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2007.08.18(Sat)

ロシア旅行記(4)~ランドパワーの都モスクワ 

  8月10日からはモスクワに滞在しました。

  ペテルブルクのホテルから地下鉄とバスを乗り継いでプルコヴォ第1空港に向かい、飛行機でモスクワに到着したのは11時半過ぎでした。この移動の間、冷や冷やすることが何度もあったのですが、それは最終回にまとめて紹介します。

  20070818213521.jpg

  8月10日のモスクワ、赤の広場入り口です。行く先行く先で好天に恵まれ、良い旅行になったと思います。

  さて、ホテルのロビーでヴィタリーさんというガイドさん(50代男性)と待ち合わせ、クレムリンと赤の広場を案内してもらいました。彼がどんな人については、次回の記事で詳しく紹介します。
  
  まずは、クレムリンです。もっとも、正確には「モスクワのクレムリン」と表現しなくてはなりません。クレムリン(клемль)というのは、本来は「城塞」という意味で、大きな町には大抵存在しています。モスクワのクレムリンが有名すぎるので、固有名詞のように扱われているというわけです。
  こちらを見学するときの注意点は二つあります。一つは、チケット売場は信じられないくらいの長蛇の列になることを覚悟すること、もう一つは、よほど小さいものでない限りバッグは内部に持ち込めないことです。
  バッグがなぜ持ち込めないかは、このあとすぐに分かります。私は肌身はなさずに置くために、●このバッグにしたのですが、断られました。入り口の階段を下りたところに預かり所があるので、そこで60ルーブル(1ルーブル=約5円)払って預かってもらいます。
  その後、警備係のボディーチェックを受けて、入城です。

  入ってすぐ左側は陸軍の詰め所があります。その前に、ナポレオン戦争で使った大砲などが飾ってあります。

  さらに奥に進むと、こんな建物がありました。


20070818215908.jpg

  左が大統領官邸です。右にあるのは補佐官たちの宿舎ということです。この日は土曜日でしたから、大統領が側近を集めて会議を開く日でした。プーチン大統領の姿を見られるかなと少し期待しましたが、さすがにダメでした。
  代わりと言ってはなんですが、●こちらのリンクをご覧下さい。「さすがランドパワーのボスは違う」と思うこと請け合いです。ロシアという国をまとめるには、こういうタイプが理想なのでしょう。ゴルバチョフみたいな優しいインテリタイプはダメなのです。

  クレムリンは散策に適した公園もあります。リンゴも落ちています。


20070818213619.jpg

  よく拭けば問題なく食べられます。味は保証しません。ロシアのリンゴは日本で栽培されているものよりかなり小さいので驚きました。


20070818213603.jpg

  「大砲の皇帝」という名物です。でかすぎて、実戦では使えませんでした(笑)。
  もう一つ、「鐘の皇帝」という名物もあります。鋳造中に割れた欠片だけで11トンある巨大な鐘です。もちろん、鳴ったことはありません(笑)。
  この二つのモニュメントは人気で、たくさんの観光客が写真を撮っていました。欧米系の観光客を観察していると、「グラーチェ」とか言う声が何度も聞こえました。ロシアに来るヨーロッパ人の観光客は、イタリア人が一番多いらしいです。

