オーストラリアが死の大陸になる日は近い
ラクダ6000頭占拠 人口350人の町大混乱
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp1-20091129-570687.html
オーストラリアの北部特別地域(準州)の人口350人の町ドッカーリバーが、野生化したヒトコブラクダ約6000頭に占拠され、パニックになっている。地元メディアが28日までに報じた。干ばつによって水場を求めるラクダが、1カ月以上前から町に集まり始め、水道施設などを破壊する状況にまで事態は深刻化。地元当局は、銃撃による駆除を検討しているが、動物愛護団体が反発。ラクダは増え続けており、混乱も日増しに拡大している。
AAP通信などによると、ラクダは町の貯水タンクや水道管を破壊して、水を飲んだり、フェンスを倒して民家に進入するなどしているという。現地で確認されたヒトコブラクダの大きさは、肩までの高さで2・1メートル、体重は900キロに達する。こぶまで入れれば、2・5メートルの大きさで、重さは普通乗用車1台分に近い。住民らは、外出もままならず、急病人やけが人の緊急搬送用の空港も占拠されてしまっており、町の機能がストップしている。
1カ月以上前に最初に現れた群れは約30頭余りだったが次々に拡大し、6000頭に達した。日に日に頭数は増えているという。準州当局は「時間の猶予は残されていない。町の機能は致命的な状況だ」とし、駆除計画を検討し始めた。ヘリコプターで町から約15キロ離れた砂漠地帯にラクダを追い立て、空中から銃撃する計画だという。これに対し、動物愛護団体は「あまりに野蛮だ」として反発。対案として、町をバリケードで囲ってラクダを町の外に追いやる案を提案するなどしている。
そもそも、ラクダはユーラシア大陸原産で、オーストラリアにはいなかった。オーストラリアでは、カンガルーやコアラに代表される有袋類が独自の繁栄を遂げていた。ラクダが持ち込まれたのは1840年代。砂漠地帯の開発のための使役動物として導入された。主要道路などが整備された1920年代まで増え続けたが、その後は車が主役となって多くが野生化。現在、国内の生息頭数は約100万頭に上り、世界一の野生ラクダ生息国になっている。
>ラクダはユーラシア大陸原産で、オーストラリアにはいなかった。
>現在、国内の生息頭数は約100万頭に上り、世界一の野生ラクダ生息国
オーストラリアという国は、なかなか笑いのセンスがあります。
What can't I take into Australia?
http://www.daff.gov.au/languages/japanese/what_cant_i_take_into_australia
自然がつくり出したユニークな国ー検疫はそんなオーストラリアを守ります
検疫はオーストラリアの環境と農業の保護に役立ちます。食品、植物、動物製品(よくあるお土産品の多くを含む)等をオーストラリアへ持込むことは、深刻な害虫や病害のの侵入経路となり かねません。
オーストラリア到着前に、入国用乗客カードが渡されます。これは法的書類ですので、ご自身で 記入し、食品、植物・動物製品をお持ちの場合は、YESに印を付けて申告してください。お持ち の物品の申告を希望しない場合には、空港ターミナル備付けの検疫用ゴミ箱に捨てることができ ます。
申告した品物は、検査のため検疫官へ提示しなければなりません。持込み禁止の品物については、 没収され破壊処理がなされます。多くの場合、申告した品物は検査後持ち主に返却されます。ただ し病原体等の付いている可能性のある物品や、昆虫ないしは幼虫を含む物品は没収されます。この 場合検疫上のリスクにもよりますが、持ち主には以下の選択肢があります。
物品を安全にするために処理を施す(例、燻蒸消毒、放射線照射)*
輸入許可** を取得するまで、物品を預けておく
オーストラリアを出国するまで、物品を空港に預ける*
物品を海外へ送付する*
物品の破壊処理を行なう
AQISは物品の破損のリスクを抑えるためにあらゆる努力を行ないますが、処理の結果生じうる破損については責任を負いません。
自分たちはさんざんラクダを持ち込んで生態系を乱す行為をしておいて、外国から持ち込まれる品物にはこの言い草です。たいした二枚舌です。
しかし、この事件をただの笑いの種にするだけではいけません。少なくとも、我々は以下の三つの点について留意する必要があります。
1.オーストラリアは極端な干ばつに見舞われているという事実
2.その事実がいかなる原因によって引き起こされているか
3. 1.事実が、日本にどのような影響を与えるか
まず、干ばつについて見ておきましょう。
NSW州 干ばつ宣言地域拡大
http://news.jams.tv/jlog/view/id-6292
最新の統計により、NSW州の干ばつの状況がますます悪化し、標準的な状態の地域は州のわずか1.9%であることがわかった。
ケリー第一次産業相は、現在NSW州の73.6%が干ばつ宣言地域で、10月の67.7%と比較するとその状況は悪化していると述べた。それに加え、24.5%が標準に満たない状態の地域と判断された。「長引く干ばつの影響は今、NSW州全体に及んでいる。州の海岸エリアも例外ではなく、干ばつ宣言地域、あるいは標準に満たない地域とされている」とケリー氏。
今年、320億ヘクタールに小麦が植えられたが、収穫されるのはわずか260億ヘクタールからで、長期化する干ばつ影響による食品価格の上昇が予想される。
最新の統計により、NSW(注:ニューサウスウェールズ)州の干ばつの状況がますます悪化し、標準的な状態の地域は州のわずか1.9%であることがわかった。
オーストラリア南東部に位置するニューサウスウェールズ州は、最大の都市シドニーを抱え、同国でもっとも人口が多い地域です。その理由は単純で、比較的降水量が多く、食糧生産が可能だったからです。今でこそオーストラリアでは車での輸送やセスナ機による救急医療などが当たり前になっていますが、入植が始まってから最近までの間は、東部でしかまともに生きていけなかったのです。
その最も過ごしやすい地域でさえ、干ばつの被害に見舞われているのですから、他の地域(ダーウィンなどの北部熱帯地域は除く)の状況は推して知るべしでしょう。
しかも、この干ばつは今に始まったことではなく、近年「恒常化」していると言っても過言ではない状況にあります。
異常気象を追う~オーストラリアの干ばつ
http://www.bioweather.net/column/essay2/aw07.htm
