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2009.03.17(Tue)

平安、鎌倉、室町~時代のエトスについて(1) 

  久々に歴史関係のものを書いてみます。今回は、日本の歴史です。鎌倉時代と室町時代を取り上げます。

  あんまり詳しいことは言えないのですが、最近ちょっと時間的精神的にブログに振り分けられるゆとりが少なくなってしまっていて、結構切れ切れになってしまうかもしれません。その代わり、今後なるべく頻繁に更新したいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

  私大学は哲学科だったんですが、今回の記事みたいなタイトルを出されると拒否反応がありました。「エトスについて」とか、何をかっこつけとるんじゃい、と(笑)。みなさんの中にもそういう風に思われた方がいらっしゃるかもしれません。
  しかし、たいして難しいことや、頭に記憶が残らないような細々したことは述べませんし、大事なことは繰り返し言っていきますから、このシリーズが終わる頃には、多分みなさんの頭の中で、鎌倉時代や室町時代について、有益な視点が残るんじゃないかと思っています。

  本題に入る前に、まず、「エトス」という言葉について説明しておきます。

  エトスというのは、もともとはギリシャ語( ἦθος)です。「いつもの場所」という意味の言葉から出てきたようですが、それが転じて、ヨーロッパで「出発点」とか「特徴」とか、あるいはもっと意訳して「気風」という意味に使われています。
  「出発点」と「特徴」という言葉が、同じ所から出てきていることに注意してください。これが重要です。私が今回、エトスという言葉をわざわざ使っているのは、実はこの「出発点であり、特徴」という言葉が、日本語にはないからなんです。
  
  そこで、まずは鎌倉時代のエトスというものについて、平安時代と比較しながらお話ししておきます。

  鎌倉時代というのは、よく教科書などで、「最初の武士の政権が出来た」とかいう説明がなされます。いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府、とかいう年号を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。なんか、最近、鎌倉幕府の成立は1192年じゃないんだ、という話が出てきているようですが、私はその辺に詳しくありませんし、興味もあまりありませんので、ここでは触れません。
  しかし、ある日突然鎌倉幕府という武士の政権ができあがったわけではないという点は重要です。ニュースなんかで「麻生政権成立」とか言います。あれは、国会で選ばれた総理大臣が内閣のメンバーである大臣を任命した時のことです。鎌倉幕府の初代将軍は源頼朝(みなもとのよりとも)という人物ですが、この人がある日突然武士のリーダーになったかというと、そういうわけではないということです。そこらへんの理解のためには、鎌倉時代の一つ前の時代である平安時代末期の状況について述べておかないといけません。
  時代というのは後からネーミングしたものなので、そういうのにあまりこだわらなくてもいいんですが、平安時代がいつから始まったかははっきりしています。桓武天皇が「平安京」、つまり今の京都に朝廷を移したからです。7世紀くらいからですが、朝廷というのは居場所をコロコロ変えていますが、この平安京はその後1200年続きました。
  桓武天皇が平安京に都を移した一番大きな理由は、早良親王(さわらしんのう)の祟りを逃れるためだったとか言われています。早良親王は、桓武天皇の弟で、皇太子だった人物ですが、藤原氏の誰だかを暗殺した疑いで監禁されて、そのまま死んでしまいました。長岡京にいるとその呪いが降りかかるというんで、都を北東にある平安京に移したんだそうです。
  今から思うと、なんとまあ馬鹿な理由で遷都をするのだろうと思いますが、ここには実は平安時代までの我が国の天皇や貴族といった支配層の特徴が現れています。平安貴族の思考様式というのは、徹底的に観念的なんです。
  観念的というのは、要するにリアリティがないことでも実行してしまうということです。自分がやり方を変えたり、都を移したりするのにはちゃんと頭の中に理由があるんですが、それが実際にどういう影響を及ぼすのかとか、あまり考えない。
  そういう風になるのは、彼ら平安貴族の権力が、そもそもリアリティがないものだからです。
  たとえば、右大臣が内大臣より偉いのはどうしてかというと、大宝律令にそういう風に書いてあるからです。それ以外に、何の理由もありません。能力が優れていれば、取り立てられるということもあったのでしょうが、右大臣があとからアホになっても内大臣より偉いことは変わりません。
  よく官僚組織を江戸時代に喩えている人がいますが、書かれたルール(法律)があって、それに従って人間の役割や身分の高低が定まっているという点では、平安時代の方がより現代の官僚制に近い気がします。
  
