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2011.07.30(Sat)

「官僚無答責」の原則、いまだ健在なり 

東日本大震災、及び原発事故への政府の対応を見て、私の価値観が完全に変わったものがあります。それが、「官僚」というものに対する信頼です。

以前のブログ記事を読んでいただくと分かりますが、私は基本的に日本の官僚制度に対して、かなり好意的でした。外国の政府と比較すれば、まだかなりマシな働きをしていると思えたからです。そう思っていた背景には、外資や経団連のようなカネ持ちこそが日本の国家意思を歪めている元凶であり、官僚は土着勢力として、むしろそういう流れに抵抗しているという基本的認識がありました。

しかし、どうも、そんなのはただの幻想に過ぎなかったようです。今回紹介する記事は、そんな私の幻滅をさらに確固たるものとするに十分でした。

四国電力でも「やらせ」質問 中電に続き保安院の要請で
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011073090000045.html

 中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)のプルサーマル計画に関する国のシンポジウムで、経済産業省原子力安全・保安院から事前に質問や意見表明を促す「やらせ」の要請があったとされる問題で、四国電力は29日、保安院から同様の要請があったことを明らかにした。

 四電によると、保安院は2006年6月に開かれた伊方原発(愛媛県伊方町)に関する国主催の「プルサーマルシンポジウム」で、事前に四電に「議論を活発化させるため、多くの方々に参加を呼びかけ、質問や意見が多く出るようにしてほしい」と要請

 四電は社員や関連会社員らに参加を呼びかけ、29人には質問の例文を示すなどした。発言者15人のうち10人は四電が依頼した人だった。シンポは、ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料を使うプルサーマル計画について、必要性や安全性への理解を求めるために開かれ、実際に原発の安全性に理解を示す発言もあった。

 保安院の森山善範原子力災害対策監は記者会見で「大変申し訳なく思う。第三者委員会を設置して中立的な立場から調査する。保安院としては全面的に協力する」と述べた。8月末までに結果をまとめる。

 やらせ質問は、九州電力による取引先などへのやらせメール問題を受け、同省資源エネルギー庁が電力会社に指示した調査の一環で判明。調査対象の7社すべてが社員らにシンポ開催を周知したり、参加要請していたことも明らかになった。

 「やらせ」の要請をめぐっては中電が同日、浜岡原発に関して2007年8月に開かれたプルサーマルシンポジウムで、保安院から事前に依頼があったと公表。発言の文案をいったん作成したが、問題があると判断し、最終的に依頼を拒否したと明かした。


さて、引用記事を見て、私が色を変えて強調している部分が妙だな、と、思いませんでしたか?

そこで、みなさんに考えてもらいたいのです。私はなぜ「保安院が」という部分を繰り返し強調したのでしょうか。





私が、「保安院が」という箇所だけを強調したのは、このような表現の仕方に、まさに日本国政府の官僚制度の悪弊が凝縮されていると思ったからです。その悪癖とは、


「組織を隠れ蓑にして、官僚個人が全く責任を負わない」


ことです。

考えてもみてください。国家機関が、直々にやらせを頼むのです。文書で依頼して済むはずはありません。電話なり、直接会うなりして、誰かしら保安院の側から、電力会社に対して具体的な要請をした人物がいるはずです。しかし、その人物が誰か、国民には一切分かりませんし、マスコミもそういう情報を暴露しようとしません。

これが、もし病原性大腸菌を客に感染させた企業だったら、どうなっていたでしょうか。社長や営業部長が記者会見を開かねばならず、汚染された生肉なり何なりを提供するという経営判断をした人物がだれか、徹底的に追及されるはずです。ところが、国家公務員に限っては、絶対にそういう事態が生じません。

たしかに、行政手続法なんかを見ると、行政指導はその責任者を示さなければいけない(35条1項)なんていうことが、もっともらしく書いてあります。だから、この場合、誰がやらせをやれと指導したか、電力会社は知ろうと思えば簡単に知ることができたはずです。また、マスコミも、そういう点を電力会社に対して突っ込むことができるはずです。しかし、そういうことには絶対になりません。

もちろん、マスコミが記者クラブのような互助会を作り、官僚と癒着しているというのもあると思います。しかし、本質はそういうところにあるのではなく、「官僚とは、表に出てきて責任を取らないものだ」という価値観が、この国にしっかり根付いてしまっているからなのではないでしょうか。

みなさんは、戦前に、こんなことがあったのをご存じでしょうか。

Wikipedia「太平洋戦争」より

宣戦布告遅延

アメリカ東部時間午後2時20分(ハワイ時間午前8時50分)野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命全権大使が、コーデル・ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒を手交した。

この文書は、本来なら攻撃開始の30分前にアメリカ政府へ手交する予定であったのだが、駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官(2人ともその後外務事務次官を務めた)らが翻訳およびタイピングの準備に手間取り、結果的にアメリカ政府に手渡したのが攻撃開始の約1時間後となってしまった。その為に、「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」とのアメリカのプロパガンダに使われることとなった。

