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2011.01.07(Fri)

「都会の一人勝ち許容」と「地方への分配強化」という二分論について 

●早雲さんのブログ・晴耕雨読に載っていた引用文を見て思いついたことがあるので、書いてみます。

早雲さんが取り上げているのは、週刊ポストに出ていた民主党の小沢一郎氏へのインタビューです。以下に、その書き起こしがあります。

http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/750.html

その中で、名古屋市の河村市長が小沢氏に寄せている質問と、その答えが大変興味深いものでした。


河村たかし・名古屋市長はこう言っている。

「私がやってきた『1割減税』や『職員の人件費1割カット』とは、税金の使い方は納税者が決めるという視点から進めてきた改革だ。小沢さんは、党代表選で地方への一括交付金を掲げた。だが、私に言わせると、それでも足りない。地方の起債権及び徴税権も自由化してもらいたい。それで『税金の安い自治体』をつくって成功すれば、名古屋は東京と競争出来るようになるし、失敗すれば首長は責任を問われる。それこそが地方主権だ。当然、既存利権派からは大きな反撃があり、抵抗がある。しかし、身を捨ててでもやる勇気が必要だ」

小沢 一括交付金は絶対やらないと駄目ですね。それは地域の活性化、地方の自立、そして行政コストの削減、あらゆる面から絶対にやらなければならないことだと思います。

(中略)

だけど、徴税権や起債権となると、ちょっと違う。今直ぐ税源まで全部地方にやっちゃうと、大都会は金がどんどん入ってくるから喜ぶけれど、田舎はもう全部アウトになりますよ。だから、裕福なところが地方税を別に取るというのは一向に構わないと思うけれど、所得税と法人税、消費税、そういう基本の税は国にいったん集めるシステムを当分続けないといけないと思います。その税金を地方に交付してやらないと、東京などの大都会だけがどんどん裕福になってしまう。

最終的に、欧米みたいに大きな企業も地方に本社を持っていって何の不便もないという社会になれば、その時には税源移譲の話になるでしょう。でも、今直ぐ「お前たち、勝手に税金を取って、勝手にやれ」なんて言われたって、例えば私の岩手県などはどうしようもない。税金を払う人が少ないわけですからね。

だからそれまでは、徴税は先ず国がやって、それを豊かでない地方に配分する。しばらくはまだ、そういうことをやらなきゃいけないでしょうね。


要約すれば、河村氏は「国にいちいち言われずに税を取ったり地方債を発行したりしたい」という主張をしているのに対して、小沢氏は「それをやったら地方はめちゃくちゃになる。政府が地方へ分配することが必要だ」という反論をしているということです。

もっと荒っぽい言い方をすれば「自由競争」を肯定する河村氏と「分配による平等」を主張する小沢氏という構図になっています。

これ自体は、近代経済システムにおける政府の役割という点について、本質的な議論だといえるでしょう。

フランス革命以降一般的になった国民国家は、国家という大きな枠の中で徴税を行い、その対価として政府が防衛や生活条件の整備といったサービスを供給するという仕組みになっています。

その際重要なのは、ある国の中では単一の通貨のみを媒介にして経済活動が行われるということです。

たとえば、我が国の明治政府が行った地租改正などがそうで、穀物や野菜ではなく日本円で土地税を納めることになりました。そうなると、地主としては小作料を日本円で取るようになり、必然的に小作人も農作物を現金化する必要に迫られます。今までは物をやりとりしていたところに、貨幣が入り込んでくるわけです。

こうなると、経済主体としての個々人は手持ちのカネの大小で序列化することになり、どうしても金融や工業生産でカネを大量に稼ぐことができる都市の側が有利になっていきます。都会と地方の格差というのは、そうやって生まれてきました。

世界レベルで見れば、これが先進国と途上国の差となって現れているわけです。

前述の議論で言えば、河村名古屋市長が主張しているのは、カネを稼げる都市が自主的に財政を行うべきだということであり、これでは都市と地方の格差がどんどん開いていくことは目に見えています。

それに対して小沢氏の言いたいことは、都市からカネを取って地方に付け替えろということであり、国民全体の発展を考えればベターな考えだと言えますが、そのカネはどこから取ってくるのだという問題が常につきまといます。

結論から言えば、どっちもどっちです。

というか、この二人の議論、もっと言えば、国家の役割を巡る自由競争と分配重視の対立は、重要な点を見逃しているため、本質的な解決を図ることはできないと考えています。

その重要な点とは何でしょうか?