(表2)20世紀と21世紀初頭のオーストラリアにおける干ばつの歴史
(中略)
2002年-2003年
オーストラリア全域で深刻な干ばつ始まる。夏作物の作付け面積はワタ52.4%、コメ69.3%減、生産高ではワタ62%、コメ71%減。
2006年
晩冬から春半ばまで降水不調。サウスオーストラリア州、ビクトリア州、マレイ-ダーリング川流域では1900年以来の干ばつと言われる。さらに、気温は1950年以来、第2位の高温で事態を悪化させた。
オーストラリアの干ばつ続く、農業が危機的状況に(2007年10月15日)
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2007/10/post_2747.html
【NICHIGO PRESS】が伝えるところによると、南東部に位置しオーストラリア最大の食糧生産地帯であるダーリン・マレー川地帯における干ばつは危機的な状態が続いており、過去最悪の水準に達していることが明らかになった。同国ジョン・ハワード首相も9月21日、政府による農家支援を拡大する方針を示したという。
(中略)
数年来続く水不足で食料品生産をはじめとする農業・畜産業が壊滅的なダメージを受けている。国際的な小麦価格の急騰は中国などの新興国の需要拡大やアメリカのバイオエタノール増産による転作での生産源も大きな要因に違いないが、オーストラリアでの不作も忘れてはならない一因となっている。
元記事によれば今年4月から6月にはまとまった雨が降り、6年間続いた干ばつが終わるのではないかという期待があったが、8月に入ると気温が上昇した上に雨も少なく、結局思ったほどの貯水量増加にはつながらなかったとのこと。
オーストラリアのマゴーラン農林水産相も9月17日、今後状況を改善するような降雨が無い場合、さらに農業危機が加速すると警告すると共に、緊急支援策として4億3000万ドルの拠出を決めたという。
オーストラリア農業資源経済局の最新の農業レポート(PDF)などのレポートを見ても、現地の農業が干ばつの影響を確実に受けていることが分かる。2006年の段階で「100年に一度の大干ばつ」といわれるほどの水不足で小麦や大麦などの穀物生産が大きく落ち込んだが、今年も平年を2~3割ほど落ち込む見込みだという。
干ばつ深刻化で100万人に飲料水の危機、オーストラリア(2008年7月20日)
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2420418/3152006
オーストラリア最大のマレー・ ダーリング(Murray-Darling)水系について同国の連邦政府と州政府が作成中の報告書の内容の一部が20日までに明らかになり、同国を襲っている干ばつが続くと最大で100万人が飲料水不足に直面する可能性があることがわかった。
報告書によると、フランス国土の2倍近くの広さで、豪州の農業生産額の約4割以上を生産する豪州東岸の大農業地帯に水を供給しているマレー・ ダーリング水系は深刻な状況にある。
ペニー・ウォン(Penny Wong)気候変動・水資源相は、豪テレビ局のチャンネル9(Channel Nine)に出演し、「マレー・ ダーリング川流域は非常に深刻な状況だ」と語った。
「河川への水の流入量が非常に少なく、また、6月の降水量も非常に少なかった。マレー・ダーリング川流域の約100万人の飲料水確保を優先しなければならない。オーストラリアが気候変動の影響を極めて受けやすい国だということをあらためて思い知らされた」(ウォン水資源相)
オーストラリアは100年に1度の規模の干ばつに見舞われている。干ばつが7年間続いている地域もあり、豪州国内の主要都市は水の利用制限を実施している。
マレー・ダーリング水系は、2008年から2009年にかけては十分な量の飲料水を供給すると見られているが、この報告書によれば水の流入量が予測を下回り、水の損失量が予測を上回れば、飲料水確保のため新たな緊急対策が必要になるかもしれないという。
年号だけ追ってもらえば分かりますが、21世紀に入ってからはほぼ毎年干ばつという有様です。
その原因ですが、どうも公的機関の言い分を集めると、「地球温暖化」や「エルニーニョの影響」という説明が多いようです。
しかし、エルニーニョであれば続いてもせいぜい1年、発生は数年おきですから、ここまで長い期間の恒常的な干ばつの説明になっていません。また、地球温暖化のせいで干ばつが進行しているというなら、世界の他の地域でも似たような減少が起こっているはずです。
そうなると、考えられるのは「国土全体の水資源の破壊」です。
オーストラリアの農業は地下水に対する依存度が非常に高く、内陸部の灌漑地域だけでなく、ニューサウスウェールズのような比較的雨量が多い地域でも地下水に頼っています。浅い層の地下水だけでは不十分なので、岩盤層の下にある「帯水層」という部分まで利用しています。
また、特に東部では急激な都市化が進んだため、そういった地域に安定した水の供給を行うためにも、これらの地下水が使われています。
いわば、数百年、数千年という「水の貯金」を消費しながら生きているのがオーストラリアという国なわけですが、こういった水は様々な経路を経て循環し、ひとつのシステムを形成しています。
そのとき、重要な役割を果たしているのが森林です。森林は雨を受け止め、勢いを殺して地下に浸透させることで、地下水を蓄え(緑のダム)洪水を防ぐ役割を担っています。
しかし、その森林がオーストラリアには圧倒的に足りていないのです。
オーストラリアの森林と伐採
http://www.jatan.org/jn/JN44Aus.html
今や、森林はオーストラリアの国土面積のたった5%を占めるに過ぎない。しかし、国土が日本の20倍もあるため、森林面積は日本より大きい。
(中略)
ヨーロッパ人の移住以来、オーストラリアの半分の森林と75%の多雨林が失われ、90%以上のオールドグロース林が伐採された。多雨林は、国土面積の0.5%、オールドグロース林は1%以下になってしまった。そのため、コアラを含め、様々なオールドグロース林に依存して生活する100種類以上の動物が絶滅に瀕している。
オールドグロース林は、動物や鳥類の生存にとって、他のどの地域よりも重要である。約180種類の野生動物は、オールドグロース林にしか見られない、木の穴で生活している。