(中略)

真珠湾攻撃が宣戦布告を伴わない奇襲攻撃という認識が現在でも一般的であるが、外務省がパープル暗号で送った命令書[14]では当初は攻撃開始30分前の宣戦布告を予想していた。しかし、東京から日米交渉打ち切りの通知を告げる内容の電文が送信された際、日本大使館員全員が宿直も置かず、大使館を空にして同僚の送別会を行っていた事[15]など、諸事情によりワシントンの日本大使館一等書記官奥村勝蔵の英訳親書のタイプが大幅に遅れ、攻撃開始時刻に日米交渉打ち切りの通知が間に合わなかった。

この件については、誰も処分されておらず、外務省はこの遅延に対し調査委員会を設立し調査を行ったが、調査結果は長らく公表されなかった。1994年11月20日、外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開し、公式見解として、大使館書記官の不手際により、宣戦布告が遅れたことを認めた。


なんだ、そんなことか、と思ったあなたは、もうすでに「日本病」に感染しているかもしれません。私は、この部分を見て唖然としました。

>2人ともその後外務事務次官を務めた

>この件については、誰も処分されておらず


信じられますか。「日本は卑怯なだまし討ちをした」と言われる直接のきっかけを作った部署の中で、誰も処罰されていないのです。しかも、大失態を犯した張本人の外務官僚二人は、戦後、官僚としてはトップの地位に上り詰めてまでいるのです。

陸軍の兵士が、「生きて虜囚の辱めを受けず」などと言われ、敵に捕まったら自害しろと教育されており、ルソン島で敵と交戦して不時着した飛行機の乗組員が、単機の昼間偵察という自殺行為を命じられていたような時代です。国家の浮沈に直結する問題で失態を犯せば、厳しい処分が待っていると、誰もが思うはずです。

しかし、日本の官僚制度では、それが全く逆なのです。より高度な責任を負っているはずのポジションに就けば、責任を問われることがないのです。それどころか、失敗をした直後には、その責任者の名前すら国民の前に曝されることがありません。

この点では、戦前も戦後も、全く変わっていません。戦前は、「国家無答責」などと言って、政府が国民に対して損害を賠償するなどとんでもない話だ、という、信じられないような論理がまかりとおっていましたが、今も昔も「官僚無答責」なのは同じなのです。

もちろん、事務処理を的確に行うという点では、他国の官僚よりも日本のそれの方が優秀ではあるのでしょう。しかし、こういう肝心の時に、日本の官僚制度には、誰がどうやって責任を取るかという仕組みが全くと言っていいほど存在しないのです。

これでは、震災や戦争のような有事に、有効な手だてを打てるわけがありません。文科省の「子供は白血病の労災認定が受けられる4倍の量被曝しても大丈夫」という方針のように、ただ自分たちの利害関係人たちの便宜を図ることしかできないのも当然です。

これが、果たして「政治主導」というものによって覆すことができるものなのか(小沢一郎にきけば、おそらく「可能だ」と答えるだろう)、それとも、官僚制というシステムの中では避けることができない宿痾なのか、正直いまの私には判断が付きかねます。

ただ、この国では、国民の生命に重大な損害をもたらしうる政策を、実質的に決定しているにもかかわらず、組織の名前を隠れ蓑にして、首にすらならずにのうのうと生きている者たちが沢山いるのだ、という事実は、きちんと受け止めなければならないと思います。

それとともに、「日本の官僚は他国に比べて優秀だ」などという、根拠のない幻想を捨て去り、我々自身が自分の生活と、それを支える経済社会状況に対して、感覚をとぎすませていくことが大切でしょう。震災と原発事故を経た我が国では、もう「お上に生命や財産を丸投げする」ことは自殺行為だということが分かってきたのですから。


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2011.07.27(Wed)

原発が嫌なら、グダグダ言わずに一点勝負すべき 

ちょっと、思ったことがあるので、書いておきます。

わたくしごとで恐縮ですが、福島第1原発の事故以来、何かあると、すぐに原子力発電について考えるようになりました。そのため、ツイッターだとかブログ、ホームページなど、ネット上の媒体も、原発についての考えや意見を
表明したものばかりになってしまっているようです。

それを、結局もう4ヶ月くらい続けてきたわけですが、様々な議論を目の当たりにするにつけ、なんというか、スッキリしないものを覚えていました。もっとも、それが何なのかはいまいちつかめずにいたのです。

そんな心のモヤモヤが、今朝になって急に雲散霧消しました。なぜなら、

「そうか、原発は、危ないからダメなんだ。自分にとって、それ以上でもそれ以下でもない」

ということに、ふと気づいたからです。

原発は不要だ、脱原発しよう、ということを言うと、なんというか、原発ファン(笑)みたいな人がどこからともなく湧いてきて、いろんな喧嘩を吹っかけてきます。メジャーなものを挙げておくと、

1 原子力は日本の発電量の3割を占めている。これをどうやって代替するのか不明
2 代替エネルギーはコストが高く、原子力は現実的な手段である
3 いつでも核開発可能な、潜在的抑止力として機能している
4 原発は一種の公共事業として役に立っている


