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2009.12.31(Thu)

嘘のつき方について 

  面白い記事を見つけたので、紹介しておきたい。

10年前より200万円も安くなった35歳の年収~『"35歳"を救え』
http://www.webdoku.jp/tsushin/2009/12/21/006890.html

 若い頃に思い描いていた「35歳」とは、どういう姿ですか? そう問われて本作に登場する35歳の男性の一人がつぶやきます。

 「いまじゃ想像もつかないですけど、間違いなく結婚して、子どもがいて、普通の家庭を築いているんだろうなと」。

 現在、この男性は埼玉県の職業訓練校に通いながら、再就職に向けて準備中。電気工事士、ボイラー技士など彼が持つ資格は15個以上。どれも国家資格や都知事から与えられる正式な資格ばかり。それでも、就職先が決まりません。もともとトラック運転手として働いていた彼は、ビル管理会社に転職。最終的に年収が300万円を切るようになり、再び転職を考えました。付き合っていた女性もいましたが、年収を理由に結婚は断念。今も結婚はしておらず、アパートで一人過ごす日々を送っています。
 
 「団塊ジュニア世代」と呼ばれる現代の35歳。10年前ならば、35歳といえば家庭を持ち、会社で責任あるポストを任され、社会を担っていくはずの存在でした。それが現在では低所得化、未婚化、雇用の非正規化など、不景気のあおりを正面から受けています。本書はNHK「あすの日本」プロジェクトとして放映された内容を再構築したもの。1万人の35歳のアンケートデータから浮き彫りになる、35歳の「現在」をリアルに伝えています。

 たとえば、年収。1997年には平均年収が500万~600万円だったのが、現在は300万円台。10年前よりも200万円は安くなっているのがわかります。35歳時点での出生率は0.86、また正社員の69%の人が、会社に対して不安に思うことについて「収入が増えないのではないか」と回答しています。

 今のままでも十分目を背けたくなりますが、この先20年後の日本は「ゼロ成長」「消費税18%」「医療費の自己負担額は現在の2倍」「失業率10%超」「年金30%カット」など、想像したくもない社会になってしまう可能性があるのだそうです。現在、日本の失業率は5.1%。15~24歳の若者に至っては失業率9.9%と、すでにその予兆は始まっています。

 今後、日本の社会はどこに向かっていくのか――。今年を振り返りながら、2010年を迎える前に読みたい一冊です。


  不安な気分になっているあなたは、もしかしたらある種の人たちの都合の良いように誘導されやすいタイプかも知れない。注意した方がよい。
  私が危ないと思うのは、この部分を読んで「こんなに悲惨になるのか・・・」と思ってしまった人だ。

>この先20年後の日本は「ゼロ成長」「消費税18%」「医療費の自己負担額は現在の2倍」
>「失業率10%超」「年金30%カット」など、想像したくもない社会に
>なってしまう可能性があるのだそうです。

  「可能性がある」からこんな内容を放送しているのではない。
  「これからこういう社会にしたい」から、そのためのプロパガンダを今からしているのである。
  仕方なくてこうなったんだ、環境が変化したせいだ、今はこういう世の中だから・・・このような論調でメディアから発信される情報は、ほとんどがプロパガンダか、それを鵜呑みにしている二次生成的言論である。こんなものを信用する必要はないし、その通りの未来を受け入れることを検討することすら不要である。
  NHKがこのような内容の番組を放送しているのだとしたら、良識ぶった国家権力の道具という、最悪の評価をせざるを得ないだろう。こんな連中に、受信料など払う必要はない。もう、我々はテレビを捨てるべき時が来ているのではないだろうか。

  このようなプロパガンダが巧妙なのは、

>1997年には平均年収が500万~600万円だったのが、現在は300万円台。
>10年前よりも200万円は安くなっている

  こういう事実を混ぜてきているところである。こういう部分と、消費税うんぬんという支配側(財務省、日本をデフレ漬けにしたいアメリカや中国、グローバリスト企業)の願望とを分けて検討するのはかなり難しい。
  このブログは、皆さんに有益だとか興味深いと思われるもののとらえ方を紹介する(その当否はみなさんに決めていただければよい)ことを趣旨としているので、ここで一つプロパガンダの仕掛け方というものを紹介しておこう。それは、

