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2009.08.06(Thu)

平安・鎌倉・室町~時代のエトスについて(4)〔神戸訪問記その1〕 

  長らくお待たせして済みません。●こちらの歴史の話の続きです。
  7月中旬にたまたま休みが取れたので、関西の友人を訪ねがてら、平清盛ゆかりの地を回ってみました。しばらく、その時の写真を交えながら話していきます。書いているうちに「日本探訪」の方の旅行記なんだか、歴史の話なんだか分からなくなってしまいましたが、どうかご覧下さい。

  平清盛といえば、「日宋貿易」です。どんな教科書にもこれは必ず出ています。
  清盛が、日宋貿易に取り組んだ理由はいくつかあって、まずは単純に天下を取ったので次にやることはなんだろうと探したら外国との貿易だったということです。
  もちろん、それをやるからにはメリットがなくてはいけないわけですが、日宋貿易の場合は「宋銭」という目玉商品がありました。
  宋というのは、その前の唐王朝と違い、なるべく武力を用いずに平和に平和に中国を治めようとした王朝です。それゆえ、武断政治を避け、商業の発展を国の第一方針にしていました。商業を活発にするには、簡単に交換できる手段を作らなければいけないわけで、それが大量の宋銭の発行につながっていきます。この宋銭は、すでに10世紀には日本にも入ってきており、その質の高さや量の手頃さから、やがて西日本で流通を始めました。
  平清盛は、安芸(広島県中央部)や播磨(兵庫県西部)の国司を務めたことがあり、その時代に瀬戸内海の海賊を伊勢平氏の中に組み込むということをやっています。じっさいにそのことが清盛の権力の源泉の一つになっているわけですが、宋銭がモノを買う手段として大いに使えるということは当然理解していたでしょう。
  これは、権力者のたどる一つのパターンです。貨幣というのは、本来物を交換するための手段に過ぎないわけですが、交換する物が増え、流通の機会が膨大になると、物を直接生産するより貨幣を手に入れる方が手っ取り早く必要な物を手に入れられるようになります。貨幣の発行や流通を司る者が経済を制するのは当然のことです。
  ユダヤ系の財閥に「ロスチャイルド家」というところがありますが、その当主だったマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドという人物が、「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。」 と言ったのは、このことを物語っていると言えるでしょう。清盛と平氏は通貨の発行権こそ持っていませんでしたが、中国から宋銭を輸入して近畿地方に運ぶことができる唯一の勢力だったわけですから、ロスチャイルドの言うような地位に就いていたと言えます。
  この頃、後白河法皇が、側近と図って、「宋銭は公式の銭ではないから、流通に用いてはならない」ということを朝廷で主張したことがあるそうです。これは、平氏の台頭を快く思わない後白河法皇が、彼らの力の源である宋銭を否定し、平氏を押さえ込もうとしたものだと評価することが出来ます。

  その清盛が取り組んだ大きな事業が二つあります。一つは、「大輪田泊(おおわだのどまり)の整備」であり、もう一つが「福原遷都」です。
  前者は国際貿易港の整備、後者はその大輪田泊の近くへの遷都という壮大な計画ですが、まずは大輪田泊の方から見ていくことにしましょう。

  清盛が整備した大輪田泊は、今の神戸市兵庫区にある「和田岬」一帯に当たります。

     
大きな地図で見る

  大阪湾は、周囲の河川から流れ込む土砂の堆積で浅くなっている場所が多いのですが、大輪田泊の辺りはそれがなく、天然の良港jということができます。これは、幕末の兵庫港開港、そして現在の国際貿易港である神戸港の利点でもあります。
  昔は和田岬に行くとなるとJR兵庫駅から朝と夕方だけ走っている支線に乗っていくしかなかったのですが、今は地下鉄海岸線を使って、神戸の中心である三宮から簡単に行くことができます。
  地下鉄の和田岬駅を出て、少し歩いてみることにしましょう。

     和田岬1
   海を背に「清盛塚」や「平相国廟」のある方へ向かうと、三菱重工の関連会社の建物の塀にこんなものが描いてあります。神戸造船所の中にある●和田岬砲台です。幕末に海岸防備の必要性から備えたもので、設計したのはあの勝海舟です。