オールドグロース林は、すべてのオーストラリアの人々にとって遺産のひとつであり、生活の場である。これは、土地と深い宗教的・文化的なつながりを持って暮らしているオーストラリアの先住民アボリジニーにとって、特にそうである。アボリジニーの文化や精神的な疎通は、そこから来ている。
残念なことに、このオールドグロース林は、現在も驚異的なスピードで伐採が続いており、二度とオールドグロース林に戻ることはない。オールドグロース林が失われ続けていることにより、多くの動物や鳥類が絶滅の危機にさらされている。オールドグロース林は、現存する森林の8%以下でしかない。
オーストラリアで行われている集中的な伐採は、森林生態系に大きな影響を及ぼしており、その多くは元に戻ることはない。森林伐採は、広範囲にわたる道路の建設を伴い、永久的な森林の消失と火災の発生、病害を招く。森林生態系は断片化され、多様性や、穴を持った老齢巨木などのような様々な生息環境が広範囲にわたって失われてしまう。水は汚染され、土壌はブルドーザーなどの大きな機械によってかく乱され、栄養分は失われる。
オーストラリアの多くの森林が伐採され、木材チップとなっている。残存する森林は、オーストラリアの旅行業界、養蜂業者、上質な木工芸品の職人にとって、より価値がある。
(注)オールドグロース林:樹齢200年から1,000年の樹木が大勢を占める森林。日本で使われている「原生林」という言葉は、天然のままで人手の加えられていない森林を指すが、オールドグロースと原生林は、ほぼ同じものと考えてよい。
実はオーストラリアは干ばつ以上に洪水が多い国として知られています。その原因は、本来水源となるべき地域に樹木がないため、上流で降った雨が地下に浸透することなく一気に川を下ってくることです。中国では昔からこのような水害が多発しています。
しかも、その原因は地球温暖化でもなんでもなく(二酸化炭素が増えればむしろ森林は繁茂する)、大陸に乗り込んできた白人たちの過伐採なのです。彼らに、同じインベーダーであるラクダを銃撃する資格があるのかどうか疑問です。
問題は、なぜそこまでしてオーストラリアで伐採が進んでいるのかというと、自然を破壊した方がカネになるからです。
雨の降る地域は森林としてだけでなく農地としても有望ですから、平地林はあらかた伐採されたことでしょう。そればかりでなく、住宅を建設するための木材として、山の木も切られたはずです。近年では、ウッドチップや木材を日本など外国に向けて輸出もしています。
GDP的な成長を遂げたとき、かならず奪われるものがあります。それが、物言わぬ自然です。中国の自然破壊や、ブラジルの熱帯林伐採は知られていますが、オーストラリアもその例外ではなかったのです。
水不足や、ラクダの襲撃は、自然からの復讐であると考えるべきです。
さて、このようなオーストラリアの惨状は、我が国にどんな影響をもたらすのでしょうか。
明確に分かるところとしては、オーストラリアからの食料輸入、特に小麦の輸入が圧倒的に不足するということです。
もっとも、これは不測の事態というより、いい加減予測可能な事態だったと言えます。1年前に、食料価格の値上がりでバタバタしたはずです。あの時点で自給率アップに向けた動きを策定していないとしたら、農水省の役人と国会議員は全員クビにすべきでしょう。
だからこそ、自律可能な生活を送る人が増えていってほしいと思うわけです。そのような動きを国や政府が邪魔(たとえば、地域通貨を日銀法違反で取り締まるとか、株式会社の参入だけが容易になる農業のキセーカンワをする)しないでもらいたいものです。
そして、もう一つありうるのが、「日本へのエクソダス」です。
エクソダス、というのは、聖書の「出エジプト記」のことですが、要するに、オーストラリアで暮らしにくくなった白人が日本に大挙して押し寄せるということです。
そのための準備が、もう始まっています。
白馬、オーストラリア化?
http://www.asahi.com/komimi/TKY200712110164.html
スキー観光の不振に苦しむ長野県白馬村で今冬、異変が起こっている。オーストラリア人を中心に、外国人の予約が昨年同期に比べて5割増し。さらに、廃業した宿を豪州人らが買って、相次いで開業するのだ。98年冬季五輪会場になった日本を代表するスキー場の村は、にわかに国際スキーリゾートへと変身の兆しを見せている。
「今シーズン、白馬村は国際リゾートとしてブレークしますよ」
豪州のスキーヤーが殺到して有名になった北海道ニセコ、倶知安(くっちゃん)両町。そこの開発を手がけた業者と提携し、白馬村和田野地区で外国人向け別荘地の分譲を始めた松本市の不動産会社の担当者が、そう断言した。この不動産会社は外国人のアフタースキー対策として、100人以上収容できるパブも開業する。
和田野は八方尾根スキー場のふもとにある。豪州人ミック・コテフスキさん(30)夫妻もペンションを買って今月、開業する。11月初旬に白馬に移住し、建物の改修におおわらわだ。夫妻はニセコの豪州系不動産会社で働いていたが、豪州人であふれる現状に嫌気がさしたという。
「ニセコは日本じゃなく、リトル・オーストラリア。不動産は高くなりすぎたし、無計画な開発で狭いところに高い建物ができて、眺めも悪くなった」
宿を開業する外国人は若くて活力に富み、インターネットでの発信力や母国語での電話対応など営業力がある。カナダ人のクレイグ・オルドリングさん(33)と、英国人のマット・ダンさん(31)は共同で昨年、和田野に宿を開業した。今季はすでに、来年3月中旬まで予約で埋まった。
「リフト券や宿泊料、食費が割安な日本の中でも、ハクバは、雪質の良さや上級者に滑りがいのある難しい地形、素晴らしい山岳景観に恵まれている。情報が広まれば、間違いなく国際的なリゾートになる。欧州からも客を呼べる」。2人は自信たっぷりに言う。
村内には、廃業や経営難から売りに出されたペンションなどが多い。これまで売れなかったのが、ここにきて突然、物件が動き始めた。地元不動産業者はこの1年で、豪州人を中心に外国人との取引が二十数件あったという。和田野では今季、外国人オーナーのペンションが少なくとも5軒は開業する。
外国人観光客の増加の兆しは、05年からあった。のべ宿泊者数は前年の3倍強の3万2500人に膨らんだ。06年も3万3500人。国別では韓国が42.6%、豪州が21.6%と続く。ツアーで来る韓国人は1人当たりの単価が低いのに対し、豪州人らは滞在日数が長く、泊まる宿のグレードも高いから経済効果が大きいという。
地元ではスキー客の減少対策として、和田野を中心に11軒の宿泊施設が「ハクバ・ツーリズム」を結成し、豪州を標的に誘客を始めて3年目に入った。今年9月末の時点で、昨年の1.5倍の予約が入ったという。
