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2009.05.21(Thu)

「猫ババア」や「ハトおじさん」は未来の我々の姿かも知れない 

  政局を云々するのに少々疲れたので、角度を変えた話をしてみたいと思います。

「ハトはあきらめるまで3年かかる」の謎
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1242533337589.html

先日、マンションの管理人さんと理事長さんの立ち話で、こんな気になるフレーズが耳に入った。

「ハトはあきらめるまで3年かかりますからねぇ」「3年はガマンですよねえ」

当たり前のように語られている「ハトはあきらめるまで3年かかる」という言葉。でも、自分はそんな話、聞いたことがない。

実はマンションでは、長期にわたって「鳩駆除」対策を行っているのだが、このたび大規模改築にあたって、新たな鳩対策を講じたところだった。とはいえ、一朝一夕で立ち去るわけではないのだろうが、それにしても「3年かかる」とは。

そもそも出自はよくわからないものの、「鶏は三歩歩けば忘れる」とか言われることから「忘れっぽい人=トリ頭」なんて言葉もあるほど。

仮に、そんなに一瞬で忘れてしまうはずのトリでありながら、3年もあきらめないハトって、なんだか恐ろしい執着心ではないか。実際、そういうものなの? ドバト害防除の研究などを行っている財団法人山階鳥類研究所に聞いた。

「『あきらめるまで3年かかる』といった言葉は、聞いたことないですねぇ……。一般的に言われていることというよりも、経験的に得られたことでは?」としながらも、こんな話をしてくれた。「ただ、これまでの研究の中で、ドバトには特に嫌いな音や色はないということがわかっています」

特定の嫌いなものがないため、ドバト対策としては、今のところ、「網で防いでしまう」「とまれないよう、剣山のようなものをたてる」「エサを置いておかない」などしかないのだそうだ。

「たとえば、いくら脅かしても、どこかハトおじさんのような人がハトにエサをあげたりしていると、何十羽も集まってしまうことになります。おいしいものがあって、安全なところであれば、いつまでたってもよそにいかないわけです」

爆竹を鳴らす、音や光、色で脅かすなどしても、その一方でエサが絶たれないのなら、意味はないということ。

「たとえば、ゴキブリホイホイをいっぱい置いておいても、生ゴミが家にたくさんあったら、ゴキブリはいつまでもいなくなりません。ハトも、ゴキブリと同じで、辛抱強くエサを絶たないと根本的な解決にならない。かなり辛抱強さが必要です。それが防除の難しさではあります」

新たな防除策をしたはずの我がマンションでも、さっそくハトフンが窓に……。また、向かいのマンションでは、なんとなく落ち着かない様子で、ご丁寧に1階ずつベランダをおりて、居心地の良い場所を探しているハトの様子が見られた。「あきらめるまで3年かかる」のは、おそらく鳩特有の執念深さとか頭の良さとかではなく、多少の脅しでは全くこたえないということ。

ある意味、瞬間的な恐怖などはすぐ忘れてしまう「トリ頭」ゆえの手ごわさかもしれません。


  私がこれを読んで興味を引かれたのは、この部分です。

>どこかハトおじさんのような人がハトにエサをあげたりしていると、何十羽も集まってしまうことになります。

  この光景は、私も見たことがあります。橋の上や、公園のように、ハトが集まりやすい場所で、パンくずや煎餅の欠片をハトに向かって投げている高齢者の方がいて、その周りにハトが群がっているという光景です。
  最近の都会のハトは妙に人間に慣れているというか、頭すれすれの高さを平気で飛んできます。それでなくても、糞の害があるので、ハトがぞろぞろ下りてくるとなると不気味さを感じてしまうことがあります。そうなると、いわゆる「ハトおじさん」のしていることは非常に迷惑な行為ということもできそうです。
  
  しかし、私にはそういう人を一概に非難することはできません。

  私は20代の頃何回か引っ越しをしました。特に都心の方に住んでいると、ハトおじさんならぬstrong>「猫ババア」を見かけることがあります。要するに電信柱の根元や駐車場の隅っこなどに野良猫用のエサを置いてやっている老女のことです。なぜか、私は女性の方しか見たことと、当時の私が不躾な人間だったということも含めて、失礼な言い方ではありますが「猫ババア」ということにしておきます。

