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2009.10.15(Thu)

人間はなぜ違いを乗り越えて生きていこうとするのか 

  更新が滞っている上に、ハードな記事が少なくて済みません。このブログを北朝鮮とか中国をコケにするネタ探しのためにのぞいている方には結構苦痛(笑)な内容が今回も続きます。●一つ前の記事に、先ほど、「じろ吉」さんが以下のようなコメントをされました。
 

私の生息している田舎でも ‘人との繋がり’への軽視が至る所で見受けられます。
 
 私の個人的な考えですが ‘繋がり’や‘付き合い’というものは お互いに少しずつ無理をしあいながら 続けていくものと思っています。

 今は一見無駄に見えても いざというときに協力しあえる関係の維持といいますか “共同体”というものの本来の意味ではないかと思います。都会でしたらいざ知らず 田舎に生きている意味が無いのではと感じます。

 昨今のマスコミの世論操作は悔しいかな大成功です。今では一般国民も口を開けば「無駄は… 無駄は…」のオンパレードです。自分達がその“無駄”により生かされている立場というのに…。一般国民が本当に気付かないと 現状は変わらないと思いますが 一度ハードクラッシュしなくては正直無理だと気ずきました。まぁ近い将来嫌でも経験 させられる筈ですが…。


  なるほど、私のような都会暮らしで、田舎といえば美化してしまいがちな人間には真似の出来ない、鋭い洞察だと思います。中でも、この部分は本質を突いています。

>‘繋がり’や‘付き合い’というものは お互いに少しずつ無理をしあいながら 続けていくもの

  人間というのは、一人として同じ人がいないわけですから、どこかしら違いがあって当然です。それにも関わらず、その「違い」を乗り越えていこうとするのはなぜだろうかと考えてみました。
  たとえば、ヘーゲルという哲学者は、「弁証法」という考えを持ち出しています。これは、対立するもの同士がぶつかり合うと、やがて昇華してより高度なものになるという考え方です。卑近な例ですが、計算ミスばかりしていて「ケアレスミスだよ」ですませている塾の生徒に、数学の先生が「それも実力のうちだ」と、彼の考えと反対のことをぶつけることで、この生徒は自分の考えを改め、数学の点数をアップさせるという感じです。ヘーゲルは結婚も違う人同士でするほうがいいよと言っていますから、人間関係にもそのことを応用しているのでしょう(ちなみに、ヘーゲル自身は隠し子が数人いたそうです)。
  また、社会主義の教祖(笑)であるマルクスは、人間には個人の活動を他者との協調、すなわち社会共通の利益につなげたいという欲求があると言っています。「類的本質」とかいうらしいですが、資本主義というのは労働を商品にしていることで類的本質を妨げている狂った仕組みだということのようです。
  これらの考えは、おそらく近代のヨーロッパにおいて、人びとがつながりを失ってバラバラになっていく様子を見て、これはいかん、なんとかせねば、ということで生み出されてきた考えなのでしょう。
  
  しかし、これらの考えを聞いて、何か首を傾げることはありませんか。

  そうです。その「弁証法」が成り立たず、「類的本質」が発揮されていないからこそ、今の社会でみんなが勝手なことをし始めているのではないか、と、難しそうな言葉を丸暗記したがる知的(痴的)バカではないフツーの人びとは思うはずです。
  そもそも、ヘーゲルだろうとマルクスだろうと、初めから終わりまで一人の人間が物語を作っているのですから、うまく文章を書けさえすれば、世の中のあり方に整合性のある説明ができるのは当たり前です。
  しかし、それを現実の世界に当てはめると、そこらじゅうに矛盾点が出てきてしまい、それを説明するためにまた訳の分からない小難しいことを言い始めるという最悪のサイクルに陥ってしまうわけです。
  それでもダメなら、しまいには「ヘーゲルを信じないと地獄に堕ちるぞ」とか「マルクス先生を疑う奴は資本家の手先だ」などという風に、考えを素直に信じない人間を排撃するようになります。まるでカルト宗教です。マルクスを熱心に信奉していた連合赤軍などの左翼が内ゲバを起こしていたのも、そういうことと無縁ではないでしょう。
  人間が協力し合って生きる美しい姿を、論理的に説明しようとしたのに、逆に殺し合いを始めるもとになってしまうのは皮肉なものです。