1.すべて嘘にはせず、事実と混ぜておく(半分以上は本当)
2.前半は本当、後半は嘘
3.事実は本当、解釈が嘘
4.過去・現在は本当、未来が嘘


  1.は、嘘の比率が高いとバレやすくなるからだ。人間は、ある文章や演説を聴く時、一つ一つの言葉の意味を細かく検討するのではなく、全体の雰囲気で判断している。そのとき、嘘が大半を占めると、全体的に地に足の付いていないような印象を与えて、嘘がバレやすくなる。●東京スポーツという新聞は「日付と天気予報だけホント」なので、こんなところが消費税18%だと言っても誰も信じないだろう(笑)。
  しかし、本当のことの割合が多ければ、そういう直感的な判断ができなくなり、信用できるかもしれないという予断をもって受け入れてしまうのだ。
  こういった効果は、発表している主体に権威があればさらに高まる。「NHKが言ってるんだから」というわけだ。まあ、だからこそこのブログに需要が出てくるわけだが・・・。

  2.や3.は、1.を段落や意味のまとまりごとの役割で分類したものである。初めの方に本当のことが書いてあれば、後ろも本当だろうと推定するのが人間である。試験の選択肢でも、間違いは後段に混ぜるのが常套手段だ。
  さらに、取り上げた出来事や事件が本当だと、それにどんな意味があるのかという部分をとりあえず読んでしまいがちである。事実の解釈など何とでもできるのだから、その部分に嘘を混ぜるのが一番効果的だということだ。
  そして、その解釈は、ほどよく感情を煽るような要素を持たせるとよい。たとえば、ちょっとだけ外国人への排斥感情を煽るようにしておくとか、ちょっとだけ悲惨な未来を描いて見せるとか、そんな感じである。そうすると、感情を揺さぶられるので、そこに書いてある解釈を強い印象で受け取ってしまうことが多い。ただし、あまりにも大げさにしてしまうと、それが主目的だとばれてしまう。モロ出しは風趣を欠く(笑)のである。
  そして、4.は1.を時間軸でとらえたものである。外国のメディアや、予算が欲しい研究機関がよくやるものだ。たとえば、「チキューオンダンカがこれ以上進むと・・・」という感じである。未来がどうなるかなど誰にも分からない。いわば白紙のキャンバスなのだから、そこにどんな絵を描いても完全な検証は不可能だ。詐欺師は、そこにつけ込んでくるのである。

  もっとも、私のような30代の年収がダウンしてきているのは事実である。その原因や、そこから起こりうる現象を検討しておくことは無駄ではない。

  まず、これだけは絶対に間違えて欲しくないので言っておくが、年収は下がったのではない。「企業が賃金を下げた」という言い方が正しい。平成に入ってからの日本企業は、利益を配当や役員報酬、さらには内部留保に回すことを優先し、従業員の給与を「コスト」としてみなすようになってきた。だから、正社員には残業代を出さず、派遣やバイトを使うわけだ。
  そして、企業はそれを「競争力の強化」ということで正当化し、メディアはリストラだの格差社会だのグローバル化だのというキーワードを氾濫させて援護射撃しているのだ。

  もっとも、このような企業側の認識は必ずしも正しくない。賃金は国民経済の中に放出されて需要を形成し、やがて企業自身の売上となって還流するからである。外部経済から獲得した利益(貿易黒字や資本収支)をくっつけて放流すれば、それだけ需要が大きくなっていく。このブログのいつもの言い回しで言えば、総需要が拡大するということだ。
  これに対して、投資家への配当や役員報酬はそのほとんどが消費に回らず、投資や貯蓄として金利や配当といった不労所得を生み出す原資になってしまう。●前の記事で書いたとおり、これは国民経済にとっては「死んだカネ」である。
  金利支出という消費につながらないカネを差し出さなければならない経済主体が増え、しかもその原資は金持ちのもとで滞留するのだから、デフレが拡大する一方なのは誰が考えても分かるだろう。
  金持ちになれないのは努力が足りない証拠だとマスメディアや学者がわめき、それを錦の御旗に同じ弱者を叩くバカがネット上に湧いてくるのは、全て上にあげたようなデフレの過程を正当化するためである。もしくは、そのような正当化をしかけた人間の敷いたレールに乗っかってものを考えたつもりになっているバカ(二次生成的言論)である。
  これは、一部の経済学者やケインズを盲信する者たちが言うように、財政支出を増やせば解決するものではない。公共事業など、財政支出をいくらやろうと、末端に分配しないメカニズムが出来上がっている。このような状況を正確に認識せず、小さな政府か大きな政府かを議論したところで無駄である。
  問題は、カネが滞留し、その溜まったカネを元手にして金利を取って貸付する行為が当然視されていることである。中世までのキリスト教や今のイスラム教が金利取得を禁じているのは、カネの持つ危険性をイエス・キリストやムハンマドが、さらには、旧約聖書をまとめた人たちがよく分かっていたからに他ならない。しかし、どうやら我々は彼らの生きていた時代より確実に愚かになっているようだ。
  今後の経済についての議論は、上のような近代経済システムの欠陥を捉えた上で、そのシステム内で微調整をするのではなく、根本的な枠組みの転換について検討するものでなければならない。私が「もう景気は良くならない」という記事を続けて書いているのもそのためである。

