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2009.01.16(Fri)

「入会地」という知恵~真の持続可能な文明に向けて 

  ●「薪や炭をエネルギー源にしてはダメなのか」という記事の続きです。
  本題に入る前に、前回話した人口問題について、面白い記事を見つけたので、紹介しておきます。

「地球を救うには産む子どもの数を減らせばよい」とイギリスの医学誌が主張
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080829_save_the_planet/

地球の温暖化問題に関連して二酸化炭素の削減などが叫ばれていますが、そんなことをするよりも根本的な問題はこの人口の異常な増加にあるので、子どもを産む数を減らすことによって現在の問題は解決可能であり、この星を救うためには今後は産む子どもの数を少なくする方がよい、という社説が世界五大医学雑誌の一つであり、国際的にも権威が高いイギリスの医学誌「BMJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)」に掲載されました。

なかなか過激な考えと発想ですが、その詳細は以下から。

Scientists: Save the planet-have fewer kids -- chicagotribune.com
http://www.chicagotribune.com/features/lifestyle/green/chi-children-global-warming-080827,0,5019949.story

BMJに掲載された社説によると、英国在住のカップルは子どもの数を2人までにすべきで、そうすることによって気候変化や二酸化炭素の削減を要求する世界的な努力に対して報いることができるとしており、「これは最も単純で最も大きな貢献です。誰でも私たちの孫が住むのに適した惑星を残すことができます」と主張しています。

実際にはこの「人口を減らす」という考えは国際的な気候フォーラムの中ではほとんど議題に上がっていないのが現状。

また、イギリスの家族計画の医師であるJohn Guillebaud氏によると、イギリスやアメリカのような豊かな国で生まれた子どもはエチオピアで生まれた子どもの160倍の二酸化炭素排出の責任を負っているとしているものの、このような人口削減計画について、持つべき子どもの数は私たちの子孫のことを考えて決めるべきであるとしています。

なお、現在の地球人口は67億、2050年までには90億に達すると考えられているそうです。


>子どもを産む数を減らすことによって現在の問題は解決可能

  確かにその通りですが、問題はイギリス人がそんなことをしても無駄だということです。中国やインドやアフリカ諸国が、子供を産む数を減らしてもやっていけるような経済環境にならなければ、声だけかけても誰もきかないでしょう。

  さて、前回の話で、日本では「入会地」(いりあいち)というものが大きな役割を果たすだろう、ということを述べました。入会地とは、こういうものです。

入会権(いりあいけん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E4%BC%9A%E5%9C%B0

入会権(いりあいけん)とは、村落共同体等(入会集団)が、一定の主として山林原野において土地を総有し、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を行う慣習的な物権であり、民法が定める用益物権である。入会権が設定された土地のことを入会地(いりあいち)という。

歴史的には、明治に近代法が確立する以前から、村有地や藩有地である山林の薪炭用の間伐材や堆肥用の落葉等を村民が伐採・利用していた慣習に由来し、その利用及び管理に関する規律は各々の村落において成立していた。明治期にいたり、近代所有権概念の下、山林等の所有権が明確になる(藩有地の多くは国有地となった)一方、その上に存在していた入会の取り扱いに関し、民法上の物権「入会権」として認めた。なお、このとき国有地として登録された土地における入会権については、政府は戦前より一貫してその存在を否定していたが、判例はこれを認めるに至っている。

戦後になって、村落共同体が崩壊し、また、間伐材等の利用がほとんどなくなったという事情から、立法時に想定していた入会は、その意義を失ったかに見えるが(「入会権の解体」)、林業や牧畜のほか、駐車場経営など、積極的経済活動の目的で入会地を利用するケースが見られるようになり、また、道路開発・別荘地開発等における登記名義人と入会権者の権利調整、さらには山林の荒廃による環境問題といった新たな問題が発生するようになったため、入会権という概念の現代的意義が見直されつつある。


