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2007.09.11(Tue)

話し言葉で歴史を語る(2)~フランス革命と明治維新その2 

  さて、●前回は近代化というのが、金を持っている人間が全部を独り占めする仕組みだという話をしました。
  ちょっと付け加えますけど、そういうのは、一部の人が狙ってやっているんですよ。ナポレオン法典だって、ナポレオンが作ったというより、作るように働きかけた、もしくは作らざるを得ない雰囲気を作った人がいたんです。そういうのはもちろん「資本家」と言われる人たちです。
  権威を金で丸め込むのは難しいです。もちろん、袖の下は使えるだろうけど、そういう「偉い人」の判断まで縛ることは難しいですから。
  しかし、民主主義の政治家というのは、金で籠絡するのがそんなに難しくないんです。当選するために選挙資金、活動資金が要りますからね。まあ、国民がしっかり選べばいいという人もいるでしょうけど、どんなに身が清い人でも、政治活動にはある程度お金がかかります。政治活動の維持に金がかかることと、有権者が賢くなるというのは次元の違う問題です。
  だから、皮肉なんですけど、民主主義になればなるほど、政治家がお金を持っている人間の誘惑に簡単に負けてしまうようになるんです。彼らは当選するために、有権者には選挙の度に適当なことを言ってその場を取り繕い、あとはスポンサーの方を向いていればいいという風にどうしてもなってしまうんです。外資からの献金を堂々と受け取れるようになった最近の政治資金法の改正というのは、そういう意味では非常に「民主主義的」な政策だと思います。
  これを防ぐには、いくつか方法があるんですが、一番いいのは「貴族」みたいな人間、つまり、領民と自分の運命が一体になっていて、どうしてもその人たちを守らざるをえない人間に政治をやらせることです。そうすれば、領民の生命財産を決定的な危険にさらすことはできなくなります。もし、領民を生け贄に差し出すようなふざけた真似をすれば、選挙で簡単に落とせます。昔の百姓一揆と同じですよ。だから、そういう「貴族」議員なら、国民を売るということはなかなかできません。
  そういうことを言うと、皆さんは利益誘導はダメだとか、談合は許せないとか、いろいろ文句を付けてくるでしょう。それはそれで構いません。しかし、そういう批判をしてしまう頭自体が、すでに「近代化」に毒されているのかもしれませんね。
  
  次の話ですね。「近代化が進むと文化伝統が死んでいく」ということを、前回私は言いました。この点、ちょっと突っ込んで話をしましょう。

  近代化を支えている重要な概念に「合理主義」というものがあります。合理主義っていうのは、理屈がないことは認めないということです。
  この合理主義というのは、実は相当怪しい概念です。なぜなら、「何に照らして合理的か」という部分、つまり公理に何を置くかによって、結論が全然変わってきてしまうからです。
  そして、重要なこととしては、近代化した国では、もうこの公理の部分に何を置くかは決まってしまっていて、動かせないんですね。
  フランス革命の場合は「自由」「平等」「個人の尊重」あたりがそうでしょうか。フランス国王は「自由」な個人を抑圧し、不「平等」を助長したから殺されたわけです。それなのに、皇帝とか名乗るナポレオンを認めてしまうんですが、彼はちゃんと上のような概念は尊重しています。だから、ナポレオン法典なんてのが出来たんです。
  みなさんは「自由」「平等」「個人の尊重」あたりを聞いてどう思いますかね。おそらく、「不自由」や「不平等」や「集団の利益優先」よりはいいことだとお思いでしょう。それが普通です。だって、我が国では憲法も教育基本法も、そういう風に出来てるからです。子供の頃から、自由や平等は大切だよ、個人として尊重するよ、ということを叩き込まれてきているはずです。

  でも、もしこういう概念が「文化」や「伝統」を破壊するものだとしたら、みなさんはどう思いますか?

  奈良県に、大峰山という有名な霊山があって、どうやら女人禁制なんだそうです。それを、どういうわけか、●「大峰山女人禁制」の開放を求める会 なんてのがあって、女が入れないのは男女平等に反するからやめろ、なんてことを言っているわけです。
  これを聞いて、なんか変だなと思う人は、おそらく正常な人だと思います。その理由はあとでいいますが、とにかく正常です。ところが、そうではなくて、「平等」に反するからと、いろいろ騒いでいる人々がいるんですね。
  
  さて、ここで問題です。この、女人禁制の開放を求める会とかいう連中を「馬鹿なことはやめろ」と説得するとしたら、みなさんはどんな風に言いますか?