実は、もうすでに上の方で述べてしまっています。

そうですね。「ある国の中では単一の通貨のみを媒介にして経済活動が行われる」という点です。

日本円を使って物やサービスを購入し、日本円で給料をもらっていること、すなわち経済活動が「労働→貨幣→物・サービス」という流れになっていることを誰も疑問には思いませんが、これは実はそんなに自然なことでも当たり前のことでもありません。

げんに日本では、程度の問題はあるにせよ、明治時代に地租改正が行われ、日本銀行が設立されるまでは、かなりの程度「労働→物・サービス」という直接的な経済活動が行われていました。世界の中では、ニューギニアの奥地だとか、シベリアの寒村みたいに、今でもそうやってくらしている人が少なくありません。

労働と、物・サービスの間に貨幣が割って入るということは、政府がみなさんの生活に介入するということです。労働の成果である貨幣を租税という形でむしり取り、カネが行き渡らなければ税金で物やサービスを供給(いわゆる社会保障)していろいろ世話を焼いています。

この仕組みはもう当たり前のものだと思っている人がほとんどだと思うのですが、そこを疑ってみなければ、現在我が国や世界が抱えている問題は解決できません。都会と地方の格差も、恒久化する不況も、グローバル化によってい引き起こされる移民流入などの問題も、全てカネの仕組みによって引き起こされています。その辺は、このブログの「経済とグローバリゼーション」にある記事を見ていただけるとだいたいお分かりになるのではないかという気がします。

さて、河村氏と小沢氏の対立に話を戻しましょう。

そうは言っても、現状ではあまりにも都市への貨幣集中が進みすぎていますから、小沢氏の言うような分配を一時的には行う必要があると思います。

しかし、問題を引き起こしているもの=国家の通貨発行権をそのままにしているのですから、結局時期が来れば「無駄遣いを減らせ」「グローバル化した世界では競争力が必要だ」などという声がマスコミを賑わし、小泉カイカクのようなことが行われて分配は否定されることになるでしょう。

しかも、我が国では外国や国際組織と結託した一部の官僚(そのほとんどは財務省にいる)が選挙で選ばれた政治家を隠れ蓑にして専横を尽くしているわけで、河村氏の言うような自由な財政も実現されず、ただただデフレと政府による統制だけが進行するという最悪の事態が進行しています。

大事なのは、国家が貨幣を発行して国民の経済活動を支配するという形ではなく、地方や地域が自律的に経済循環を作り出すことです。

以前からこのブログで主張している地域通貨というものが意味を持つのは、そういう場面です。地域通貨ならば、流通量や配分をより柔軟にコントロールすることができます。通貨そのものを期限付きにしておけば、カネをため込んで人に貸すという行為が合理的でなくなるので、貨幣が活動力の交換という本来の役割を取り戻すことになります。

今の世の中は、中央銀行が発行する貨幣の力が強すぎるのです。これは、自民党政権の頃に一部で盛り上がった政府紙幣にもつきまとう問題です。中央で貨幣を発行し、それを国民が受け取るしかないという仕組みでは今ある問題は解決しません。

もし河村氏が「徴税権や起債権だけでなく、地域独自の通貨を発行し、それで市長や議員を含めた公務員の給与の一部を支払う」と言い出したら最高でしょうね。

そういうわけで、私としては、こういう風に考えるのがベストだと思います。

「まずは一時しのぎの分配強化を行い、それと併行して国民を統制している官僚や、それを通じて我が国を支配している某外国の影響力を排除する施策を実行すべきである」

「次に、地方レベルでは、徴税や起債について裁量の幅を拡大しつつ、その地域独自の通貨の発行を認め、地方が自ら経済循環を作り出せる余地を認める」

ただ、こんなにうまいこと事が運ぶかというと、正直私は疑問です。日本というのは、自分たちが想像しているよりはるかに大きな影響を世界に与える可能性がある国です(それが悪い方に出たのが、大日本帝国の爆死)から、諸外国、特にアメリカと中国が、日本の自律を望むとは思えません。

それでも国家としての自律に向けた努力はするべきですが、それが実を結ぶという希望的観測を取るのは危険です。

だから、私は政府に期待するよりもまず、気づいた人が自分で食糧なり衣服なりを生産し、相互扶助を自主的に行う仕組みをつくってしまう方がいいと言っているのです。

比較の問題にすぎないのですが、上に挙げた二人の政治家は、大都市の商人出身(河村氏)と、地方富裕層出身(小沢氏)という風に、立場こそ違いますが、自分の頭で考えて近代国家の本質にたどり着いています。

また、金融資本の欲得丸出しの新自由主義や、怨みや妬みを煽る公務員「改革」や、狼少年のような日本財政危機論を信じていないという点も共通しています。

今は彼らのような、「まともな」政治家を応援しておくのも一つの手としてはありなのかなと思っています。

少なくとも、上の二人の議論というのは、なんちゃら倫理審査会に誰それを呼ぶとかいう議論よりは遥かに本質に迫るものだということができます。マスコミが大きな声で取り上げる「論点」「焦点」など、無視するに限るという好例ですね。

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