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2009.06.08(Mon)

金川被告の反社会的言動は、「裁判員制度」のPR材料なのかもしれない 

犯人が法廷で吐いた暴言の数々(ゲンダイネット)
http://news.livedoor.com/article/detail/4190440/

●「人を殺すのは蚊を殺すのと同じ」

 なぜこんな男に命を奪われなければならなかったのか――。茨城県土浦市のJR荒川沖駅などで9人を殺傷して殺人罪などに問われた金川真大被告(25)の第3回公判が3日、水戸地裁で開かれ、被告人質問に立った金川は「(人を殺すことは)蚊を殺すことと同じだ」と言い放った。

 黒いシャツにジャージー姿で入廷した金川の証言は最初から“異常者”だった。弁護人から「罪の意識は感じるか」と聞かれ、「感じない。ライオンがシマウマを食べる時、悪いと感じるのか」と平然と言ってのけたのだ。

 その後も「(殺そうと思ったのは)10人ぐらい。数の根拠は特にない」「適当にふらふら歩いていたら家が見えた。(殺したのは)たまたまだ」「(連続殺傷時の心境は)うまく刺せん、切れんと思っていた」などと淡々と話し、被害者や遺族に対する罪悪感や反省の様子は一切ナシ。動機についても、ひたすら「死刑のため」と強調し、「なぜ自殺を考えないのか」との質問には「痛いから。失敗すれば苦しむから」と身勝手極まりない理屈を並べ続けた。

 一方で、「魔法を使いたい。冒険に行きたい」「(ゲームやファンタジーの世界が)好きだし、直接、味わいたい」と現実逃避する発言も度々あり、弁護人が責任能力を確認する場面もあった。金川は一体何を考えているのか。

 新潟青陵大の碓井真史教授(犯罪心理学)はこう分析する。

「欧米の銃乱射殺人でも見られるように、最近の大量殺人者に共通するのは『自分を認めてほしい。愛してほしい』という欲求です。疎外感が強く、『いつかデカイことをして一発逆転だ』と殺人に走るのです。犯人の多くはその後、自殺しますが、今回は踏み切れなかったのではないか。公判の言動から、初めて注目される身を楽しんでいるかのようです。反省の弁がないのも『自分の非を認めたら負け』とでも思っているのではないでしょうか」

 遺族はやり切れない。


 昨年の秋葉原大量殺人事件のように、常軌を逸した事件がある度にこういう類の記事が出てくるのですが、今回は被告人の言動に焦点が当たっており、日刊ゲンダイの書き手の感想が、

>なぜこんな男に命を奪われなければならなかったのか

  という、非常に主観的で感情的なものになっています。
  日刊ゲンダイというのは、毎日一面で麻生首相に政権を任せておくと日本が終わりだと書いている当てにならないタブロイド紙ですが、実はこの茨城の事件の審理については、他のマスコミも結構記事にしています。たとえば、毎日新聞の記事があります。

土浦の8人殺傷:金川被告「殺人に善悪ない」 独特の主張繰り返す
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20090604ddlk08040112000c.html

 「自分でギロチンのボタンを押すより、人に押してもらう方が楽だから」。土浦市のJR荒川沖周辺で8人連続殺傷と別の殺人事件を起こしたとして、殺人罪などに問われた同市中村東3、無職、金川真大被告(25)は3日に水戸地裁(鈴嶋晋一裁判長)であった公判で、事件の動機をこう説明した。先月の初公判では黙秘に近かったが、今回は積極的に主張する姿勢に転じた金川被告。しかし遺族が座る傍聴席への配慮の言葉はなく、独自の善悪観を語り続けた。

 金川被告はグレーのTシャツにジャージー姿で証人台に座った。証言によると、高校時代に父親から与えられた哲学書をきっかけに、「人を殺すことに善悪はない」「すべては運命に支配されている」という考え方にたどりついたという。

 常識を批判する一方で死刑制度を利用しようとした理由について「自分にとって都合のいい制度」と説明した。事件から1年たっても裁判が続いていることに「(裁判は)形式主義でくだらない。おとなしく捕まってしゃべっているのだから、早く殺せばいいのに」といらだちを募らせた。