>村落共同体等(入会集団)が、一定の主として山林原野において土地を総有し、
>伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を行う


  つまり、カネがなくても、共同体のメンバーであれば生活物資を手に入れられるということです。このことの重要さは、寮生活をしている(させられている)製造業の派遣労働者を見れば、一目瞭然です(たとえば、●こういう例)。雇用関係が切られた瞬間に、彼らは全てを失います。
  また、入会地の利点は、共同体の中で乱開発に対する抑制が自然に働くことです。それを失ったら生きていけないと思えば、自然と気を遣うはずです。また、他のメンバーの目を気にすれば、自分だけ取りすぎることもできません。破ったら、みんなから無視されることになります(いわゆる村八分)。
  他からカネを出して買ってくる化石燃料に、こういうブレーキが働くでしょうか。我々が化石燃料に対して働かせられるのは「お金がもったいない」という抑制だけです。よそから買ってくる材木も同じ事です。逆に言えば、カネさえあればいくらでも資源を使っていいということです。これでは、豊かな国が資源の浪費に走るのは当然です。
  こういうことを言うと、よく「地球環境に与える影響を考えるべきだ」などという人がいます。そういうことを、学校できちんと教育すれば、きっと資源の乱用や森林の乱開発はなくせるはずだという考えのようです。
  断言しても構いませんが、そんなことをいくらやっても無駄です。たとえば、小学校ではもう10年くらい前から牛乳パックのリサイクルのような「環境教育」をやってきていますが、いっこうに効果は上がっていません。よくゴミの量が減ったといっていますが、分別して処分場に溜まる分が減っているだけで、リサイクル工場には「原材料」が在庫となって山と積まれているということがよくあります。
  理由は明白です。自分の手に届くところに資源がないからです。目に見えない、触れられないものを信じろと言うのは、一種の宗教です。「環境問題」に異論を挟むと激高する人がたまにいるのですが、あれなどカルト宗教の信者と同じだと思います。そして、そんな「信仰」は、現実に地球環境を救うのに何の役にも立ちません。
  本当に環境を守りたいなら、資源をなるべく身近な場所から調達し、利用法や用量を含めて管理するしかありません。これは、土地が誰か一人の所有物だと無理です。近くに住んでいる人みんなが関わっていく入会地が最適です。

>国有地として登録された土地における入会権については、政府は戦前より一貫してその存在を否定していた

  我々は普段、政府というと「我々の安全や生活を守るもの」と理解しているはずです。しかし、それはあくまで近代国家の仕組みに従う限りは、という意味です。もし国家が全面的な庇護者であるなら、入会地の存在を認めたはずです。
  近代国家の一番の眼目は、「土地の私的所有を認める」ことです。土地は売買する道具や、徴税のための単位(地租改正がその典型)にされたわけです。私はこれを●以前の記事で、「権威から権利へ」というたとえで表現しました。村落共同体というのも、みんなを包み込む目に見えない存在ということで、在郷貴族と同様の権威と考えられます。そういうものは、近代国家による国土の支配から見たら邪魔なのです。
  非常に乱暴な決めつけかもしれませんが、自然(地球資源の限界)と折り合って生きていく入会地という先人の知恵は、金持ちが土地を買い占めたり、税金を効率よく集めたりしたいと願う一部の人間たちによって踏みにじられ、現代に至っているということです。その結果、我々、特に私のような都市住民などは、自然(物質循環)や共同体(人間の環)から切り離され、賃金というか細い糸にすがって生きる弱い存在になりはててしまいました。これが「近代」であり、「文明」のもたらしたものなのです。
  前回取り上げたナイジェリアの過伐採と、今回お話しした入会地の消滅が教えることはただひとつ、近代文明とは、「奪う文明」だったということです。奪う相手は、たとえば労働者だったり、発展途上国だったり、地球環境そのものだったりします。しかし、どちらにしろ、奪われる存在が必要です。それがなくなれば、この文明は自動的に終了します。
  そうして奪いまくって「便利」な生活をしてきた結果、我々が置かれている現実を、よく表現しているコラムがあります。一部抜粋しておきます。

