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2009.03.22(Sun)

平安、鎌倉、室町~時代のエトスについて(2) 

  さて、●前回は武士がどういう経緯で登場してきたか、平安時代の話をしました。その続きです。少し長くなりそうな予感がしてきました(笑)。
  ついさっき、●PNW10さんからコメントを頂いたんですが、氏が指摘されているように、どうも我々は「武士」という言葉について、何か抜きがたい固定観念を持ってしまっているようです。たとえば「滅私奉公」だとか「君は君たらずとも臣は臣たるべし」とか、そういう理念を持ってる自己犠牲精神あふれるストイックな職業人みたいな印象でしょうか、そういうものが我々の中にはあります。
  しかし、武士の成り立ちというのは農民です。国司の遥任(実際にその地方に赴かないこと)が認められていたので、平安京以外の土地は、ハッキリ言えばほったらかしでした。今のように、全国隅々まで警察や行政の目が行き届いている、まあそれも最近はちょっと怪しくなってきていますが、とにかくそういうしっかりと管理された状態ではありませんでした。朝廷のだれそれが、「おまえは武士である、これから頑張れ」という風に命じて、武士というものが発生したわけではないわけです。
  もっとも、みんながみんな農民からのし上がった連中なのかというと、そうでもありません。貴族だった人が、田舎に行って野生化(笑)したみたいな人もいたからです。典型的なのは、平将門(たいらのまさかど)です。10世紀に関東地方で反乱を起こしたということで、教科書にも必ず出てくる人です。
  将門は、名字からも分かるように、平氏(へいし)という一族につながる人です。なんでも、桓武天皇の子供が、平安京にいても鳴かず飛ばずだからということで、地方へ下向したというのがルーツだということです。●こちらのホームページに、綺麗な系図がありますから、ご覧になるといいでしょう。ちなみに、何で「平」なのかというと、朝廷から出て自活し始めた皇族に、「平朝臣(たいらのあそん)」という名字をやっていたからだそうです。
  後で出てくる源氏もそうですが、こういう人たちは皇室の血を引いているということで、ありがたがられるわけです。日本で一番強烈なブランドですから、旗頭としてはもってこいなわけですね。
  それで、平将門は反乱を起こしたわけですが、「新皇(しんのう)」とか名乗って関東独立みたいなことを企てたようです。結局、仲間の平氏一門に鎮圧されるんですが、彼の果たした役割は非常に大きいものがあります。
  前から言っているように、律令制というのは、現実には存在しないフィクションです。「関東地方のここからここは武蔵守が統治する」などと決めても、秩父みたいな場所に立てこもっている連中がいたら、「そんなの知るか」ということになるわけです。歴史を調べると、京都にいる中央の政権に対して、本来納めるべき税を納めない勢力が必ず出てきます。あまりにも多いので、「税金はきちんと納めましょう」と思っているのが馬鹿馬鹿しくなるほどです(笑)。
  でも、よく考えてみたら、その平安時代のような時期だと「税は(中央政府に)きちんと納めましょう」というかけ声のほうがおかしいんじゃないでしょうか。まあ、今の行政うんぬんについては置いておくとして、はっきり言って平安時代の国司に税を納めても、身を守ってくれるわけでもなく、サービスが受けられるわけでもないんです。
  「わしは武蔵守である」とか言ったって、そんなもん知らなくても生きていけるわけです。今でもそうでしょう。別に憲法や民法を知らなくても、普通に生きていけます。法律相談のテレビ番組とかやってますけど、あそこに持ってこられる案件というのは、ちょっと普通では起こりにくいような事件ばかりです。

  それが律令とか法規範というやつです。法規範はバーチャル(仮想)です。だから、リアル(現実)なものにはどうしても勝てません。我々の生きている時代はバーチャルなものの力が強い時代だからなかなか分かりませんが、本当はリアルなものの方が遥かに強力なんです。
  たとえば、「人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する」などと刑法に書いてあります。じゃあ、今手に持っている金属バットで人を殴れないのかというと、そんなことはありません。殴ったらこうなる、と書いてあるだけです。つまり、リアルな世界で人を殴るという行為は、バーチャルな法規範で止めようがないわけです。
  そんなことはない、とみなさんが思えるのは、たまたま警察や刑事訴訟制度がきちんと機能しているからです。本来、そうやっていきなり人を殴るような不届きな輩は、自分たちの力で排除するしかなかったのです。
  そのために、武士は武装し、一族郎党で徒党を組んだということです。

  そういうリアルな力を持っているのが武士ですから、平安時代がある程度過ぎると、平安貴族は武士の存在を無視できなくなりました。平将門の反乱を抑えたのは、押領使(おうりょうし)と呼ばれる人びとです。一応役人なんですが、地方で勝手に武装しています。朝廷は、彼らにお墨付きを与えることしかできないんですね。
  朝廷というのは、律令や格式(律令の施行令みたいなもので、延喜式などが有名)という成文法で国を運営していますから、バーチャルの極致みたいな連中です。そういう中央のバーチャルな勢力が権力を保ち続けるには、中央政府の意のままに動く強力な軍隊を持つしかないんですが、この時代は、まだそれが不可能でした。
  もうここまで話すとだいたい分かってきたと思います。武士という人びとのエトス(=出発点、特徴)というのは、徹底的にリアルなものにならざるを得ないということです。それは要するに「土地」と「武力」です。この二つがあってこそ、武士は武士であるということです。
  逆に、江戸時代の中期以降の、俸禄に頼って生活するようになった武士や、明治政府から年金をもらって生活していた士族は、武士とは言えないわけです。武士というのは、行動規範や道徳によってできあがった存在、言い換えればバーチャルな存在ではないからです。もっと言うと、「俺は武士だから」などと自称他称するようになってしまってはいけないのです。それだと、武蔵守と何の変わりもなくなってしまいます。
  そう考えると、PNW10さんが感じた違和感はかなりいい線をいっているのではないかと思います。勝手に評価して申し訳ありませんが・・・。

  すいません。実はまだ平安時代の話が残っています。鎌倉時代の話を始めるには、どうしても避けて通れない人物がいるのです。
  残念ながら、源義家や奥州藤原氏ではありません。奥州藤原氏は、単体でシリーズものを書けるほど面白い存在ですから、今回は意図的に無視します。じゃあ、一体その人物は誰なのかというと、

  
  「平清盛(たいらのきよもり)」


  です。中途半端ですが、ここで切って次回に続きます。

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