  そのようなお婆さんというのが、驚くほど共通点を持っているのです。貧素で目が虚ろ、身なりに締まりがない。たとえば化粧はしないし、髪はボサッとしている。そんな漢字です。
  今よりも若い時は、猫のせいでゴミが散らかって迷惑だとか、社会のルールに従わない悪い人だと思っただけですが、今に至ってなぜ猫ババアは野良猫にエサをやるのだろうか、と考えてみると、なんとなく理由が分かる気がするのです。
 
  要するに、猫ババアは孤独なのです。

  そもそも家族がいて寂しさを感じなければ、餌をやるだけでほとんど見返りのない行動を取らないはずです。特に孫などいれば、その世話で頭がいっぱいだというのが、普通のおばあちゃんでしょう。孫が大きくなって別に生活しているのか、もともと独身なのかは分かりませんが、周りに人がおらず、あえて人に会いに行くでもないからこそ、身なりに気を遣わないということです。
  また、「かわいがる」対象が野良猫だといのも、猫ババアの置かれている状況を表しています。きちんと飼い猫を養える経済状況ならば、エサをやったところでなつきもしない野良猫の機嫌をとろうと思わないでしょうから、多分経済的にも楽ではないのでしょう。
  普通の人なら、「汚い野良猫なんぞ餌をやってどうするのだろう」と思うのですが、おそらく猫ババアも誰かに必要とされたいのです。しかし、様々な制約があって、飼い猫に類する全面的な扶養はできない。だから、せめて餌をやるという限定的な援助をして、「誰かのための自分」でいたい・・・そんなことが推測されます。
  この辺は、多分「ハトおじさん」にも共通するものがあるのではないでしょうか。相手をしてくれる人間やペットが周りにいないので、仕方なく野外の動物にエサをやって、彼らの役に立つ存在となることで自分の生きている意味を見いだしている、そんな人が結構いるような気がするのです。

  その孤独がなぜ生まれてくるか、そこを考えずに、「人の迷惑になることをするな」と、単なる都会的なルールの遵守を求めるだけでは、おそらく鳩おじさんも、猫ババアもいなくならないと思います。違う形で歪みが現出するだけでしょう。