  こういう組織の弱点は、放っておくと世の中の実情と政治の機能とがどんどんかけ離れていくことです。平安時代もそういう風になりました。というか、奈良時代あたりからもうすでにそうなっていたというのが本当のところです。
  正確な言い方ではありませんが、大宝律令には、日本の土地についてたった一つしか規定がありません。「口分田」です。農業生産のための土地は、全て朝廷のものとされ、私有地はありえませんでした。いわゆる王土王民思想というものに基づいており、日本の土地は朝廷が一元的に支配するという大前提があったのです。
  今だったら、コンピュータネットワークでどこの土地は誰のものだということは、かなり詳細に管理できます。しかし、奈良とか平安とかそういう時代にそんなことが出来るわけはありません。しかし、「国土は政府が一元的に管理すべし」という理想はちゃんとあって、それに向けて努力はしていたわけです。
  ●唐の律令を扱った話でも似たようなことを言いましたが、律令制の本質というのは、言葉でしか表現できない理想状態を、官僚機構を通して現実にしようという壮大な試みだったのです。これがいいか悪いかという判定はしません。ただ、すぐに時代に合わなくなってしまうという欠点は間違いなくありました。
  一番の難点は、さっきも言ったように、電信も電話もなかった時代に、中央から地方をリモートコントロールしようとした点です。一番そういうのが現れているのは、国司の遥任(ようにん)です。時代劇や大河ドラマで、武蔵守だとか越前守みたいな「なんとかの守(かみ)」とかいう言葉を聞いたことがありませんかね。あれが国司です。もちろん選挙ではなくて、朝廷が任命します。
  で、こいつらのとんでもないところは、たとえば越前守なら越前守なのに、実際に今の福井県に行かないやつがたくさんいたということです。しかも、これが遥任という言葉で正当化されていました。実際の政治は手下にやらせて、自分たちは平安京で遊んでる(笑)。
  今だったら、福井県知事が県庁にも議会にも行かずに東京で毎日ぶらぶらしているようなものなんですが、これが罰せられないんですね。なぜなら、その当時の律令の運用は、決められた税を朝廷に届ければオッケーだったからです。現地で何が起こっているか、そんなのは全然知りません。しかも、藤原氏みたいな有力な貴族に、土地だの貢ぎ物だのを寄進、要するにプレゼントとして差し上げてもいました。どこの途上国だ、という感じですね。今の我が国の官僚が、それに比べればどれだけ真面目か分かるでしょう。
  国司の遥任が横行したというのは、逆に行ってみれば、律令制を悪用したという見方もできます。国司は、租税を朝廷におさめるというルールは守っているわけです。美しい理想に従って作られたルールが、悪用されるというのは、今も昔も変わりません。
  別に、人間なんてたいして真面目でも潔癖でもない生き物ですし、私もあまり真面目ではありません(笑)から、汚職があったことそれ自体をぐじゃぐじゃ言うつもりはないんですが、こういうときはだいたい犠牲になるのが下々の人間です。農民は、恣意的に税をとったり、労役を課したりする国司にはそうとう痛めつけられていたそうです。非常に有名な例があります。10世紀後半の●尾張国郡司百姓等解文(おわりのくにぐんじひゃくせいらげぶみ)というものです。藤原元命(もとなが)という国司がこれだけひどいことをしている、というのを31ヶ条にもわたって列挙した訴え状です。藤原さんはこれでクビになってしまいましたが、ヤクザみたいな男達とつるんだり、テキトーな名目でたびたび税を取ったり、ちょっとやりすぎだったんじゃないかと思います。
  そして、ここは重要なんですが、藤原さんをクビにしたところで、次に来る国司がいい人だという保証は何もありません。一応「式部省」という役所が役人の査定をやっているんですが、そんなのは藤原一族みたいな有力貴族の一存でなんとでもなってしまいます。
  だから、地方の住民は生活のために、自分で自分の身を守らなくてはいけなくなったのです。これがいわゆる「武士」というものの始まりです。
  初めに偉そうにエトスとはなんぞや、という言葉を出したのに、一度もエトスと言わずに来てしまいましたが(笑)、次回出てくるのでご安心下さい。いったん区切って次回に続きます。

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Comment

●わかりやすい日本史ですね

いつもよいお話ありがとうございます。
高校時代に日本史をとっていたのですが、授業が眠くなるくらい退屈でした。先生が教科書や受験参考書にそって話をするものですからわくわく感がなかったのです。でもこのような切り口で歴史を語って下さったらすごくわかりやすいし、多分暗記も苦痛でなくなることでしょう。鎌倉から室町への「エトス」の変遷をわくわくしながら楽しみにしています。
kisha | 2009年03月21日(土) 10:15 | URL | コメント編集