ただ、豪州人らの進出を地元は歓迎する一方、戸惑いも隠せない。
飲食店や宿泊業者などでつくる白馬食品衛生協会の食品衛生推進委員が営業施設を回ったところ、外国人がオーナーの施設は30軒近くあったという。大町保健所に飲食店や旅館業の営業許可申請があったのは、いまのところ5件。日本の法令を知らない外国人の施設で食中毒などが起こることを心配した同協会は急きょ、外国人経営者を対象に、開業や食品衛生の指導をする説明会を13日に開くことにした。
ペンションを経営する渡辺俊夫村議は「国はどこであれ、人が来たり資本が入ったりするのは歓迎する。だが、最近までのスキー低迷で宿の経営に疲れきった人が、これを機に次々と売りに出すのが心配だ」と、乱開発を懸念している。
渡辺さんらは最近、県景観条例に基づく和田野地区の景観形成住民協定を改定した。建築や緑地保全の基準をより厳しくし、協定書の英文版の作成や、参入する外国人に協力を求めていくことなどを決めた。
和田野地区の外国人客は豪州人に偏っているという。ハクバ・ツーリズム会長で、地元のホテル支配人の渡部修さんも「豪州への集客努力が実り始めたともいえるが、豪州人だけというニセコの二の舞いは困る。やはり日本人客が中心で、様々な国からのお客さんがいる、というのが本来の国際リゾートだと思う」と話している。
国内での総需要が低迷し、観光産業が衰退したところに、なんとか客を呼び込みたくて「国際化」に走る。その結果、現地でさまざまな問題が生じる。ここ十数年、日本中で繰り広げられてきた茶番劇です。
●「チュウゴク人相手にビザ無し渡航を拡大しよう」などと言っている国土交通大臣がいる民主党政権は、以前の政権同様、この流れを止めることはもはやないでしょう。
そして、そのうち地域自体が乗っ取られる危険が出てくるわけです。
区長は英国人 外国人多い白馬村和田野区で就任
http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/node_110252
北安曇郡白馬村の和田野区長に、英国スコットランド出身のロッジ経営ダン・マットさん(32)が就任した。同区は村内に29ある行政区の1つで、区長に外国人が就くのは同村で初めて。下伊那郡大鹿村でも英国出身の男性が自治会長を務めている例があるが、県人権・男女共同参画課は「地域の自治組織の長に外国人がなるのは珍しいのではないか」としている。
マットさんは、10年ほど前に旅行で来日したことをきっかけに日本に住み始めた。白馬村や松本市、北安曇郡松川村、東京で英語教師などをして暮らし、冬になると白馬村でスノーボードを楽しんできたという。「変化のある四季が特に好き。森もいっぱいあって気持ち良い」と白馬の魅力を話す。
3年前から和田野でロッジを開業し、地区内の行事や作業などにも積極的に参加。区の景観育成住民協定を見直す委員会にも加わり、「和田野の将来を共に考えられる人」(区民)との評価も受けている。8日夜にあった区の総会で、区民の推薦を受けて区長に選ばれた。任期は1年。
八方尾根スキー場のふもとにある同区は、ペンションなどを営む外国人が増え、約60の宿泊施設のうち約2割は移住者が経営。前区長の岡田久子さん(63)は「区民に外国人が増えているということもあるが、それ以上にマットさんはここに住んで地域づくりをしている人。だから選ばれたと思う」と話す。
同区ではオーストラリア資本によるコンドミニアム(分譲マンション)の計画も浮上している。マットさんは「住民の意見を聞き、一緒になって和田野の方向を決めていきたい」と意気込んでいる。
そのうち、白馬も●北海道のニセコ同様、白人租界になるかもしれません。
そういう事態になっても、ウヨクやホシュを自称するお馬鹿な人たちは、池袋や新宿にいるチュウゴク人や、大阪のチョーセン人のことばかりを取り上げて騒ぐのでしょう。なるほど、チュウゴク人は白人の移住を相対的に歓迎すべきものとするための囮(おとり)の役回りなのかもしれません。
また、失敗には終わりましたが、こういう「拠点作り」もやっています。
オーストラリアの投資ファンドが羽田空港への資本参加から撤退
http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20090602/157207/
羽田空港の旅客ターミナルビルを運営する日本空港ビルデングは2009年6月30日から7月28日まで、自己株式の公開買い付け(TOB)を実施する。オーストラリアのマッコーリー銀行がかかわる投資ファンドは日本空港ビルデングの約20%の株式を取得しているが、保有する全株式を売却する。
投資ファンドが売却するのは約2000万株。すべて日本空港ビルデングが買い取る内諾を得たと5月19日、日本空港ビルデングが発表した。
こちらは、六本木や赤坂で不労所得生活を営みたいオーストラリア人向けといったところでしょうか。
もちろん、移民規制が緩く、文化的ギャップの少ないカナダあたりが一番移住先としては適しているのでしょうが、季候が過ごしやすく、水も豊富で、住民が白人に対して従順な日本を寄生先として選ぶ可能性もあります。世界最高レベルの産業力があるわけですから、投資先としてはまだまだ有望でしょう。
そして、そういう寄生をやりやすくするような条件も整いつつあります。その最たるものがデフレです。オーストラリア資本が優良企業を買いたたくことができ、より安い賃金で日本人を使用人にすることができるからです。
現政権は、ようやく●日本がデフレだと宣言したようですが、それを解消するための策を何も打ち出していません。こども手当すら実行に移さず、いきなりタバコを増税するなどと言い始めています。
しかも、それを本来是正させるはずの野党の自民党・公明党が、あいかわらずカイカクだの財政均衡だのわめいているわけですから、このブログが予言したとおりの展開だということが出来そうですが、ここまで来ると、外国資本の侵略を手引きしたくて、三つの政党がグルになってわざとやっているのではないかと思いたくなるほどです。
気の毒なことですが、お客さんとしてやってきたオーストラリア人が、どっかのラクダ同様、野生化して暴れ出しても困ります。先を見て、何らかの対策はとっておくべでしょう。
人もラクダも、生きにくい世の中になってきてしまいましたね・・・。
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非電化工房「もみがらハウス作りワークショップ」顛末記(下)