といったところでしょうか。

中でも、1の議論はよく目にします。そして、そのような一種のイチャモンに対して、真面目に考えている人は、自然エネルギーへの転換を図るべきだとか、●ガスコンバインドサイクルのような化石燃料の効率的利用法を採用すべきだとかいう風に反論を行います。

しかし、専門家がやる議論ならともかく、私のようなフツーの人が、こういう議論をすべきではないと思います。というか、有害なので止めた方がいいかもしれません。

なぜなら、こういう専門知識が必要な分野は、すぐに「神学論争」になってしまうからです。神学論争というのは、中世のヨーロッパでキリスト教の坊主がやっていた「天使はいるのか」「父と子と聖霊は一体なのか、それともバラバラなのか」という、はっきり言えばどうでもいい議論を言います。

たとえば、上に挙げたガスコンバインドサイクルについて言うと、原発をどうしても推進したい人は、「化石燃料の入手の困難性」とか「設備投資のコスト」だとかいう点から再反論をしてきます。そうすると、真面目な人はだいたい自分の方が正しいことを、根拠を挙げて主張したくなります。議論というのは、そういうものだといろんな場所で刷り込まれているからです。

そして、重要なことは、そういう議論では、対立する当事者が自分にとって都合の良い理論や統計資料などを用いるので、いつまで経っても話がかみ合わないということがかなりの確率で起こりうるということです。そうして行くうちに、原発事故以降の未来をどうするかという話から、訳のわからない専門領域の殴り合いに移行していってしまうのです。こうなると、天使がどうの、三位一体がどうのという話と何も変わらなくなってきます。

もちろん、神学論争同様、そういう議論自体は、いくらやっても現実はいい方に変わってきません。

そこで、考え方を変えてみます。電力会社や、経済産業省や、マッチョなものに憧れるウヨクや、とにかく現状に追従することが大人の作法だと勘違いしているお馬鹿さんが、「原発は必要だ」「現実的な議論をしろ」と言ってきたら、

「原発は安全ではない。事故を起こすと取り返しが付かない。そんなものを、発電のために用いるべきではない」

と、だけ主張するのです。「原発の発電がなくなったら産業が止まる」と言われようとなんだろうと、とにかく「危ないからダメ」という一点張りをするということです。

これは、一見頭の悪そうな振る舞いですが、実はかなり強力な主張です。なぜなら、

・人命にとって危険なものは放置すべきではない

ということは、人間社会ではほぼ100%肯定されている論理であり、そこに来て、

・原発が生み出す放射性物質が人体に悪影響だということはほぼ万人が共有する常識である(「どの程度」という点について、意見が分かれているに過ぎない)
・福島第一原発の事故で、実際に避難を余儀なくされている人がいるという歴史的事実がある


という補強材料があるからです。

そうなると、この主張をを否定するために、原発を今後も続けていきたいという側は、「そんなことはない。原発は安全に運転できる」ということを、何らかの形で示さなければならなくなります。これはかなりのハードルです。実際に、理屈やデータで相手を説き伏せるだけでなく、実際にやるべきことをやらなければいけないからです。

こういう時に、風力発電だのメガソーラーだの、余計なことを言い出すから、どんどん議論が枝葉の方に行ってしまうのです。そんなことはマニアや専門家に任せて、一般庶民は、「こんな危ない発電方法はやめろ」とだけ言い続ければよいということです。

そういうことを知ってか知らずか、うまく立ち回っている政治家がいます。当たり前ですが、東京電力の株主や債権者が全く腹を痛めずに済む賠償法案を可決しているような永田町のアルツハイマー病患者たちの中に、そんなまともな人はいません。

ストレステスト後も再稼働拒否=東電柏崎刈羽原発-新潟知事
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011072600595

 新潟県の泉田裕彦知事は26日、定期検査中の東京電力柏崎刈羽原発2~4号機の再稼働について、ストレステスト(耐性評価)を終えても拒否する考えを示した。全国知事会の災害特別委員会委員長として海江田万里経済産業相と会談後、経産省内で記者団の質問に答えた。
 泉田知事は、東電福島第1原発事故の検証を踏まえることなくストレステストを実施しても「気休め以外の何ものでもない」と批判。「『ストレステストが終わったから安全だ』という虚構の下で動かすことはあり得ない」と強調した。その上で、福島第1原発では津波による電源喪失だけでなく、地震による配管破断などがなかったかどうかも徹底検証を求めた。


泉田知事が賢いのは、上でも述べたような、メガソーラーうんぬんとか、電力供給不安がどうだとか、グダグダになるに決まっている論点に一切言及せず、「危険なものは動かせない」という一点で勝負しているところです。

しかも、単なる反原発と取られて、読売新聞を初めとする原発大好きメディアに叩かれないように、「福島の事故の検証が終わっていない」という点を付け加えているところです。これを覆すには、きちんとした検証が不可欠です。そして、文系の審議官ばかりの原子力安全・保安院と電力会社が、原子力の夢を語りすぎてあとに引けなくなったカワイソーな学者さんたちと一緒にやることは「おためごかし」というのであって、検証と呼ぶに値しないことは明らかです。