  さて、それでも人間同士がバラバラなのは好ましくないはずですから、なんとかしたいものです。
  そこで、二つのアプローチが考えられます。

  一つは、「論理とかそういうものはどうでもいいから、とにかく教育でガキの頃から叩き込めばいいんだ」という考えです。
  つまりは、他人に害を与えてはいけないこと、人と仲良くすること、苦しい時はお互い助け合うこと、多少の違いがあっても乗り越えてやっていくこと、悪いことではなく良いことをすること、良いことというのは利他的なことですよ・・・というような感じで、もうとにかく刷り込みに刷り込みまくって、常識にしてしまうのです。ヘーゲルやマルクスみたいなすごい頭のいい人でも説明できないのですから、なぜそうなるのか、というのを説明するのは無駄だということでしょうか。
  確かに、戦前の日本では、●「教育勅語」のようなもので、忠告愛君を筆頭に、利他精神の涵養や共同意識の醸成に成功していた、という見方もできそうです。

  では、もし生徒の一人がこういうことを言ったらどうしますか?

 「先生、確かにそういう方が人間の社会はうまく行くというのは頭では分かるよ。実際ぼくのうちでもみんな仲良くやっているし、その方がなんだかよく分からないけど一人でいるよりいいというのも確かだと思う。だけど、そんなことをしなくても生きていける人なんて、この世の中にはたくさんいるよね?

  別の、もっと鋭い生徒はこう付け加えるかもしれません。

 「○○くんの言うとおりだと思います。今の世の中は、働いてお金を稼げば何でもできると思います。お金があれば、人と助け合って生きていく必要もないし、その方が自由でいられます。先生は、お金をもらわずに教師をやろうと思いますか?」

  とにかくヒヨコに行動を刷り込むことしかやってこなかった先生は、この二人の生徒に対して有効な反論ができるでしょうか?私は無理だと思います。
  また、頑張って否定を使用とすれば、結局「自分勝手な人は地獄に堕ちる」的な脅迫しかできなくなって、カルト宗教みたいなノリになるのが関の山です。
  
  もちろん、上の二人、特に後者のような悟りきった(笑)子供は、おそらくこの世の中にあまり多くは存在していないでしょう。
  しかし、ほとんどの子供は、大人になって行くにつれ、必ず目にするはずです。

  不正をやっているのに、カネや地位(これも結局カネを生み出す場所にいるということ)があるゆえに咎められない大人がたくさんいること。

  面倒くさいことや都合の悪いことを、金を払うことで片付けてしまう人間がたくさんいること。

  人身売買や買春という形で、自分たちをカネで買おうとする大人さえいるということ。
 
  そして、今の社会ではカネを出せば他人と助け合わなくても生きていけるということ。


  こんなものを見ていて、それでも「人間は違いを乗り越えて助けあわなくてはいけないんだ」と言い続ける方がかえって難しいのではないかと思います。
  
  ひどい話をするなぁ、と思った人もいるかもしれませんが、これはあくまで「子供の頃から教育して利他精神や共同意識を持った人間を育てれば、この社会にある様々な問題は解決するはずだ」というアプローチを取った場合、どうなるかということを推論しただけです。
  ここまで考えてブログに書いているわけですから、もちろん私はそのような立場を取っていません。以前は、教育勅語にはいいところもあるとか、利他精神を教えればいいんだとか、そういうことをムキになってブログにも書いていました。しかし、それではうまく行かないことが多すぎるのです。
  そのうち、安倍内閣が残業代ゼロ法案を検討し始めたあたりで完全にネット右翼から足を洗った頃、ある考えに至ったのです。  

  「ほとんどの人は今の社会は何かおかしいということに何となく気づいているはずだし、このままでは行けないと思ってもいる。それにも関わらず、世の中が良い方向に変わっていかないのはなぜだろう?」

  そして、自然的経済という非常にユニークな政策を掲げる●平和党に関わるようになってから、確信したことがあります。

  「ひょっとして、今まで自分は何か重大な思い違いをしていたんじゃないか。個々の人間がどういうことを思い、どういうことを願うかという精神的、心理的な面をなんとかすれば世の中の問題はなくなっていくはずだと思っていたが、本当は人の心や気持ちではない別のものが原因なんじゃないか?」