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(追記があります)






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2009.12.28(Mon)

地方都市で暮らすということ 

  最近こんなのばっかりで恐縮ですが、以前書いた日記に面白そうなのがあったので、一部加筆・訂正した上で転載しておきます。ここの管理人のものの考え方の大枠が分かると思うので、是非ご覧下さい。


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少し時間が空くとバスや電車で地方に出かける方なのだが、ここ最近気づいたことがいろいろある。

その一つが、「地方の中心都市には住む意味がない」ということだ。

別に、今住んでいる人間がアホだなどと言いたいのではない。ちゃんと理由がある。

たとえば、新潟市を例に挙げる。ここは江戸時代に西回り航路の就航地となり、越後平野や佐渡の物資の集積地として栄え始めて今に至っている。

では、今の新潟の人は越後や佐渡の物資集積によって生じる需要で生きているのかというと、必ずしもそうとはいえない。というより、佐渡だの信濃川経由の物資集積など、今の新潟市民にはほとんど関係ない。

新潟の中心街の風景を見てみると、東京や横浜と大して変わりがないことに気づく。デパートがあり、アスファルトで舗装されていて、行き交っているのがOLやサラリーマンや学生などの若者である。農家のおっさんがゴム長で闊歩しているなんていうことはほとんどない。

そして、人びとは何をして生活しているかというと、会社から給料をもらって生活しているのである。

上のような生活なら、もっと簡単にできる場所があることにピンと来るだろうか。「東京」である。東京ならデパートも多いし、人もたくさん行き来していてお客はたくさんいる。何より、給料をくれる企業もたくさんある。若い人に限って言えば、大学や専門学校の数も圧倒的に多く、選択の幅がある。要するに、新潟市内でできることは、東京でも全て出来る(しかもたくさん)が、その逆があまりないということになる。

だから、新潟市に住むより、東京に行ってしまえとなるのは当然である。新潟でも東京でも同じ暮らしをしているのだから、人がいてカネをたくさん得られる東京の方がいいということになるわけだ。

これは、地方中心都市の便利な場所の家賃が意外と高いことによってさらに拍車がかかる。

では、なぜ未だに新潟市に人口が多い(市町村合併の話は考慮しない)のかといえば、以下の理由による。

1.自分の実家から遠くない割に、地元より仕事がある
2.今までも新潟に住んでいたから、その流れ
3.県庁など官公庁が需要を生んでいる


1.というのは「宮城県人が仙台で就職する」という感じで、よくあるパターンといえる。しかし、新潟県は広いので、たとえば魚沼や上越の人なら、東京に出てしまった方が早いだろう。

2.というのは一番多いパターンだろうが、新しい世代ほど都会化した新潟しか知らないわけで、それなら東京の方がいいやと、進学や就職を機に出て行って戻ってこないというのはよくあることだ。

そして、政治の世界では3.をどうするかでああでもないこうでもないともめている。地方へばらまくカネを減らせば、当然需要は減る。日本で一番金を持っているのは東京、さらにいえば東京の大企業と外資系企業である。そいつらが「そんなカネは要らん、減らせ。仕事が欲しいなら東京に来るか、派遣に登録して送られるのを待て」ということになるだろう。そういうわけで、3.は縮小の一途を辿っている。

