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2008.08.19(Tue)

縄文記念館を訪ねて(福井・三方五湖) 

  先日、夏休みを利用して、北陸地方へ旅行に行きました。
  なにしろお金をあまり使いたくなかったもので、●米沢・山形に行った時と同様に、「青春18きっぷ」という学校の長期休暇中だけ使える切符を使って鉄道で移動しました。  私が住んでいる埼玉県某市から西武線で国分寺(東京都)まで出て、その後中央本線で山梨、長野を通り、日が暮れた頃に日本海側に出て、そのまま富山を経て、宿を取ってある金沢へたどり着きました。待ち時間も合わせて12時間です。その日はくたびれたので、そのまま寝てしまいました。

  翌日、朝6時に起きて北陸本線で福井に向かいます。今回の目的地は、●ラムサール条約登録地でもある「三方五湖」(みかたごこ)と、港町「敦賀市」です。
  福井県の地図をご覧下さい。

       
大きな地図で見る
  福井県は、江戸時代までの「若狭国」と「越前国」が一緒になってできた県です。今回向かった三方五湖は若狭、敦賀はギリギリ越前に当たります。
  三方五湖というのは、その名の通り5つの湖が集まった景勝地です。鉄道で最も近い「三方駅」まで向かい、そこから自転車です(私は折りたたみの自転車を持っています)。
  時間があまりなかったので全ては回れなかったのですが、その風景です。

            三方湖

  五つの湖のうち、最も南に位置する「三方湖」のものです。

            菅湖
  
  最も東にある久々子湖(くぐしこ)です。三方湖畔から、原発で有名な美浜の駅まで自転車で走る途中で撮影しました。
  季節が季節だけに、渡り鳥の姿はありませんでしたが、なかなか雄大な風景でした。ちなみに、久々子湖は汽水湖(海水と淡水が混ざった湖)なので、シジミがとれます。

  実は、この三方五湖の近くには、もう一つ興味深い史跡があります。それが鳥浜貝塚(とりはまかいづか)です(詳細は●こちらのリンクで)。
  貝塚というのは、縄文時代のゴミ捨て場で、文字通り海がたくさん捨ててあったことからそう呼ばれています。貝塚には人骨や当時の石器、土器なども見つかるので、ここを見ると縄文時代の人びとがどんな生活をしていたのかがわかります。
  三方湖の近くに、早速こんなものがありました。

                    縄文太郎?

  いくらなんでも、これは・・・●はじめ人間ギャートルズ(注:動画です)の見過ぎなんじゃないでしょうか(笑)。

  この像のある辺りから国道を西に向かうと、●若狭町立縄文記念館があります。
  入口は、こんな感じです。

            縄文記念館

  丘状になっている建物の上に土をかぶせて草を植えてあります。これは、貝塚というより古墳なんじゃ・・・というのは内緒です。
  この記念館の周りは、「縄文ロマンパーク」という公園になっていて、こういう「展示」があります。

            竪穴住居

  縄文時代の住居である「竪穴住居」です。
  私が笑ってしまったのは、これです。

            トンビに注意

  さっきのギャートルズ像のところで、私は生まれて初めて、トンビが6羽で群れになって遊んでいる光景を見ました。三方五湖の周りには里山がかなりたくさん残っているので、そこに生息しているのでしょう。首都圏ではまず見られない光景でした。
  しかし、鷹に劣るとはいえ、一応猛禽類ですから、弁当目当てに急降下されては洒落では済みませんね。

  さて、縄文記念館内は●こちらのリンクでご覧になれます。中でも、私の目を惹いたのは、縄文土器の展示でした。鳥浜貝塚で出たものだけでなく、日本各地で出土した土器を借りてきて展示しているコーナーがあるのです。

  ところで、みなさんは縄文土器というとどういうイメージをお持ちでしょうか。
  教科書でよく言われるのは、「縄の模様が入っていて、厚くてもろい。装飾が多く、あまり実用的ではない」という解説です。典型的なイメージは●こちらのブログ記事の画像でしょうか(ちなみに、こちらのブログ、●縄文と古代文明を探求しよう!は縄文時代を知るために非常の便利なブログです)。
  これに対して、後世の●弥生土器は、「模様がほとんど無く、薄くて硬い、実用的な土器」などと説明されることがあります。当然、現代の陶磁器に通じるのは、弥生土器の方だということになりそうです。
  しかし、こういう説明で分かったつもりになるほど、怖いものはないと身にしみて分かりました。私が展示物で見て衝撃的だったのは、縄文土器にも十分「薄くて実用的な土器」があるのです。
  どうも、教科書に書かれている歴史というのは、「縄文=原始的」で「弥生=先進的」という先入観に従って構成されているのではないか、と私には思えるのです。いつの時代でも、進歩するのは後の時代であるということを、国家は我々に教え込みたいのかも知れません。数々の殺戮とテロ行為で成立した明治時代が、あたかもそれ以前の時代より進歩的で素晴らしい時代だと思わせたいように・・・。
  ともかくも、教科書で教えられたことを鵜呑みにしているようでは、本当の歴史は分からないものだなと、自分の不勉強を痛感しました。学校で教わる歴史や、入試に出る歴史というのは、国家がこういうものだというガイドラインを作った歴史であり、そこからはみ出るものには、我々があえて目をこらさない限り光は当たりません。しかし、教える都合で端折ったり、近代国家にとって都合が悪かったりということで、ねじ曲げられている部分や、闇に葬られている部分はずいぶんあるのではないでしょうか。
  そういう、メインストリートから外れてしまった歴史に目を向けたくなったら、縄文記念館のような、郷土資料館に赴くといいのかもしれません。そういう場所に行けば、その土地に伝わる資料を徹底して集め、教育委員会や専門家が徹底的に検討した史料が残っています。強度の誇りに関わることなので、100%真実とは言えないにせよ、少なくとも何かの都合で省略されていない、生の歴史が味わえます。