記事のアップが滞りがちですみません。ここのところ忙しいことと、正直ブログを書くのが億劫になり始めたことがあり、ずいぶん遅れましたが、11月8日に栃木県那須町の非電化工房で開催された「籾殻ハウスづくりワークショップ」の報告と雑感をまとめておきます。
11月3日には、主に土壁の材料となる泥づくりと、籾殻ハウス内部の漆喰塗りの作業を行いました。そのとき酵素などを混ぜて粘度を高めた土を、いよいよ外壁として塗り込んでいきます。

土を塗り込める前の外壁です。簾(すだれ)を用意し、そこに断熱材の役割をする籾殻を詰めてあります。籾殻が隙間から見えますね。

そこに、こうやってみんなで手分けして泥を塗っていきます。3日のような底冷えのするヒデはなかったものの、関東最北部の那須の空気は冷たく、手が冷えます。真ん中で屈んでいるニット帽の男性が、今回のプロジェクトリーダーである建築士の不破博志さんです。

もちろん、休みの日に集まってやっているからというのもあるのでしょうが、みんな楽しそうに、すすんで仕事に取り組んでいきます。不破さんや、応援に来た左官の大森さんたち数名をのぞけば、みんな素人です。それでも、作業自体滞りなく進んでいきます。人手の足りないところには、手の空いた人が応援に入るなど、無理強いをしなくてもちゃんと作業として回っていくのです。
おそらく、昔の家造りというのは、こんな感じでやっていたのではないでしょうか。農作業が暇になる時期に、手の空いた人間が同じ集落の仲間を助けるという実利的な面ももちろんあるのでしょうが、なにより「みんなで何かやること」の喜びがそこにはあります。
近代化が成し遂げられ、カネを払ってプロにお願いすることで、時間や手間をかけずに建築や修繕ができるようにはなりました。しかし、そもそもそういうプロにお願いするためのカネは、一日の大半を他人のために働いて稼がなければならないのです。当たり前ですが、現代では何のためにやっているかよく分からない仕事があまりにも多いので、ほとんどの人はやり甲斐を持てずに悶々としたまま働いています。
我々の今の生活というのは、なにか非常に余計な迂回をしているような気がしてなりません。
さて、 一通り塗り終わったあと、コテを使ってみんなで仕上げをし、こんな感じになりました。

なかなか家らしくなってきました。あとは、屋根を葺いて、外壁を仕上げれば終わりです。色的にもう少し映えるように、最後は白い漆喰で外壁を塗るようです。

三角形の玄関です。なぜ三角形なのかというと、リーダーの不破さんによると、三角形が多角形の中で一番強度が強いからだそうです。確かに、外壁を見ても、全て三角形を互い違いになるように組み合わせています。
もちろん、あけっぱなしでは困りますから、この後ステップを兼ねる三角形の扉をとりつけて、中に入ったら手すりを持って引っ張り上げられるようにするとのことです。

天窓が開いているのは、二つの目的があります。一つは、中央部に据え付けた薪ストーブの排気口にするためで、もう一つは、藤村先生(非電化工房代表)の開発した「非電化換気装置」というのを取り付けるためです。なんでも、風が吹くと外気を取り込んで、その勢いで中の空気も排出するという優れものだそうです。
籾殻が作り出す空気の層が外気を断熱し、中には空気が循環する。まさに理想の住宅のできあがりです。