  ・・・まあ、頭の中をいろんな言葉が駆けめぐっているようですが、多分論理的にやったらみなさんは十中八九負けます。

  理由は簡単です。向こうさんは「男女平等」という、我が国で当然だとされている公理を持ち出して、そこから反撃してきます。だから、非常に思考経済がいい、つまり、考える手間が少なくて楽なんです。
  これを、非合理的だと言ってはダメなんですよ。論理学の世界から見れば、

   (大前提)男女は平等でなくてはならない

   (小前提)大峰山は男女を平等に扱っていない

   (結論)大峰山は差別をしているひどい山(笑)だ


  と、いうのは、何も間違ってはいないんです。

  みなさんが、もしこういう人たちに反撃したいと思うなら、大前提が間違っていることを証明できないとダメです。小前提は細かい事実認定に絡んでいることが多いですから、ここで戦うと話がややこしくなって、投入できるエネルギーが多い「狂人めいた人たち」が有利になります(笑)。
  でも、この大前提に反撃するのは、相当難しそうですね。だから、みなさん、こういう連中とは関わらない方がいいです。大事なのは、こういう連中になんとなく引きずられてしまう「その他大勢」の人たちに訴えることです。
  だから、こういう理念馬鹿と論争するのは、やりたい人だけに任せておいて、違う角度から話を進めます。

  今の日本は近代国家ですから、上に挙げた「平等」のように、幾つかの公理にのっとって合理的な国家運営がされています。フランス革命以降のフランスも同じです。

  ここで、ちょっと考えてみて下さい。フランスには、我が国のような古くから続いている伝統芸能がありますでしょうか?
  おそらく、キリスト教関係を除いたら、もう全く存在しないんじゃないでしょうか。絵画や文学、バレエなんかは、みんな革命の後に出来上がった文化です。もちろん細かく見れば、中世の踊りだとか吟遊詩人だとかの影響を受けているのかもしれませんが、昔のものがそのままの形で生き残っている伝統芸能っていうのは、私はちょっと聞いたことがありません。
  もちろん、形になるもの、たとえば建築物なんかは残っているんですが、無形の文化で、中世から続いているというのが、フランスにはどうも少ないんじゃないかということです。少なくとも、私が日本語で入手できる情報の中には無形文化財みたいなものはありませんでした。

  理由は幾つか考えられるのですが、それはどちらも革命という「近代化」に根っこがあります。

  一つは、フランス革命以降「公教育」というものができて、地方にもどんどん合理主義が浸透していったことです。
  国民というのは、初めから「いる」んじゃなくて、「作る」ものです。どうやって作るかというと、あなたたちはフランス人だ、日本人だということを子供の頃から教えるんです。これが国民教育です。
  国民教育というのは、近代国家の理念から見て合理的だと思われることしか教えません。もしそうでないことを熱かったとしても、それは「不合理」なものと扱われて、大切にはされません。
  教科書に、伝統文化が取り上げられていることと、合理性を重視する教育というのは全く矛盾はしていません。そもそも、教科書で伝統文化として扱われるということは、それが生活に密着した営みでなくなり、「博物館行き」になったということでもあります。ひどい言い方をすれば、キワモノとして扱われるということです。もう、そうなったら、あとは保存会みたいなところが細々と扱っていくしかありません。
  だいたい土着の文化というものには、近代国家から見た合理性なんてものはほとんどありません。首都にいる人間が国民を束ねて、税金を取って、都合のいいように動かすのが近代国家なのですから、地方ごとに異なるなんていうのは困るわけです。だから、標準語教育というのが徹底されるんです。フランスでも日本でも、義務教育で一番力が入れられていたのは標準語化でした。
  そうなると、土着のものはどうしても隅っこに追いやられてしまって、世代が移る、つまり教育が浸透するにつれて、だんだん失われていくんです。

  ここで少し余談です。私は、戦後の日本が何であれだけ素早く「皇国教育」から「戦後民主主義教育」に転換できたか、不思議に思っていたんですが、今の考えを応用すれば、その謎はすぐに解けることがわかりました。戦前から、日本は近代国家的教育を徹底していたからです。
  つまり、学校で教える国家にとって都合のいい価値観をそのまま受け取ることに、国民が慣れていたからなんですね。こちらによくいらっしゃる「花ブナさん」が使っていた喩えですが、人工着色料や合成甘味料の味に慣れていたんですね。赤色1号が赤色4号に変わっても気づかないのと同じだったというわけです。
  日本の伝統文化のところは、また後で時間をとって述べます。しかし、まだ全然明治維新に入りそうにないですね(笑)。

