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2008.08.19(Tue)

シャッター商店街に若者を呼ぶには(福井・敦賀) 

  ●前回の記事の続きです。三方五湖から宿を取っている金沢までの帰り道にあたる敦賀(つるが)という町に立ち寄りました。
  敦賀の位置を確認しておきましょう。

       
大きな地図で見る

  北陸地方と近畿地方、日本海と琵琶湖をつなぐほんの僅かな平野に開けた町だということがお分かり頂けるでしょうか。昔から敦賀は交通の要衝として栄えてきた場所で、江戸時代の初期までは京都や大阪から、琵琶湖を経由して日本海に出る時必ず用いられた港でした。そして今も、北海道の苫小牧や、韓国の釜山(プサン)、ロシアのウラジオストクとの間に定期航路があり、重要な港であることに違いはありません。
  港町敦賀の風景をいくつかご覧下さい。

          気比神宮

  気比神宮(けひじんぐう)です。越前国一の宮(その国で一番格の高い神社)です。社務所が耐震診断にひっかかって、利用できなくなっているのが痛いところです。

               敦賀の町並み

  いかにも港町という感じの通りですね。ちなみに、カモメよりも、前回の記事でも触れた「トンビ」の姿が目立ちました。油揚げ、弁当と来て、今度は魚でも狙うのでしょうか。トンビが多いというのは、敦賀が三方を山に囲まれた地形だということと無縁ではないと思います。

          敦賀港付近

  こういうところは、いかにも港町という感じです。まだお盆というには少し早い時期でしたが、もう車はまばらでした。

          気比の松原

  日本三大松原の一つである「気比の松原」の一角です。公園になっていて、海水浴を楽しむことが出来ます。京都や大阪ナンバーの車がたくさん泊まっていました。

  敦賀駅の周辺も見てみましょう。駅前のロータリー(出口が一カ所しかない)から気比神宮の前を通り、フェリーターミナルまで至るのがこの町のメインストリートです。

          某若狭高校OBのお店

   関西在住の阪神ファンの方なら、●この人のご実家だとすぐにお分かりでしょう。ちなみに、彼が生まれたのは隣の美浜町です。

          空テナント1

          空テナント2

  地方都市の商店街でもうおなじみの光景になってしまった光景です。目抜き通りだというのに、テナントが入っていません。
  その代わり、人が来ているのはこういう場所です。

          平和堂敦賀店

  滋賀に本社を置き、関西や福井では有名な「平和堂」です。いわゆる大規模小売店舗で、1階にマクドナルドなど全国チェーンのテナントも入っています。結構な賑わいです。
  このブログのいつもの論調だと、「大店法を改正して、こういうでかい店をたたき出せ!」という感じになるのでしょうが、いろいろな町を回るにつれて、どうもそういう問題ではないという気もしてきました。
  私が明日から敦賀に住んだとして、駅前通の商店街に買い物に行くかというと、胸を張って「はい」と言える自信がありません。商店街にあるもので、平和堂にないものはほとんどないからです。ここに行けばとりあえず全て揃う、という店の存在は、やはり便利です。爪切りや縫い物の糸が欲しいというとき、商店街の中でそういう店を見つけるのは簡単ではありませんが、平和堂に行けば、ちゃんと案内表示があり、それでもダメなら店員さんに聞けば必ず見つかります。
  私は首都圏に住んでいて、世界の平均からすれば便利すぎる生活をしているからそう感じるのかも知れませんが、ならば地方に生まれたなら不便を享受しろ、などと言うこともできません。それこそ差別です。
  だからといって、どっかの馬鹿なブログのように、「シャッター商店街なんて潰れればいい」と言い切る気もありません。やはり、そこに生活している人がいるわけですし、駅や店舗というインフラがあるのですから、精一杯活用した方が経済的にもよいでしょう。

  そういうことは一応我が国の政府も考えているようで、●中心市街地活性化法(中活法)という法律が出来ています。
  しかし、冒頭にあるこの文言に、私はどうも違和感を禁じ得ません。