  今の私であれば、これに対して自信を持って解答をすることができます。

  「人間の行動や思想を決めているのは、その人や集団が置かれている物的条件である」

  「物的条件」というのは、人間の生存を規定しているあらゆる外部的条件のことです。自然環境や地理的条件、利用できる財やサービス、人間関係、法制度その他もろもろです(ただし、ここには道徳や倫理といった精神的なものは含まれない)。
  要するに、社会のあり方を決めているのは、人間の精神の善悪ではなく、その人が置かれている状況だということです。

  たとえば、こういう話を聞いたことがあります。

  阪神大震災があった時のことです。震災の翌日以降、行き場が無くなった被災者の方々が、続々と避難所に集まってきました。しかし、備蓄してある物資は乏しく、みんなに十分行き渡る量のものはありません。それでも、その乏しいものをみんなで分け合い、譲り合いをしながらつらい日々をしのいでたそうです。
  ところが、日本各地から続々と被災地に救援物資が届き始めた時から、異変が起こったのです。
  昨日まであれほどみんな助け合いの精神でやっていたのに、物資が手に入る状況が用意されると、途端にその奪い合いが始まったそうです。今まではなかったような罵り合いや喧嘩が起きるようにもなったと聞いています。

  この話は非常に示唆に富んでいます。普通であれば、ものが乏しいから生き残るために奪い合いになると思いがちです。しかし、そうではなくて、そういう状況では、かえってみんなでつらさを共有してやっていけるのです。
  しかし、他人に譲ったり、次のことを考えて我慢したりしなくなってもいい物的条件ができあがった途端、みんなのエゴが噴出したわけです。
  今の日本は、「救援物資をそこら中から集めてくることができる巨大な避難所」みたいなものです。ものがあるから、それをカネで買えるから、我慢をする必要も、面倒くさい思いをして他人と協調する必要もありません。
  戦前の日本で、教育勅語に代表される「洗脳教育」がうまく行ったのは、お題目が素晴らしかったわけでも、日本人が優秀だったわけでもありません。近代経済システム、つまり「なければ他から奪ってきてカネを使って手に入れる」という仕組みが、全国すみずみまで行き渡っておらず、本当に我慢や協調性が必要な物的条件だったからです。
  逆に、そういう物的条件がなくなり、カネでなんでも手に入る便利な世の中になれば、そうでなかった時代を知っている人たちはいざ知らず、それが当たり前になった世代から順々におかしくなっていくのは当然のことです。
  それでもまだ「人間はカネではない」と言える人間がいるのは、一つはもちろんただ単にそういう習性が世代を超えて受け継がれているというのもあるのでしょうが、カネではなく人間同士の結びつきに頼って生きていく方が都合がいいことをヒトという生き物が本能的に知っているからなのかもしれません。
  もちろん、そういう習性ですら、もっと世代を経れば完全になくなってしまうかもしれません。家畜の豚が猪だった頃の記憶をほとんどなくしてしまっているように、ヒトという生き物も、やがて何物かの管理がなければ生きていくことすらままならないようになってしまうかもしれません。

  では、なんとか近代経済システムの「毒」に染まりきっていない人たちは、一体どうすればいいのでしょうか?

  他人に説教をぶって考えを変えさせたり、強制的に洗脳を施して社会性を植え付けたりするのは、すでに見たように無駄でしょう。いくら洗脳をしまくって道徳を植え付けたとしても、その道徳が必要ない物的条件が整っている以上、徒労に終わる率は非常に高いものになります。
  また、いくら物的条件が問題だからと言って、それを政府の力で無理矢理取り上げたり、地震や戦争が起きればいいと思うのも筋違いでしょう。そんなことをしたら、願っている当の本人ですら死んでしまう可能性が高まります。