石油減耗時代を生きる
http://www.engineering-eye.com/rpt/c_oil/index.html

「石油ピーク」とは、生産が需要に追いつかなくなる、その頂点という意味である。これが分かり難いのは、バブルはその時は分からないからである。

アメリカ48州の石油生産のピークは1970年であった。K. Hubbertによる1956年の予想が、当時、彼は無視、冷笑されたという。アメリカがこれに気がついたのは1980年代も半ばになってからだという。
そして今、「世界の石油ピーク」である。

石油は発見されなければ生産できない。この当然を簡単に述べよう。まだまだ石油は発見される、大丈夫と専門家は言うが、世界の石油発見のピークは1964年頃であったのである。はるか昔のことである。殆どは中東の超巨大油田群であるが、当時石油探査、開発技術は今と比べものにならないほどであった。だが発見されたのである。巨大だからである。そして探す新天地は無くなった。今では石油発見量は生産の4分の一に満たないのである。やはり地球は有限であった。

そして今、「高く乏しい石油時代が来た」のである。

ここでもまだ反論がある。「高い」は分かるが「乏しい」が分からない、と言うのである。それはエネルギーの質、EPR(Energy Prpfit Ratio)を理解しないからである。

人間は発見しやすい資源から使う(条件の良いもの、儲かるものからである)。そしていわゆる新地域とは、小規模、大水深、極域など、条件の悪いところばかりとなる。

話題の超重質油、カナダのオイルサンド、ベネズエラのオリノコタール、そしてオイルシェールなどはEPRから見て、在来型の石油と比べ物にならない。EPRが小さい、つまり得られる出力エネルギーと必要とされる入力エネルギーの比がとても小さいのである。石油が60とすれば、オイルサンドは1.5といった具合である。

それでは原子力という向きも多いが、そう簡単ではない。原子力も「上流から下流」まで、石油に依存する。上流のウラン採取から中流の原子力発電所の建設、運営においても石油インフラに依存しており、下流の放射性廃棄物の扱いもそうである。そしてウラン資源も無限ではない。高速増殖炉を、どう位置づけるかも大きな問題である。そして石炭、天然ガス、原子力は常温で流体の燃料では無い

「石油ピーク」は今そこにある問題である。ピーク後の石油は年率2%で減耗する、と言われている。これは成長を当然視する現代人にとって、大変なことなのである。現実的な戦略が早急に求められる。しかし未だ日本は石油ピークそのものを認めない。巷では新エネルギーともてはやされるメタンハイドレートは資源とは言えない。濃縮されていない、油田のように掘削すると自噴するものではないからである。地層に分散して存在する固体、水とメタンの水和物がメタンハイドレートなのである。

また未来は水素でというが、水素は一次エネルギー源ではない。簡単にトウモロコシからと言ってはいけない。現代農業はエネルギー浪費型、EPRで考えるべきである。その意味でブッシュ大統領の一般教書の言は究めて本質的なのである(引用者注:ブッシュ政権の意図はそんなに潔いものではないだろう。●こちらの記事を参照)。改めて在来型エネルギー源を改めて考え直す必要がある。繰り返すが、「脱浪費社会」、「もったいない」は最も効果的なエネルギー戦略なのである。

世界中で皆が経済成長は当然と思っている。だが本当にそうなのだろうか。既に巨大化した経済の1~2%増でもその正味で極めて巨大である。それでも現代人は低成長というようである。特に最近の四半世紀は異常と言って良い程で、石油消費量はウナギ登りであった。石油がこの異常を支えたといっても過言ではない。