「この法律は、中心市街地が地域の経済及び社会の発展に果たす役割の重要性にかんがみ、近年における急速な少子高齢化の進展、消費生活の変化等の社会経済情勢の変化に対応して、中心市街地における都市機能の増進及び経済活力の向上(以下「中心市街地の活性化」という。)を総合的かつ一体的に推進するため、中心市街地の活性化に関し、基本理念、政府による基本方針の策定、市町村による基本計画の作成及びその内閣総理大臣による認定、当該認定を受けた基本計画に基づく事業に対する特別の措置、中心市街地活性化本部の設置等について定め、もって地域の振興及び秩序ある整備を図り、国民生活の向上及び国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。 」(第1条)

  馬鹿な役人や識者が国民を脅すときの定番の殺し文句になりつつある「少子高齢化」がここでも使われています(少子高齢化という概念のいかがわしさは●こちらのリンクを見るとよくわかる)が、そういう問題なのかなという気がします。
  敦賀市もこの中心市街地活性化法の適用を受けてはいますが、人口が減っているわけではありませんし、世帯数は増え続けています。また、市内就業比率が91.4%とかなり高く、他の町に人を取られているわけでもありません(むしろ、周辺の郡部から人間を受け入れていると思われる)。町中を自転車で回った感じからしても、子供の数が少ないわけでもなさそうです。
  それにも関わらずシャッターの下りたままの店舗が多数見受けられるというのは、正直言って、消費者のニーズjに応えることができる店が少ないのではないか、ということです。
  では、そういうニーズに耐えることが出来るのは誰かといえば、やはり既存の店舗には難しいのではないかと思います。旧来からの商店主の方々は、比較的恒例の方が多いのが普通なので、今から昔ながらのやり方を変えろと言うのも難しいです。だから、活性化をしたいなら若い人(20代から、せめて40代まで)を集め、定着させるしかないでしょう。
  そういうとき、いつも思うのですが、若者が気軽に何かをスタートできる環境が、地方には非常に少ないのです。たとえば、若者が、敦賀の中心街に店を出したいとします。この場合、重要なのは住居と店舗の賃料です。自分の土地や建物を持っている若者などほとんどいるはずがありません。
  家賃の場合は、●敦賀市まちなか住居(すまい)る事業というもので補助が出ます。しかし、店舗はどうでしょう?店舗の敷金は一般にかなり高額です。売り上げがいくらになるかわからないまま権利金を取られる、高額の賃料も出す、こんな条件が重なれば、敦賀で店を開こうなどという若者が出てくるとはとても思えません。それならば、失敗してもアルバイトの口がたくさんある大阪や京都に出るというのが自然な流れです。
  どうせ中途半端な施策では人が集まらないのですから、思い切ってシャター商店街の店舗は権利金も賃料もタダにしてしまったらどうでしょう?そうすれば、失敗しても痛手がそれほどでもないので、とりあえずやってみようという若者や、新しい事業をやってみたいという脱サラ組が来る可能性が高くなります。それが、店舗兼住宅であればなおのこといいでしょう。
  家賃については行政が補助し、売り上げが出たらその何%かを徴収して建物のオーナーに還元すればいいのです。それでもダメなら、近くの農家(敦賀周辺にはコメ農家がたくさんある)で労務をする代わりに、コメや野菜をお駄賃としてもらえるような仕組みを作るのです。こうすれば、とりあえず生きてはいけます。●こちらのブログで書かれているような、現代のタコ部屋よりはずっと人間的でしょう。
  こうすれば、とにかく人がその場所で活動することになるので、ものやカネも少しは流れはじめます。人間は活気があるところに引きつけられますから、人がいることでますます客や住人も増えていくでしょう。
  最近、●民主党が農家への個別所得補償を打ち出しています。食糧自給率を上げて国家意思決定の自律性を高めるという点から、有効な政策だと思いますが、シャッター商店街で活動する人にもそういう仕組みができないものでしょうか?
  カネを配るのは無理にしても、農協で地元の農産物を購入できるクーポンを配るくらいはやってもいいのではないかと思います。そうすれば、東北や北陸なら、食うに困るということはなくなります。
  
  若者を呼びたいなら、せめてこのくらいはしてもらいたいものです。おためごかしでは何も変わりません。

  次回は、富山市内を回ったときの体験から記事を書きたいと思います。

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2008.08.19(Tue)

縄文記念館を訪ねて(福井・三方五湖) 

