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2008.06.16(Mon)

「おやじ学級」が全国津々浦々にできたらいいのに・・・ 

  もうあまり記憶が残っていないのですが、私は幼少の頃東京の「中野区」という場所に住んでいました。その経験があって、目にとまったニュースです。少し古いのはご容赦下さい。

東京・中野富士見中:役目終える「おやじ」 荒廃・いじめ自殺、立ち上がり22年
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080501ddm041040118000c.html
--------以下引用--------
 ◇統廃合で
 東京都中野区立中野富士見中学2年の鹿川裕史君(当時13歳)が86年2月、同級生に担任教諭も加わったいじめを苦にして自殺したことを機に、地域の父親たちが結成した「おやじの会」が、今年度末で解散する。「陰湿ないじめのある中学」とレッテルを張られた学校、生徒たち、地域を守ろうと、活動は22年に及んだ。(中略)

 鹿川君は「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」との遺書を残して自ら命を絶った。教諭もいじめに加わっていたこともあり「廃校にしろ」と激しい批判が起きた。当時PTA会長だった矢口正行さん(66)は「学校は地域のつながりの核。学校を残したい」と周囲に呼び掛け、自殺の翌月に会を発足させた。その年の卒業式当日、学校から見えるビルの壁に「ガンバレ中野富士見中 おやじの会」と書いた手作りの看板を掲げた。初代会長の松本哲二さん(67)は「当時は、マスコミは学校のことを何も分かっていないと腹立たしかったが、自分もPTA活動をするまで母親任せで何も知らなかった。学校に父親がいなかった」と振り返る。

 現在の会員は40~60代の約30人。月1回の定例会は、ビールを片手に腹を割って話し合う。合言葉は「学校の方針に口を出さない」「女房、子供に迎合しない」「責任は自分たちで負う」。2月の餅つき、新緑の中を歩くグリーンウオーク、夏に夜通し歩くナイトウオークを定着させ、多くの生徒や親が楽しみにするようになった。当初あった「のんべえの会」と揶揄(やゆ)する声も、いつしか消えた。

 4月29日、最後のグリーンウオーク。全校生徒の6割に当たる53人と親ら55人が参加。生徒たちは止めどなくしゃべり、歌い、おやじ特製の豚汁をおかわりし、後片付けを手伝った。同行した牧井直文校長は「赴任が決まった時『あの富士見中か』と一瞬戸惑った。でも区内で一番落ち着いた良い学校だった。おやじの会が学校や地域にどんな影響を与えたかは、子供たちを見てもらえば分かります」と話した。
--------引用以上--------

  私も子供やその親御さんと接する立場にいる人間なので、この「おやじ学級」というものが持っている意味については、十分理解できるつもりです。以下、簡単にその内容を述べてみたいと思います。

「集まる」ことが持つ意味

  上記のニュース記事の中で、中野富士見中学の「おやじ学級」は、当初は「のんべえの会」と揶揄されたというエピソードが紹介されています。正規の学校関連団体であるPTAからの視線の冷たさを象徴しているのかも知れませんが、私はかえってこれがよかったのではないかと思っています。
  なぜなら、共同体というのはまずもって金銭的価値に置き換えられる利害を超えた部分で人間同士が触れあうことから始まるからです。そのためには、理由は何でもいいと思っています。同じ中学校に通う父親同士が、酒を飲むために集まるというだけで十分でしょう。
  ただ集まって話すだけでもたらされるメリットがあるのです。まず、自分と同じような立場にいる人間は一人ではないということが分かり、安心感が持てます。また、似たような経験をした人の話を聞いて、悩みを打開するヒントが見つかる場合もあります。そういうきっかけを作るために、酒が入るというのはむしろ好ましいことでしょう。
  ところが、今の日本の都市部では、こういう「集まる」きっかけすらないというのが現状です。特に、働いているお父さんはそうです。地域の活動に参加したいという人はいても、一体どこで何をやっているのかさっぱり分からなかったり、そういう活動があったとしても、平日の昼間で参加ができなかったりするわけです。

「父親不在」とは

  そもそも父親が家にいない、いても週末だけという状況は、どうやって生まれてきたのでしょうか。
  一番大きい原因は、父親が「出稼ぎ」をしていることです。つまり、中野区なら中野区ではなく、大手町や赤坂みたいなオフィス街に行き、夜になって帰ってくるという生活をしているということです。自営なさっているご家庭は別として、そういう遠距離通勤が当たり前になっているのが、現代の日本です。これでは、地元の昼の顔など知ろうと思っても困難です。

  また、その仕事の時間が非常に長いというのも問題です。公式の資料に当たってみると、だいたい月平均労働時間が150時間くらいになっていますが、これらは非正規雇用(パート、アルバイト)も含めたもので、正社員であれば当然これより多くなっています。それに、記録に残らない残業(いわゆるサービス残業)も横行しています。
  ここのところ、就業時間が青天井になっていることをうかがわせるニュースが続出しています。いくつか紹介しましょう。

ツアコン「心も体も限界」残業代求め提訴 阪急交通社系
http://www.asahi.com/national/update/0523/TKY200805230080.html
--------以下引用--------
 阪急交通社の子会社、阪急トラベルサポート(本社・大阪市)の派遣添乗員9人が、何時間働いても定額の日当しかもらえない「みなし労働時間制」の適用は不当だとして、未払い残業代など1人あたり400万円程度を求めて近く東京地裁に提訴する。うち1人は先行して23日、1カ月分の残業代約20万円を求めて東京地裁に労働審判を申し立てる。同日、記者会見して明らかにした。