 遺族や被害者に対する思いを聞く弁護側質問には「(悲しみは)感じない。ライオンがシマウマを食べる時、何か感じるでしょうか」などと反問した。

 一方、高校時代の同級生らの供述調書で「金川被告は感情を外に出さないタイプ」と指摘されたことについて、「自然とそうなった。家庭がバラバラだったと言われているが、そういうのも影響しているのかもしれない」と自己分析した。

 同日午前、弁護側の証人として出廷した金川被告の父親は、目の前の金川被告を「彼」「被告人」と呼んだ。「思春期に必要最低限の指導があって当然だと思うが、十分されなかった。父親として至らなかった」と家族の在り方に問題があったと示した。また、「正常になってほしい」と金川被告に仏教の本を拘置支所に差し入れている事実を証言しながらも、判決については「死刑になってしかるべきだ」と繰り返した。

 父親は5月から、水戸地検を通じて了解の得られた遺族や被害者を訪問しているという。「謝りきれるものではないが、謝りつづけたい」として、慰謝料を払う用意があることを示した。

 金川被告は、目の前で証言する父親をじっと見つめ、顔を赤らめ、時折、目をしばしばと瞬かせて聞いていた。しかし、午後の被告人質問で父親の証言に対する感想を聞かれると、金川被告は「常識に洗脳されてるだけ」と突き放した。

 閉廷後に弁護側は、金川被告への精神鑑定が始まっていることを明らかにした。

 
  ゲンダイの記事よりも、淡々としている分こちらに迫ってくるものがあります。
  おそらく、二つの引用記事を読んで、みなさんにも思うところがあるでしょうが、私の感想はおそらくみなさんとはだいぶ違います。
  それは、「ああ、ちょうどいい時期にこいつの公判が始まったな」というものです。
  この事件の報道を見たみなさんの中には、

  「こういうクズが精神鑑定云々でウダウダ引き延ばしを計るから、裁判員制度を導入しなくちゃだめなんだよ」

  と思った方が必ずいるはずです。無理もありません。マスコミ、たとえば●産経新聞などは、裁判員制度の導入が「国民の社会常識を広く裁判に反映させるとともに、審理の迅速化を図ることが最大の目的である」と言っています。
  ●以前の記事に、

なぜ管理人さんは裁判員制度に反対なのですか?
私は賛成です。理由の一つとして、裁判にかかる日数がすくなることが大きいと思います。
精神鑑定で逃げてる犯罪者、その弁護人にへどがでます。
私の知り合いに警察官の人がいますが、その人も賛成だそうです。テレビではえん罪がどうだこうだなんて言って警察官が悪いことをしているみたいになってますよね?今は自白なんかじゃ証拠にならないらしいし、そういったことはなくなっているようです。
それよりも、おかしな判決をする裁判官が時々いるそうです。そういった人に一般人が目を向けるのにはよい機会なのかなと思っているのですが、管理人さんはどう思いますか?


  このようなコメントを寄越した方がいらっしゃいましたが、こちらの意見も産経新聞と同じような主旨なのでしょう。
  そして、今回の事件は、産経新聞やこのコメントの方が自分の主張を補強する材料としては、非常に役に立ちます。
  たとえば、私のような反抗的な人間が、そのような考えに疑義を唱えると、金川被告の明らかに常軌を逸した言動を取り上げて、「おまえはこういう人間の味方をするのか?」と反撃するという風に使えます。
  これが果たして、妥当なのか、そこが問題なのです。
  先日、●足利事件という冤罪事件が大きく取り上げられました。東京高裁が、再審を開始することがほぼ決定的になり、被告に対する刑の執行が停止されたからです。厳格さを要求されるDNA鑑定がずさんに行われていたことが判明して、冤罪が晴れる見通しがついたのですが、それにしても17年かかっています。
  そこに、裁判員が絡んできたらどういうことになるか、少し考えれば想像がつきます。
  この事件の被告が警察にマークされるきっかけになったのは、幼稚園のバスの運転手と、アダルトビデオを大量に所有していたという情報からでした。それを裁判員が聞いたらどう思うでしょうか。おそらく、「国民の社会常識を広く裁判に反映させ」た迅速な審理のもと、とっくの昔に菅谷被告は死刑になっていたでしょう。
  今後、そういう例が増えるのではないかという心配は、私でなくても持つのではないでしょうか。

