2017年02月 / 01月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728≫03月
--.--.--(--)

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
EDIT  |  --:-- |  スポンサー広告  | Top↑
2009.12.28(Mon)

地方都市で暮らすということ 

  最近こんなのばっかりで恐縮ですが、以前書いた日記に面白そうなのがあったので、一部加筆・訂正した上で転載しておきます。ここの管理人のものの考え方の大枠が分かると思うので、是非ご覧下さい。


----------------


少し時間が空くとバスや電車で地方に出かける方なのだが、ここ最近気づいたことがいろいろある。

その一つが、「地方の中心都市には住む意味がない」ということだ。

別に、今住んでいる人間がアホだなどと言いたいのではない。ちゃんと理由がある。

たとえば、新潟市を例に挙げる。ここは江戸時代に西回り航路の就航地となり、越後平野や佐渡の物資の集積地として栄え始めて今に至っている。

では、今の新潟の人は越後や佐渡の物資集積によって生じる需要で生きているのかというと、必ずしもそうとはいえない。というより、佐渡だの信濃川経由の物資集積など、今の新潟市民にはほとんど関係ない。

新潟の中心街の風景を見てみると、東京や横浜と大して変わりがないことに気づく。デパートがあり、アスファルトで舗装されていて、行き交っているのがOLやサラリーマンや学生などの若者である。農家のおっさんがゴム長で闊歩しているなんていうことはほとんどない。

そして、人びとは何をして生活しているかというと、会社から給料をもらって生活しているのである。

上のような生活なら、もっと簡単にできる場所があることにピンと来るだろうか。「東京」である。東京ならデパートも多いし、人もたくさん行き来していてお客はたくさんいる。何より、給料をくれる企業もたくさんある。若い人に限って言えば、大学や専門学校の数も圧倒的に多く、選択の幅がある。要するに、新潟市内でできることは、東京でも全て出来る(しかもたくさん)が、その逆があまりないということになる。

だから、新潟市に住むより、東京に行ってしまえとなるのは当然である。新潟でも東京でも同じ暮らしをしているのだから、人がいてカネをたくさん得られる東京の方がいいということになるわけだ。

これは、地方中心都市の便利な場所の家賃が意外と高いことによってさらに拍車がかかる。

では、なぜ未だに新潟市に人口が多い(市町村合併の話は考慮しない)のかといえば、以下の理由による。

1.自分の実家から遠くない割に、地元より仕事がある
2.今までも新潟に住んでいたから、その流れ
3.県庁など官公庁が需要を生んでいる


1.というのは「宮城県人が仙台で就職する」という感じで、よくあるパターンといえる。しかし、新潟県は広いので、たとえば魚沼や上越の人なら、東京に出てしまった方が早いだろう。

2.というのは一番多いパターンだろうが、新しい世代ほど都会化した新潟しか知らないわけで、それなら東京の方がいいやと、進学や就職を機に出て行って戻ってこないというのはよくあることだ。

そして、政治の世界では3.をどうするかでああでもないこうでもないともめている。地方へばらまくカネを減らせば、当然需要は減る。日本で一番金を持っているのは東京、さらにいえば東京の大企業と外資系企業である。そいつらが「そんなカネは要らん、減らせ。仕事が欲しいなら東京に来るか、派遣に登録して送られるのを待て」ということになるだろう。そういうわけで、3.は縮小の一途を辿っている。

こういうことから考えると、地方中心都市から人がいなくなっていき、その下の主要都市にシャッター商店街が増えるのは、経済論理からすれば当然だということになる。

ただ、注意が必要なのは、あくまで「経済論理では」ということである。つまり、子のブログが散々使っている「近代経済システム」という仕組みの中では、という条件付だ。

近代経済システム、労働力を売ってカネを得るという仕組みを前提にして、いかに利益を極大化するか、つまりカネがカネを生むかということを唯一の目的や価値判断の基準にしている仕組みである。そういう点から言ったら、東京に勝てる場所など存在しない。東京はそのためにだけ存在している場所なのだから、当然である。「江戸」とは明らかに違う点である。

しかし、人間はカネを食べて生きているわけではない。

生きるための手段を提供しているのは、自然である。農業も狩猟も採集も、全て自然から生活の糧を与えてもらうということである。ただ、今はカネを払えばそういうことは他の誰かがやってくれるので、その構造が見えにくくなっているだけだ。

その自然、少なくとも利用可能な自然は、東京のような都会にはない。地方の方が圧倒的に有利である。カネを媒介にせず、自然に働きかけて生活の糧を得るという点のみを見れば、「地方の時代」というのは間違っていない。というか、本来そういうものなのだ。

もっとも、こういうことを言うとすぐに、農産物をたくさん作って売りさばくという発想になってしまうのはいただけない。売りさばく、というのは、カネを得るということであり、結局ネクタイと革靴でサラリーマンをやるのと変わらないことになる。楽してカネもうけができる方がいいということになるのは当然である。

もし農業をやるなら、まず自分と家族が生きていけるに足る物資を生産し、余剰がでたらそれを他におすそわけするという形にすべきである。それが、「自律的な生活」というものである。あまり刺激はないが、かといって経済危機とやらで需要が激減しても困ることはない。