だが、いつしか人類はこれを「当たり前」と思うようになった。その頂点にいるのがアメリカだが、そのアメリカは世界最大の債務国であり、膨大な世界からの借金で浪費型の成長を遂げている。アメリカスタンダードをグローバリゼーションと世界に売り込むが、これでは地球は持たない。大量の物流、巨大な国際物流、取引は低廉な船賃に依存するが、それは石油あってのものである。大量工業化社会はもう成り立たない。地球は無限ではない。(中略)

経済成長はGDPで計る。だがこれは既に述べたが地球、自然の有限性と相容れない。自然破壊はむしろGDPを成長させるのである。大量に物を作りGDPは増加したとする、それが直接間接的に環境を破壊し修復したとすれば、そこでまたGDPが増える、ダブルカウントでGDPは成長する。 (中略)

21世紀、「自然と共存、集中から分散、社会の価値観と理念の多様化」などが生存の基本なのではなかろうか。「効率優先社会」、「技術至上主義」、「より大きく、より速く」はもう限界である。人類は既に地球の基本的な太陽エネルギーの固定、光合成の営みの40%も消費すると言う。ホモサピエンスというたった一種がである。

日本はどう自然と向き合うか、海に囲まれた山岳75%の島弧日本の生きる道が、大陸の国々、アメリカ、欧州、中国と同じであってよいはずはなかろう。大陸と地勢を異にする日本の自然で生きる日本の論理、アジアらしい知恵を創造したいものである。その基本は先ず「浪費しない」、「もったいない」である。


  このコラムは、2006年4月に書かれたものです。サブプライム問題以前にこういうことを言っていたのですから、これを書かれた石井吉徳氏はなかなかの慧眼です。
  しかし、ただただ「もったいない」というだけでは物事は解決しません。上記コラムも指摘しているように、根本的な問題は、無限の数値的成長を前提にしている近代経済システムそのものなのです。そこを少しずつでも変えていかなければ、ある日突然危機が訪れ、大混乱に陥るでしょう。私も、読者の皆さんも、餓死したり、物取りに殺害されたり、そういう形で世の中から去らなければいけないかもしれません。
  
  それならばどうすればいいかというと、答えは簡単です。入会地を作ればいいのです。

  そんな土地はないというなら、作ればいいだけの話です。田舎には、手が全く入っていない山がたくさんあります。地主の固定資産税、もっといえば住民税を全額免除して、その代わり近隣の住民の共同利用地にすればいいのです。どうせ塩漬けになっている山なら、そうやって人が入っていろいろ手入れする方が自然環境のためにもなります。
  そして、そこを文字通り「生活の糧」として利用していくのです。たとえば、燃料を取るだけでなく、卵を産む鶏を育てれば、とりあえずタンパク源は確保できます。とにかく持続することが大切だとなれば、牛や豚に馬鹿みたいに餌をやって早く出荷するような現代の畜産は自然と消えていくでしょう。新しい入会地でも家畜は育てますが、鶏は卵用、牛はトラクター代わりにして糞を堆肥の原料にし、豚は生ゴミ処理係になってもらうのが正しい活用法です。肉は、新年に1回だけみんなで食べるくらいでいいのです。「今まで働いてくれたありがとう。こうやって最後もおいしく食べられるなんて、偉いなぁ君たちは」という感じです。
  そういう場所でも労働力や産物の交換は必要でしょうから、そこで地域通貨を使えばいいのです。入会地の見回りや不届きものの捕獲は、共同体の若いメンバーにやってもらうべきですが、その人件費も、地域通貨で払うような仕組みを取るべきです。そうすれば、若い男性はとりあえず身体一つで入会共同体に参加できます。近代的な経済システムに従順で、ある程度の能力がなければただ安く買われるだけの労働力に過ぎませんが、入会共同体なら貴重な戦力になるのです。
  そんな田舎の閉鎖的な環境は嫌だ、というのなら、別に都市で暮らし続けても構いません。そのうち石油減耗が進み、いやでも化石燃料の大量利用が不可能になります。それと同時に都市生活は困難になることでしょう。その状況が来る前に、気づいた人から地方に移動していけるような措置を講じておくべきなのです。
  この考えは、「Uターン」「Iターン」という概念とは180度違う考えです。UターンやIターンは、所詮都会でできること(労働力の切り売り)を田舎でやっているだけです。雇用を提供しているのは、役所か大資本ですから、補助金がなくなったり利益が出なくなったら、必要とされなくなってしまいます。入会共同体にはそういう不安がありません。もちろん、ボーナスや気ままな消費生活もありませんが・・・。
  もっとも、入会地を作るには、以下の点を考慮しなければなりません。