     和田岬2

     ●和田神社(わだみや)です。江戸時代の17世紀中頃に尼崎藩主が造営したもので、主神はイザナギ・イザナミの子供である蛭子大神(えびすおおかみ)です。なんでも、蛭子大神が淡路島から本州に渡ってきたときに最初の一歩を踏みしめたのが和田岬だったとか。今も昔も、この地は良い港だったということなのでしょう。
  兵庫工業高校の脇を通り、北の方に向かうと、十字路の角に「兵庫住吉神社」があり、その一角に「清盛塚」があります。

     清盛塚

  地元の人には清盛の墳墓だと信じられていたようですが、市電の開通に伴いこの場所に移転し、その時の調査でお墓ではなく供養塔だということが判明しました。移転に反対する市民も多かったみたいです。それだけ、港町神戸を歴史の中に登場させた人物への思慕があるということなんでしょうね。

     大輪田橋

  港の方に行く道の途中に橋が架かっており、大輪田泊にちなんで「大輪田橋」と名付けられています。黒く焦げているのは、昭和20年に米軍の空襲を受けた際の傷跡です。
  古代の大輪田泊はどんなだったのだろうと、想像してみるために、港湾施設の間を縫って海に向かいます。

     大輪田泊を望む1

  一応、この方向に大輪田泊があったようですが、昔の海岸線は影も形もありません。

     大輪田泊を望む2

  やっぱり分かりませんね。当たり前ですが(笑)。
  今の神戸港を象徴するものは、どちらかというとこういう設備でしょう。

     巨大クレーン

  工事用のクレーンか何かのようですが、ここまで大きいとは思いませんでした。清盛の時代には、港がこんなものができるとは想像できなかったでしょう。
  しかし、モーメント(動力)は変わったとしても、ベクトル(方向)は清盛の頃から変わっていません。この神戸港の水面も、大輪田泊の水面も、はるかかなたの中国の海とつながっているのです。ここにはないものを、あちら側から持ってくるという、貿易の本質は、清盛の頃と今とでは全く変わっていません。
  私は普段、食糧自給率が大事だとか、入会地を中心に共同体を作ろうとかブログで書いていますし、将来は秩父や比企郡の山の近くで農業でもやって暮らしたいと思っている人間ですが、こうやって港に来ると、いわゆる「シーパワー」というもののもつ魅力が分かるような気がします。この海がどこかで違う世界につながっていると思うと、そこに行ってみたくなります。おそらくその行程は、暦に従って去年と同じことを繰り返す農村での生活より、はるかに面白いはずです。
  農村、つまりランドパワーの持つエートスというのが、二足歩行する人間が、生きるために共同生活を営むという人間の本質に向けられているとすれば、シーパワーのエートスは、未知のものや不確定な未来に対して挑戦するという、人間のもう一つの側面を表していると言えないでしょうか。どちらが優れているとかいう問題ではなく、あえていうならどちらも人間の持つ本能の現れではないかと思うわけです。
  だから、シーパワーの外とつながろうとするベクトルを「売国奴を生む」と切って捨てるのもどうかと思いますし、ランドパワーのベクトルを「時代遅れで効率が悪い」と言い切ることもできません。今は石油文明なのでシーパワーの方が優位に立っているように見えますが、よくこのブログがみなさんを脅すために(笑)持ち出す●石油減耗が進めば、いずれ逆転する可能性もあるわけです。
  その場合もシーパワー的なものは死なないし、むしろそれは場所を限定して我々がより良い生活を送るために生かしていくべきではないかと思うわけです。
  
  場所を変えて、清盛塚からさらに北へ向かいます。私が和田岬を訪ねた日は、生憎と昼下がりになってから天気が崩れてしまいました。
  細かい雨が降る中、たどり着いたのは「能福寺」です。9世紀初頭に伝教大師(最澄)が開いたと言われるお寺です。
  平清盛は「入道様」などと言われることもありましたが、後で述べる福原遷都に伴い、頭を剃って仏門に入ったからです。その儀式を行ったのがこの能福寺だと言われています。

     神戸大仏

  いわゆる「神戸大仏」といわれる大仏様です。明治23年に、地元の有力商人の浄財によって建立されました。なんでも、戦時中の金属集めで初代が入滅(笑)され、今あるのは二代目だそうです。
  その傍らに、「平相国廟」があります。

     清盛供養塔

  清盛が亡くなった後、お坊さんが遺骨を持ち帰ってこちらに葬ったという言い伝えがあります。ただし、こちらの写真にある塔は、源平合戦後、平氏ゆかりの建物がことごとく破壊されたことを残念がった執権・北条貞時が、弘安9年(1286)に清盛を弔うために作ったものです。
  さらに、この港町の歴史を物語る碑が境内にひっそりたたずんでいます。