  この後、ロシア陸軍のパレードみたいなものが●ウスペンスキー大聖堂の前であり、それを見てから赤の広場に行きました。

  ロシアの歴史の生き証人ともいうべき場所です。15世紀に●イワン雷帝が整備し、19世紀初めにはナポレオンの軍隊によって周辺の建物が次々破壊され、20世紀にはソビエト軍の閲兵式が行われてきました。今でも、クレムリンの城壁沿いに、レーニンの遺体を納めた廟と、ソ連共産党歴代の書記長の墓があります。
  赤の広場を歩いていて非常に印象に残ったことがあります。それは、サンクトペテルブルクに比べると、遙かにアジア系の人間が多いことです。
  ガイドさんにシャッターを押してと頼んできた若いカップルは、朝鮮系でした(ロシア語ができるので、ウズベキスタンかサハリンの朝鮮族だろう)。朝青龍みたいな顔の頬の赤い青年は、おそらくカザフ人でしょう。それ以外にも、明らかに中国人だとわかる人々がいます。それも、一つではありません。
  ペテルブルクがヨーロッパに向けて開いた窓だとするならば、ここモスクワはユーラシア大陸の十字路だと言えそうです。シベリア鉄道は有名ですが、旧ソ連であるカザフスタンやウズベキスタン、それに北京やウランバートル、はてはピョンヤンとまで鉄道でつながっているのがモスクワなのです。
  なるほど、これがランドパワー(大陸国家)というものなのかと私は実感しました。陸続きで13もの国と接するロシアには、様々な民族が出入りしています。そして、彼らが目指すのがモスクワなのです。
  ランドパワーの性質の一つに、「首都から国境線を遠ざけようとする」というものがあります。モスクワは四方が草原ですから、外敵が来れば自然の国境線で妥協することができず、生き残りをかけて戦わざるを得ないという宿命がありました。そこで、国家の存続を脅かす異民族をなるべく遠ざけておくために、前方に向かって逃避するのです。
  今までは感覚でしか分からなかったのですが、赤の広場の光景を見たときに、ロシア人が持つ潜在意識の一端を理解できる気がしたのです。白人であるロシア人が、押し寄せてくるアジア系を見たら、きっと恐怖に襲われるだろう。やがて、乗っ取られてしまうのではないか・・・と。
  しかも、ロシアに入り込んでくる外国人の大半は、厄介な人種のダブルパンチです。それは「中国人」「イスラム教徒」です。(まあ、「朝鮮人」が加わってトリプルパンチになっていない分まだ救われているが)

  まず、中国人はこんな感じです。

モスクワの中国人市場
http://moscowlife.cocolog-nifty.com/moskva/2007/07/post_3314.html

--------以下引用--------
閉鎖されることが決定したチェルキーゾフスキー市場。中国人が一画を占めたイズマイロヴォ側では、ロシア人客向けの衣料品や中国人向けの生活商品が山積みされていた。

あからさまに撮影すると、税務警察とまちがわれるかもしれないので隠し撮りである。生きたまま売られているカモやコイがいたが、「いけす」が下の方にあり暗くて写らない。

現地発行の中国語新聞によると、この地区一帯には商品の小売のほか、貸し倉庫・地下銀行・鉄道運送業者・債権取立て業者・ヤミ産婦人科・レンタルビデオ屋・中国語で表示する携帯電話を売る店・中国人向け歓楽娯楽施設などが混在している。もちろん看板などないので、どこが何をやっているところかわからない。

担ぎ屋で一儲けしたあとは、中国人店員のいるカジノで一攫千金を狙う。客だと思っていた中国人が、すっと八百屋の奥に入っていくところを見ると、そこが地下銀行の窓口になっているのだろう。

まさにモスクワのチャイナタウンと呼ぶにふさわしく、中国人が外国生活を送るにあたって必要なものを自給できるシステムが作られている。中国人が多く住んでいる学生寮よりも、旺盛なたくましさを感じる。

外国人を追い出そうと懸命なロシア政府当局と3Kを厭わない労働者が必要なひずんだ産業構造が中国人社会拡大に拍車をかけてきた。

中国政府にとっても、地方都市に余剰している労働力と中国製品は主要輸出品目だ。ロシアが外国人労働者を嫌がっても、簡単に規制することはないだろう。公式には姿を消す予定のモスクワチャイナタウン。だが、中国人はそう簡単にロシアを去りはしないはずだ。
--------引用以上--------

