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2009.10.06(Tue)

貿易の守護者に与えられる魔法の杖・・・その名は「基軸通貨」(2)  

  ●前回の記事の続きです。

  アメリカドルに特権的地位を与えるブレトン・ウッズ体制は、しばらくの間有効に機能していました。
  その恩恵をもっとも受けたのが我が日本です。戦後の焼け野原から復興してしばらくの間、日本は膨大な対外債務を抱えていましたが、対米輸出を増加させることにより外貨を蓄積し、やがて債権国になるほどの金持ち国家になりました。我々が様々な国から物資を輸入していられるのは、ドルが基軸通貨であり、とにかくアメリカ相手にものを売ればドルを稼ぐことができるという、わかりやすいメカニズムがあったからです。
  この頃の日本は、まだドル取引が自由ではなく、外資の参入も厳しく規制されていました。つまり、貿易で黒字を上げれば、その分総需要が増えることになり、結果として高度経済成長が実現されたということができます。
  そして、日本にとどまらず、いわゆる「西側」の国々は、みな多かれ少なかれ同様のメカニズムで発展を遂げました。

  しかし、この仕組みには公に発表できない大前提があります。それは、

  「アメリカが最後の引き受け手になる」

  ということです。すなわち、西側諸国が経済成長できる前提は、その国が黒字体質でいることですが、それは最終的には対米貿易で黒字を上げることにつながります。
  アメリカは、前回の記事でも言ったとおり、札を刷ることでいくらでもものを買うことができる唯一の国(これを、「通貨発行益がある」などという)ですから、ある意味無尽蔵な需要を生み出すことができます。
  しかし、ドル札というのは、アメリカ政府が刷っているわけではなく、連邦準備制度委員会という中央銀行に類似した民間の機関(アメリカ政府の資本は1ドルたりとも入っていない。●こちらを参照)が発行しています。だから、アメリカ政府が通貨発行益を本当に得るためには、国債を発行するという形しかありません。国内向けに発行すれば、利子はあるものの、徴税と類似した資金の吸い上げに似たものと理解することができますが、対外的に債務を負うとなれば、純然たる負担になるわけです。
  こうして、アメリカは「財政赤字」と「貿易赤字」という双子の赤字に悩まされることになりました。この傾向は60年代のベトナム戦争で国内向けに大量の財政支出を行ったことで拍車がかかります。
  こうした中で、アメリカドルに対する信頼が徐々に揺らいでいきます。ドルの価値は世界で唯一の兌換紙幣、すなわちいざとなればゴールドに交換することが出来るただひとつの通貨だったことに尽きます。フランスをのぞいて、ほとんどの国がドルを自国内に貯め込むか、対外債務の返済に充てていたからよかったものの、ゴールドとの交換をいっせいに求められたら、おそらくアメリカ政府にはそれに応じる余裕はなかったでしょう。
  60年代も後半になると、西側諸国が対米輸出で稼いだカネで対外債務を完済し始め、「これはヤバイ」ということになりました。いまやアメリカには、成長した同盟諸国に対して黒字を計上できるような産業がありません。というか、それだけ西側、特に日本と西ドイツが産業力においてアメリカを凌駕する存在になっていました。どちらも敗戦国だというのが何か皮肉なものですが・・・。
  ここでもし、日本や西ドイツが近隣諸国を糾合して、ドイツマルクや日本円が基軸通貨的な役割を担ってしまえばどうなるでしょうか。アメリカは通貨発行益を得る特権的な地位を失うことになります。
  これは、ドルを集積することで力を維持しているニューヨークに本拠地がある金融資本にとっても都合が悪いことです。これら金融資本は、今までは発展途上の西側諸国にカネを貸し付けてもうけていたのですが、そういう商売が今後も続けられなくなる可能性が出てきます。

  そこでアメリカ側がしかけたのが1971年「ニクソンショック」でした。その内容は、

1.ニクソン大統領の中国訪問の予告
2.金とドルの兌換停止

  
  の二つです。当時のアメリカ・ニクソン政権が突然やったのでこう呼ばれていますが、おそらく上記のようなアメリカ(及びそこに寄生する金融資本)の衰勢を見て、注意深く練られた作戦だったのでしょう。
  この二つの政策は一見すると「冷戦のライバルであるソ連から中国を引きはがす」「ドルの大幅な切り下げ」という異なる目的に奉仕するもののように見えますが、根底ではつながっています。

  まず、中国との関係改善および国交回復が行われれば、当然中国側も米ドルを基軸通貨とするグローバル貿易体制に組み込まれることになります。
  中国は膨大な人口を抱え、国民の購買力も非常に低い(ということは、人件費が安い)国です。これが突然グローバル貿易に参加してくるということは、駅前商店街の隣に巨大ディスカウントストアができるようなもので、初めはなじみの商店街に通っていた人たちも、やがて同じ品物がはるかに低価格で手に入るディスカウントストアの方に通うようになるでしょう。
  要するに、「世界の工場」的な日本の地位を中国が奪うという事態は、もうこの時すでに決まっていたということです。
  今まではそのような「不公正な」事態は、冷戦においてソ連がユーラシアのランドパワー(大陸諸国)を強圧的に支配することで押さえられていたのですが、冷戦の共同正犯であるアメリカが自らその制約を破ってしまったわけです。ニクソンショック当時の日本の首相だった佐藤栄作が「聞いていない」という●ダチョウ倶楽部のようなセリフを吐いて狼狽したと言われていますが、それもそのはずで、彼は自分たち戦前からの生き残りが作り上げた発展モデルを、アメリカがぶち壊しにかかったことを意味するということをよく分かっていたのです。
  もっとも、そこまで深刻にこの出来事を受け止めた人はごくわずかであり、「中国をソ連から引きはがして冷戦で優位に立つ」という、いかにもメディアが好みそうな表面的な説明で納得してしまった人がほとんどだったことでしょう。