  そうなれば、もう答えは限られています。

  「カネや便利さが全てではない世界を作り、それを見せること」

  そして、

  「そういう生活がしたいと思っている人びとに、そのやり方を教えられるようにすること」

  です。

  社会全体の物的条件が嫌なものだからといって、それに乗り続けることはありません。自分たちで違う物的条件に支えられた社会を作っていけばいいのです。私が「地域通貨」だとか、「入会地」だとか「半農半X」だとか、何度もこのブログで書いているのはそういう目的です。
  国会に議席を持っている政党がどこも(国民新党さえも!)ダメなのは、現在ある物的条件をそのままに、理想の社会だの活力ある日本だのといった夢物語を唱えていることです。そんなところで勝負をしたら、結局利子を付けてカネを貸す奴らにカネが集まっていき、我々はどんどん酷使させられるだけです。
  幸い、最近私も、そう遠くない将来塾講師をやめても食っていけるような条件が整ってきました。まずは畑や田んぼでなんとか食べられるものを作る環境を整えてから、こちらのブログでも取り上げた柿渋を使い、大麻はさすがに無理でも●亜麻(あま)や苧麻(ちょま)といった作物から繊維を作り、なるべくカネがかからず石油に頼らないような生活をやってみたいと思っています。
  断っておきますが、私はそういうのを義務感でやっているのではありません。他人に要らないものを売りつけたり、隣の席に座っている同僚と足を引っ張り合ったり、忙しすぎて仕事のことしか考えられない生活をするより、その方が楽だと思っているからです。
  そういう生活をする上での他人との協調なら、必要があってやることですから、別に嫌だとか言っていられません。自分が困る、下手をすると死ぬかもしれないわけですから、選択の余地がありません。それが、物的条件というものなのです。
  最近またちょっと暇がなくなってきて、なんだかんだと先延ばしになっているところはありますが、とりあえず将来の目鼻はついてきたので、このブログももう少し具体的な話をできる場になるのではないかと思っています。  
  
  もしかしたら、近いうちに、こちらのブログをご覧になっていて、そういう話に興味がある方がいれば、何か一緒にやらせていただくのもいいかもしれませんね。

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Comment

●なるほど・・・

違和感の本質を垣間見させて
頂いた気持ちです。何もかもある事が、
空虚さを感じさせてしまう・・・かつては
地位の高い人達しか感じなかった空虚感を、
先進国では国民全てが感じている。自殺率
が高い理由、子どもが無気力になってゆく
様等、なんとなく「もしかしたらそうなのか?」
とこの記事見て感じました。

では人間にとって、理想的な世界とは、なんなの
だろうか?
悪路王 | 2009年10月16日(金) 01:49 | URL | コメント編集

●>>悪路王さん

>自殺率が高い理由、子どもが無気力になってゆく
>様等、なんとなく「もしかしたらそうなのか?」 と
>この記事見て感じました。

  自分探しとか、生きる意味だとか、そういうものも全部物的条件が生み出したものだと思います。

>では人間にとって、理想的な世界とは、なんなのだろうか?

  理想かどうかは分かりませんが、他人のために時間を奪われることがない社会は、今の社会より数倍ましな社会だと思います。
ろろ | 2009年10月16日(金) 02:02 | URL | コメント編集

いよいよ将来に向けて準備段階に入られましたか

コーヒー豆(モカ)の記事なんかが特にはっとさせられたのですが、でも言われてみれば難しいことではなくて当たり前すぎることなんですがなかなかそういうことは気づきませんよ

コメントで好き勝手書いておきながら、あって当たり前、カネを出して楽できるのが当たり前、そういう感情が自分自身にもまだあり情けないと痛感させられています(さらに考えて終わりではいけない

まあ、問題は田舎もガソリンや電力(石炭やウランに由来する)に頼り切った生活になってしまっていることなんですが
つつみ | 2009年10月16日(金) 02:25 | URL | コメント編集

●あまり早まらない方が

今の世の中、田舎で自給自足に近い暮らしをしても結構な現金が必要になります。
税金、年金、保険、田を作れば水利費などの負担もあります。
また、百姓は純朴に見えるかも知れませんが、ずるがしこく汚い面も多くあります。
それに嫌気を挿して去っていった方達も多く見ました。

どこで暮らしてもでしょうが、肝心なことは、誰に頼らなくても生計を営めることだとおもいます。
それが出来なければ良好な関係は築きにくくなります。

世の中が変わるには多数派の価値観が変わらなければなりません。
それにはたぶん数世代がかかることになります。
今のままの生活を続けていても、ろろさんのような意識を持つ方が増えていってやがては多数派になればそのとき世界は変わります。
また、ろろさんは特異な存在ではありません。ろろさんも時代が生んだわけですから同じような人はかなりたくさんいるはずです。