余った泥を使って、左官である高橋さんの指導の下、日干し煉瓦を作っているところです。このまま乾燥させれば、門から玄関までの飛び石など、いろいろな用途で使えるとのこと。
そうやって、規定の作業が全て終わったので、夕方の5時くらいから交流会とあいなりました。
冒頭で、藤村先生から、一応、籾殻ハウス作りじたいはこの3回目で終わる予定だったのですが、上でも書いたような外壁の仕上げ作業のために、もう一回(11月22日)に追加のワークショップを開くことが発表されました。 。私も是非参加したかったのですが、ちょうど休日に出勤しなければならない日だったので断念せざるをえませんでした。
それでも、一つの区切りということで、プロジェクトリーダーの不破さんから今回の籾殻ハウス作りの趣旨説明のようなお話がありました。
そもそも、この企画は、藤村先生が各地で主催する●発明起業塾川崎校に参加していた不破さんが、藤村先生から出された宿題の答えでした。その課題とは、
「建築確認が要らない、素人が安く作れる家を発明しなさい」
というものだったそうです。
現行の建築基準法では、床面積が10平方メートル以上の建築物は全て建築確認を受けなければなりません。確認を受ければいいだけの話ですが、その後表示登記や保存登記などのお金もかかりますし、なによりそうやって作られた普通の建物は、固定資産税の課税対象になってしまいます。それをなんとか出来ないものか、と思って、藤村先生が不破さんに頼んだのだそうです。
そんなものは無視すればいいという人もいるのですが、ヤクザや野武士でもあるまいし、普通の胆力の持ち主では無理です。
しかし、10平方メートルの床面積では狭すぎるのではないか?という人は当然いるでしょう。私も当然そう思いました。
そこも不破さんはちゃんと考えていました。上に挙げたいくつかの写真をよく見ていただくと、籾殻ハウスの壁が、床から外に向かって張り出しているのがお分かりでしょう。これによって、人の腰から目線にかけての部分の広さは約15平方メートルまで広がっています。つまり、感覚的にはほぼ1,5倍の広さになるわけです。私も他の参加者の方達数人といっしょに中に入ってああでもないこうでもないと感想を述べ合いましたが、窮屈な感じは全くしません。これを二つ三つ作れば、4、5人の家族でも十分生活していけるような感じです。
もちろん、この床面積をごまかすテクニックも、あまり派手にやりすぎると罰則の対象になるようですが、そのへんは1級建築士である不破さんが周到な計算を施しています。専門家の知恵というのは、こういうことのために使うものなのだと、改めて思いました。
その後も参加者の自己紹介(今度は私も簡単に収めました)や質問等、軽食を交えながら楽しい時間が過ぎていきます。今回もやはり、発明起業塾の卒業生が多数参加していました。
もうそろそろ時間か、という頃に、非電化工房そのものについてのやりとりが行われていたので、私がしめくくりにふさわしい(笑)質問を藤村先生にぶつけてみました。
「先生は、どういう未来になってほしいと思っていらっしゃいますか」
藤村先生がされたのは、以下のようなお話です。多少記憶が曖昧になっているところもありますが、ご容赦下さい。
自分は平和主義者であり、原発や核燃料サイクル施設などの形で、科学技術があらぬ方向に向かっていくことを非常に残念に感じている。本来科学技術というものは、人間を幸福にするためのもののはずなのに、それが一部の先進国と大企業のものになってしまっている。そういう一部の人間たちを「ギャフンと言わせたい」と思い、非電化にこだわった発明を続けている。
発明起業塾で後進を育てているのも、そこで育った人たちが地域社会の中に入っていき、本当に地域の人びとを幸せにするような発明をして世の中を良くしてほしいと思っているからだ。限られた人生だが、できるだけのことをやっていき、多くの人びとが幸福を感じられるような世の中になっていってほしい・・・。
以前の私であれば、先生が「平和主義者」で「原発反対」と聞いた途端に、ありがちな偏見を抱いてしまったことは確実(笑)なので、イデオロギーのバカさ加減に疲れ切ったあとに非電化工房の仕事の一端に関われたのは幸運でした。
しかし、そんな私も、藤村先生や不破さん、さらには発明起業塾を出て各地で奮闘されている人びとや、先生のお弟子さんたちに比べれば足元にも及びません。私は、具体的に何もやっていないのです。
いや、ただ何もやっていないというより、ブログで近代経済システムを批判しただけで何かやったような気になっているわけですから、自己満足の部分が大きく、ネット右翼やブログのコメント愛国者、さらには自民党叩きやイラク戦争反対だけが生き甲斐になっている地球市民ブロガーとたいした差はなかったというのが実情でしょう。近代経済システムを捨てろというのも、一つのイデオロギーには違いないのです。
自己弁護をするわけではありませんが、普通の庶民は頭では分かっていても、なかなか行動に踏み出せないものです。現代のように、賃労働や自己研鑽というものが異常な時間的負担を生んでいるならなおさらです。本当は私も行動に踏み出せないワーキングプアの人びとや派嫌切りにあった人たちを批判できる立場にはないのです。
しかし、それでも一つ希望を持って良いのは、藤村先生やお弟子さんたちのように、誰でも使える、誰でもできるような方法で、今の世の中を少しずつでも改善していこうとしている人たちがいるということです。
その根本にあるのは、人の役に立ちたい、喜ぶ顔がみたいという純粋な思いでしょう。それなしに、やれ世の中を変えたいとか、システムを転換するとか言ってみても、おそらくごく少数の人たち以外は共感してもらえないはずです。
非電化工房と、そこに集まる方々の言葉や表情に、素朴な感情を思い出させてもらい、さらには脳みそと文字に偏った自分のやり方を反省する機会をいただけたことは、非常に大きな収穫でした。
なにやら興味深い発明が今後ともいろいろ企画されているそうなので、その成果や進捗状況を拝見しに、那須の非電化工房にうかがいたいと思っています。よろしかったら、このブログをご覧の関東や南東北の方もご一緒にいかがでしょうか。
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【追記】
ついに、籾殻ハウスが完成したようです。
摩訶不思議なり。籾殻ハウス。 (非電化工房弟子入り日記)
http://plaza.rakuten.co.jp/hidenkawwoofer/diary/200911230000/
ああ、ここが自分の塗った辺りだな・・・と思うと、なにか感慨深いものを感じます。
「国産」の置かれている地位
そこで、今日はある展示を見ようと思い、農林水産省まで出掛けました。
中央省庁は、みなさんもご存じの通り、千代田区の霞が関という区域に集中しています。地下鉄を利用して霞ヶ関まで行くと、農水省の周りが工事中で、目当ての展示場所に行くまでえらい時間がかかりました。
その「北別館」という場所には、農水省の食堂があります。本当は3箇所あるらしいのですが、二つが先月末に閉店していたため、1階の蕎麦屋だけが開いています。どうやら、国産の材料を使用したメニューもあるらしいという話を聞いていたので、何かのネタになるかと思い、蕎麦を食べることにしました。
まず、券売機でチケットを買うのですが、ここでハードルがありました。

食糧自給率アップを宣伝している省庁のくせに、国産のそば粉・小麦粉使用の場合は80円増ししないと買えません。値段が高いのはいいとして(笑)、どうせなら全部国産にして、少しでも国内の生産者を助けてやれよ、と、釈然としないものを感じながら、野菜そばとかき揚げ、それにこのチケットを購入しました。
その後、セルフサービスということでカウンターに並ぶのですが、ここでも「特別扱い」が待っていました。

なぜか別の窓口に並ばされてしまいます。
その後、なぜだかはよく分かりませんが、やたらと待たされます。後ろのフツーの蕎麦うどんを頼むお客さんは長蛇の列をなしていたのですが、どんどん注文の品が出てきます。私だけ一人でポツンと「国産はこちらで」の札の前に並んでいるので、いい晒し者になった気分でした。