  絶対に勘違いしている人がいると思うので断っておきますが、私は死刑制度の存続自体は反対ではありません。今の時点では抑止力のある終身刑がないでしょうし、人道云々の考えからすればおそらく今後も死刑に相当するほど苦痛な刑罰は設定されないでしょう。「最後の切り札」が合った方が社会秩序の維持には役立ちます。
  しかし、それと冤罪を許容していいかどうかは別です。死刑は人間の生命を奪うという不可逆的な刑罰なのですから、専門知識のあるプロ(裁判官)が、これ以上ないほど精査をした上で執行すべきです。
  それを、「未必の故意」だとか「疑わしき派被告人の利益に」とかいった言葉すら知らない裁判員という素人が、他に仕事などしながら片手間で事実認定や量刑に影響を与えるわけです。被告人からしたら、憲法32条にある「裁判を受ける権利」の侵害にあたると言ってもいいでしょう。
  そういう判断をさせられる側にとっても問題があります。裁判員は、憲法に明記された国民の義務ではありません。また、参加しないことが他人の人権を侵害したり社会に不利益を与えるとは言えないので、公共の福祉に反するとも言えません。それなのに、他人の人生を左右する役務を強制されるのは、憲法で保障された思想良心の自由に反すると言えます。
  司法が適正に行われる過程に国民が参加するのはいいことだとか言う人もいるようですが、それならやる気のある人だけ勝手に勉強して参加すればいいだけのことです。裁判制度やら、他人の人生の瀬戸際をのぞき見ることに興味があるなら、別に私は止めません。ただ、世の中はあなたのように勉強熱心で時間的余裕のある方ばかりではないのだということさえ分かっていただければいいのです。
  しかし、どうしても許せない考え方があります。それは、

  「金川被告のような社会のゴミをさっさと除去して何が悪いのだ」

  という考えです。
  別に、悪者にさっさと消えてほしいと思うのは個人の自由です。私も、国家事業を私する日本郵政の社長や、その会社からただ同然の値段で優良資産を譲り受けようとしていた某金融グループの会長などは、さっさと獄門につながれてほしいと思っているくらいです。
  しかし、裁判員によって冤罪が増えるかもしれないというのは、ゴミを除去する段階の問題ではありません。「この人間が除去すべきゴミかどうか」というレベルの問題なのです。そこが間違っていたら、本物のゴミの方が生き残ってしまうかもしれないということです。 
  そもそも、マスコミがみんな揃って裁判員制度をPRしているのが胡散臭いと思わないのでしょうか。もちろん、政府の意向(さっさとゴミを除去できるようにして、間違えたら裁判員=国民のせいにすればいい)というものもあるのかもしれませんが、それ以上に大手マスコミ従業員のほとんどが「取材」や「差し迫った編集作業」などの名目で裁判員を欠席することが容易な立場にいるので気楽に報道できているというのも大きいのだと思います。
  今後、「法廷にはこんなおかしな被告がいる」「日本の裁判官はこんなに変だ」(なぜか、検察の姿勢は全く問題にならない)という報道がどんどん出てくるでしょう。
  そういうときに、悪い奴、たとえば麻原ショーコーみたいな犯罪者をさっさと死刑にしたいという単純な発想で、報道に乗せられたら危険です。
  また、裁判員制度の導入に当たって唱えられた「国民として果たすべき責務」のように、今ある現実の生活を超えた抽象的な判断を一般庶民に強いるような言論は真面目に受け取らない方がいいのではないかと思います。
  戦前の「日朝同祖論」だとか「大東亜秩序」のように、国民にそんなことを強いるような為政者に、ろくな連中はいないのが常ですから・・・。

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