田舎について知っていることは何でも相談に乗ります。

早雲 | 2009年10月16日(金) 02:28 | URL | コメント編集

●「人は土から離れては生きられないのよ!」

「天空の城ラピュタ」でシータがムスカに
言い放つ最後のセリフが、心に響きます。
「人は土から離れては生きられないのよ!」
・・・知らなければごめんなさい^^;

私なんかは体力残っている今のうちに、本当に
しなければいけない体験をしておきたいなって
思っています。もうちょっと目途が立ったら
会社をやめて冒険してみようかなって。

総務相が「交流居住のススメ」なんてものを
やっているのですが、これなんかはイイかも。
http://kouryu-kyoju.net/
バルス(旧☆Indigo☆) | 2009年10月16日(金) 02:28 | URL | コメント編集

●人間は所詮、好きなことしかしない

ろろさん、ごぶさたしてます。

そうですか、都会暮らしからの脱皮に目処がたってきましたか。

早雲さんも仰るとおり、田舎暮らしといってもそれはそれなりになかなか大変ですが、好きでさえあれば、きっと乗り越えていけるだろうと思います。

人間は所詮、好きなことしか見えないし、できないのです。私はそう思っています(笑)。

今の世の中の良くないところは、「好きなこと」と「楽なこと・便利なこと」の優先順位が逆転してしまっている、「好きなこと」は趣味とか道楽といったように、社会を楽に便利にすることに勤勉に貢献する者がその余暇といて為すものといった具合になって、「楽なこと・便利なこと」の優先順位が高くなってしまっていることにある。すべては自ら進んでシステムに隷属してしまっているからなんですね。

(「好きなこと」とは、自ら進んで「楽・便利」を放棄できること、です。)

人間というのは不思議なもので、物的条件が厳しい時には自然と「好きなこと」が共同体全体が効率よく生存する方向へ収束します。つまり、

「人間の行動や思想を決めているのは、その人や集団が置かれている物的条件である」

ということですね。ところが物的条件が緩和されると不思議なことに、途端に「好きなこと」を見つけるの難しくなってしまうんですね。「好きなこと」が収束せずに拡散する。だもので、多くの者は、それまで社会一般で「好きであるべき」とされていたことを、自分自身の「好きなこと」だと勘違いしてしまう。生存のための物的条件が満たされた現在の日本人の状況は、これだと思うんです。

だから、「楽なこと・便利なこと」のためだったはずのシステムが、いまや多くの者の生存のための物的条件を制約しているというのに、未だにシステムにしがみついている。始末の悪いことに、優秀な人間ほど従来のシステムのなかの競争で優位に立つことができますから、旧来の「好きであるべきこと」を自分自身の「好きなこと」と勘違いしやすいんですね。

しかし、いずれにせよ、旧来のシステムはそう長くは続かないでしょう。勘違いは所詮勘違い。自分の勘違いに気がつく人が増えれば、システムそのものが立ちゆかなくなります。問題は、「楽・便利」を実現していたシステムはクラッシュして、人間はまた再び物的条件が厳しい世界に立ち戻ってもう一度「好きなこと」が収束するようになるか、それとも、「好きなこと」が拡散したままでも機能するシステムへ移行できるか、ということになってくきます。

減価する貨幣による自然経済は、「好きなこと」が拡散したままで機能するシステムになり得ると思います。
愚樵 | 2009年10月16日(金) 06:32 | URL | コメント編集

前記事のコメント返信ありがとうございます。
 ご指摘のように前衆議院選挙までは国民新党など「反小泉・反新自由主義」だと思われる勢力に期待していました。しかし結果をみて、小泉旋風選挙から本質的に何も学ばないということが明らかになり正直かなり失望していました。(より良く生きる【主観的過ぎて脆い価値なのだろうか?】よりも、より巧く生きようとする者の勝利、或いは何も知らされず知ろうともしない者を御したものの勝利)
 そして今記事を拝見し、現状に対して微かに残った怒りと前向きな失望を感じました。
 人を始め、あらゆる生物は外的環境に基づいて成り立つのだと理解しつつも、その流れに逆らう力「伝統・道徳・規範など」の存在もあるのではと考えていましたが、視界を広げれば結局指摘の通りなのだなと納得しました。それもまた人間らしいと脱力・・
 自分にできることをする。それが一応一筋の希望なのでしょうか。それさえも枠の中なのだろうか?  またしても、とりとめなし。。
 