1.一つの入会地で、何人の人間が養えて、それをいくつ作ればよいか
2.ある市町村、都道府県に、入会地はいくつ作れるか
3.それでも避けて通れない近代的エネルギーの入手方法、および必要量


  3.について言うと、完全な自然調和型の経済に移行するまでの期間、電気や水道にはどうしても頼らざるを得ません。また、鉄やプラスチックを作れるうちは、近代工業というのもなくなることはないでしょう。そのために必要な資源について考慮するということです。
  水道については、井戸水が入るところはそれで構いませんが、ポンプで水を送らざるを得ない地域は要注意です。そういう場所に入会地を作らないことが第一ですが、共同住宅などはそうもいかないでしょう。まずは水力発電を活用し、それでも足りないところは石油や天然ガスを外貨で輸入して火力発電をするしかありません(どうせ異常に高く付いて、そのうち割に合わなくなる)。
  しかし、それはあくまで「おまけ」ですから、今の化石燃料をベースにした体制より明らかにエネルギー消費量は減るはずです。少なくとも、石油が入ってこなくなったら143日でおしまい、という今の文明よりはるかに強靱になることでしょう。
  もし国際協力を今後もすべきだというなら、入会共同体の運営ノウハウを提供するという形でやるべきです。いずれ大資本が回収するためのカネをばらまくより、はるかに「血の通った援助」になることでしょう。
  もっとも、不思議なことに、こういうことをジンケンやヘーワが大好きで、日本人より外国人が好きな人びとが分からなかったりするのですが・・・(笑)。

  移行期としては、数十年や100年単位を見ておくべきでしょうが、その時期に人口減少が起きるなら、むしろ歓迎すべき事態でしょう。
  それで、国土防衛ができなくなると言うのなら、それこそ核武装や、SLBM搭載の原子力潜水艦を建造すべきです。仮想敵は朝鮮や中国でしょうが、上陸さえされなければいいのですから、そういう兵器を装備して、あとは対馬や沖縄のような地政学上の要地に人員を配置しておけばいいのです。陸上自衛隊は、土木工事や電力施設のメンテナンス・警備、それに農作業などをやってもらうマンパワーにしておくべきです。
  もっとも、今までしてきた話も、明治維新以降の「数の力が全て」という価値観を持っている方々にはなかなか理解できないでしょうし、無理にしてもらう必要もありません。そのうち、といっても、生きているうちかどうかは分かりませんが、嫌でも理解せざるを得ない日が来ます。
  
  まとめになりますが、結局私が言いたかったのは、入会地=生存のための最後のよりどころを作っておけば、近代文明が崩壊しても人類は生き延びることができるということです。
  経済的なゲタを履いてふらふらと歩き続けるよりも、地方で「いろり」と「かまど」のある家を建てて、畑を確保し、入会共同体に参加すれば、とりあえず生きていける、そういう社会がベターだということです。そのための土地は、まだまだたくさんあります。戦争や大災害による疎開が起きる前に、その気のある人だけでも動いてもらえば、都会も田舎も助かるはずです。
  よそ様のブログを拝見すると、「この国はもう駄目だ」などという論調が目立ちます。昨今の金融危機に端を発する世界的な需要不足で、そういう悲観論はますます力を得ているように思います。
  そういう人たちの中には、「有効需要」という、自分の力ではどうにもならないものの施しを受けて生きている浮き草のような我が身のはかなさに気づいている人も少なからず存在するはずです。彼らが、自分たちが知らないうちにゲタを履かされて生きていることに気づいたら、もう後一歩です。
  政府による分配は、一時的にはやらざるを得ないでしょうが、おそらくいずれは破綻するでしょう。経済的ゲタを履いているのは変わりないからです。新自由主義かケインズ主義かという争いは、結局は履いているゲタの色や形が違うだけで、ゲタの高さは同じなのです。
  我々が目指すべき事は、履いているゲタを少しずつ低いものに変えて、やがて自分の足で大地を踏みしめて生きていくことです。このブログは、今後もそういう方向を目指してメッセージを発信し続けたいと思います。