極めつけは、地震そのものによる配管破断の可能性も示唆していることです。これこそ、経済産業省や電力会社が一番触れて欲しくない点なのです。なぜなら、震度6程度の地震で配管破断が起きたら、日本で海水を冷却に用いる原発を建設できる場所は皆無なので、今後原発の推進が不可能になるからです。

配管が破断すれば、冷却水の循環を中核とする熱交換が不可能になるのですから、いくら津波を想定したシミュレーションや、圧力容器や格納容器といった原子炉の真ん中を対象としたストレステストを実施しても意味がありません。「マグニチュード7.0の直下型地震が来ても、配管は破断しません。継ぎ手の部分も一つ残らず完全に補強しました」みたいなことを経産省・電力会社側が示せない限り、「危険だから止めろ」という主張は覆せません。

もっとも、そのような対策は不可能でしょう。できるなら、とっくの昔に経産省の側から言い出しているはずです。出来るわけがないから、触れずに黙っているわけです。

もうお分かりだと思いますが、「危険なものは止めろ」という主張に対して、「動かし続けないと経済がやばい」などと言っても、全く反論になりません。そんな人といちいち議論して何かやっている気になるなら、泉田知事に応援メールでも送った方がはるかにマシです。

それ以上に、私が言いたいのは、そんなことを言って足を引っ張ろうとする輩の言うことなど無視して、とにかく原発を止めてしまえばいいということです。本当に原発が止まれば、原発ファン(笑)のいうノストラダムス状態が本当に訪れるかどうか分かります。

「もし電気が止まって、ICUやペースメーカーの世話になってる患者が死んだら責任取れるのか!?」とか、「そうなったら、日本の経済社会が崩壊する!」などと言われても、気にする必要はありません。電力会社に対して、「だったら、別の方法で発電しろ。こっちは電気を買ってる客だ」と言えばいいだけの話です。

いろいろと述べてきましたが、要するに、危ないものは使うな、動かすな、さっさと止めろ、それだけでいいということです。

泉田知事のような政治家が、今後いろいろな自治体で出てくることを期待します。もちろん、多少気に入らないところがあっても、そういう政治家は応援しましょう。

このブログは近代国家や近代経済システムというものは好きではありませんが、原発という究極の近代的システムを止めるには、近代的な政治制度の助けを借りなければ困難です。だから、原発は嫌だという国民の期待に応えてくれる政治家は、何らかの形で支援していきたいと思います。

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2011.07.20(Wed)

スポーツは、ただ面白いだけで存在意義があると思うのですが 

もともとサッカー好きな人間として、ちょっとこれはどうなの、という新聞の社説を見つけましたので、それについて、少し言及しておきます。

なでしこパワー ひたむきさが壁を破る
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2011072002000003.html

 「なでしこジャパン」が、サッカー女子ワールドカップ(W杯)を制覇した。そのしなやかでひたむきな姿は、大きな感動を生んだ。世界の壁を破った力は、社会も元気づけてくれる。

 「あんな小さな子が、大きい人たち相手によく戦ってくれた」

 凱旋(がいせん)帰国したなでしこジャパンの姿に、あるファンが漏らした思いだ。同じ思いの人も多いだろう。

 戦いぶりは堂々としたものだった。速いパス回しと高い技術で、女子サッカー大国・米国相手に見事な試合を見せた。

 なでしこたちは男子のようにプレー環境に恵まれているわけではない。一部にプロ契約選手はいるが、多くはアマチュアだ。昼間働き夕方練習に駆けつける。収入は多くはない。以前はパチンコ店に勤める選手もいたという。

 海外プレー組も競技生活は楽ではなく、日本サッカー協会が、わずかだが日当を支給している。

 競技生活を維持すること自体が至難の業だろう。「サッカーができる喜び」をかみしめて、ただひたむきにボールを追う姿に大きな魅力を感じた。男子と並んで女子が活躍する。これは社会全体にもいえるのではないか。

 働く女性の数は昨年、二千三百二十九万人と過去最高になった。働く全人口の四割強が女性だ。働く分野も「医療・福祉」分野が初めてトップになった。病気を抱えた人や介護が必要な人に接する分野だけに、ひたむきに働く女性の活躍が期待されている。それは他の分野でも同じだろう。

 ただ、女性就業率(二十五~五十四歳)は、経済協力開発機構(OECD)加盟三十カ国中二十二位だ。就職活動中ではないが働きたい女性(二十五~四十九歳)は、女性労働力人口の一割強、三百四十二万人いる。

 女性が働きながら子育てしやすい環境整備も不十分だ。内閣府の子ども・子育て白書によると、子供のいる男女が希望する子供数は、米国も日本も二・三人と同じである。

 だが、実際に希望人数まで増やすか聞くと「増やしたい」人は米国の62・7%に対し、日本は42・8%にとどまった。「育児にお金がかかる」「働きながら子育てできない」などが主な理由だ。