  私は、さっき、生活に余裕があればペットを飼えるということを書きましたが、そこが全てなのではないかという気がします。
  なぜ東京のような都会に人が出てくるのかと言えば、自由だからです。自分の居住空間でどんな生活をしようが、どんな人生を歩もうが、基本的に誰も干渉してきません。
  しかし、考えればすぐに分かると思いますが、このような場所では基本的に誰も助けてはくれません。だから、病気になったり、必要なものが手元にないとなると非常に困った状況になるわけですが、それを解決するには、たった一つだけ手段があります。「カネを払うこと」です。
  たとえば、自宅で急に具合が悪くなったら、救急車を呼ぶことが出来ます。しかし、運ばれた先の病院はボランティアでやっているわけではないので、治療費を請求してきます。そもそも、救急車が病人を運ぶのも、税金で消防庁を維持しているからです。金銭ぬきで、誰かが誰かを助けるという仕組みは、都会には基本的に存在しません(幸運な例外はあえて無視します)。
  つまり、都会で他者と関係するには必ず貨幣が介在することになるわけです。それが高じると、手持ちの貨幣の多い少ないで人間の価値や人生の中身が決められてしまうようになります。「勝ち組」「負け組」などというマスコミ発の言葉の流布に、そういう風潮が見え隠れしています。
  また、貨幣を得るために自分を切り売りできない人間には価値がないとみなされ、住み処すら与えられなくなります。典型的なのがホームレスという人びとでしょう。彼らに対する一般人の反応が、ハトおじさんの集めているハトや、猫ババアが養っている野良猫と極めてよく似た反応(迷惑なので自分の近くにはいないでほしい)なのは、おそらく偶然ではありません。
  一番問題なのは、この都会の論理が、いまや日本全国にまで広がってしまっていることです。たとえば、田舎でも車がないと生活ができないことなどがその現れです。田舎で生活したければ、ひとりものの老人でもローンを組んで車を買い、ガソリンという自分たちではまず調達できない物資を定期的に購入しなければならないのです。
  そして、その車を使って買い物に行くのが、幹線道路沿いにある、ジャスコのような大規模店舗なわけです。密か疎かの違いがあるだけで、都会と田舎の生活は質の面ではほとんど変わりないといってもいいでしょう。  
  近代以前に農村共同体では当たり前だった相互扶助(=たすけあい)は、そこにはもうありません。おじいさんお婆さんの世話も、地域の安全確保も、役所がカネを使ってやるようになってしまいました。
  今は文明が機能してるからいいものの、今後それがなくなったらどうするのでしょうか。たとえば、石油減耗(●こちらの記事を参照)が進み、車で買い物に行くことを前提として形成されていた社会が機能しなくなったら、買い物すらできなくなってしまいます。田舎であっても、みんなが農業をしているわけではありません。適切な言い方かどうかわかりませんが、「淘汰」が進んで適正な人口になるまで、相当な混乱が予想されます。
  それが東京のような大都会だったら、目も当てられないでしょう。日本中から集まっていた貨幣の力で他の道府県に貢がせていた物資が、そもそも入ってこなくなってしまうのです。そのままではほとんどの人が死ぬでしょうから、食糧や物資の獲得を巡って殺し合いが起きる可能性があります。要するに、「北斗の拳」の世界になってしまうわけです。
  私が今から●入会地を作れだとか、農家に所得補償をつけて都会から人を呼び、農村の人口を増やせと言っているのは、そういう事態を避けるためです。また、外国資本や一部の大企業に便宜を図ることしか頭にない今の政権を潰すべきだと言っているのは、彼らに好き放題やらせて急激に「都会化」が進めば、石油減耗や戦乱が起きた場合の混乱がそれだけ大きくなるからです。
  さらに言えば、歴史に関して何度となく取り上げているのは、そもそも我々が拠って立つ「近代」という時代にどれだけ問題があるかということを、根本的な部分から分かってもらいたいからです。
  社会科学のランキングにいるのに民主党がどうの、中国の経済がどうのと話しているのは、そういう点で全てがつながっているのです。その辺をご理解いただきたいと思います。
  
  そんな手前の事情はどうでもいいとして、みなさんにも分かっていただきたいことが一つあります。それは、

  「今の世の中では、誰でも猫ババアやハトおじさんになる可能性がある」

  ということです。
  なぜなら、貨幣を入手する方法や手段は、本質的には庶民一人一人にはコントロールできない問題だからです。たとえば、いくら努力をしても、雇ってくれる経営者がいない限り、自分を切り売りして生きていくことはできません。また、もし頑張って仕事をしたとしても、景気が悪ければ給料は上がりません。雇用状況や待遇、企業の業績といったミクロな状況は、世の中に出回っている利用可能な貨幣の量(総需要)によって決まっています。個人が努力しても、総需要を増やすことはできません。
  「努力すればなんとでもなる」という風に思えるのは、相対的に総需要が多く、まだ恵まれた状況にあるからそういう風に見えるだけです。今現在進んでいるデフレがもっとひどくなり、加えて石油減耗が進めば、東京のような恵まれた場所ですら総需要は減少してきます。そうなれば、いくら努力をしようと、労働者がたたき売り状態になってしまうわけです。
  一番ひどい状況は、全くの無職になってしまうことです。私の仕事は不況が進むと縮小しやすい需要に頼っている職業(塾講師)なので、若くしてハトおじさんになってしまうということもありえます。
  今は生活保護を受給している人数が160万人程度に収まっているからいいものの、今後対象者が1000万人とか2000万人とかなったとき、政府が保護を続けられるかどうか怪しいものです。なんだかんだ理由をつけて受給資格を絞ることになるでしょう。そうなったら、のたれ死にする人も珍しくなくなるかもしれません。
  それでも「自分は努力して人を使う側になるんだ」「自己責任が全て、チャンスは自分でつかむものだ」「おまえらとは違って成功してから文句を言うんだ」と思っている人はどうぞ勝手にして下さい。
  私が言いたいのは、そういう有能で努力家のあなたさえも猫ババアやハトおじさんになる世の中が来るということであり、それを理解できないならもう何を言っても無駄でしょう。