ウヰスキー | 2009年10月17日(土) 00:01 | URL | コメント編集

●コメントありがとうございます

  こういう記事でもコメントをつけていただけるあたり、読者に恵まれていると思います。

>>つつみさん

>いよいよ将来に向けて準備段階に入られましたか

  そうですね。まあ、急いでやるつもりもありませんが・・・。

>問題は田舎もガソリンや電力(石炭やウランに由来する)に頼り切った生活に
>なってしまっていることなんですが

  そうでない方法を取れば、カネがかからず楽に生活できるということが徐々に分かってくると思います。
  別に今いきなり石油文明から断絶しろなどと言う気はありません。ただ、それらを使っているときに「ああ、俺は日本政府や石油メジャーに支配されてるんだなぁ」くらいは思っておいた方がいいと思います。そして、そういうものは抜け出すことができるとも。

>>早雲さん

>肝心なことは、誰に頼らなくても生計を営めることだとおもいます。

  そうだと思います。
  だから、自分もまず農林漁業以外に食べていける技能を身につけておこうといろいろやっているのです。ここは公開の場なのであまり書きたくありませんが・・・。

>ろろさんは特異な存在ではありません。ろろさんも時代が生んだわけですから
>同じような人はかなりたくさんいるはずです。

  そう思います。ただ、それをどう具体的な成果につなげていくか、そこらへんが鍵になるんじゃないかと。
  自分が発信源になるときに、何もやっていないのではかっこわるいですから、なんかしら自活方法を備えておきたいと思うわけです。

>田舎について知っていることは何でも相談に乗ります。

  ありがたいことです。今度また、じっくり話をうかがう機会を作らせてもらいます。

>>バルスさん

>人は土から離れては生きられない

  となりのトトロの作者だけありますね。

>交流居住

  これを許す仕事のあり方になってほしいですが、近代国家の支配側としては、庶民に契約の奴隷になってほしいというのがベースとしてあるわけで、あまり進まないでしょうね。

>>愚樵さん

>「楽なこと・便利なこと」のためだったはずのシステムが、いまや
>多くの者の生存のための物的条件を制約しているというのに、
>未だにシステムにしがみついている。

  ハケン切りとかワーキングプアなど、そういう感じですね。
  いきなり農業をやれなどとは言わないにしても、なぜ彼らが自己責任原理や、近代経済システムそのものに対して反抗的な態度でないのか、私にはわかりかねます。

>始末の悪いことに、優秀な人間ほど従来のシステムのなかの競争で
>優位に立つことができますから、旧来の「好きであるべきこと」を
>自分自身の「好きなこと」と勘違いしやすいんですね。

  ちゃんとしたサラリーマンの人たちに、利子の危険性や地域通貨の必要性なんて話してもまず理解できません。「勝ち組」は相手にしない方がいいと思っています。今の仕組みの中での物的条件が良すぎますから、彼らはこの仕組みがいつまでも続いて欲しいと思うでしょうし、崩壊が見えてきてもそれにしがみつく方を選ぶでしょうね。
  私が理論による説得だとか教化を無駄だと思っているのは、結局そういう物的条件の違いを克服するのは多大な努力が必要で、しかも空振りに終わることが多いと思っているからです。

>「好きなこと」が拡散したままでも機能するシステムへ移行できるか

  子供を見ていると分かるんですが、彼らが楽しそうにやっていることというのは、どう見ても非効率的で、何かの役に立つというものではありません。むしろ、すすんで難しいこと、やりにくいことに手を出しているようにも見えます。もしかすると、人間には自分で生きようという本能があるのではないかと思うのは、そういう子供の行動を見た時に思ったことです。
  そして、大人が保身や金儲けのためにそれを破壊しているんですね。テレビゲームなんかそうでしょう。ゲームやケータイは悪影響があるなどと言う人は多いのですが、あれを金儲け目的で作っている人間を悪いとは誰も言いません。
  そのへんを相対化できるといいと思っています。
ろろ | 2009年10月17日(土) 10:40 | URL | コメント編集