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Comment

>根本的な問題は、無限の数値的成長を前提にしている近代経済システムそのもの

以前から不思議に思っていたのですが、やはり永遠に経済成長を続けるなんてありえないですよね。恥ずかしながら不勉強なもので、詳しくは分からないのですが、以前ケインズ主義・マクロ経済学の本を読んだ際に、「国内総生産=内需+外需だから、公共事業で内需を上げればGDPも拡大する」のような記述がありまして、それは今の不況みたいな時期なら効果はあるでしょうが、それでは「公共事業で内需拡大→経済成長→その分政府税収は増収→その分を公共事業で・・・」という永遠のサイクルは成立するのか、などといぶかしく思っておりました。そして、どこかで全く別の要因が働いて経済成長はストップせざるを得ないなどと考えました。そして、その要因として、これ以上は幾ら金を配っても使わないという内需の限界を勝手に想定していましたが、

>経済成長はGDPで計る。だがこれは既に述べたが地球、自然の有限性と相容れない。

この視点が欠落しておりました。「資源が無くなれば、生産がこれ以上増えるなんてありえない。」というのは、考えると当然なことで、これから人間が地球で暮らしていくには、エコなんて欺瞞的なことではなく、低生産低消費の産業革命以前の生活がベストなのかなあ、などと思いました。その意味では、元禄時代などは人類の文明でも、最も理想的な社会だったのではないでしょうか。
ぴかちゆう | 2009年01月16日(金) 11:47 | URL | コメント編集

こんちにわ はじめまして

そこで「地球人口税」導入ですよ。各国人口数に応じて徴収。こういうの人頭税というのかな?
あるいは年間人口増加数(難民等除く)×10億円とか。
あと、移民させた方の国がされた方に1人あたり10億円とかもいいかも。
(中国が台湾に対する主権主張を放棄するかもw)
それぞれGDP上位50位以内の国からは漏れなく徴収(笑)

徴収した金はリサイクル費用や森林育成保護等に使いましょう。
(例の二酸化炭素神話のためじゃなく)
K | 2009年01月16日(金) 12:11 | URL | コメント編集

●+レンタルの思想

ろろさん、こんにちは。

記事を拝読しながら、思いました。そうか、かつての日本のカイシャは入会地だったんだ、と。

会社は制度上は株主の所有物ですが、「労使協調」だった日本のカイシャでは、カイシャは従業員のもの、という意識がありましたよね。これは古くからの「入会地の思想」なのでしょう。

「入会地の思想」とセットとすべきは「レンタルの思想」でしょう。 レンタルとは、利用してもよいが、価値を減ずることなく返却する、ということ。森林でいいますと、木を伐っても良いが、自然循環の範囲内で。森は伐りすぎなければ価値が減ずることはない。農地も同じ。大量の科学肥料をぶち込んで、農地の能力以上の収穫を上げるようなことはしない。

また「入会地+レンタルの思想」は、土地だけにしか適用できないものでもなさそう。カイシャといった組織にだって可能なはずです。カイシャに厳密に「入会地+レンタルの思想」を適用すると共産主義になってしまいますが。