  猫ババアやハトおじさんのような存在を増やさないためには、現行の経済の仕組みそのものを変えるしかありません。いつも同じ結論になってしまうのですが、本当のことだから仕方がありません。
  具体的に言えば、まず一次産業で個人が生計を維持できる状況を作り(これは農地を企業経営の対象にしろということとは根本的に異なる)、石油減耗に備えて「入会地」を中心とした共同体を形成して、共同体のメンバー同志の活動力の交換をするために「地域通貨」を使い、自分の地域の生産活動や保安活動を自分たちの手で行えるようにする、というような感じです。こういう社会であれば、人的結合が強固になり、ハトおじさんや猫ババアも何らかの役割を与えられて頑張る他ありません。そのような共同体社会と、猫ババアが邪魔者扱いされる社会と、どちらの方が人間的かは言うまでもないでしょう。
  代替エネルギーの開発は、バイオエタノールにしろ、燃料電池にしろ、それを利用できる人間が限られてしまい、特定の国や企業が主導権を握ってしまうという欠点があります。
  たとえば、宇宙エレベータを建造して太陽電池で発電するという方法が提唱されていますが、コストの問題はいいとしても、そのエレベータで発電した電力をみんなでどうやって分け合うのかという発想が欠如してます。結局、宇宙エレベータを運営維持している組織が独占することになるに決まっています。現在、石油が米英の石油メジャーに牛耳られているのと同じことになるわけです。ものすごいコストを掛けて開発した方法を、ただでみんなに分け与えるバカはいませんから、そういうことになるのは必然です。
  だから、カネがかかるエネルギー開発には全く期待していません。今後は、昔ながらのエネルギー(たとえば炭や水車)をいかに利用しやすくするかという点だけを考えるべきでしょう。

  待ったなしだとか、今やらなければ日本が滅ぶなどということはありませんが、意識の変革は今からでちょうど良いくらいです。
  ハトおじさんや猫ババアを見かけたら、この記事を思い出していただけると嬉しいです。

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Comment

●猫ばばあ

思うに、猫ばばあは、孤独と貧困かな。
人間じゃ自分を完全に相手してくれない、理解してくれない、かかわってくれないから、そんな同等な弱い者と判断したどら猫に接する気持ちとか、非常によくわかります。l
生きるのが下手、人を蹴落としてまで金儲けが嫌い、そんな不器用な人間にたまたま発生した事柄だと思います。世間的に見れば運が悪いのかもしれない。

若いもんが働かない金が無いじゃなくて、もう年齢的に逆転が無いんだからさ。
やり直しができないと判断することが多いのが38歳だとかなんとか、くだらんなんかの調査を見たことあるんですが、どんな人でも、夢見ごごちが消えるのが、確かにその頃かもしれません。
だから、そんな動物相手に自分の寂しさを紛らわす寂しく時に辛い気持は、単なる切り捨てで判断しちゃいけないとは思ってます。
それを阻害しているのも、金金社会であり、都会でありってとこでしょうか。
まぁ色々理由があって、都会じゃないと暮らせて行けないって理由の猫ばばあも多いとは思います。

私は債権債務に生きてるんですが、銀行が、国策なのか、国際金融資本の策略なのか、今みんな普通銀行になっちゃいましたが、昔は無尽だった訳で、そこには相互扶助があったですよね。
相互銀行、相互保険会社が、いつの間にか、株式会社になってます。
そりゃもう、株で完全に支配だよね。

昭和のシステムに戻すだけで、どれほど幸せに戻れる可能性が出てくることかね。
全く、米帝のモノマネすると、ろくなことない今日この頃です。
だって、教育でも、軍事でも、過剰消費でも、食でも、社会問題でも、何でもかんでも、殆ど、みんなそこに行きつくんだからさ。
『たに』 | 2009年05月22日(金) 00:35 | URL | コメント編集

●生きるための経済

はじめまして、slowerと申します。
いつも、拝見させて頂いてます。

我々庶民の一人一人が社会・金融システムを変えていくために、自らの意識・価値観を見直し、新しいシステムを考えていかなくては、いまの子供たちに待っているのは、今以上に人間らしく生きられない社会でしょう。