 なでしこたちは「女子サッカーの待遇を改善したい」という共通の思いがあった。女性の潜在力を社会でどう発揮してもらうか。世界の頂点からのメッセージをしっかり受け止めたい。


みなさんは、この社説を見てどんな感想をお持ちでしょうか。多くの方は、「ああ、なるほど」とお思いかもしれませんが、私の考えは違います。

もちろんですが、今回の女子サッカー日本代表の活躍ぶりにケチを付ける余地はありません。スウェーデン戦の失点、アメリカ戦の1失点目のような凡ミスはあったにせよ、組織的に守備を行い、前の方で取ったボールを素早く展開してゴールを狙うサッカーはおおむね成功していました。男子サッカーと異なり、ペナルティエリアに入り込んでいく選手が多いという点でも、非常に攻撃的な姿勢があり、ただ単に粘りだけで勝ったのではないことは明らかです。

しかし、ワールドカップでの優勝に対する、特に大手メディアの反応は、どうも「後付け」「牽強付会」「我田引水」のきらいが否めません。今回取り上げた中日新聞の社説など、まさにそうでしょう。

細かい部分はいろいろあるのですが、一番頭に来るのはここです。

>女性の潜在力を社会でどう発揮してもらうか。世界の頂点からのメッセージをしっかり受け止めたい。

まるで、日本代表の選手達が、日本社会における女性一般の地位向上のために戦っていたかのような言い草です。彼女たちは、大会前、そして、大会中も口々に「優勝したい」と言っていましたが、それは競技選手であれば当然思うべきことで、別にそこに何か、社会に貢献しようとか、女性の待遇を良くしようとか、そういう「邪念」があったわけではないと思うのです。

それを、こうやって強引に女性一般の話に引き延ばしてしまうのは、中日新聞の社説子のみならず、大手メディアの記者や編集者に、しょせんスポーツは(自分たちが日頃携わっている)政治経済よりも下の存在で、政治や経済に対して何かプラスがあってこそ意味があるのだ、という、超上から目線の考え方があるからなのではありませんか。

はっきり言ってしまえば、スポーツなどというのものは社会に不要です。私は●岩渕選手のドリブルが大好きなんですが、こんな動きを日常生活でする必要もありませんし、ドリブルなんかできなくても、給料をもらう仕事をやったり、農作物を作ったりすることはできます。それどころか、農作業やデスクワークの途中にドリブルの練習なんかやっていたら、「ふざけてないで仕事ちゃんとやれ」と、言われてしまうのがオチです。

しかし、もしその論理どおりに社会が運営されるとするならば、「祭り」と呼ぶようなものはこの世の中に一切不要だということになります。だって、そうでしょう。御輿をかついだり、神楽を舞ったりすることに、近代経済システムの上から見た合理性なんて少しもありません。縁日なんかに人が来てお金を落とすというなら、そんなものより中国で大量に作った品物をCMで宣伝してバンバン売った方が絶対にもうかります。

究極の話、スポーツに限らず、何からのお祭り的要素があるイベントというものは、無意味なことや馬鹿馬鹿しいことをいかに真剣にやれるかという一点に、その価値が凝縮されているのです。なぜなら、そういうイベントは、「日常」と違うことをして、普段の生活の不条理や不満を解消するための機会だからです。諏訪大社のお祭りで、人が死んでもでかい柱を上から落とすイベントがなくならないのも、家や電柱や壁が壊れて人が死傷しても岸和田のだんじり祭りが続くのも、それをやってる時の非日常な空間がたまらないからです。諏訪大社の御柱祭に、警察がしゃしゃり出てきて、柱が斜面を下るスピードなどについて事細かに安全指導をやったらどう思いますか。そんな祭りなら、やらない方がましだと思うのではありませんか。

そういう、非日常性の持つ価値を分からずに、なんらかの政治的・経済的な意味を与えようとするのは、結局、そういう人たちが何でもかんでも役に立つもの、意味があるものでなければいけないという病気に罹っているからです。「なでしこで経済効果1兆円」だとか「働く女性を勇気づける勝利」だとか、そんなことを書いて悦に入っているのは、はっきり言って病気です。

まあ、新聞の論説委員なんかは、何でも経済的な合理性がないといけない世界で、自分たちがいい目を見ているからそういう視点になるのはある意味道理でしょう。しかし、庶民がそんなものにひきずられる必要はありません。私から言わせてもらえば、金儲けの方法だとか、政治の話題だとか、そんなものをいつもいつも論じている人間の方がよっぽど下らない人間だと感じます。

同じような理由で、このワールドカップでの快挙を、震災だとか復興だとかに結びつけようとするのにも私は反対です。「被災地のために」などという理由で、あそこまで頑張れるものではありませんし、頑張る必要もありません。勝ちたいから、もっと上に行きたいから、そういう気持ちだけあればいいのです。スポーツはそういうものだからこそ意味があるのです。国威啓発だとか、政府の不満から目をそらしたい意図だとか、そんな下らないこととは切り離して楽しむべきです。