他にもWebの世界にも応用できるかもしれません。ネットを駆け巡る情報全体を入会地と解して、情報をレンタルする。そうなるには著作権といった「私有の思想」を放棄してもらわなければなりませんが、いずれその方向へ進むだろうと思っています。
愚樵 | 2009年01月16日(金) 18:59 | URL | コメント編集

●TBです

近代経済社会の理解について
http://sun.ap.teacup.com/souun/739.html
今後の世界と日本 - 補足2
http://sun.ap.teacup.com/souun/1028.html
早雲 | 2009年01月16日(金) 19:02 | URL | コメント編集

●なるほど、入会地の発想

入会地の発想……それは日本人が忘れてしまった良き伝統だったんですね。

私はこの入会地の発想と、以前ろろ様にも申し上げた槌田敦先生のアフリカなどの疲弊した大地を蘇らせるように世界的に援助すること。この二つが必要だと思っております。
PNW10 | 2009年01月16日(金) 21:35 | URL | コメント編集

●TBです

市場・貨幣そして貨幣の「他者支配力」
http://sun.ap.teacup.com/souun/447.html
早雲 | 2009年01月17日(土) 21:57 | URL | コメント編集

●コメントありがとうございます

>>ぴかちゆうさん

>その意味では、元禄時代などは人類の文明でも、最も理想的な社会だった
>のではないでしょうか。

  そうかもしれません。だからこそ、明治政府や戦後の文部官僚が躍起になって、「江戸時代は暗黒の時代だったんだゾー」ということにしたがったのかもしれません。
  江戸時代の末期に混乱が起こったのは、幕府が貨幣経済に頼り切った経済運営をしていたからだと思っています。要するに、幕府が商人の論理にすり寄ってしまったのです。鎖国が原因ではないと思っています。自由貿易をやっていたら、もっと早い段階で国富を吸い取られていたはずですから。

>>kさん

>地球人口税

  どこが徴税主体になるのでしょうか。
  国連だったら、間違いなくあそこにいる官僚共に私物化されますよ。

>(難民等除く)

  そういう風にしたら、多分日本の近くにいるどっかの国は、わざと政治難民を作って我々にジンミンを押しつけてきますよ。温暖化防止の時だけ発展途上国になったり、平気で出来る国ですから。

>>愚樵さん

>かつての日本のカイシャは入会地だったんだ、と。

  なるほど、鋭いですね。
  能力が足りない人間も窓際社員として囲い込むというのは、やはり永遠の経済成長を前提としている点ではまずいと思いますが、発想としてはいい線行ってますね。そういう人にも一定の購買力があれば、国民経済を回していくのはそんなに難しいことではありません。
  その日本株式会社がうまく行っていたからこそ、アメリカは中国を国際貿易体制に組み込んで、世界中にデフレを起こす仕組みを作ったんでしょう。うまく行きすぎると、敵が戦法を変えてきても(そもそも敵と認識していたかどうかも怪しいが)、すぐには対応できません。「新戦法を採用するより、旧戦法を追い出す方が難しい」と、リデル・ハートか誰か言っていましたが、日本はまさにその陥穽に落ちてしまったんですね。
  昨今の情勢を見るに、いい加減、居心地のいい穴蔵からはい出る時期でしょう。

>>早雲さん

>ではどういう市場が存在すれば利潤を獲得できる取引(交換)ができるかと言えば、
>自分より低い労働価値(生産性)で同じ商品を生産している外部共同体(国民経済)
>に自由にアクセスできるときということになります。

  日本は、やはり知らないうちに他国を利用して肥え太っていたんですね。

>内部共同体(国民経済)で同じことを競い合えばデフレになり、
>近代経済システムという基盤の上であれば、失業者の増加と企業破綻の
>増加に結びつきます

  全世界レベルにこれを敷衍すると、グローバリゼーションになるということでしょうか。

>>PNW10さん

  まさに忘れられた知恵です。もっとも、日本人自身、進んで忘れていったようなところもあります。近代経済のいいところだけつまみ食いしていたつけが、大東亜戦争だったわけです。
  その辺は、もう少し反省した方がいい気がします(過度に反省を強いると、それはそれでイデオロギーになってしまうので反対だが)。別に戦争が侵略だったか解放だったか、そういう言い争いはもうあまり意味がないと思います。
ろろ | 2009年01月18日(日) 23:52 | URL | コメント編集