関 曠野 講演録
「生きるための経済」
― なぜ、所得保証と信用の社会化が必要か ―
http://bijp.net/sc/article/27

その答えは地域・公共通貨、ベーシックインカム、循環型社会などにあると思っていますが、なかなか「現代人」の意識改革は…
職場で議論しても、なかなか伝わりません…

しかし、諦めてしまうと「彼ら」の思う壺なので、地道ながら少しづつ伝えていきたいです。

公共通貨(政府通貨)は「虎の尾」を踏みまくってしまいますが…

「政府紙幣」は発行できない!
http://www.asyura.com/2002/dispute4/msg/197.html
slower | 2009年05月22日(金) 03:47 | URL | コメント編集

●TBです

「利潤なき経済社会」と「開かれた地域共同体」
http://sun.ap.teacup.com/souun/179.html
利子取得がおおっぴらのほうが歴史的に特殊な経済社会/利子のない経済社会の弊害
http://sun.ap.teacup.com/souun/1275.html
「個人→国家社会→世界」ではなく「家族を形成する個人→国家社会→世界」という関係構造理解の意義
http://sun.ap.teacup.com/souun/1092.html
早雲 | 2009年05月22日(金) 20:35 | URL | コメント編集

●コメントありがとうございます

>>『たに』さん

>まぁ色々理由があって、都会じゃないと暮らせて行けないって理由の猫ばばあも多いとは思います。

  そうならざるを得ない状況を、根源までさかのぼって考えることが本当の解決策につながると思います。そこに来て、

>昭和のシステムに戻すだけで、どれほど幸せに戻れる可能性が出てくることかね。

  残念ながら、昭和のシステム復活では、また同じような歴史を繰り返すことになるだけでしょう。昭和の高度成長も、今の新自由主義経済も、全て明治の近代化の延長線上にあるということを理解すべきです。

>>slowerさん

  今の経済の仕組みそのままで、「ベーシックインカム」を唱えても、財源はどうするんだとか、努力をしない人間になぜ初めからカネをやるんだとか、そういう批判を浴びたらおしまいだと思いますよ。
  政府紙幣もそうですが、それらは全て分配強化の政策でしかなく、中央の権力を誰が取るかによって存続を左右される点で、旧来の土建屋政治と何ら代わりがありません。
  私は今の公明・自民政権よりは土建屋政治の方がはるかにましだと思っていますが、メディアを握っている外国や金持ちはそういうことをさせない世論形成をするでしょう。また、「バラマキ批判」には一定の根拠はあると思っています。
  急場シノギなら別としても、ずっと使うべき仕組みではないでしょう。

>循環型社会

  公明党が提唱している、リサイクル業者や産廃業界を新しい利権の種にしようというものでないのなら歓迎します。「何を循環させるのか」を書いていただくとよかったのですが。

>>早雲さん

  古代ギリシャの哲学者・アリストテレスは「貨幣が貨幣を生むことは自然に反している」と主張していましたが、それを彷彿とさせる記事ですね。
  利子取得や富の蓄積を礼賛したカルヴァンは、やはり「彼ら」のエージェントだったんでしょう。ルソーやロック、リカードあたりが(前者二人は、自覚があったかどうかは別として)そうだったように・・・。
ろろ | 2009年05月23日(土) 07:34 | URL | コメント編集

今回の記事はとても感慨深いものですね。

私も普段経営者から、「弱い奴は死ぬだけ」と言われて結果出せとせっつかれています。

景気回復するか他に場所見つけたら絶対転職しますが、人生についてふと考えさせられました。

これからはまた違った意味で年老いた親を大切にしようと思います。

ちなみにカルヴァンは、一生を見てるとスイスのバーゼルと関わっている可能性あります。

>1538年、教会勢力の拡大を恐れた市当局によってファレルらと共に追放の憂き目を見るが、約半年間バーゼルに滞在したのち、ストラスブール(シュトラースブルク)に3年間滞在した。

日銀の上位にいる国際決済銀行のあるバーゼルの金融資本です。
ロン | 2009年05月25日(月) 23:24 | URL | コメント編集

●>>ロンさん

>これからはまた違った意味で年老いた親を大切にしようと思います。

是非そうしてあげてください。

>バーゼル

スイスって結構怪しい国なんですよね。永世中立国だったのも、昔からタックスヘイブンみたいな扱いだったのかもしれません。
ろろ | 2009年05月31日(日) 06:46 | URL | コメント編集

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