  近代化すると文化が死に絶えていく理由はもう一つあります。それは、文化伝統の担い手である土着勢力、たとえば貴族や富裕農民がどんどんいなくなってしまうからです。
  文化というのは人間の営みですから、担い手が必要です。当たり前すぎて馬鹿馬鹿しくなりますが、担い手がいなくなれば文化は消滅します。その担い手というのは、上に挙げたような地方の貴族や農民であり、近代国家の中では明らかに冷遇される人々です。
  近代化というのは貨幣万能化という側面もあります。権威があったり、農業生産ができたりという人間より、お札や手形や預金通帳に書いてある金額が大きい方が強いということです。だから、貴族は「土地」、農民は「農産物」を、それぞれ買い叩かれる運命にあります。これが、冷遇されるということです。
  もちろん、土地を売ってしまった貴族は没落しますし、権威があっても近代国家では役に立ちませんから、取り返すのも至難の業になります。農家も、その時々の農作物の相場で自分の人生が決まってしまうようになりますから、やはり没落していくことになります。
  そうやって、地方に土着していた人々が、自律的な生活を営むことが出来なくなっていけば、文化伝統を守る余裕もなくなります。その結果、文化伝統は死んでいくわけです。
  「合理主義的教育の浸透」「文化の担い手の衰退」、この二つが分かれば、なぜ文化伝統が弱くなってきているかがよくわかると思います。

  こう言うと、「おかしいな、今の日本には文化伝統が結構残っているじゃないか」と反論されそうですね。その反論は、半分だけ当たっています。
  半分「当たっていない」理由をお話しすると、今の日本に残っている文化伝統というのは、博物館送りになっているものが少なくないということがあります。
  博物館送りというのは、もう生活には密着していないということです。たとえるなら、文化のぬけがらです。あるいは、生命維持装置をつけている文化と言ってもいい。
  そういう文化は、マニアが時間を割いて従事したり、あるいは政府が金を出していたりすることで、なんとか形を留めているのです。一番典型的なのは、「保存会」がやっているやつです。10月の●堺まつりで出てくる火縄銃なんかがそうです。まあ、これはこれで面白いので、続けてほしいんですが、今の時代は火縄銃を使っている人はいませんね。
  お祭りなんかもそうです。まあ、お盆にやっているというのは、農作業が区切りがついて骨休めという意味なので、昔の伝統が続いていると言えますが、旧暦を基準にしないで、観光客が来やすい時期に開催期間をずらしているものもあります。
  微妙なのは、相撲です。もともと「仕切り」という動作は、何度でもやり直していいことになっていましたが、今では制限時間が付いています。また、土俵の四隅にあった柱もなくなって、屋根が上からぶら下がっているという妙な形をしています。それは、全てテレビ放映のためです。時間の制約があるのと、柱が邪魔だということからです。
  また、力士も不足してきています。強い力士は、外国人が多いですね。中には、怪我だというのにサッカーをやっていたりする変なのもいます。それを見て「これだから外国人は」と眉をひそめる人もいるかもしれません。
  こういう現象は、見方を変えると、うまいこと時流に適応していっているともいえます。しかし、変質を余儀なくされているのは事実です。
  
  では、そうではなくて、今の日本に、本当の意味で昔ながらの文化伝統が生き残っている理由は何でしょうか。その辺を、明治維新と絡めながら話して、このシリーズをしめくくりたいと思います。

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Comment

時代の流れ・・・というものが正しいとは限らない。
寧ろ、それは間違っている事の方が多い・・・・・・
その時代の流れとやらを作ったのが人間ならなおさらだ。
と想います。西洋を中心とした近代化・・・という歴史の流れは
結果人類の暴力性を増して、衰退と滅亡を早めただけなのかもなと・・・
今更何を言っても過去は取り返せませんが・・・
IRIAS | 2007年09月12日(水) 01:39 | URL | コメント編集

●>>IRIASさん

  そうですね。普通に生きていたら、まさか自分の立っているのが巨大な鯨の背中の上だとは誰も思いません。近代化に対する認識というのは、そういうものだと思います。

>過去は取り返せませんが・・・

  ええ。しかし、これからです。もう、人類は曲がり角を曲がってしまっていますから、時間を稼ぎながら、次のフロンティアを見つけるしかありません。
  近代化の弊害を認識し、解毒剤を投与すれば、当面の滅亡を防ぐことはできます。まずはグローバリゼーションを食い止めて、その後に自然主義経済を導入してその成果を各国、特に中国に広めることでしょう。こういう国際協調はやってもいいです。
ろろ | 2007年09月12日(水) 02:12 | URL | コメント編集