今回取り上げた社説に、深く納得してしまった人は、いちど考えてみた方がいいかもしれません。社会的な意味合いだとか、経済効果だとか、そういうものにばかり価値を置いてしまって、自分は生きることそのものを楽しんでいないのではないか、と。


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2011.07.07(Thu)

寒いギャグで夏の暑さを和らげようと大奮闘中の九州電力 

九州電力、「原発賛成」やらせメール 関連会社に依頼
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110707k0000m040079000c.html

 九州電力の眞部利應(まなべとしお)社長は6日夜、同社内で会見し、玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開の是非を問うため経済産業省が6月26日にケーブルテレビで放送した県民向け説明番組に絡み、九電原子力発電本部の課長級社員が子会社に、再開を支持する電子メールを投稿するよう依頼していたと発表した。東京電力福島第1原発事故で原発の安全性に不安が広がる中、電力会社自らが「やらせメール」で番組の公平性を阻害したことで、原発再稼働の是非だけでなく、国の原子力政策への信頼を揺るがしかねない事態となった。

 眞部社長は企業トップとしての責任を認めたが、進退については「(言及を)控えたい」と明言を避けた。

 この九電社員は番組放送4日前の6月22日に▽西日本プラント工業▽九電産業▽西日本技術開発▽ニシム電子工業--の4子会社の社員4人にメールを送信。「発電再開容認の一国民の立場から、県民の共感を得るような意見や質問を発信してほしい」と依頼した。

 九電社内でも▽玄海原発▽川内原発(鹿児島県薩摩川内市)▽川内原子力総合事務所(同)--の3部署の中堅社員3人に同様のメールを送信した。番組にメールする際は九電関係者と分からないよう、自宅などのパソコンからアクセスするよう指示していた。

 子会社側から番組に何通届き、紹介されたかは把握していないという。子会社の社員は約2300人。番組中にメールが473件、ファクスが116件寄せられ、このうち11通が読み上げられた。再開容認の意見は4通含まれていた。

 眞部社長は事実関係を認めた上で、自らの関与は否定。「心からおわび申し上げる。責任は最終的に私が取る」と陳謝した。しかし、自らの進退を問われると「進退まで問われる事かどうか。国とも話し合いたい」とかわした。メールを流した社員への聞き取り調査は7日にも実施するという。

 この問題は、6日の衆議院予算委員会で笠井亮(あきら)衆院議員(共産)が取り上げた。海江田万里経産相が「九電がやっているなら非常にけしからん。しかるべき措置をする」と九電を批判し、同社の処分を検討する考えを示した。


どうも、この電力会社は、原発事故に直接会っていないので、チョーシに乗りすぎていたようです。ツイッターに、このようなツイートが出ていました。

【九電総会参加報告】海江田安全宣言を受けての、原発推進まっしぐら総会。 国からお墨付きを頂いた原発だからという開き直りで、反原発株主の意見は、軽く笑い事にする空気。たくさんの人が手を上げているにも拘らず、「あと一人にします」などと切り捨て。司会は九州電力眞部社長。

ある女性:福島の方からのメールを読みます→司会:株主で無い人の意見はダメ→女性:私は株主、読みます→ 司会忠告:認めません→ 読み続ける女性→2回目の忠告→読み続ける女性→3回目の忠告:止めないとマイク取り上げます→あっという間に5~6人の男性女性を囲みマイク没収


少しは耳を傾けて、「このような事故がないように、万全の地震津波対策を講じます」とでも言えばいいものを、実に高圧的な様子がうかがえます。

そして、今度は裏から手を回してやらせメールです。

ここまで来ると、まるで縁日で射的の景品を絶対倒れないようにしたり、安っぽいウエハースで金魚すくいをやらせたりしていたいけなガキをだまし、客に文句を言われると因縁をつけてくるチンピラ風情のテキ屋のようですらあります。

こういう連中から、核兵器でお湯を沸かして作った電気を買いたくないと言うと、「だったらパソコン使うな」「事故を起こすのが嫌なら車にも乗るな、飛行機も使うな」と意味不明な罵詈雑言が(ネット上で)飛んできていたものです。最近はそういう人たちもすっかり元気をなくしているようですが…。

九州電力が初めて作った原子炉である玄海原発の1号機は私と同い年です。●もう相当くたびれて体中おかしな所だらけのようです。無理せず、廃炉に持っていった方がよいかと思います。

どっかの中身がからっぽの首相ではありませんが、その1号機とプルサーマルの3号機だけでもしばらく運転停止にした方がいいんじゃありませんか?眞鍋社長。

私ですか?私はまだ廃炉には早いので、メルトダウンしないようにもうちょっと頑張ります(笑)。


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2011.07.04(Mon)

高速増殖炉という夢の、終わりのはじまり(3) 