●核武装について、ご参考

日本に核兵器が本当に必要なのですか?
http://sun.ap.teacup.com/souun/610.html
おー、この議論を待っていました
http://sun.ap.teacup.com/souun/713.html
日本核武装論
http://sun.ap.teacup.com/souun/2025.html
早雲 | 2009年01月19日(月) 00:06 | URL | コメント編集

●つまり宮崎駿のハイハーバー(未来少年コナン)の暮らしに行き着くのでしょう。

私はハイハーバーではなく、インダストリアの太陽エネルギー集約で文明を継続させる方向で、生き続けたいと思います。私の住む北海道は足腰の強いアイヌが暮らしていましたが、混血が進みアイヌ文明も消えてしまいました。安全策とすれはろろさんの方向なのでしょうが、近代文明の銃器で脅されて何処かの奴隷になる心配もあります。
ケーキ屋 | 2009年01月19日(月) 14:09 | URL | コメント編集

●はじめまして

成長の限界の話ですね。
生活水準を落として持続可能な地産池消のモデル構築は今後の必須となると僕も思います。ただ、僕が恐れていることは世界の依存関係が薄れることによって、国家衝突が顕著化することです。もちろん核兵器などの武装で独自に防衛することは現段階なら可能かもしれませんが、今後、兵器の発展などでバランスを崩しかねないのではないかと不安です。だから僕は地球市民的発想を好みます。現状ではほとんど理想論ですが、国際公共財を世界中で守る体制作りは、持続可能な発展モデルの重要な一要因であると考えています。
kau | 2009年01月20日(火) 00:33 | URL | コメント編集

●ケーキ屋さん:

結論:石油代替エネルギー供給技術の有効性
http://sun.ap.teacup.com/souun/1615.html
早雲 | 2009年01月20日(火) 23:45 | URL | コメント編集

●宇宙エレベーターと太陽光発電衛星

これを組み合わせれば、かなり効率的にいい電力は手に入りませんでしょうか?
安価な電力があれば、其処から水素やメタン製造も可能ではないでしょうか?
日本はこの技術で最先端のものを持っているとされています。

ケーキ屋 | 2009年01月21日(水) 11:48 | URL | コメント編集

●残念ですが

環境問題と工業技術の限界
http://sun.ap.teacup.com/souun/1554.html
早雲 | 2009年01月21日(水) 21:38 | URL | コメント編集

●経済学説

ふと思ったのですが。

入会地の思想はケネーの農本主義経済思想と相性が良さそうですね。農本主義は環境主義でもあるので、当然と言えば当然なのですが。これら2つはセットで売り出すのが効果的かもしれません。

思考を重ねてみる必要がありますが、直観的には限界効用価値説も労働価値説も入会地では上手く機能しそうにないように思われます。
愚樵 | 2009年01月22日(木) 07:52 | URL | コメント編集

●ケーキ屋さん:

石油代替エネルギー供給技術の有効性
http://sun.ap.teacup.com/souun/1615.html
太陽光発電
http://sun.ap.teacup.com/souun/1525.html

重農主義から見える産業主義近代
http://sun.ap.teacup.com/souun/161.html
早雲 | 2009年01月22日(木) 09:56 | URL | コメント編集

日本史で入会地の事を調べていたのですが
ここのおかげでやっと具体像がつかめました…
   | 2010年01月20日(水) 21:34 | URL | コメント編集

●>>名前のない方

  お役に立てたようで嬉しいです。
ろろ | 2010年01月20日(水) 23:59 | URL | コメント編集

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