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2009.08.19(Wed)

最近気づいたこと 

  更新が少なくてすみません。連日塾の方で夏期講習があり、お盆休みの間も東北に行ったり富山に行ったりで、あまり時間がありませんでした。
  明日から仕事なので、今日は家事や骨休めをいたします。あまり本格的な記事を書けなくて申し訳ありませんが、お盆休みの経験を通じて気づいたことを書いておきます。

  たいしたことではないのですが、ここのところで、わかり合える人間というか、多少の差異を無視して共にやっていける人の類型が明らかになりました。

  それは、男性ならば、

・農作業を嫌がらない
・大工仕事を厭わない


  このどちらかに当てはまる人で、女性であれば、これに加えて、

・家事、特に針仕事を厭わない

  という要素のどれかを満たす人です。これを抽象化すると、

・自分のことを他人に投げない人間
・手間のかかる作業をカネで解決しようとしない人間


  ということになるでしょうか。さらに、この論理を敷衍すると、

・すぐに面倒くさいと言い出す奴
・やらない言い訳ばかり口にする人間



  は、他の要素がどれだけ優れていてもNGということになります。

・物事をやるとき文句を言う人間

  というのは、二種類に分かれると思います。
  ひとつは、やり始めると真摯に取り組む人間で、もう一つは、二度目からその作業から逃げ出す人間です。前者は単なる食わず嫌いであり、一度口に入れると「結構うまいな」とか言い始める単純な人間といえるので、害はありません。しかし、後者は上に挙げたNGの人間です。

  ここで大事なのは、このような分け方は言語的な表現とは関係がないということです。たとえば、人にきかれて「家事は得意です」と答える人イコール好きな人というわけではないということです。そうやって「自分はこういう人間だ」ということを表出したがる人は、肝心の時に役に立たないタイプが多いのではないかとすら思います。
  なにしろ、肝心の場面になったとき、黙って仕事に取り組む人間であるかどうかが大切です。
  そのような人の特徴をもう一つ挙げておくと、

・独立している

  ということが言えます。何かに寄りかかっていないので、タブーだとか右翼左翼みたいなスタンスがない、あっても固執しないという傾向があるようです。
  裏を返せば、右翼だとか左翼だとか保守だとか地球市民だとかいう連中は、現実の問題を観念で解決しようとする人間であり、政府のカネや暴力装置(警察など)を当てにしているどうしようもない人間だということです。
  私自身、そういう人間だった時期があるわけですが、それでも今にいたってコメント欄で韓国や中国や左翼を感情的に貶し、あふれるメディアリテラシーで「消去法で自民党」とか言っていた人たちはこのブログから遠ざかっていきました。また、私自身もそういう人たちのブログや掲示板には足を向けなくなりました。お互い、何か感じるものがあってそうなったのでしょう。
  たまに政局のことを書くと「そういう感じ」の人が寄ってくるのは、まあなんというか、近代国家における政治が観念の現実化という不毛な作業であることに尽きるのではないかと思います。
  そういう余計なものに惑わされず、本質を俯瞰できるブログとして細々とやっていきたいと思います。みなさん、これからもどうぞよろしく。

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Comment

●少し耳が痛いですが

ダメなものはダメなんですよね。
右とか左とかに拘っていては本質を見失うという事ですね。
お陰で左右から攻撃をうけますが隠密剣士が右ならそんな右は恥だし。

ケーキ屋 | 2009年08月21日(金) 20:24 | URL | コメント編集

一番上の記事のことなのですが…
【告知】裁判員制度廃止のために、国民審査で「竹崎博充」最高裁長官に×印をつけよう

> 竹崎博充(たけざきひろのぶ)の名前に×印をつけて、
> 「竹崎博充(たけざきひろみつ)」と書かれた名前の上の空欄に
これはどっちが間違っているんでしょうか?
pp | 2009年08月25日(火) 18:00 | URL | コメント編集

●>>ppさん

恥ずかしながら、追記を訂正しそびれていました。「ひろのぶ」が正しいです。
ろろ | 2009年08月25日(火) 22:46 | URL | コメント編集

お久しぶりです。
私も昨今、このことを考えてました。
実際に出会える人間は限りがあり、出会えても長く付き合っていける人間はもっと少なくなります。
長く付き合っていける人間は大事にするとしても、それほどでない人間とはどうすればいいのか?という疑問に当たります。
喧嘩とか見苦しいものや嫌な思いをするなら、多少の棲み分けが必要なのではと思うんですよね。同じような人間の集まりならその様なことにはなりにくいです。わざわざ嫌な思いを双方してたら疲れると思ったんですよね。
ただ、仕事とか、近所とかは別だと思っています。
しかし、それとは別に政治状況というか公のことというのはそれと同じではまずいような気がして考えてしまいます。勝ち馬にのるみたいな、強いものについていけばいいみたいな皆がそうするからみたいな考えがいじめとかにも昨今の政治にも繋がる様な気がしているのです。
どうしたらいいのかな?とつくづく思います。
普段は、気のあう人間とやっていくが、いざというときだけは手を取り合うことが出来るのか?
それとも、独立した人間を増やせばいいのか?
本当にどうすればいいのでしょうね?
多分、いじめも拉致問題も白人万歳も全てそういう
幸未来願 | 2009年08月26日(水) 07:18 | URL | コメント編集

●>>幸未来願さん

>勝ち馬にのるみたいな、強いものについていけばいいみたいな皆がそうするからみたいな考えがいじめとかにも昨今の政治にも繋がる様な気がしているのです。

  そうでしょうね。多分、楽で便利になったという物的条件が当たり前になると、そういう世代が増えるのだと思います。
  あまり嘆いていても仕方がないでしょう。この世からエアコンや自動車を全て消去してしまえるなら話は別ですが、どだい無理な話です。

>普段は、気のあう人間とやっていくが、いざというときだけは手を取り合うことが出来るのか?
 
  何で気が合うか、何で手を取り合うかが問題です。極端に言えば、カネやカネによって生み出すものを媒介せずにやっていける相手かどうかです。そう言うと、みんな「自分と誰それの間にはカネなんか入り込んでいない」と言うかもしれませんが、これを近代国家が作り出した場所(たとえば学校)や文明の利器(たとえば携帯電話)まで広げて考えれば分かると思います。
  一番強いのは、生命に関する利害が共通しているということです。今の世の中では、カネを払えばその危険はとりあえず除去が可能であり、すなわち他者の協力が不要になります。他人と協力し合って、生活をしていくことを楽しめるような場を作っていくべきでしょう。ここでは詳しく書きませんが、今自分が取り組んでいるのもそういう感じのことです。
ろろ | 2009年08月27日(木) 11:46 | URL | コメント編集

たとえば警察=暴力組織って言い方すると昔の学生時代に瓶やらバット振り回してたり人想像して引いてしまいます。
>>たまに政局のことを書くと「そういう感じ」の人が寄ってくる
ブログ主さんも「そういう感じ」の人に見られてるのでわないでしょうか。
世界の名無しさん | 2009年08月30日(日) 23:43 | URL | コメント編集

●>>名無しさん

>ブログ主さんも「そういう感じ」の人に見られてるのでわないでしょうか。

どうせ人は立場や価値観を通してしか文章を読めないでしょうから、あれこれ考えず今後も書いていきます。

ろろ | 2009年08月31日(月) 14:53 | URL | コメント編集

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