は保守ではないとの思いも。なので(3)ではコメントせずにはおれませんでした。こちらのブログに出会えたこと、感謝しております。今後ともよろしくお願いします。
penki | 2007年09月12日(水) 16:26 | URL | コメント編集

●TBです

カオスこそが力強い躍動のエネルギー源
http://sun.ap.teacup.com/souun/947.html
「東西対立」の基軸は、西の中央集権志向・東の地域主義という国家統合の違いにあると考えています。
http://sun.ap.teacup.com/souun/952.html

ぜひ愚樵さんにもこちらのブログ、紹介しようと思っていたのですが見つけられましたか。
ろろ さんも愚樵さんのブログのぞいてみてください。
早雲 | 2007年09月12日(水) 17:29 | URL | コメント編集

読んでいて、途中で目頭が熱くなりました。ほんとに。

これまで断片的に対談(?)してきたことも多くありますが、ここまでわかりやすく、一貫した記事に仕上げられたのが素晴らしいです。

ほとんど付け加えることもないくらい同意なのですが、何もコメントしないのもさみしい(笑)のでちょっとだけ。

近代化という暴風雨に晒されて、わずかにも伝統文化が生き残ってきたことは本当に素晴らしいと思いますが、より重要なのは、目に見える文化の形だけでなく私たちの心の中に残っているある種の直感(八百万の心?)ではないかと思っています。その直感が、近代化の胡散臭さを嗅ぎ分け、何とか今日までに神社や鎮守の森を含む様々な自然、下町の風情、お金「だけ」に侵されない様々な価値観=多様性を維持させてきた。論理的な説明は難しいですが、そう思います。

「和魂洋才」は日本の近代化において全てのエリート、知識人層が問われてきた課題でありますが、これは本当に言うは易し、行うは難しの代表だと思います。半端者が安易に気取ってやろうとすれば、「ミイラとりがミイラ」になります。明治維新ではこれがまあ良く見て五分五分の成果だったわけですね。その後どんどんこの勝率が下がっていくわけですが。そこに欠けているのは「和魂」や「伝統」とは何か、という深いとう察だと思います。ここに気が付くには一度ろろさんのおっしゃるように「近代」というものを疑ってみなければなりません。その過程で一人一人が色んな本質を「再発見」すると思っています。

この「再発見」は、近代化の極限としてのグローバリズム・新世界秩序への流れが進む今だからこそ重要なことだと思います。そういう価値観の「再発見」が先か、自然主義経済のような新たなシステム導入が先かは、卵が先かニワトリが先かという議論のように難しい部分がありますが、先鞭をつけようとする努力は無駄ではないと思っています。一度始まれば、連鎖反応が起きることを期待してはいますが、やはり数世代かかるのかもしれません。

先週は私の心の原風景である栗駒山に登ってきました。地霊エネルギー充填完了で、来週からベトナムに行ってきます。
花ブナ | 2007年09月12日(水) 20:33 | URL | コメント編集

ろろさん

仏教の受容をめぐり、物部と蘇我の間にどのような対立があったのか、弥生よ縄文の間には・何があったのか・・・

そこに鍵があります、おそらくは
孔明 | 2007年09月12日(水) 22:13 | URL | コメント編集

す・・・凄い こんなかばらしい記事に俺のような未熟者が
コメントしていいのかわからなくなりますが 汗

明治維新には、ユダヤ・西洋資本や秘密結社が
暗中跋扈する凄まじい時代でした・・・死の商人グラバーを
破産させる程の気概を今の日本人がもっているか・・・俺達は
当然あるけれど・・・・・・ほとほと疑問です。なんとかしたいですね。
IRIAS | 2007年09月12日(水) 23:25 | URL | コメント編集

失礼・・・間違いました 汗
×こんなかばらしい記事
○こんな素晴らしい記事

IRIAS | 2007年09月12日(水) 23:26 | URL | コメント編集

●コメントありがとうございます

>>愚樵さん

>私は右か左かといえば左、9条擁護派ですが、ろろさんは周囲の
>リンクなどを拝見すると、そうではないようですね。たとえ
>このあたりが違うにせよ、ろろさんの主張は充分に耳を傾ける
>価値があるように思いました。