●なるほど

拝啓
「赤色1号が赤色4号に変わっても気づかないのと同じ」
これは非常に意味深く、的を射ていますね、まさしくその通りだと思います。

自由、平等、平和、と言う幻想を叩き込まれた人々の思考回路を変える事は非常に困難です。
現実を直視しなければ真実に到達しないと思います。敬具
和尚 | 2007年09月12日(水) 09:24 | URL | コメント編集

●>>和尚さん

>これは非常に意味深く、的を射ていますね、まさしくその通りだと思います。

  貴君のような人は分かって下さるのでしょうが、国家主義にこり固まっている人間は無理でしょうね。「戦前の教育を合成着色料とは、何様のつもりだ」とか言い出す(笑)。
  戦前の教育の良かった点は、そこではなくて、教師がプライドを持って子供たちに接し、決して妥協せず、それでいながら愛を注ぐ人が多かったからです。それは、結局自分の住んでいる地域や家族をかわいがる気持ちと同じなのです。
  それを、全て皇国教育に還元するのはアホです。教育勅語が戦争を招いたなどと的外れなことを言っている馬鹿左翼とレベルは同じです。

>自由、平等、平和、と言う幻想を叩き込まれた人々

  左翼やその裏返しである愛国を自称する人ならまだいいのです。問題は、保守だというのにこういう概念を臆面もなく振り回す人たちです。
  特に、中国と自分たちは違うんだぞというときにそういう言葉を使うのが好きなようです。彼らは自分が近代化万能主義の罠にはまっていることにはきっと永遠に気づかないのでしょう。
ろろ | 2007年09月12日(水) 09:44 | URL | コメント編集

ろろさん、コメントありがとうございました。
実はコメントをいただいた前日にランキングでこのブログを知って読ませていただいたところでした。
おっしゃる通り、近代は国家や社会を透明にするわけですが、つまりは、共通の制度と共通の言語によって、それまでバラバラの文化や価値観で生きていた人たちを均一な国民として規律訓練し、包摂するってことですね。その過程で地方語や方言を奪われたり、固有の伝統文化が奪われたしたわけですが、一応、近代は、封建社会の中で貧しく、無知蒙昧なままにされている人たちを解放するという建前はあったわけです。伝統文化は奪われたけれど、それに代わって共通の言語と価値観によって提供される新聞や小説を楽しめるようになったわけです。近代というプロジェクトの原理である「市民社会」の最大の功績は、こうやってブログを書くとみんなに読んでもらえ、意見交換できるってことではないでしょうか。この事実は意外に大きいです。近代化が問題になるのは近代がまだ理想的な形で実現されていないからだという人たちもいますが、近代化が引き起こすいろんな問題をフィードバックさせながら修正していくのがリーズナブルなのではと思います。市民社会の原理はけっこう考えこまれ、よく出来た概念で、これに代わるものはとりあえずなくて、これから出発するしかないのではと個人的には思っています。
話し言葉で書くというのが、ブログならではでいいですね。これからも楽しみに読ませていただきます。
cyberbloom | 2007年09月13日(木) 21:37 | URL | コメント編集

●>>cyberbloomさん

  まさかコメントいただけるとは思いませんでしたので、ありがたく感じております。

>近代は、封建社会の中で貧しく、無知蒙昧なままにされている
>人たちを解放するという建前はあったわけです。

  この「無知蒙昧」というのは、何についての無知なのか。この辺をよく考えてみてもいいと思います。
  また、解放というのが土地との結びつきを解かれ、さまよう労働者となることなのだとしたら、貴族の権威ではなく、資本家の債権に従属することになったということにもなりませんか。しかも、儲からなければ簡単に手放されるという軽い立場で・・・。
  おっしゃるような側面がなかったとは言いません。しかし、それがどういう意味を持っているのか、側面を変えて見てみることは有益だと思います。

>近代化が引き起こすいろんな問題をフィードバックさせながら
>修正していくのがリーズナブルなのではと思います

  その通りですね。文明の価値を全て否定するのは、ニヒリストの所行であり、結局近代を合理主義で乗り越えようとした結果の破綻に過ぎません。
  それよりも、非合理でありながら残ってきたものを大切にするということが必要とされています。このへんは、近代国家や近代市民社会の公理から演繹することは困難です。一度、理性の呪縛を離れてみるべきだと思っています。
ろろ | 2007年09月14日(金) 10:14 | URL | コメント編集

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