前回に引き続き、高速増殖炉の話です。今回でおしまいにします。本論に入る前に、恒例の(笑)「もんじゅ」のニュースです。

もんじゅ:撤去装置、調査へ 落下との関係詳しく--原子力機構 /福井
http://mainichi.jp/area/fukui/news/20110702ddlk18040659000c.html

 高速増殖原型炉「もんじゅ」(敦賀市)で、原子炉容器内から24日撤去した炉内中継装置(長さ約12メートル、直径46センチ、重さ3・3トン)について、日本原子力研究開発機構は1日、装置の分解・点検作業を4日ごろから約10日間の日程で始めると発表した。撤去の際に装置下部の擦り傷などを確認しており、落下との関連を詳細に調べる。

 機構によると、装置下部の「回転ラック」と呼ばれる燃料の受け渡しをする板状の機器に、擦り傷や摩耗した痕跡が見られた。また、回転ラックの駆動軸(長さ約10メートル、直径約16センチ)が通常よりやや下方にずれていることも確認したという。装置に付着したナトリウムを洗浄しており、分解点検して欠落した部品の有無、容器内の機器損傷を調べる。

 また機構は、落下の衝撃で変形した同装置の接合部などの写真を公開した。外側にせり出すように変形してすき間が開いており、留めていた8本のピンは抜け落ちていなかったという。


ものすごく気になるのは、その中家機器が落ちた方の原子炉内部がどうなっているか、全く情報が出てこないことです。そんな状態で「もんじゅ」の運転を再開していいものなのでしょうか?


7 成功は「義務」

高速増殖炉がどれだけ危険だということは、もはやみなさんにはお分かりだと思う。問題はなぜそれにも関わらず、この「超ハイリスク・ノーリターン」の装置を、政府や関係者は稼働させようとするのか、という点にある。

この問題に関しては、根本的に、「もんじゅ」の廃炉が決まったらどうなるか、という仮定から考えてみると分かりやすい。

もし、「もんじゅ」が廃炉になるとすれば、理由は一つしかない。危ないからだ。

おそらく、原子力関係者は「もんじゅ」は構造上よくないところがあったのでうまく行かなかったとか、想定外の部品の傷みがあったとか、いろいろ言い訳を付けて、高速増殖炉そのものは間違っていないという主張をするだろう。しかし、国民はそういう風には受け取らない。

プルトニウムを作り出して将来の核武装にするという、まだマシな言い訳も、それを高速増殖炉でやる必然性がないと反論されてしまえばおしまいだし、何よりいきなり核武装を論点にされて国民が納得するわけがない。

とすれば、もう今後日本で高速増殖炉は国費を投入して研究すべき対象ではなくなる。

これによって、従来型の原発から出てくる核廃棄物、すなわち劣化ウランとプルトニウムを処理する方法は事実上なくなる。原発を運転する限り、どんどん核廃棄物が貯まっていく。

そして、捨て場はどんどんなくなっていく。超有害なアルファ線を出す放射性物質である。燃やしても意味がないし、野ざらしにすれば雨で土壌を汚す。

やがて、核廃棄物を置く場所すらなくなっていき、日本の原子力政策は完全に行き詰まる。

そういう事態を見越して、日本政府は、ご主人様のアメリカと組んで、これ以上にない野蛮な行いに出ようとしている。

日米がモンゴルと核廃棄物管理で協議-使用済み燃料の移送は否定
http://jp.wsj.com/Japan/Economy/node_233870

しかし、こんな弥縫策は相手国に反対されればおしまいだ。カネで籠絡できるうちはいいが、政権が反原子力に傾いたらどうするのか。

それに、モンゴルまで核廃棄物を輸送する時に決して良好な関係にないロシアや中国の領内を通らなければならないわけだ。途中で何かあったらどうするのか。安全保障上大いに問題があるのだ。

だから、国外に核のゴミを押しつけることもできないし、やるべきではない。

結局、何をやってもいつか原子力政策は行き詰まる。それも、比較的短期間にそうなる。高速増殖炉という、当面のゴミ処理方法がなければ。

だから、「もんじゅ」は成功させなければならない。いや、正確に言えば、成功するということにしていつまでも運転を続けなければならない。そうしなければ、原子力政策はその正当性を完全に失うことになる。

8 いわゆる既得権益について

言い換えれば、高速増殖炉という「夢」の終わりは、いわゆる原子力村と言われる人びとの終わりのはじまりも意味するということである。

たとえば、「もんじゅ」を運営するために、国内の原子力関連企業が「高速炉エンジニアリング」という会社を運営している。

http://www.fbec.co.jp/gaiyou.htm

もんじゅは運転していなくても、1日につき5500万円ほどの経費がかかる。そういう経費の何割かは、原研(日本原子力研究開発機構)や上のホームページに出ている企業の「あがり」になる。

もんじゅ一つですらこの有様なのだから、全国に54基ある原発においては何をか言わんや、である。

このような受益関係は、一度できてしまうとなくすことが難しい。今まで高速増殖炉経由でもらっていたカネがなくなって、いい生活ができなくなるのが困るという人もいるだろうし、もっといえば生活そのものが成り立たなくなるという人もいるに違いない。