  いろいろな方にご覧頂けているようで、大変嬉しい限りです。
  自分は左右の対立には興味はありませんし、そういう論争にも加わるつもりはありません。しかし、憲法に対する考えや、ある政治家に対するスタンスの違いがあるからといって、全否定するのは勿体ないという気がするんですよ。
  政党でも同じです。共産党の教育に対する考え方は「糞」だと思っていますが、労働問題にあれだけ熱心に取り組めるという良さはあります。国民新党の土建屋政治についても同じです。

>ろろさんは塾講師とのことですが、歴史が受け持ちなのですか? 

  英国社全て担当しております。

>もし、そうだとすると受験教育とバランスをとるのが大変そうですね。

  いえいえ、これに近い話はしています。というか、自分なりに教えやすく整理していった結果がこういう記事になっています。当たり前ですが、点を採らせるのが仕事ですから、そこらへんは突き詰めてやっています。
  自分の思想がかった分野しか教えられないというのは、アマチュアでしょう。教員の仕事がこう、何か高尚なものごとを教える魔法使いみたいなものだという幻想を抱いている人は、教え手にも観客にも多いですね。

  なかなか骨のある記事をお書きのようですね。全力で書いていることが伝わってきます。またそちらにも伺います。今後ともよろしくお願いします。

>>penkiさん

  過分な評価を頂き、ありがとうございます。

>このエントリーを否定する者は保守ではないとの思いも
  
  まあ、そこまで大それたものではないと思いますが・・・。

  初めにも書きましたが、私はもう政治家の価値を特定アジアに対する態度だけで決めているような人たちや、靖国神社だけを神道だと絶対視するような人たちに考えを変えてもらおうと思っていません。
  このブログは、ずっと「普通の人」向けで書いてきました。今後もそれは変わらないでしょう。2005年からお客さんが付き始めたのですが、今では随分面子も変わりました。今後もそういうことはあるかもしれません。
  なにしろ、精進しなくてはいけませんね。

>>早雲さん

   TBの記事、拝読いたしました。

>日本という領域に生きるひとり一人が自分の物語としての
>「日本史」を持つというカオスが深まっていけばいくほど、
>支配層がめざすベクトルとは違う変化を起こすエネルギーが
>充填されていくと思っています。

  この言葉に勇気を頂きました。ありがとうございます。そういう意味では、今は結構良い方向に行き始めていますね。

>>花ブナさん

>「和魂洋才」は日本の近代化において全てのエリート、
>知識人層が問われてきた課題

  私、やっと気づきましたよ。近代化に対して、合理主義やアカデミズムで対抗しようと思っても必ず負けるよう出来ているということに。
  もう、そちらでの戦いは放棄します。それが、私のシーパワー戦略です(笑 孔明さんすみません・・・)。

>この「再発見」は、近代化の極限としてのグローバリズム・
>新世界秩序への流れが進む今だからこそ重要なことだと思います

  その通りです。だから、日本の社会を開放するスピードを速めるとか吹聴している政治家共が許せないのです。あんな政策を掲げている人間たちのどこが「保守」なのかと。
  そういう連中や、その支持者というのは、結局明治維新以降の日本しかしらないのです。私が言いたいのは、日本は明治維新に成功したから日本なのではなくて、明治維新以降破壊されずに残ったものがあるから日本なのだということなんです。
  そこに気づかない限りは、グローバリストに騙され続けることになるでしょう。彼らにとって都合のいい公理は無視すべきです。

  ベトナムから帰ったら、そちらのブログもそろそろ更新してくださいね(笑)。

>>孔明さん

  貴君からこの記事でコメントをいただけるとは思いませんでした。

>仏教の受容をめぐり、物部と蘇我の間にどのような対立があったのか
>弥生よ縄文の間には・何があったのか・・・

  面白いですね。まさに日本が日本になった時期と付合します。

  私は蘇我氏と彼の回りにいた渡来人が元祖グローバリストと睨んでいますが、どうでしょうか?
ろろ | 2007年09月12日(水) 23:45 | URL | コメント編集