こういうことから考えると、地方中心都市から人がいなくなっていき、その下の主要都市にシャッター商店街が増えるのは、経済論理からすれば当然だということになる。

ただ、注意が必要なのは、あくまで「経済論理では」ということである。つまり、子のブログが散々使っている「近代経済システム」という仕組みの中では、という条件付だ。

近代経済システム、労働力を売ってカネを得るという仕組みを前提にして、いかに利益を極大化するか、つまりカネがカネを生むかということを唯一の目的や価値判断の基準にしている仕組みである。そういう点から言ったら、東京に勝てる場所など存在しない。東京はそのためにだけ存在している場所なのだから、当然である。「江戸」とは明らかに違う点である。

しかし、人間はカネを食べて生きているわけではない。

生きるための手段を提供しているのは、自然である。農業も狩猟も採集も、全て自然から生活の糧を与えてもらうということである。ただ、今はカネを払えばそういうことは他の誰かがやってくれるので、その構造が見えにくくなっているだけだ。

その自然、少なくとも利用可能な自然は、東京のような都会にはない。地方の方が圧倒的に有利である。カネを媒介にせず、自然に働きかけて生活の糧を得るという点のみを見れば、「地方の時代」というのは間違っていない。というか、本来そういうものなのだ。

もっとも、こういうことを言うとすぐに、農産物をたくさん作って売りさばくという発想になってしまうのはいただけない。売りさばく、というのは、カネを得るということであり、結局ネクタイと革靴でサラリーマンをやるのと変わらないことになる。楽してカネもうけができる方がいいということになるのは当然である。

もし農業をやるなら、まず自分と家族が生きていけるに足る物資を生産し、余剰がでたらそれを他におすそわけするという形にすべきである。それが、「自律的な生活」というものである。あまり刺激はないが、かといって経済危機とやらで需要が激減しても困ることはない。

これを面倒くさがるなら、カネがある人間に操られ、わけのわからない景気や世の中の動きというものに翻弄されて生きることになる。

実行できる人から、自律的な生活を始めた方がいい。その方が有利な世の中がこれから来ると思う。

いきなりというのは難しいから、まずは食べるものだけでもカネへの依存を減らすことから始めたらどうだろう。私もそろそろ、プランターでネギとか作ってみようと思っている。ベランダにいろいろ据え付けて、風雨をしのげるようなこともやってみようかなと思う。そうすれば、いざというとき畑や田んぼにシフトするのも難しくない。

こういうことを言うと、「無理がある」とか「世の中を分かっていない」とか、実にご親切な、親切すぎて鬱陶しくなるようなご意見をいただくことが多い。しかし、そういうことを言ってくる人はたいてい「現行経済システムの中の勝ち組」か「勝ち組に洗脳されている負け組」である。要するに、自分たちがうまいこと銭を稼いでしのいでいるのに、それを否定するような論理を出されて感情的になっているわけだ。

もちろん、その中にはいまだに政府の分配機能を無邪気に信じている「ケインズ信者」「GDP真理教信者」も含まれる。これだけグローバリゼーションの暴力を見せつけられているのに、彼らはまだ取り扱い方法さえ変えれば近代経済システムのままで幸福になれると信じている。市場原理を神のごとく崇拝する人間と、頭の程度にいかほどの差があるというのだろうか。

まあ、誰の考えが正しいのかは、いずれ結論が出ることだ。それまで、己が信じる道を進めばよい。

人のやっていることにくちばしを挟むほど、人生は暇ではないとだけ言っておく。

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2009.12.24(Thu)

もう景気は良くならない(4) 

●前回の最後に金利について言及したので、今回はその話を続ける。

利子の取得を禁止している宗教がある。キリスト教はもともとそういう教えを持っていた。そして、この姿勢は、中世に至るまで守られていたようだ。

たとえば、有名な神学者であるトマス・アクィナスは、不完全ながらも利子の取得を批判している。

http://yanagi.web.infoseek.co.jp/het04/christ.htm

「貸した金のゆえに利子を受け取ることはそれ自体において不正なことである。 ....酒あるいは麦を貸したものが二つの返還を求めたならば、 ――すなわち、一つは等しい物の返還、そしてもう一つは使用の代金、つまり利子と呼ばれるもの――不正義の罪を犯すことになるのである。」 (設問78第1項)



また、イスラム教は今でもそれを守っている。最近日本でも知られるようになってきた、イスラム金融という仕組みで、今でもその教えは生きている。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/isramicBank.html