しかし、「もんじゅ」が一度事故を起こした時の損失を考えれば、我慢してもらうしかないだろうし、雇用対策や地域振興というなら別の名目でもやれる。なんなら、廃炉を公共事業にしてしまえばいい。

少し認識が甘いのかもしれないが、利権うんぬんというのは、本当をいえばそれほど難しい問題ではない。原発の立地がそうだったように、カネで補填可能な問題だからだ。

9 真の問題

私は、もっと大きな問題が二つあると思う。

一つは、原子力政策を見直すということは、今まで日本の官僚組織、特に経済産業省が進めてきた施策が間違いだったということを認めることになることだ。

日本の官僚というのは、「無謬性」というのが好きである。一度始めてしまうと、間違いを認めない。霞ヶ関で数字や論理をもとに立案したプランが、現実にあわずに変な結果を出していても気にしない。不都合なデータは出さず、都合のいい情報ばかり取り出して成果を強調する。

もっとも、これは政治家が国民の信託を受けて政策をしっかりと実行すれば、かなりの程度ねじ伏せられる。民主党政権が初めて出来た時、亀井金融担当大臣がマスコミの批判にも全く臆せずモラトリアムを断行したが、ああいう感じだ。

だから、こちらはこちらで問題はあるが、対処方法は分かりやすい。もっと異質な問題があるのだ。

私が、その問題点に気づいたのは、実は一連の記事を書こうと、「もんじゅ」や高速増殖炉の仕組みについて調べていた時だった。

私は3月中旬まで、恥ずかしながら原子力発電がどのように動いているか、まともに知らなかった。高速増殖炉に至っては、敦賀にあって「もんじゅ」という名前をしていることくらいしか知らなかった。知る気がなかったという方が適当かも知れない。

それが、好奇心や、ブログで一応記事としてまとめたいと思い、核分裂の仕組みから何からいろいろ調べていった。

その時、私が感じたことがある。

「すごい!こんな仕組みでウランがプルトニウムに変わるのか!」

「陽子と中性子の数がちょっと変わるだけで、全然違う物質に変わるのか!」

「理科の資料集に出てた周期表って、なんでこんなにうまく出来てるんだろう!」


まるで中学生か何かのような心理状態だったが(笑)、それをあとから振り返って、あることに気づいた。

テレビに出て安全安全言っていた御用学者と言われる人たちも、きっと初めはこんな風にして原子力の世界に入ってきたのではないだろうか?

原子炉の中で繰り返されている物質の営みは、まるで万華鏡である。

それを、与えられた理論を駆使して読み解いていく。この上のない快感だろう。この世の雑事からかけ離れればかけ離れるほど、はまりこんでいくに違いない。

しかも、彼ら原子力研究者達は、それがエネルギー問題の解決策にせよ、兵器利用の核開発にせよ、自分たちの高度な研究は国家社会の役に立っているという強烈な自負がある。

それを、昨日今日仕入れたにわか知識をふりかざす私のような素人に、「原発は要らない」「御用学者は嘘ばかりついている。クビにしろ」と言われたとする。

はい、その通りです、などと言って、引き下がれるものだろうか?

原子力利用を否定されることは、彼ら研究者が歩んできた人生そのものの否定である。もちろん、中には電力会社から寄付講座という名目で紐付きのカネをもらったりして、おかしな方向に行ってしまった研究者もいるだろう。しかし、そんな彼らにも初めの一歩があったはずだ。それすら間違っていたということは、あまりにも残酷なことだと思う。

私は別に、だから彼らを断罪しないでほしい、などと嘆願するつもりはない。明らかに嘘をついていた人びとについてはきちんと謝罪すべきだろうし、それなりに責任を取る必要もあると思っている。

しかし、それが勢い余って「魔女狩り」になってしまってはいけない。

今後「脱原発」を本気で考えた時、原子力の世界についてなんらかの知見のある人間は、今までと違う形で必要になってくる。その時、今いる原子力研究者たちには、最後の仕事をしてもらわなければならない。

我々自身が彼らを使う、というか、うまく働いてもらうようなメンタリティーでいなければならない。責任追及は二の次である。もっともっと先を見ていくべきだと思う。

我々が戦わなければならないのは、「もんじゅ」や御用学者そのものではなく、それらを生み出してしまった「何か」である。

その「何か」を正視できる人が増え、何らかの行動を起こしていかなければ、高速増殖炉のようなモンスターがまたどこかで現れる。

目の前の原発の停止だけでなく、その先を考えてみることが重要だと思う。それはたとえば、原発が必要かそれとも火力で賄えるかという議論ではない。

果たして電気はここまで必要なのか、必要だとしても、それは長い送電線や大がかりな変電所を備えなければ使えないものなのか。

そういう問題提起をしていかなければならない。

そして、それが形になるように、少しでも行動をしていかなければいけない。

微力ながら、私もそのために日々研鑽を積み、できることを少しずつ増やしていきたいと思っている。みなさんも、一緒に頑張りましょう。


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