  そういうところに来て、一つ心配になってしまうことがあります。

  若桜町は、三方町などいくつかの自治体が合併して出来た町です。そして、ご多分にもれず、こういうところでも「カイカク」と称する歳出削減が行われています。「若狭町集中カイカクプラン」というもので、●こちらのPDFに、どれだけの経費を削減するかまで具体的に掲げているほどです。

  こういうものが極限まで進むとどうなるでしょうか?結構立派な施設を備えている縄文記念館は、経費削減のために閉館、ということになったりはしないのでしょうか?
  もちろん、文部科学省からの補助がついてはいるのでしょう。しかし、国家の世話になるということは、国に都合の悪いことは言えなくなるということです。「縄文時代のような遅れた時代のことなど、教える必要はない」とか「古代史などそもそも不要だ。我が国の歴史は神武天皇から始まるのだから、石器時代などありえない」などという方針を国が打ち出したとしたら、補助も打ち切られることになるでしょう。
  私のような県外の人間がこんなことを言うのはなんですが、縄文記念館のような「ほんとうの歴史」を伝えていくための場所は、規模が小さくなったとしても、絶対に残してほしいものです。
  鳥浜貝塚では、多数の丸木舟が出土しています。かつてここにいた我々の祖先が、三方五湖の自然の恵みである魚介類を生活の糧にしていたということです。また、この貝塚からは漆器や織物も出土していて、縄文人の文化程度が決して低くなかったことが実証されています。
  なによりも、この貝塚からは、「矢尻」だとか「鉄剣」だとかいう、人を殺すためだけに作られた道具が一つも出土していないのです。弥生時代の遺跡といえば、「矢尻が刺さった死体」が定番になっているのと大違いです。たとえ、便利な金属器がなくても、人間同士が協調し合い、生命の母たる海から切り離された陸上という苛烈な環境で、自然の脅威と折り合いをつけながら平和に暮らしていた時代、それが縄文時代なのです。
  今後、近代文明が行き詰まった時、そんな調和に満ちた時代を「思い出す」必要が必ず出てくるでしょう。この役割は、近代国家に任せることはできません。近代国家が、自分のアイデンティティーである近代化を否定するような問題提起わけがないからです。だからこそ、地方の郷土資料館のような場所に、縄文時代の文明の証が残っていることが重要なのです。
  若狭町民の方々、福井県民に方々には、今後も縄文記念館や、ギャートルズ像(笑)を大切にしていってもらいたいと思っています。

  次回は、敦賀に行った時の話を簡単にまとめます。

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Comment

●TBです

縄文時代にも日本列島には数多くの渡来者がやってきているはずです
http://sun.ap.teacup.com/souun/934.html
支配された水田稲作農耕の“悪魔的サイクル”
http://sun.ap.teacup.com/souun/929.html
早雲 | 2008年08月20日(水) 22:40 | URL | コメント編集

●>>早雲さん

  これはまた、面白いトラックバックですね。

>悪魔的

  何を不穏な(笑)と思って読んでみたら、

>水田稲作を行わなくても生活ができていた人々が、一つの食糧品目を
>生産するために活動力の過半を注ぎ込まなければならない道を主体的に
>選択したとは思えないのである。

  ここの指摘には脱帽です。
  近代に置き換えれば、東南アジアの農民がタロイモや椰子の実を取っていた森を奪われ、天然ゴムの木を栽培するか、路頭に迷うかの選択を迫られた過程とよく似ています。「それに精力を注ぐしかない状況」が、実はそれ以前の時代より貧しいというのは、稲作や天然ゴムを所与のものとして生まれてきた新しい世代の「被征服民」には分からないのでしょう・・・。
ろろ | 2008年08月20日(水) 23:58 | URL | コメント編集

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