 世界を席巻したイスラム商人を生み出したイスラム教が利潤(もうけ)を禁 じている訳がありません。禁じているのは、アラビア語で「自己増殖する」と の言葉から派生した「リバー」です。持っているだけで、何もしないで安穏と してても儲かる、というのは許せないという発想です。
 融資と投資の違いを説明する場合、たいていはシェイクスピアの『ベニスの商人』を引き合いに出すもの、と相場が決まってます(マルクスだってそうしました)。ご存じの通り、『ベニスの商人』では、商船に投資した富豪が、船が沈没したため一夜にして巨額の債務者に転落します(これは《投資》です)。そして、その元富豪に《融資》した高利貸しのシャイロックが「担保」として「お前の肉〇〇ポンドをよこせ」と要求する訳です。
 これは、投資と融資のギャップをめぐる話です。投資の方にはリスクがあり、儲かるかも知れませんが(つまり配当です)、大損するかもしれません。対して融資は、かならず見返りがあります(これが利子です)。

 イスラム銀行は、リスクの負担のない「融資」をやりません。貸し手(銀行)が元利を保証をされる一方で、借り手(事業者)だけがすべてリスクを負うことは、イスラーム的公正の観念に反するからです。この意味で、イスラム銀行はリバー(利子)をとらないのです。では、どうするか? 無利子金融では、共同事業の契約に関する法規定を活用します。資本提供者(銀行)と事業者(借り手)を共同事業者です。事業が成功すれば、資本提供者は元本を回収したうえ、儲けを事業者との間で、例えば折半します。失敗して損失が出た場合は、資本提供者の配分もゼロで、元本さえ保証されません。リスクも両方が負う訳です。



アラビア語が利子のことを「自己増殖」と名付けているのは非常に的確な比喩であろう。

さらに、ギリシア哲学の巨頭アリストテレスも、利子取得行為を厳しく非難している。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/9835/issue/0026.html

憎んで最も当然なのは高利貸である。それは彼の財が貨幣そのものから得られるのであって、貨幣がそのことのために作られた当のもの〔交換の過程〕から得られるのではないということによる、何故なら貨幣は交換のために作られたものであるが、利子は貨幣を一そう多くするものだからである(…)、従ってこれは取財術のうちで実は最も自然に反したものである。(57頁)



このように、金利を取ってカネを貸す行為を非難されるのは、金利に共同体や社会を破壊する作用があることを先人達が見抜いていたからである。その作用とは、富を偏在させる働きがあるということだ。

たとえば、完全に外部に向けて閉じた社会がある。この社会の中で財やサービスを交換するためには銅貨が必要だとする。近くにあった銅山からは金が取れなくなったので、新しい貨幣は作れない。つまり、彼らは常に一定の量のカネを回して活動力を融通しあっている(=総需要は一定で変化しない)ことになる。

そのメンバーの一人であるAが、仕事をして稼いだカネを使わずに貯めておいた。その後Aは新しい農機具を買いたいというBの求めに応じて、銅貨100枚を年10%の利子つきで貸した(話を単純化するために、単利とする)。

かりにBがカネを返すのが1年後になったらどうなるか。Bは利子として、銅貨10枚をよけいに払わなくてはならない。

そんなの当たり前だろう、と思う人は、すでにドツボにハマっている可能性がある。Aは貯めておいたカネをBに預けただけで、「何もしないで」銅貨10枚を手にいれた。その一方で、Bはカネを返すために、10%よけいに稼がなくてはならなくなった。

これがもし一回きりの行為ならたいした問題はないのかもしれないが、B以外にも複数の人間がAからカネを借り入れたらどうなるだろう。総需要として与えられた銅貨の枚数は同じなのだから、銅貨は次々とAのもとに流入する。あなたがAならば、貸し出す相手を増やせば利子だけで何もしなくても生活できることに、少し経てば気づくはずだ。また、生活資金を他人から取得した利子の合計(いわゆる不労所得)よりも少なくすれば、次からはもっと多くの金額を貸し出せることに気づくだろう。

もし仮に、この社会にA以外に他人にカネを貸して生計を立てる主体がいなかったとしたら、最終的には全てのカネがAのもとに集まることになるだろう。そうでなくても、Aは非常に大きな力を持つことになる。

貯蔵された貨幣が金利と結び付くと、必ずこのような弊害が生まれるのである。

この弊害を「表面上」回避する方法はあるのだが(後に述べる)、それでもなお、金利が持つ「自己増殖する」という性質、そして、それゆえに富の偏在を招くという性質は変わるところがない。

このような仕組みを、今にいたって我々は当然のものと受け入れている。しかし、そこが、大きな罠なのである。(続)