●>>IRIASさん

>死の商人グラバーを

  この人や長州ファイブの存在への言及がなく、マルクスやレーニンの人種的出自が明らかにされていない時点で、もう「彼ら」に負けているのです。彼らの用意したフォーマットで考えてはいけません。明治国家と同様、最後は自爆覚悟で米英と戦わざるを得なくなります。
  近代批判を合理主義でやろうとしても、ドツボにはまるでしょうね。かといって、ニヒリズムはよくありません。まずは、我々自身が何処から来たのか、きちんと知ることから始めるべきです。
  「真名の日本巡礼」の真名さんがヲシテ文献についてかなり面白い発見をして、鋭意研究中のようです。縄文人の残した思想や哲学が、記紀では分からない何かを見せてくれるのではないかと、期待しています。
ろろ | 2007年09月12日(水) 23:51 | URL | コメント編集

私は昨年と今年の夏、関西を訪れました。昨年は飛鳥と安土
今年は京大坂です。

飛鳥はグローバル都市です。明らかに日本史とは異質の石の文化であり、
私は蘇我氏も聖徳太子も渡来系であったと確信してます。
それにしても、飛鳥寺や橘寺はすばらしい・・
孔明 | 2007年09月12日(水) 23:57 | URL | コメント編集

●なるほど・・・

>>孔明さん

  もう既に動いていたんですね。楽しみです。

>飛鳥寺や橘寺はすばらしい・・

  畝傍山一帯は我が国の出発点ですね・・・。

  我々の出発点が見えてくれば、きっと明治維新を相対化できるのではないかという気がします。
  私は伊勢神宮の成り立ちを知りたいところです。あそこへ行ってみれば、我が国の神々が「ここへ戻ってきなさい」という声が聞こえてくる気がするのです。その声が聞こえなくなったら、もう日本人ではないのかな、と。
  そんなことも考えました。10月に連休があるので、今度は弥彦神社に行って参ります。

  ああ、その前に米沢の記事を(笑)
ろろ | 2007年09月13日(木) 00:09 | URL | コメント編集

和魂洋才はすでに飛鳥時代から「課題」だったのでしょうね。

以前瀬戸内海の大三島というところに行きました。
そこに大山祗神社というのがあります。
楠木の古木があって、樟脳の香りが漂うとても素晴らしいところです。

そこに斉明天皇(皇極天皇)が奉納した鏡(国宝 禽獣葡萄鏡)が納められていて、付属の博物館で見ることができます。
斉明天皇は中大兄皇子の母で例の白村江の戦いに向けて出兵途中で、九州で謎の死をとげる女性天皇です。

鏡は禽獣や昆虫などともにブドウ、唐草模様がレリーフされており、一見してシルクロードな雰囲気が強く漂っています。
ああ、なるほどと、深く納得しました。
http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-3b/teireikai3-b2.html

瀬戸内地方は、すでにその頃から海運・水軍の拠点で、飛鳥時代の西日本はかなりグローバルな時代だったのですね。そして出兵して時の天皇がなくなって、敗戦からごたごたの混乱へ(壬申の乱)。
これはなかなか暗示的だと思います。

日本書記がどのように成立したのか、(内容の検証を踏まえて)研究するのは本当に重要なことだと思います。

>ベトナムから帰ったら、そちらのブログもそろそろ更新してくださいね(笑)。

ぐはw すみません。なかなか現実がヘビーでして。
花ブナ | 2007年09月13日(木) 01:08 | URL | コメント編集

飛鳥の猿石や橘寺の二面石はどうみても、日本のものではありません。
西アジア渡来の可能性が非常に高い。
白村江の敗戦が奈良京都の文化につらなるのも暗示的です。
孔明 | 2007年09月13日(木) 07:06 | URL | コメント編集

●TBです

縄文時代にも日本列島には数多くの渡来者がやってきているはずです。
http://sun.ap.teacup.com/souun/934.html
新羅の朝鮮半島統一と“九州王朝”の参戦が与えた日本史への影響
http://sun.ap.teacup.com/souun/954.html
古代日本史の補足
http://sun.ap.teacup.com/souun/969.html
早雲 | 2007年09月13日(木) 19:37 | URL | コメント編集