  先日、夏休みを利用して、北陸地方へ旅行に行きました。
  なにしろお金をあまり使いたくなかったもので、●米沢・山形に行った時と同様に、「青春18きっぷ」という学校の長期休暇中だけ使える切符を使って鉄道で移動しました。  私が住んでいる埼玉県某市から西武線で国分寺(東京都)まで出て、その後中央本線で山梨、長野を通り、日が暮れた頃に日本海側に出て、そのまま富山を経て、宿を取ってある金沢へたどり着きました。待ち時間も合わせて12時間です。その日はくたびれたので、そのまま寝てしまいました。

  翌日、朝6時に起きて北陸本線で福井に向かいます。今回の目的地は、●ラムサール条約登録地でもある「三方五湖」(みかたごこ)と、港町「敦賀市」です。
  福井県の地図をご覧下さい。

       
大きな地図で見る
  福井県は、江戸時代までの「若狭国」と「越前国」が一緒になってできた県です。今回向かった三方五湖は若狭、敦賀はギリギリ越前に当たります。
  三方五湖というのは、その名の通り5つの湖が集まった景勝地です。鉄道で最も近い「三方駅」まで向かい、そこから自転車です(私は折りたたみの自転車を持っています)。
  時間があまりなかったので全ては回れなかったのですが、その風景です。

            三方湖

  五つの湖のうち、最も南に位置する「三方湖」のものです。

            菅湖
  
  最も東にある久々子湖(くぐしこ)です。三方湖畔から、原発で有名な美浜の駅まで自転車で走る途中で撮影しました。
  季節が季節だけに、渡り鳥の姿はありませんでしたが、なかなか雄大な風景でした。ちなみに、久々子湖は汽水湖(海水と淡水が混ざった湖)なので、シジミがとれます。

  実は、この三方五湖の近くには、もう一つ興味深い史跡があります。それが鳥浜貝塚(とりはまかいづか)です(詳細は●こちらのリンクで)。
  貝塚というのは、縄文時代のゴミ捨て場で、文字通り海がたくさん捨ててあったことからそう呼ばれています。貝塚には人骨や当時の石器、土器なども見つかるので、ここを見ると縄文時代の人びとがどんな生活をしていたのかがわかります。
  三方湖の近くに、早速こんなものがありました。

                    縄文太郎?

  いくらなんでも、これは・・・●はじめ人間ギャートルズ(注:動画です)の見過ぎなんじゃないでしょうか(笑)。

  この像のある辺りから国道を西に向かうと、●若狭町立縄文記念館があります。
  入口は、こんな感じです。

            縄文記念館

  丘状になっている建物の上に土をかぶせて草を植えてあります。これは、貝塚というより古墳なんじゃ・・・というのは内緒です。
  この記念館の周りは、「縄文ロマンパーク」という公園になっていて、こういう「展示」があります。

            竪穴住居

  縄文時代の住居である「竪穴住居」です。
  私が笑ってしまったのは、これです。

            トンビに注意

  さっきのギャートルズ像のところで、私は生まれて初めて、トンビが6羽で群れになって遊んでいる光景を見ました。三方五湖の周りには里山がかなりたくさん残っているので、そこに生息しているのでしょう。首都圏ではまず見られない光景でした。
  しかし、鷹に劣るとはいえ、一応猛禽類ですから、弁当目当てに急降下されては洒落では済みませんね。

  さて、縄文記念館内は●こちらのリンクでご覧になれます。中でも、私の目を惹いたのは、縄文土器の展示でした。鳥浜貝塚で出たものだけでなく、日本各地で出土した土器を借りてきて展示しているコーナーがあるのです。