これが我慢を重ねて(笑)たどりついた国産の蕎麦です。自体はまあなかなかイケると思いましたが、若干つゆがぬるかったのが残念でした。昼時の殺人的な忙しさもあったので、仕方がないでしょう。
しかし、なんというか、自給率向上の旗降り役の役所が、ここまで「国産」を特別扱いしているのには正直ガッカリしました。
それもそうでしょう。そば粉の主な輸入相手はあの中国ですが、値段に直すと国産の半分くらいで取引されているそうです。それに、農水省としては、外部の業者に食堂の営業を委託しているのでしょうから、その業者が利益を上げるにはチュウゴク産を使う方が合理的ではあります。
まして、チュウゴク産の蕎麦の実からは基準を超える農薬や殺虫剤が検出されたこともないそうですから、なおさら国産を積極的に選ぶ理由がなくなります。むしろ、含有量が多い小麦の方が、殺虫剤やポストハーベスト農薬(収穫後に保存するために用いる農薬)の危険があるほとです。
それはそうと、私の後ろに並んでいた農水省の職員の方々も、ほとんどが国産でない蕎麦を注文していました。それが自然でしょう。同じ蕎麦を食べられるなら、安い方がいいに決まっています。だいいち、外食する時に、どこ産のそば粉だとか、どこ産の小麦粉だとか、いちいちチェックしたりするなんて面倒でやっていられません。
食糧自給率は、高い方がいいに決まっています。何か外国とトラブルがあった時でも、飢えずに済むからです。農林水産省の職員の方々も、それは同じ気持ちでしょう。
しかし、実際に賃金労働者として、外でご飯を食べてくるとなると、口に入った時うまい(少なくとも、まずくはない)もので、安ければそれでいいという発想になってしまうのです。昔の私は、そういう人びとをなんとまあ警戒心の足りない人たちだろうと嘲っていましたが、今はそうは思いません。
カネという抽象的な価値を通せば、誰が作ったとか、どこで作ったとか、どんな風に作ったとか、そういうことはほとんど忘れ去られて、ただ「いくら」であるかという一点にのみ価値判断が集中してしまうのです。それが貨幣経済であり、都市化であり、文明化というものです。
前にも言いましたが、人間の行動や思想を決めているのは、その人や集団が置かれている物的条件です。物的条件というのは、人間の生存を規定しているあらゆる外部的条件のことです。自然環境や地理的条件、利用できる財やサービス、人間関係、法制度などです。
もちろん、好ましくない物的条件というのはあるわけで、チュウゴク産が猖獗を極めている(そして、我々がそれを様々な場面で選ばざるを得なくなっている)というのも好ましい物とは思えません。
しかし、中国が憎くて憎くてたまらないバカウヨクやバカ保守が言うように、チュウゴク産を叩き出して国産に切り替えろ、と言うだけではどうしようもありません。嫌なら食うなと言ったら、食べるものがなくなる場合さえあります。そういう意味で、彼らの発言は物的条件を無視した荒唐無稽なものであり、現状を変えていく力は皆無と言ってもいいでしょう。
今日の食堂の一件で、農水省は本気で国内の一次産業について考えていないということはなんとなく分かりました。財務省や総務省みたいな売国的活動が目立つ省庁に比べれば頑張っているとは思いますが、結局は自分の守備範囲や天下り先の範囲内というだけなのでしょう。
やはり、近代国家の役人達に自分の生命を預けっぱなしではいかんという思いをますます強くしました。
なお、目当てだった展示(有機農業が開く未来、みたいな感じのやつ)はいつ予定が変わったのか、私が単に見間違ったか分かりませんが、すでに終わっていて、代わりに展示会場にはピーナッツの宣伝が入っていました。こちらもガッカリしました。もっとも、今度の土曜日にその展示に出ていた農園に見学に行くので、そちらを楽しみにします。
次の記事は、籾殻ハウス作りの続きを書きます。お楽しみに。
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非電化工房「もみがらハウス作りワークショップ」顛末記(上)
こんなキャッチコピーの入ったチラシを配っていたら、みなさんどう思われますか?「素人が家なんて作れるわけねーだろ」「6万円で家が建つなんてありえない」という感想を持つのが普通かも知れませんね。
ところが、それを本当にやろうとしている人たちがいるのです。しかも、私自身もその家造りに参加してきました。その時のことを記事にしたいと思います。
「籾殻ハウス」というのは、籾殻を断熱材に使った家のことです。
このアイデアを実行に移したのは、●非電化工房という、その名の通り電化していない便利な品物を作っている企業さんです。私が所属している●平和党のメンバーから、非電化工房さんが籾殻で家造りをやるらしいということを聞き、このブログでも提唱しているような自律的な生活のヒントになるのではないかと思って参加してきました。
家造りに参加、といっても、実際に関与したのは、ワークショップとして開催された11月3日と8日の二日間だけです。非常に人手の要る作業が何日間かあるため、そこに体験学習会をかねて募集をかけていたのです。
10月に行われてた第1回のワークショップでは、壁と床に籾殻を詰める作業を行ったということです。私が参加したのは、骨組みができあがってから後の工程でした。籾殻ハウスのそれまでの様子などは、●非電化工房のお弟子さん達がやっているブログをご覧下さい。
今日は11月3日に参加した時のことを書いてみます。
私は東京よりの埼玉県に住んでいるので、栃木県北部にある非電化工房までは電車で片道3時間くらいかけて訪ねることになりました。大宮から那須塩原まで新幹線を使うと1時間ほど早くなるのですが、運賃が倍になるので各駅停車で出かけます。
福島県境に近い黒磯駅まで行くと、送迎車が来てくれることになっていました。この日は非常に寒く、私が駅前で昼食を食べていると、外にはあられが降ってきました。もっとも、前日に「最高気温が5度くらいになるのでご注意ください」というメールをいただいていたので、防寒対策はしっかりできていました。
13時少し前になると、駅に非電化工房の方が迎えに来てくれました。他の電車組の人たちと一緒に移動です。
その途中、副代表の藤村健介さん(代表の藤村先生のご子息)に、現在の場所に移るまでの経緯などうかがいました。もともと神奈川県の葉山町にアトリエがあったのですが、手狭になったのと、カフェなどを併設する「非電化パーク」構想を実行に移すために、数年がかりで土地を探した末、栃木県の那須町に適当なところが見つかったそうです。
ちなみに、非電化工房の敷地はこんな感じです。


なかなか素敵な眺めであります。


非電化工房のアトリエも池のほとりにあります。
将来的には敷地内で稲を育てたり、カフェを経営したりするそうです。
さて、肝心の籾殻ハウスはというと、こんな感じです。

前日に、雪が降る(!)中、屋根を上げる作業を行ったそうです。さすがにお弟子さん達の力だけでは無理なので、助っ人の大工さん達に手伝ってもらったとのことですが、それでもほとんどが素人による手作業です。
みなさんはきっと「これ、小さすぎないか?」と思われたかもしれませんが、これにはちゃんと訳があります。その辺は、次回に書きます。

籾殻です。壁や床に入れるのですが、その後も少しずつ各工程で使われます。ちなみに、左端にあるのは藤村先生がモンゴルに行かれた時に現地で仕入れてきた「ゲル」(伝統的なテント式住居)です。寝泊まりもできる本格的なもので、今回はプロジェクトリーダーの不破さん(途中から奥様も合流)が寝泊まりされていました。
到着後、受付を済ませてから、作業についてミーティングです。

左が非電化工房の代表・藤村靖之氏、右が今回の「籾殻ハウスプロジェクト」のリーダーである不破博志さんです。不破さんは東京で建築事務所をやっていらっしゃる建築士の方です(ホームページは●こちら)が、藤村先生が主催する●発明起業塾の受講生でした。今回の籾殻ハウスも、発明起業塾の卒業課題を素にして計画されたそうです。