これを面倒くさがるなら、カネがある人間に操られ、わけのわからない景気や世の中の動きというものに翻弄されて生きることになる。

実行できる人から、自律的な生活を始めた方がいい。その方が有利な世の中がこれから来ると思う。

いきなりというのは難しいから、まずは食べるものだけでもカネへの依存を減らすことから始めたらどうだろう。私もそろそろ、プランターでネギとか作ってみようと思っている。ベランダにいろいろ据え付けて、風雨をしのげるようなこともやってみようかなと思う。そうすれば、いざというとき畑や田んぼにシフトするのも難しくない。

こういうことを言うと、「無理がある」とか「世の中を分かっていない」とか、実にご親切な、親切すぎて鬱陶しくなるようなご意見をいただくことが多い。しかし、そういうことを言ってくる人はたいてい「現行経済システムの中の勝ち組」か「勝ち組に洗脳されている負け組」である。要するに、自分たちがうまいこと銭を稼いでしのいでいるのに、それを否定するような論理を出されて感情的になっているわけだ。

もちろん、その中にはいまだに政府の分配機能を無邪気に信じている「ケインズ信者」「GDP真理教信者」も含まれる。これだけグローバリゼーションの暴力を見せつけられているのに、彼らはまだ取り扱い方法さえ変えれば近代経済システムのままで幸福になれると信じている。市場原理を神のごとく崇拝する人間と、頭の程度にいかほどの差があるというのだろうか。

まあ、誰の考えが正しいのかは、いずれ結論が出ることだ。それまで、己が信じる道を進めばよい。

人のやっていることにくちばしを挟むほど、人生は暇ではないとだけ言っておく。

★人気blogランキングへ←クリックして応援よろしくお願いします。

スポンサーサイト
EDIT  |  00:14 |  経済とグローバリゼーション  | TB(0)  | CM(3) | Top↑

Comment

うちの地元も「ストロー効果」というやつで、隣の大都市に人や富を吸われ、がらがらです。二点間をつないで流通の道を開いてやるだけで、そんなことに…。自動機械としての近代経済の本質がよくわかります。

最近「こんなブログを書いているだけではだめだ」的な発言をよくされてますが、今回のような記事を見て「(周囲には理解されないけど)自分の感覚は間違ってないよなあ」と安心する私のような読者もいるので、充分意義のあることと思いますよ。

私は来月、東京に住む限り消費者/賃金労働者的な思考を離れがたいので、ろろさんも恐らく先日参加されていた農場見学会(大声で農水省国産蕎麦の話をしている人がいたので、そうと知れました)のあの町に引っ越し、半農半研究者の可能性を探ることにしました。

このブログを読んでいなければ、なかなか具体的行動には移れていなかったと思うので、感謝しております。
獺斎 | 2009年12月28日(月) 21:06 | URL | コメント編集

●>>獺斎さん

>ストロー効果

  新幹線や高速道路が作られると、確かにその着工時期は雇用、すなわち総需要の維持もしくは拡大の効果が生まれます。しかし、長期的に見れば、おっしゃるような現象が起き、結局都会の大資本に全てを持って行かれることになります。
  結局、短期的な経済利益のために未来を捨てているわけですから、目先の配当や役員報酬ほしさにグローバリズムを推し進めているグローバリスト企業と本質的には変わりません。
  本当の地域振興というのは、需要の付け替えではなく、その地域に住んでいる人びとが自律的な生活を指向することなのではないでしょうか。一時は私も所得の再分配に期待していたところがあったのですが、昨今の政治の状況など見るに付け、もうそういいう望みは完全に断ち切るべきだなと思うようになりました。

>私のような読者もいるので、充分意義のあることと思いますよ。

  そう言っていただけるとありがたいです。
  何度も書いていますが、ブログの中でいくら議論などやっていても何も変わらないと思います。もはや確信に至っています。今現実世界でいろいろと行動に移していることがあるため、よけいにそう思うのです。例の農場見学のように・・・(そんな大声だったでしょうか。笑)
  しかし、そうは言いながら、言論で世の中を変えていくことに対して、どこかで希望を持っていたのでしょうね。だからこそ、それが叶わないと分かってくたびれてしまったのかもしれません。
  今後は、こういう世界観もあるのだ、ということを淡々と述べることに徹したいと思います。中身が良いか悪いかは、読者のみなさんに判断いただければよいのかなとも思います。



  最後に、獺斎さんにお願いがあるのですが、

>あの町に引っ越し、半農半研究者の可能性を探ることにしました。

  何か協力できることがお互いあるかもしれません。もしよろしかったら、隠しコメントでメールアドレス等お教えいただけませんでしょうか?

  今後やろうと思っていることも、重なる部分が非常に多いと感じます。実際にそのような場所に移転されて、可能性を模索しようとなさっている方というならなおさらです。今私が実際に取り組んでいることをお伝えしてから持ちかけるのが筋なのでしょうが、ここで書くのははばかられますので・・・。

  是非、ご検討ください。気長に待っております。
ろろ | 2009年12月28日(月) 22:48 | URL | コメント編集

●管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 | 2009年12月29日(火) 00:38 |  | コメント編集

コメントを投稿する


管理者だけに表示

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック

 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。