  そして、ゴールドとの兌換が廃止されたことは、アメリカドルの発行に課せられていた最後の制約がなくなり、ドルの垂れ流しに歯止めが利かなくなったことを意味します。
  これは当然双子の赤字のさらなる悪化につながるのですが、アメリカはもはやその部分については手当をすることを放棄したということでもあります。よく子供向けの教科書などには、「アメリカの貿易赤字がふくらんだので、日本との貿易摩擦が生じた」などと書かれていますが、大嘘です。貿易赤字をなんとかしようなどということは、とうのアメリカは本気で考えていません。アメリカがコツコツ真面目に赤字の解消に努めたら、アメリカが最後の引き受け手となって機能しているグローバル貿易体制が崩壊してしまうことになります。
  そうなると、こちらの方向転換は、日本を初めとする西側諸国にとって「まあ、仕方ないか」と思わせるものだったのかもしれません。

  いま振り返ってみると、ニクソンショックの他にも、アメリカドルが基軸通貨であるという一点をのぞいて、根本的に戦後の世界の方向を転換するようなイベントが70年代前半に集中して起こっています。
  たとえば、1973年の「第1次石油ショック」です。これによって、対米輸出で総需要を拡大し続けるという、西側諸国の発展モデルが成り立たなくなりました。
  また、アメリカ国内の製造業が壊滅的打撃を受け、製造業から金融・サービスを中心とする産業構造への転換が促進されることになりました。膨大な失業者が出たことで、新興産業への労働力移動が行いやすくなったのです。
  経済理論の上でも、政府が財政支出を行って有効需要の創出に努めるべきだとするケインズ主義が後退し、●フリードマンのような新自由主義が台頭することになります。このような思想が流布されることで、規制で保護されて内需を拡大できたアメリカ以外の西側諸国は、内側から自国経済を掘り崩していくようになっていきます。ちなみに、彼がユダヤ人だというのも、決して偶然ではありません。
  これと似たようなインパクトを持っているのが、1972年の「国連人間環境会議」です。何が大きいのかというと、ここで初めて環境保護という思想が世界中に宣伝されたということです。それまでは環境破壊というと、公害など国内問題にとどまる問題という位置づけだったのが、世界の国々が共同して取り組むべき課題だということにされました。これによって少なくとも先進国では経済発展はあまり良いものではないかもしれないという認識が共有されるとともに、国際機関のイニシアチブによって各国の政策を制約できる可能性が生まれました。
  人間環境会議と似たようなものとして、1975年に初めて開かれた「先進国首脳会議」(サミット)があります。これも、先進国間の協調という建前はともかくとして、日本や西ドイツのような新興勢力がアメリカによる「調整」を受けやすくなるという効果があります。
  こうやって見てみると、今ある世界経済の運営の仕組みは、ほぼここで決まったといっても過言ではないでしょう。
  その目的は全て、新興勢力がアメリカの「貿易の守護者」としての地位を脅かすことを防ぐという点に集約されます。戦前と異なる点は、アメリカが怖れる勢力(日本や西ドイツ)が軍事的な挑戦を試みず、あくまでアメリカが作ったブレトン・ウッズ体制と冷戦というフォーマットの上で最大のパフォーマンスを見せることで自然とアメリカの脅威に成長したことであり、その点を除けばイギリスがやっていた敵対勢力の封じ込めという意図は変わりません。
  そして、対ヨーロッパという面では、この目標は70年代にほぼ達成されたと見てよいでしょう。まるで日露戦争後のロシアよろしく、西ドイツすらアメリカの脅威ではなくなったのです。

  しかし、それでもしぶとく生き残った「敵」がいました。日本です。

  イギリスが帝政ドイツを3B政策と対独包囲網の形成によって叩きつぶしたように、当然アメリカも日本を潰しにかかることになるわけですが、これについては次回に話をゆずります。

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EDIT  |  07:48 |  地政学・国際関係  | TB(0)  | CM(2) | Top↑

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●TBです

世界経済にとって70年代はどういう時代だったのか
http://sun.ap.teacup.com/souun/358.html
経済支配層は70年代に何を考えたのか
http://sun.ap.teacup.com/souun/359.html
http://sun.ap.teacup.com/souun/360.html
早雲 | 2009年10月06日(火) 16:48 | URL | コメント編集

●FRB関連記事です

連邦準備銀行と日銀の違い:ドル紙幣は貨幣ではなく「利子がつかない小額の国債
http://sun.ap.teacup.com/souun/796.html
無から通貨が創造され、国民が利息を支払う
http://sun.ap.teacup.com/souun/798.html
違法のFRB(連邦準備理事会)
http://sun.ap.teacup.com/souun/803.html
早雲 | 2009年10月08日(木) 02:21 | URL | コメント編集

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