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2009.11.12(Thu)

「国産」の置かれている地位 

  私は今現在、塾講師をやっているので、昼下がりの出勤時間まで時間の余裕があります。
  そこで、今日はある展示を見ようと思い、農林水産省まで出掛けました。

  中央省庁は、みなさんもご存じの通り、千代田区の霞が関という区域に集中しています。地下鉄を利用して霞ヶ関まで行くと、農水省の周りが工事中で、目当ての展示場所に行くまでえらい時間がかかりました。
  その「北別館」という場所には、農水省の食堂があります。本当は3箇所あるらしいのですが、二つが先月末に閉店していたため、1階の蕎麦屋だけが開いています。どうやら、国産の材料を使用したメニューもあるらしいという話を聞いていたので、何かのネタになるかと思い、蕎麦を食べることにしました。
  まず、券売機でチケットを買うのですが、ここでハードルがありました。

           80円増し

  食糧自給率アップを宣伝している省庁のくせに、国産のそば粉・小麦粉使用の場合は80円増ししないと買えません。値段が高いのはいいとして(笑)、どうせなら全部国産にして、少しでも国内の生産者を助けてやれよ、と、釈然としないものを感じながら、野菜そばとかき揚げ、それにこのチケットを購入しました。
  その後、セルフサービスということでカウンターに並ぶのですが、ここでも「特別扱い」が待っていました。

           国産はこちらで

  なぜか別の窓口に並ばされてしまいます。
  その後、なぜだかはよく分かりませんが、やたらと待たされます。後ろのフツーの蕎麦うどんを頼むお客さんは長蛇の列をなしていたのですが、どんどん注文の品が出てきます。私だけ一人でポツンと「国産はこちらで」の札の前に並んでいるので、いい晒し者になった気分でした。

           野菜そば+かき揚げ

  これが我慢を重ねて(笑)たどりついた国産の蕎麦です。自体はまあなかなかイケると思いましたが、若干つゆがぬるかったのが残念でした。昼時の殺人的な忙しさもあったので、仕方がないでしょう。

  しかし、なんというか、自給率向上の旗降り役の役所が、ここまで「国産」を特別扱いしているのには正直ガッカリしました。
  それもそうでしょう。そば粉の主な輸入相手はあの中国ですが、値段に直すと国産の半分くらいで取引されているそうです。それに、農水省としては、外部の業者に食堂の営業を委託しているのでしょうから、その業者が利益を上げるにはチュウゴク産を使う方が合理的ではあります。
  まして、チュウゴク産の蕎麦の実からは基準を超える農薬や殺虫剤が検出されたこともないそうですから、なおさら国産を積極的に選ぶ理由がなくなります。むしろ、含有量が多い小麦の方が、殺虫剤やポストハーベスト農薬(収穫後に保存するために用いる農薬)の危険があるほとです。

  それはそうと、私の後ろに並んでいた農水省の職員の方々も、ほとんどが国産でない蕎麦を注文していました。それが自然でしょう。同じ蕎麦を食べられるなら、安い方がいいに決まっています。だいいち、外食する時に、どこ産のそば粉だとか、どこ産の小麦粉だとか、いちいちチェックしたりするなんて面倒でやっていられません。
  食糧自給率は、高い方がいいに決まっています。何か外国とトラブルがあった時でも、飢えずに済むからです。農林水産省の職員の方々も、それは同じ気持ちでしょう。
  しかし、実際に賃金労働者として、外でご飯を食べてくるとなると、口に入った時うまい(少なくとも、まずくはない)もので、安ければそれでいいという発想になってしまうのです。昔の私は、そういう人びとをなんとまあ警戒心の足りない人たちだろうと嘲っていましたが、今はそうは思いません。
  カネという抽象的な価値を通せば、誰が作ったとか、どこで作ったとか、どんな風に作ったとか、そういうことはほとんど忘れ去られて、ただ「いくら」であるかという一点にのみ価値判断が集中してしまうのです。それが貨幣経済であり、都市化であり、文明化というものです。
  前にも言いましたが、人間の行動や思想を決めているのは、その人や集団が置かれている物的条件です。物的条件というのは、人間の生存を規定しているあらゆる外部的条件のことです。自然環境や地理的条件、利用できる財やサービス、人間関係、法制度などです。
  もちろん、好ましくない物的条件というのはあるわけで、チュウゴク産が猖獗を極めている(そして、我々がそれを様々な場面で選ばざるを得なくなっている)というのも好ましい物とは思えません。
  しかし、中国が憎くて憎くてたまらないバカウヨクやバカ保守が言うように、チュウゴク産を叩き出して国産に切り替えろ、と言うだけではどうしようもありません。嫌なら食うなと言ったら、食べるものがなくなる場合さえあります。そういう意味で、彼らの発言は物的条件を無視した荒唐無稽なものであり、現状を変えていく力は皆無と言ってもいいでしょう。

  今日の食堂の一件で、農水省は本気で国内の一次産業について考えていないということはなんとなく分かりました。財務省や総務省みたいな売国的活動が目立つ省庁に比べれば頑張っているとは思いますが、結局は自分の守備範囲や天下り先の範囲内というだけなのでしょう。
  やはり、近代国家の役人達に自分の生命を預けっぱなしではいかんという思いをますます強くしました。

  なお、目当てだった展示(有機農業が開く未来、みたいな感じのやつ)はいつ予定が変わったのか、私が単に見間違ったか分かりませんが、すでに終わっていて、代わりに展示会場にはピーナッツの宣伝が入っていました。こちらもガッカリしました。もっとも、今度の土曜日にその展示に出ていた農園に見学に行くので、そちらを楽しみにします。

  次の記事は、籾殻ハウス作りの続きを書きます。お楽しみに。

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