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2009.12.20(Sun)

もう景気は良くならない(3) 

デフレや不景気を喜ぶ人がいる、と言ったら驚くだろうか。企業の業績が鈍り、賃金は下がり、安かろう悪かろうの外国製品が当たり前になることを歓迎する人間など、いるわけがないと思うのが、普通の認識であるはずだ。しかし、現実にそういう人々が存在する。

その謎を解く鍵は、カネがどういう性質を持っているかを知ることにある。

デフレとは、供給過剰状態であると定義したが、ここはもう少し正確な定義が必要である。供給過剰というのは、世の中に出回っているモノの方が、出回っているカネに比べて過剰に多い状態である。つまり、デフレかどうかを決定する要因は、国民経済という枠の中にどれだけモノやカネが循環しているかということになる。言い方を変えれば、総需要と供給される財やサービスの量とのバランスによって決まっているということでもある。

そして、多くの人が見逃しているのは、デフレになったからといって、カネそのものは消えてなくなってしまうわけではないという点だ。デフレは、経済循環に乗ることで総需要を形成しているカネの量が相対的に少なくなることで起きる。その裏には、総需要を形成せずに、眠っているカネがあるのだ。

そんなカネがどこにあるのかというと、端的に言えば「金持ち」のもとにある。たとえば、銀行などの機関投資家だ。膨大な預金や、自己資本という形でカネをお蔵入りさせている(ここではあえて「信用創造」には触れない)。

また、大企業もここでいう「金持ち」に含まれる。最近の大企業は財務体質の強化という名目で、かなりのカネを内部留保している。利益準備金がその代表例である。なぜ利益準備金を積むのかというと、業績が悪くなっても株主に配当を出すためである。もちろん、急に金融情勢が悪化したときに備えるとか、もっともらしい言い訳はあるのだろうが、その分が従業員の給与(=総需要を構成する流動性のカネ)に回っていないのは事実である。

さらに、こうした企業の役員も「金持ち」の一人である。先ほど平均給与の話をしたが、同じ10年間で日本企業の役員報酬は(アメリカに比べれば安すぎる、という訳の分からない理由で!)上昇している。

社長や会長が金持ちで何が悪い、という声が出そうだが、残念ながらその批判は的を射ていない。なぜなら、彼らの手持ちのカネのほとんどは消費、すなわち、活動力の交換を通じて経済循環を生む行為に回らないからである。年収200万円の人間に比べて、年収2億円の企業役員が100倍多く食事を取り、同じモノを100個買うなどという話は聞いたことがない。

本当に世の中のことを考えるのであれば、これらの「死んでいる」カネは何らかの形で経済循環に乗せた方がよい。

しかし、現実の社会は、そういう方向になっていない。法人税率は以前は最高で70%だったが、今は37%である。社会保険の負担率も、一定以上年収で頭打ちになっている。

そのように、金持ちが本来出回るべきカネをがめてしまうようになるのは、彼らが特別に欲深いからではなく、その方が現在の経済社会では合理的な行動だからである。つまり、他人に配ったり、派手に使ったりするよりも、自分の所に留めておいた方が得になる仕組みが存在するということだ。

その仕組みとは「金利」である。

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2009.12.16(Wed)

もう景気は良くならない(2) 

  前回に引き続き、SNSの日記からの引用です。


現在の日本の経済における最大の問題点は、外部から流入した富や利益が、経済循環に乗る割合が非常に少ないことである。

たとえば、日本の製造業には十分な国際競争力がある。円高が相当進んだにも関わらず、一時期を除いて貿易黒字を上げ続けている。こんなことは、日経新聞やブログの記事などに頼らず、貿易統計を少し見れば分かることだ。

しかし、そうやって稼いできたカネが、国民の手になかなか渡らない。そういう仕組みが出来上がってしまっているからだ。バブル崩壊後、日本では雇用形態が大きくシフトした。正規雇用の割合は減少しだ。福利厚生コストが低く、人員整理が容易なアルバイトやパート、あるいは派遣労働で人を雇うことを多くの企業が選択した。そのようなシフトの中で、勤労者の手取りの賃金が目減りしていったのは、1997年から10年連続で平均給与がダウンしたことから明らかである。