●>>ウヰスキーさん

>前衆議院選挙までは国民新党など「反小泉・反新自由主義」だと思われる勢力に期待していました。
>しかし結果をみて、小泉旋風選挙から本質的に何も学ばないということが
>明らかになり正直かなり失望していました。(

  小選挙区制ですし、しょうがないでしょう。議会制民主主義じたい変な仕組みなのですが、いまさらそれを根底から覆そうと思う人はいないでしょう。
  エントロピー増大の法則と同じで、近代経済システムも行き着くところまで行くと思います。

>前向きな失望

  私もこれに近い心理状態です。政治の仕組みなど、結局近代経済システムを補強するためのものに過ぎないのですから、自分の主人である近代経済システムを見直そうなどとは思わないでしょう。亀井大臣の発想も、しょせん「政府が正しい分配をすれば世の中はよくなる」という発想で、共産党と根っこの部分は変わりません(もっとも、そのことと、彼が今のポジションでグローバリゼーションに抵抗していることの意味は全く別)。

>自分にできることをする。それが一応一筋の希望なのでしょうか。
>それさえも枠の中なのだろうか?  

  その「自分に出来ること」が、ネットで愛国言論を称揚したり、一部の政治家を応援したり、投票箱に清き一票を投じることではないということはもはやお分かりだと思います。
  結局は自分で考えるしかありませんが、このブログは何かのヒントになるのではと思いながら書かせてもらっています。
  あと一つ付け加えるなら、どうせスキルや能力をつけるなら、

  「人類の歴史が始まってから今まで絶対に必要とされてきたもの」

  に集中する方がいいと思います。体力や、基本的な意思疎通能力などはその一種です。上司に取り入ったり、女をナンパしたり、他人をけ落としてカネを儲けたり、人を騙して利益を得たりするための技術は、無駄とは言いませんが、あまり役に立ちません。さして必要性もないのに取る資格など、無駄の最たるものでしょう。
ろろ | 2009年10月17日(土) 10:51 | URL | コメント編集

>「人間の行動や思想を決めているのは、その人や集団が置かれている物的条件である」

本当にそのとおりだと思います。
サラリーマンは会社や給与生活に適応しているのでしょう。
経団連幹部などの財界人だって、資本主義経済に適応した結果ああいう考え方や行動をしているだけなのでしょう。まあ、いけ好かないことには変わりないのですが。

いまの仕組みや環境にどっぷり適応している人ほど、この状況が大きく変わったとき、ものすごく慌て混乱する気がします。
今回の金融危機や、今後来るであろう石油枯渇やドル暴落は経済的思春期でしょうか。今までの考え方ではやっていけなくなって、自分の頭で考えて自立に踏み出す切欠という感じで。
今まで信じていたお金の価値や、分業専業の職業形態が根こそぎ覆されそうな予感がします。


多様性を持ってひとつの思想や職業に嵌り込み過ぎないと、変化に強くなり、生活の足場が強固なものになると思います。
半農半Xなどその典型ですね。
農業一本だと、気候要因などで農業がダメになったとき、生活のすべてが立ち行かなくなってしまいますし、
給与だけに頼って生活していると、会社がダメになったとき、やはり生活できなくなってしまいます。
イシイ | 2009年10月18日(日) 22:59 | URL | コメント編集

●>>イシイさん

>サラリーマンは会社や給与生活に適応しているのでしょう。
>経団連幹部などの財界人だって、資本主義経済に適応した結果
>ああいう考え方や行動をしているだけなのでしょう。

  そういうことです。
  だから、彼らを非難するといっても、道義や倫理にのっとってやっても意味がありません。経団連がそういう方向に進むおおもとの原因、近代経済システムというものについて考えなくてはいけません。
  その上で、彼らが耳を傾ける可能性があるとしたら、「景気とは総需要である」という根本原理を分かってもらうことでしょうか。しかし、それも今の経団連を見ている限り、無理でしょうね。団塊の世代から先はだめでしょう。自分の利益を極大化することが善であると信じており、また常にそれが可能な物的条件の中で生きてきていますから、いまさら考え方を変えることは考えにくいです。
  そうなると、我々自身が軸をずらして生きて行かざるをえません。