●農地改革について

戦前の大地主は江戸時代とは断絶してます。戦前の大地主の多くは、明治維新のどさくさで土地を集積した連中です。戦後農地改革がすんなり実行されたのは、彼らが伝統的な地主ではなかったからでしょう。

そもそも、江戸時代は、東北地方と新潟を除くと、大地主はほとんどいません。太閤検地などで地主は「領主」と「自作農」のどちらかの選択を迫られ、大地主は高禄の武士(領主)となったからです。

ねこ | 2007年09月13日(木) 21:50 | URL | コメント編集

>日本はどうなのかというと、まず抹殺されたのは「徳川家を代表とする東日本の武士」です。

たしかに。
紀州藩出身陸奥宗光の紀州軍や小栗上野介の横須賀造船所、韮山の反射炉などの幕府側の近代化政策を西南雄藩が尽く掠め取った結果の文明開化ですからね。
徳川幕府を封建的とか陋習で満ちた組織めいた暗い印象で語るのは薩長史観の特徴です。
minase | 2007年09月14日(金) 09:50 | URL | コメント編集

●コメントありがとうございます

>>孔明さん

  そうですね。大きな流れは白村江から大津京遷都、そして防人の設置・・・グローバル化の反動としての海外交流の制限ですね。日本の防衛本能が働いた結果が894年の遣唐使廃止につながったのだと思います。
  歴史のパターンは繰り返すという貴君の指摘を、今噛みしめております。私としては、第二の白村江敗戦を避けたく、こちらでいろいろ発信しているわけです。
  今後ともいろいろ勉強させてください。孔明さんの描く日本文明の物語を楽しみに待っております。

>>早雲さん

  やはりその記事がきましたか・・・(笑)。東西日本の相克とそれによって生み出されるダイナミズム、これこそが日本史の醍醐味ですね。

>>ねこさん

  そういう歴史的事情はあったと思います。

  しかし、それはあまり重要だと思わないのですよ。「どさくさで土地を集積した」輩も、伝統の守護者として財政的に地域社会を支えていたのは間違いないのです。都市在住の寄生地主がほとんどだったら、ここまで地域の年中行事が残ってきてはいません。

  ご指摘の点を考慮しても、本文の文脈に間違いがあるとは考えておりません。

>>minaseさん

>幕府側の近代化政策を西南雄藩が尽く掠め取った結果の文明開化

  はい。全くその通りです。薩摩と長州は外国のエージェントです。バックにグラバーがいたのがその証拠です。
  英国留学でその辺の事情を知った夏目漱石は、滅び行く保守勢力への哀歌として「坊ちゃん」を書いたのです。坊ちゃんの仲間には会津出身の教師がおり、赤シャツ(=赤い楯?)のそばには野太鼓という長州出身のゴマすりがいたのがその証拠です。
  長州ファイブを偉大な人物と崇めているようでは、欧米崇拝はいつまでたっても直らないでしょう。彼らを否定しろとはいいませんが、「相対化」する必要はあります。
  
ろろ | 2007年09月14日(金) 10:08 | URL | コメント編集

●通りました。

はじめまして、ろろ様、検索から参りました。

大戦中偽装していた革新官僚のこと、失敗しても栄転する官僚のことを考えていたら明治維新を考えざるを得ません。廃仏毀釈やら、陰陽道、山伏の弾圧など、伝統文化破壊の下りは拝読してわが意を得たりの感がありました。

山蔭基央氏の論文も研究したいと感じました。

ありがとうございました。
ヒロポン | 2011年01月16日(日) 17:48 | URL | コメント編集

●>>ヒロポンさん

管理通貨制度や金利システムもそうだと思いますが、明治維新のように、当たり前の前提としてプラス評価しているものの中に、我々の首を絞めているものが潜んでいるということはよくあるのでしょうね。
ろろ | 2011年01月19日(水) 00:07 | URL | コメント編集

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