●>>kishaさん

お恥ずかしい限りです。

>先生が教科書や受験参考書にそって話をするものですからわくわく感がなかったのです。

  それが一番効率的な方法ですからね。反論も出ないし、いざ不合格になっても責任追及の対象にならない(笑)。
  私も、味も素っ気もないテキストを使ってますから、その先生の気持ちは分かるなぁ。

>このような切り口で歴史を語って下さったらすごくわかりやすいし、多分暗記も苦痛でなくなることでしょう。

  このブログには歴史に限らず、物事を分析したり解釈したりするときに、原則になっているものの考え方がいくつかありますが、そういうものはおそらく公立私立初等高等を問わず、教育機関では教えることができません。たとえば、入会共同体のことを教えたら、近代国家の優越性が疑われてしまいます。地政学を知れば、細切れの知識で生きているタイプの学者や評論家は要らなくなるでしょう。
  文科省官僚や象牙の塔の住人に頼らずに歴史の意味を探っていかないといけません。私に出来る範囲でそういう作業をやっていきます。
ろろ | 2009年03月22日(日) 02:26 | URL | コメント編集

●大分、ご無沙汰です。

ろろ様、お世話様です。大分、ご無沙汰しております。

平安末期の政治の乱れから武家政治が出来てどうのこうのと言う話は歴史で出てきても、それより以前の武士という成り立ちについては誰も述べない……そういう時間を割くことはありませんでした。

今盛んに、侍ジャパンとか色々喧伝していますが私はどうも好きになれません。感覚的なのでしょうが、安易に侍~、武士道~とかいう単語を使われることにものすごく抵抗感があるんです。我々はもっと歴史を知らなくてはならない。
そんなところでろろ様の記事が光ると思います。
これからもよろしくお願いします。
PNW10 | 2009年03月22日(日) 21:25 | URL | コメント編集

●老婆心ながら

ろろさん

確か、いろいろなところでお目にかかっていたと思いますが、
初めてコメントいたします。

この記事については、着想を得た資料がおありだと思いますが、
その典拠は検証されましたでしょうか。
例えば、今回のテーマでは、『延喜式』、『和名類聚抄』、『大税賑給歴名帳』
といった古書を丹念にあたって、古代日本における軍事力の質的変化を論じた
以下の書籍がピッタリ当て嵌まるのですが、
律令国家の権力構造や武士の起源について、当方の認識とはだいぶ違います・・・
(当方が読んで憶えている限り、なので間違っていたら申し訳ありません)

『古代国家と軍隊』 笹山晴生 講談社
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1596616
海驢 | 2009年04月04日(土) 04:26 | URL | コメント編集

●>>海驢さん

>この記事については、着想を得た資料がおありだと思いますが、
>その典拠は検証されましたでしょうか。

  申し訳ありませんが、そこまではしていません。
  有害な解釈だとか、明らかな事実誤認(たとえば、平将門が11世紀に生まれたとか、国司の遥任がなかったとか)があれば訂正いたしますが、歴史学的見地から資料に丹念に当たり、考察をまとめ上げ、学術的批判に耐えうることを目的とした論文を書いているわけではありません。カテゴリ名もそういう意図です。
  典拠も特にありません。学校の教科書程度の、みんなが知っているようなものを拾い集めただけです。貴君のような(あの真名さんと記紀について対等に議論できるような)専門家レベルの教養をお持ちの方の精読に耐えうるものとして書く素養も労力も当方にはありません。素人がやっつけ仕事で馬鹿なこと言ってる、程度で笑ってお済ませください。
ろろ | 2009年04月04日(土) 13:10 | URL | コメント編集

●すみません・・・

ろろさん

ヘンな突っ込み入れたみたいになってスミマセン。
(締切に追われる中で雑な文章になってしまいました・・・)

当方も決して専門的知識を持っている訳ではないので、
(真名さんに「群書類従ぐらい読め」と怒られた程度のレベルです)
摘み食いの知識を覆すような事実があるのかも?と
少し気になってしまっただけなのです。記事内容については了解しました。

ところで、しわさんの所で引用があった頃からちょくちょく拝見していますが、
ろろさんの視点には非常に共感するところが多いです。
本業もある中でのブログ更新は大変だと思いますが、
是非、真っ当な「モノの見方」を広めていただきたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。
海驢 | 2009年04月05日(日) 00:01 | URL | コメント編集

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