>今まで信じていたお金の価値や、分業専業の職業形態が根こそぎ覆されそうな予感がします。

  そこにピンと来る人が増えれば増えるほど、今後の世界は破滅を免れる割合が大きくなるでしょう。
  しかし、いくらその見通しに自信があるからといって、信じなければ破滅するぞなどというつもりはありません。それはカルト宗教です。そういう態度でひとと接する人間は、他人を支配したいという邪念があります。私は、人に支配されたくもないし、したくもありません。
  子供を教えていてたった一つだけ分かったことは、「人間は、言っていることではなく、やっている人を見て納得したり信頼したりする」ということです。
  だからこそ、言うよりやることが大事だと思っています。しかも、義務感や苦労ぬきで、楽しくやらないといけません。
ろろ | 2009年10月18日(日) 23:20 | URL | コメント編集

 日銀だけでなく、海外でも需要創出策の打ち止めが提案され始めていますね。

 銀行の自己資本比率の引き上げが決まりましたし、欧州の新車買い換え補助金は終了しますし、米国の需要創出策(いわゆるグリーンニューディール)は、やっと大綱がこの前発表されたばかりなのですが、これでは果たして2010年度の予算に盛り込まれるかどうかも怪しい。

 欧米がこの調子だと、欧州のマネが大好きな民主党は嬉々としてそれに付いていくでしょうし、日銀や財務省の中にいる緊縮財政派も同調するでしょう。
本来政治家を助けて世の中をインフレに持っていくべき金融界は政治家の陰に隠れて、国民の経済に対する誤解を助長して保身を図る。結果としてますます貧富の差が開く。デフレは持てる者に有利に働きますからね。

 先進国みんなしてデフレへまっしぐら。その動きの中心には各国の中央銀行が。

 こりゃ今回の不況は長引きますな。
院生志望 | 2009年10月21日(水) 00:08 | URL | コメント編集

●>>院生希望さん

>こりゃ今回の不況は長引きますな。

  いや、長引くどころではありません。
  今後、日本で、コストプッシュ型のインフレをのぞき、デフレ以外の局面が訪れることはないと思っています。
  私は経済学の専門家でもありませんし、裏情報も知りません。しかし、日本国の全ての利害関係人(国民をのぞく)にとっては、日本が徹底的にデフレに陥ってくれる方が都合が良いということだけは分かります。
  二大政党のどちらもが、デフレギャップに言及しないという異常性が全てを物語っています。そうしないと、よってたかって潰されるのです。

  さらに言えば、今後の世界で、60年代の日本のような成長モデル(ゆるやかなインフレ・地価上昇・賃金上昇を兼ねそろえ、貿易黒字でGDPを拡大させる方法)を成功させる例は出てこないでしょう。
  チュウゴク共産党の中でも少しは頭の回る連中は、いまさら昔の日本の真似をして内需型への転換を狙っているようですが、無駄です。エントロピー処分場以上の役割を中国に期待している国など、世界のどこにもありません。
  彼らは、大日本帝国の二の舞になり、「海外進出」する羽目になります。目標は・・・もうお分かりですよね。  
  
ろろ | 2009年10月21日(水) 02:53 | URL | コメント編集

●オススメ本

先日本屋で
「耕作放棄地活用ガイド」
という本を買ってきました。(定価900円)
これ、結構いいですよ。

単に土地の再活用の例だけではなく、農業を通してどう生きていくのか
などが書かれており、非常に読み応えがあります。
(個人的には、ろろさんの以前の記事を読んでいたこともあり
 山梨県の柿の話が面白かったですが。)

ろろさんの考えに合致する部分がかなりあると思います。
興味があればどうぞ。

noa | 2009年10月21日(水) 23:21 | URL | コメント編集

●遅ればせながら…

私のような 時代錯誤バカの愚痴話を取り上げていただき 有り難うございます。
管理人様のお話や 読者様のコメントを拝見させて頂き 多少では有りますが何かつかめた気が致しました。

詰まるところ 自分が望むものは 自分で作り出さなければ成らないのかもしれないんですね。


流れには逆らえないというのは頭ではわかっているのですが正直な話 やはり…「なんだかな~…」てな 感じです。
じろ吉 | 2009年10月22日(木) 00:41 | URL | コメント編集

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