オイルショックの時期にも人員整理やリストラはあったが、明らかに様相が異なる。二度のオイルショックの後、経済が安定成長する時期に入ってからは、正規雇用が回復した。しかし、今のリストラや合理化は、たとえ経済成長が始まった(と政府が定義した)時期にも終わることがなかった。要するに、バイトや派遣労働を使う仕組みが定常化してしまったのである。

この二つの時期の最大の違いは、企業経営や経済に対する価値観の変化である。簡単にまとめてしまえば、オイルショックの頃はまだ人切りや賃下げは恥ずべきこと、さもなくば避けるべき事態だと捉えられていたのに対して、現在の終わりなきデフレ下では、それらの行動は経済の上で合理的だと見なす人が圧倒的な多数になったということだ。

これらは、端的に言えば、メッセージを発信する側の態度の変化によるものである。政府は「無駄遣いの撲滅」や「改革」という言葉を用いて支出削減を正当化する。マスメディアは「リストラ」という言葉を浸透させて企業の合理的経済活動(必ずしも労働者にとって利益になるものとはいえない)を後押しする。バブル崩壊や阪神大震災、オウムの地下鉄サリン事件といった不吉なイベントも役に立った。不安感を払拭するには、無駄をなくした合理的経済活動を取ればよいということにされたのだ。他にも解決策はあったのかもしれないが、そういうことにされた。

重要なのは、こういった一連の流れは、日本人の意識の変化によるものではなく、経済システムそのものが抱える問題なのだということだ。



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2009.12.13(Sun)

もう景気は良くならない(1) 

  お久しぶりです、みなさん。お元気でしょうか。
  私は元気ですが、正直なところブログどころではないという状態が続いています。
  理由はただ単に時間的余裕がないということもありますが、もう一つはネット上での言論活動というものに、正直なところどれだけ実効性があるのかかなり懐疑的になっているという点があります。
  
  もっとも、多くの方に私の考えを知っていただき、次の行動への刺激にしていただく場はここしかないと思っているので、今後とも細々と記事をあげていきたいと思います。どうか、よろしくお願いいたします。

  さて、とはいってもあまり余裕のない中なので、私が参加しているSNSの中で、ケータイを使って書いた記事を転載してみたいと思います。内容は悪くないと思います。一つの記事が短いかわりに、上げる回数を多くしていきます。

      ----------------

近頃、政府がやっと日本経済がデフレだと認めた(●こちらを参照)。8月の段階で内閣府が45兆円の需給ギャップがあると宣言していたのだから、何を今さら、という気がしないでもない。

デフレは言うまでもなく、供給過剰状態であり、物価は長期的に見ると下落傾向になる。家計の購買力が低下し、それに合わせるために企業がコストをカットして合理化を図ると、人件費等が引き下げられてさらに購買力が低下する。

このような状況を克服する方法は一つしかない。総需要を拡大することである。

総需要とは、ある国民経済における購買力の合計である。景気が良いというのは、総需要が拡大していることであり、それ以外の定義は不可能である。

誤解されることが多いのだが、デフレは個人の努力では克服できない。競争が活発になれば技術革新や新たなサービスが生まれ、経済が活性化するなどというのは大嘘である。総需要を超える購買力は存在しない。個人の努力によってその個人が多くのカネや売り上げを獲得したとしても、その富は総需要の枠内で他所から奪ってきたものに過ぎない。

さすがに競争原理一辺倒ではまずいと気付いているのか、「競争力や努力は総需要を拡大させるためにこそ必要だ」と主張する者もいる。優れた技術や新しいサービスがあって初めて貿易黒字を稼ぐことができ、それを国内に還元できるのだというのが彼らの言いたいことである。

確かに、この理屈は一応納得の行くものである。外部から富が流入して初めて、総需要が大きくなるからである。

しかし、そういった主張が妥当だと認められる必要条件がある。その条件とは、外部から流入した富や利益が、国内で経済循環に乗ることである。

総需要というのはただ存在するだけではなく、社会の中に放たれてこそ初めて購買力になるのである。経済とは結局のところ、なんらかの形で活動力を交換することである。交換されるためには、その利益や富が人の手に渡り、それがまた別の人のもとに渡る(そのとき財やサービスと交換される)ような条件が必要である。誰かが貯めておくだけでは、その購買力は「死んでいる」のである。

だから、競争力を強化して外部から富を獲得することが(少なくとも自国民に対して)正当なものと認められるには、獲得したものを循環に乗せる仕組みが必要だということになる。

しかし、この仕組みが今の日本では全く機能していないのである。

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