     神戸事件の碑

  ●神戸事件で、責任を取って切腹した滝善三郎を称える記念碑です。かつて永福寺という別のお寺にあったものを、こちらに移設したものです。
  神戸事件は、備前藩の武士に対して狼藉を働いたフランス人との間のいざこざから、銃撃戦にまで発展したもので、●堺事件と並んで、開国間もない時期に起きた外交問題の一つです。
  最終的に、滝善三郎が切腹をすることでこの一件を収めることになりますが、今までの常識からすれば当然のことを行ったのにもかかわらず、詰め腹を切らされた滝のことが可哀想でなりません。
  しかし、この記念碑が物語っていますが、彼の死が無駄死にだったということは決してありません。私は実は、堺事件は知っていても、この神戸事件は知りませんでした。恥ずかしいことです。
  戦争で亡くなった方々もそうですが、神戸の町の繁栄も、我々の平和な生活も、このような歴史の教科書にも載らない、もちろん入試にも出ない無数の人びとの犠牲によって支えられているに違いありません。
  そうだとすれば、我々が子供達に教えなければいけないのは、愛国心を持てとか、天皇陛下のために死ねだとか、自己実現のための努力しろだとか、そんなものではなく、滝善三郎のような人物がいたのだということ、そして、そのような犠牲が決して無意味なものではなかったのだということなのではないでしょうか。
  そんなことを考えながら、小雨の中、新長田駅の方へ向かいました。以前神戸に来た時立ち寄った「そばめし」の店に行こうと思ったのですが、残念ながら時間が時間なので閉まっていました。
  変わりと言ってはなんですが、大阪の梅田で友人と待ち合わせる前に、その人に勧められた店でこんなものを食べました。

明石焼きたちばな

  三宮センター街の外れにある「たちばな」というお店の明石焼きです。たこ焼きの一種だと思って口に入れたら、ほとんど卵焼きといってもいいような感じでした。だし汁につけて食べるのが普通ですが、実は辛口のソースを付けて食べた方がおいしいです。そういうわけで、後半はだし汁を飲み物として頂きました(笑)。

  次回は、福原遷都について書きます。

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Comment

●管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 | 2009年08月07日(金) 10:23 |  | コメント編集

●明石焼き

辛口ソースをつけた上でだし汁にもつけると、また違った味わいなんですよ(笑)

つづき、たのしみにしています!

あやこ | 2009年08月08日(土) 00:42 | URL | コメント編集

●管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 | 2009年08月08日(土) 05:23 |  | コメント編集

●コメントありがとうございます

>>あやこさん

>辛口ソースをつけた上でだし汁にもつけると

  それは、その友人にも言われました。たぶん、あやこさんがご存じの方です。

>>二つ目の秘匿コメントの方

  確かに、大きさが違いますね。訂正しておきます。どうもありがとうございます。
ろろ | 2009年08月08日(土) 10:21 | URL | コメント編集

一番上のエントリに降伏実現党のAD入ってますがシュールです。
Ryu | 2009年08月10日(月) 20:41 | URL | コメント編集

こんにちは、はじめまして、本当に、
あっしらさん(晴耕雨読)、ろろさんには、勉強させてもらっています、
ありがとうございます、
神戸の人は?単に、首塚とか?
”兵庫大仏”とも言っていますが?
あのへんは、本当に、歴史があるところです、
それにしても、姫路から明石、神戸にかけて、
たこ焼きといえば?あのタイプなのです(苦笑)
大阪のたこ焼きではありません、
たこ焼きの、頂上付近北半球と仮定して、ソースを垂らします、
そして、南半球を、鰹だしのおつゆに浸します(笑)
そのミスマッチの味を、播州の人は、楽しんでいます(笑)

ブーゲンビリヤ | 2010年01月26日(火) 20:11 | URL | コメント編集

●>>ブーゲンビリヤさん

>それにしても、姫路から明石、神戸にかけて、
>たこ焼きといえば?あのタイプなのです(苦笑)

  口の中を火傷しそうになるのがネックですが、いろいろな味を楽しめるのはいいですね。
  近畿地方には今後も行く機会があるので、またいただきたいと思います。
ろろ | 2010年01月27日(水) 11:30 | URL | コメント編集

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