  ところで、みなさんは縄文土器というとどういうイメージをお持ちでしょうか。
  教科書でよく言われるのは、「縄の模様が入っていて、厚くてもろい。装飾が多く、あまり実用的ではない」という解説です。典型的なイメージは●こちらのブログ記事の画像でしょうか(ちなみに、こちらのブログ、●縄文と古代文明を探求しよう!は縄文時代を知るために非常の便利なブログです)。
  これに対して、後世の●弥生土器は、「模様がほとんど無く、薄くて硬い、実用的な土器」などと説明されることがあります。当然、現代の陶磁器に通じるのは、弥生土器の方だということになりそうです。
  しかし、こういう説明で分かったつもりになるほど、怖いものはないと身にしみて分かりました。私が展示物で見て衝撃的だったのは、縄文土器にも十分「薄くて実用的な土器」があるのです。
  どうも、教科書に書かれている歴史というのは、「縄文=原始的」で「弥生=先進的」という先入観に従って構成されているのではないか、と私には思えるのです。いつの時代でも、進歩するのは後の時代であるということを、国家は我々に教え込みたいのかも知れません。数々の殺戮とテロ行為で成立した明治時代が、あたかもそれ以前の時代より進歩的で素晴らしい時代だと思わせたいように・・・。
  ともかくも、教科書で教えられたことを鵜呑みにしているようでは、本当の歴史は分からないものだなと、自分の不勉強を痛感しました。学校で教わる歴史や、入試に出る歴史というのは、国家がこういうものだというガイドラインを作った歴史であり、そこからはみ出るものには、我々があえて目をこらさない限り光は当たりません。しかし、教える都合で端折ったり、近代国家にとって都合が悪かったりということで、ねじ曲げられている部分や、闇に葬られている部分はずいぶんあるのではないでしょうか。
  そういう、メインストリートから外れてしまった歴史に目を向けたくなったら、縄文記念館のような、郷土資料館に赴くといいのかもしれません。そういう場所に行けば、その土地に伝わる資料を徹底して集め、教育委員会や専門家が徹底的に検討した史料が残っています。強度の誇りに関わることなので、100%真実とは言えないにせよ、少なくとも何かの都合で省略されていない、生の歴史が味わえます。

  そういうところに来て、一つ心配になってしまうことがあります。

  若桜町は、三方町などいくつかの自治体が合併して出来た町です。そして、ご多分にもれず、こういうところでも「カイカク」と称する歳出削減が行われています。「若狭町集中カイカクプラン」というもので、●こちらのPDFに、どれだけの経費を削減するかまで具体的に掲げているほどです。

  こういうものが極限まで進むとどうなるでしょうか?結構立派な施設を備えている縄文記念館は、経費削減のために閉館、ということになったりはしないのでしょうか?
  もちろん、文部科学省からの補助がついてはいるのでしょう。しかし、国家の世話になるということは、国に都合の悪いことは言えなくなるということです。「縄文時代のような遅れた時代のことなど、教える必要はない」とか「古代史などそもそも不要だ。我が国の歴史は神武天皇から始まるのだから、石器時代などありえない」などという方針を国が打ち出したとしたら、補助も打ち切られることになるでしょう。
  私のような県外の人間がこんなことを言うのはなんですが、縄文記念館のような「ほんとうの歴史」を伝えていくための場所は、規模が小さくなったとしても、絶対に残してほしいものです。
  鳥浜貝塚では、多数の丸木舟が出土しています。かつてここにいた我々の祖先が、三方五湖の自然の恵みである魚介類を生活の糧にしていたということです。また、この貝塚からは漆器や織物も出土していて、縄文人の文化程度が決して低くなかったことが実証されています。
  なによりも、この貝塚からは、「矢尻」だとか「鉄剣」だとかいう、人を殺すためだけに作られた道具が一つも出土していないのです。弥生時代の遺跡といえば、「矢尻が刺さった死体」が定番になっているのと大違いです。たとえ、便利な金属器がなくても、人間同士が協調し合い、生命の母たる海から切り離された陸上という苛烈な環境で、自然の脅威と折り合いをつけながら平和に暮らしていた時代、それが縄文時代なのです。
  今後、近代文明が行き詰まった時、そんな調和に満ちた時代を「思い出す」必要が必ず出てくるでしょう。この役割は、近代国家に任せることはできません。近代国家が、自分のアイデンティティーである近代化を否定するような問題提起わけがないからです。だからこそ、地方の郷土資料館のような場所に、縄文時代の文明の証が残っていることが重要なのです。
  若狭町民の方々、福井県民に方々には、今後も縄文記念館や、ギャートルズ像(笑)を大切にしていってもらいたいと思っています。

  次回は、敦賀に行った時の話を簡単にまとめます。

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