不破さんの右側にいらっしゃるのが、左官の大森さんです。不破さんの仲間で、今回は壁塗りのプロとしてワークショップを手伝いに来て下さいました。

非電化工房のマスコット犬です。ダックスフントなのに「パグ」というのはここだけの秘密です。かなり人見知りするようで、私が近づくとすぐ逃げます(写真は逃亡中のもの)。作業中そこらじゅうちょろちょろしていました。
その後、 4つの班に分かれて、(1)内壁塗り (2)土壁の材料作り (3)屋根を葺くススキの束作り (4)その材料になるススキ刈り の各作業を交代交代でこなしていきました。私は幸運にも、一番面白い内壁塗りからです。
まず、大森さんが砂漆喰(すなじっくい)について説明をなさいました。

材料は「消石灰」に海藻ノリや砂、さらには籾殻です。これらを固まらないようにミキサーで混ぜておきます。
その後コテを使う練習をします。コテというのは、●こういう道具ですが、漆喰を板の上に載せてこね回し、うまくコテにすくうのが意外と難しく、練習が要ります。
しばらく大森さんの指導で練習した後、籾殻ハウスの内部で壁塗りです。なかなか楽しい作業です。班ごとに塗る面積が決まっていて、すぐ終わってしまうからつまらんなぁと思っていたら、隙間無く塗るとなるとなかなか塗り終わりません。30分少々かけて塗り終わった時には、汗だくになっていました。

こんな感じになります。
内壁塗りが終わると、次は外壁の材料となる土作りです。土壁の製法を研究されている中村さんという方に、ワラ菌を活性化させて土壁材料を作る方法について教わり、その後仕事に移ります。

まだ私たちが「作業」する前の土です。
中村さんによると、土壁にワラを混ぜておくとワラ菌が増殖し、土の粘度が増すということで、本来は3年くらい寝かせておくのが良いとのことです。しかし、中村さんが特許を取った方法だと、3年間を5日間にまで縮められるようになったとの話。

小麦粉などを配合した粉です。植物性タンパク質を土に混ぜると、菌の増殖が早まるとのことです。

これが中村さんが開発した酵素です。これを混ぜると、土がみるみるうちに粘りけを帯びてくるそうです。
で、私たちは何をやるのかというと、この中に入って泥を足でかき混ぜるわけです。

こんな感じで混ぜると、粉や酵素が行き渡るだけでなく、好気性の菌に空気を与えることができるのです。ワラ菌は大喜びですが、こちらは転ばないように必死です。

30分以上踏んでいると、目に見えて粘りけが出てきました。これを次のワークショップまで寝かせておくと、立派な材料になるわけです。
大の大人がどろんこ遊びをした後は、休憩時間です。

これは開始前の光景ですが、寒いので中央の広場に焚き火をたいていただきました。

藤村先生の奥さまやお弟子さんがお餅を焼いて振る舞ってくれました。

この子もお腹がすいていたようですが、餅には見向きもしませんでした(笑)。

作業場の片隅に妙なものがありましたが・・・

このように、みんなが飲むお茶の保温をするためのものでした(籾殻燻炭器というらしい)。
そのあとは、ススキを束にする作業と、そのススキを近くの野っ原(誰の土地かは不明。田舎はおおらかである)に取りに行く作業です。
ちなみに、7~8人でススキを刈りまくると、こんな感じになります。

このススキは、屋根を葺く材料になります。防水シートをかぶせた後、3㎝ほどに束ねたススキで葺いておく(シートとススキの間に少し隙間を作っておくのがポイント)と、太陽熱を防いで夏は快適になるそうです。
普通のかやぶき屋根は、10㎝くらいの厚みがあるそうですが、これだと雨が降り続いたときなど中から腐ってしまうそうです。それを防ぐには、下から燻すなどするようですが、それはいくらなんでも難しいので、初めから薄めに葺いておき、水分が蒸発しやすくしているのだそうです。
ススキを刈っている途中で、日がほとんど暮れてしまい、かなり寒くなってきました。周りに人家の明かりがないので、寒さも3割増くらいに感じます。
全ての作業が終わった後は、シュタイナー教育の保育園を併設している●創造の森レストランから運ばれてきたお弁当を食べながら交流会です。

これは交流会より前に撮ったものですが、このような薪ストーブに火を入れて、それを囲みながら各人が自己紹介していきます。私が地域通貨などの話を喋りまくって藤村先生に「面白いけど長いから次の人へ・・・」と言われてしまったのはここだけの秘密です(笑)。
しかし、驚いたのは、地域活動やエコビレッジの運営など、まさに我々が目指している方向性で活動をなさっている方が多数参加していたことです。ブログでご高説を垂れて満足していても全く意味がないということが身にしみてわかりました。
そして、参加されている方の職業などを聞かせていただいて思ったのは、サラリーマンや公務員が意外なほど少ないということです。帰りの車で副代表の健介さんやお弟子さんの方にうかがったところ、サラリーマンの奥さんがたは結構いらっしゃるようですが、その旦那がなかなか来ないみたいです。
その話を聞いてますます確信を強めたのは、近代経済システムの中で中途半端に成功しているのは、もしかしたらかなり不幸なことかも知れないということです。非電化工房が取り組んでいる事業や、今回の籾殻ハウスのようなワークショップは、カネさえ払えば他人がやってくれるようなものばかりです。
自分の仕事をこなして、カネを稼いで、それ以上何をやる必要があるんだ?という人は結構多いと思います。しかし、その仕事というのは、「総需要」や「景気」といった、自分では全く手に負えない何かに左右されるという点で、もしかしたら今後かなり危険な部類に属することになるかもしれません。
これも以前から言っていることですが、ワーキングプアとか、ハケン切りの対象になっている人とか、そういう人もなぜか非電化工房のようなちょっと変わった場所には目を向けません。もちろん、日々の生活に追われて籾殻ハウス作りどころではないという風に言われてしまうのかも知れませんが、そんな生活をいつまでもしていたら、ますますグローバリストの思うツボのような器がします。
実は、この辺の話は、8日のワークショップで藤村先生に質問をぶつけて、何か「答え」になるようなものをお聞かせいただいたところです。
では、この辺で次回に続きます。
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