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2010.06.24(Thu)

○と△の話(1) 

私は経済学など全く学んだことがない人間ですが、こんな話を考えてみました。私が前回の記事で言及した「地域通貨」や「自律的な生活」に行き着いたのは必然だったとご理解いただくのに有用かと思いますので、掲載してみます。

なお、他所からの転載のため、口調が普段と異なるのはご容赦ください。




まず、以下のようなモデルを仮定する。

★構成員が四人だけという非常に狭い経済循環
★登場人物 A、B、C、D


この経済循環に与えられた条件は以下の三つ。

(1)四人はそれぞれ他の三人からおにぎり(△)をもらえないと生きていけない
(2)おにぎりを手に入れるには銭(○)が必要である
(3)○を手に入れるに、四人はなんらかの労働を他のメンバーに提供する必要がある(自給自足はここでは考慮しない)


  (1)から(3)の条件は、現実に行われている生産や取引を抽象化したものである。△が生活必需品、○が貨幣だと思えばよい。自給自足を考慮しないということは、今の貨幣経済の実態に合わせてある。
  そして、スタート時に存在する△の量は100、○の量は400だとする。すなわち、△1=○4 であり、△1つ買うには○が4つ必要だと言うことを表してる。


  では、始め。


  経済循環、すなわち(1)から(3)のサイクルが始まると、この四人の間で△と○が頻繁に行き来する。
  しかし、この中でAだけは他と少し違うことを考え始めた。それは、「この○を貯めておいて、あとで使おう」ということである。
  Aは毎年○を10個ずつ貯めていくことにした。少し△を食べるのを我慢すればいいだけのことだ。

  そして、10年年経つと、こういう状態になる。

○=300(ABCD間で交換されている分)+100(Aが貯めている分)
△=100


  では、△と○の関係はどうなるだろう?この場合も、△1=○4という関係になるだろうか?
  そうはならない。なぜなら、Aが貯めた○は、四人の間で行き来しないので、この経済循環には「ない」ものとして扱わざるを得ないからだ。
  そうなると、○300に対して△が100ということになり、△1=○3になる。△の値段が下がった。

  要するに、これが「デフレ」である。

  これは、別にA一人が○を貯めなくても、四人が少しずつ○を手元に置いても同じ事が起きる。しかし、ここではとりあえず、Aだけが○を貯めようとするセコい奴だということにしておく。

  そこからまた10年が経ち、こうなった。

○=200(循環する分)+200(Aが貯めている分)
△=100


  また△の値段が下がった。今度は△1=○2。値段が半分になった。

  ここで、ABCDは△の値段が半分になったから、安くなったねーと素直に喜ぶだろうか?
 
  おそらく、喜ばないだろう。
  なぜなら、その分経済循環の中にある○、すなわち、自分たちが手に入れることができる○の量も減ってるからだ。
  物がどんどん安くなるということは、それ以前に、経済循環の中からカネがなくなっているという現象が先行しているということである。デフレが進むのは、それ以前に給料や設備投資が減っているのだ。
  だから、○が安くなっても誰も嬉しくないということになる。


  ただ一人、Aを除いては。


  しかし、Aがもし○を使って△を買い占めたりすれば(手持ちの○200を使えば可能)、一時的に△は経済循環から消える。しかし、再び△が生産されれば、その○は再び経済循環の中に戻っていってしまう。
  そうなると、他人よりも○を持っているというAの有利さは無意味なものになってしまうことだろう。



  ここで質問。



  あなたがAなら、ここでどういう行動を取るのが一番「合理的」だろうか?




  次回に続きます。

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~追伸~

前回の記事で紹介した、米とリンクした地域通貨「むすび」については、こちらをご覧下さい。

おむすび通貨のホームページ
http://greens-net.com/butubutu/


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