  赤の広場でも、帰りのシェレメーチェヴォ空港でも、かなりの中国人を見ましたから、この記述は誇張でもなんでもないということが私には分かります。

  イスラム教徒はというと、もうすでに文化レベルで浸透しています。その証拠がこれです。


20070818231053.jpg

  細切りのポテトフライが付いていて、なにやら西洋風の料理のようにも見えますが、これは「アラブスカヤ・シャウルマ」という料理です。ホテルの近くのカジュアルなレストランで食べました(198ルーブル=約1000円)。量が少なそうですが、これとボルシチだけで腹一杯になりました。
  この料理は名前からもわかるように、アラブ圏の料理です。●こちらのブログには、ダマスカスで食べたという記述があります。
  もちろん、全てのロシア人がこれを食べているわけではない(ガイドのヴィタリーさんは、●以前の記事で紹介したシャシリクやラグマンも食べたことがない)のですが、若者向けのレストランに、キエフ風カツレツやらキノコの壺焼きを差し置いてシャウルマが出てくるというのが重要なのです。つまり、シャウルマを食べる人々がたくさんロシアに入り込んできており、その人たちの食べ物が若者の間で新たな食文化として定着しつつあるということです。まるで、我が国のハンバーガーやスパゲッティやキムチのように。
  初めはソ連仲間である「なんとかスタン」だけだったのでシャシリクやラグマンで済んでいました。しかし、アラブスカヤ・シャウルマまで入ってきているということは、もう本場物のイスラム教徒が張り込んできているということです。

  ロシアは少子化がただでさえ進んでいるので、労働力として、「大量に」「安く」手に入る中国人とイスラム教徒は、必要悪みたいに思われているのかもしれません。
  そう思ったとき、私は東京の池袋や新大久保を歩いているときのような嫌な気分を感じました。恐ろしい、これがグローバリゼーションなのか、と(もちろん、シャウルマ自体はおいしく頂きましたが・・・笑)。

  短くすると言いながら、ずいぶん長くなってしまいました。次回は、いよいよ私が一番知りたかった「ロシアの庶民の今」について、記事にまとめます。乞うご期待。

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Comment

新宿で仕事をする自分には最期の話がよくわかります。
彼等は都市部に集中的に住み着こうとしますね。前にも
話しましたが、新宿某所の公立小学校は7割がた外国籍です。
在日含めれば8・9割がた・・・そんな所もあります。首都東京で。
彼等外国籍の保護者とよく話します。一人一人は普通で、常識が
あっても、それに民族国家が絡むと彼等彼女達もわかりません。
「日本の事を勉強したい。」「私の子どもに日本のこと・昔話・習慣
等沢山教えて欲しい」「日本は平和でいい」と私の知る限りの人達は
そういっていますが・・・子どもはみな可愛い。非常に複雑な想いをします。
IRIAS | 2007年08月19日(日) 10:37 | URL | コメント編集

●>>IRIASさん

>「日本の事を勉強したい。」
>「私の子どもに日本のこと・昔話・習慣等沢山教えて欲しい」
>「日本は平和でいい」と私の知る限りの人達は
>そういっていますが・・・

  本音半分、でまかせ半分といったところだと思いますね。

  確かに日本が大陸やら半島やらよりは平和なのは事実ですが、日本のことを勉強し、日本の習慣を身につければ、社会の中で地位を占めることができるようになりますから、そういう意味合いもあるのだと思います。
  私も中国人を教えた経験があり、現に教えているから分かるのですが、彼らは「こうすれば上に行ける」「こうすれば合格して出世できる」という話をすると、能力はさておき、いろいろ覚えようと努力をします。即物的ですが、そういうエネルギーはあります。決して、人間として分かり合いたいという日本人が持ちやすい動機から出ているわけではありません。
  あと、彼らは立場の上下ということについてはとても敏感です。だから、弱みを見せたり、本音で話すのは禁物ですね。儒教がそうであるように、建前で押し通すべきです。対等という概念は彼らの頭にはありません。

  まあ、ネット右翼が好きそうな話をぶつけて関係をまずくするのは御法度ですが、彼らの日本に対する評価は話半分で聞いていた方がいいでしょうね。
ろろ | 2007年08月19日(日) 11:54 | URL | コメント編集

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2007/08/19(日) 01:01:19 | 或る浪人の手記
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