 添乗員らは「長時間労働で心身共に限界。せめてきちんと残業代を支払って欲しい」などと訴えた。

 みなし労働時間制は、労働時間の算定が難しい場合に限り、通常必要な労働時間を想定して、給与を一定額にすることが認められる制度。

 9人は国内外のツアー添乗員で、労働時間は長い日で1日15、16時間に及ぶ。だが、みなし労働時間制を適用されているため、賃金は定額の日当(1万2千円~2万円)だけで、残業代はつかない。

 添乗員らは「勤務スケジュールは会社側に細かく管理されており、制度の適用は不当だ」などと反発し、昨年1月に全国一般東京東部労組に加入。団体交渉で会社側に制度の改善を求めてきた。昨年10月には三田労働基準監督署が会社に対し、みなし労働時間制適用は不適当として残業代を支払うように命じている。
--------引用以上--------

キヤノン社員自殺は労災 自宅で長時間残業続ける
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061301000592.html
--------以下引用--------
 沼津労働基準監督署(静岡県)は13日までに、自宅に仕事を持ち帰り長時間残業を続けたキヤノンの男性社員=当時(37)=の自殺について、過重な業務で精神疾患を発症したのが原因として労災と認定した。

 代理人の川人博弁護士は「キヤノンの御手洗冨士夫会長が会長を務める日本経団連は被災者の死を真摯に受け止め、自殺予防に全力で取り組むべきだ」と話している。

 川人弁護士によると、男性はキヤノンの富士裾野リサーチパーク(静岡県裾野市)に研究職として勤務していた2006年11月30日、電車に飛び込み自殺した。

 職場は午後10時までしか残業できない決まりだったが、男性は帰宅後や休日も深夜までパソコンを使って仕事をしていた。パソコンから自宅での労働時間を確認した結果、同年8月末から10月下旬まで54日間休まずに働いており、社内での勤務時間と合わせると、自殺前1カ月の残業は263時間に上った。
--------引用以上--------

  ここに挙げたような就業条件は今の雇用情勢で「ありえない」異常な例では決してありません。これではとても子育てや地域の問題に関心を寄せる余裕がないということは分かるでしょう。
  江戸時代の労働時間は、丁稚奉公のような特殊な例を除いて、多くて8時間、冬場は5時間程度だったといわれています。また、職場は家の近くでした。現代のサラリーマンのような生活をしていたのは「武士」だけですが、それでも武家屋敷から城に登庁するので、そんなに長い時間かけて通勤していたのではありません。
  鉄道や自動車の存在や、人口集中によるドーナツ化で、ずいぶん生活が変質してしまったようです。そして、その核心は、主要な働き手である父親が(最近は母親も)子供たちが生活している領域から遠く離れた場所で一日の大半を過ごさざるを得なくなったことなのです。
  もちろん、これをいきなり変換するのは困難ですが、そもそもの問題はこの「生活の分離」とも言うべきところから生じているということは知っておかなければなりません。

「子供の生活領域に関する情報」の重要性

  ところで、私事になりますが、私が教室を移ってまずやることがあります。それは、新しい職場にどんなものがあるかという情報を徹底的に頭に入れることです。
  実感がわかなければ実際に見に行きます。地元で買い物に行きそうな場所や、遊び場になりそうな公園、駅周辺の地形や建物などを覚えておいて、生徒と話すときに「じゃあ、家は○○がある方だな」などと言うと、生徒と会話するのが非常に楽になります。
  あとは、部活動の活動状況がいいネタです。どこの中学が強いか、という話は、学校が違う同じ部活動の子供たちに共通して使えるネタなので必ず覚えておきます。
  そういうネタを覚えて会話をしたからといって、子供の成績が上がるわけではありません。しかし、それによって子供とやりとりはできます。向こうも、理解がある大人だと思ってくれるでしょう。
  私の場合仕事が午後からなので「下見」ができるのですが、上の記事に出ているような働き盛り(というより働かされ盛り)の保護者にはまず無理です。どうも、日本の父親が浮いた存在になってしまう原因は、この情報不足というところにある気がするのです。
  オリコンという会社のアンケートで「女子中高生が父親に望むものはコミュニケーション能力」という結果(●こちらを参照)が出たらしいですが、これをもって日本の父親を会話が下手だとか論評するのは完全な誤解です。対象(子供)の生活領域に関する情報をほとんど持っていない人間が、コミュニケーションなど取りようがないのです。
  そういうことからすると、日本の父親が子供と接するのが下手だというのは民族性によるものというより、生活パターンによって子供に関する情報の欠乏症に陥っていると理解しなければなりません。
  もちろん、ここでいう「情報」というのは、子供の成績や好きなアイドルなんかではありません。彼や彼女がどういう環境で生きているのか、彼らの世界にはどんなものがあるかという、生活感のあるゴミゴミした情報です。
  勉強のことばかり言いたがる親御さんがいますが、その人は多分利用すべき情報が間違っているのです。成績や知識量の多寡についていくら知ったところで、その子を理解することはできません。彼彼女の周りにどんなものが転がっているか、その方が数十倍も大事です。

「大人が集まる時間」こそ必修科目にすべき

  そういう「子供に対する情報不足」を補う意味で、おやじ学級という集まりの持つ意味は非常に大きいのではないでしょうか。
  私がおやじ学級(まだ未婚なので参加する大義名分がないが・・・)のコーディネーターだったら、そういう地元の情報を、自営業をやっている方にどんどんしゃべらせることから始めるでしょう。そして、その後、「どうです、みなさん。これで、中学生が立ち寄りそうな場所がわかったんじゃないですか?」「○○の話を混ぜたら、話すきっかけになるんじゃないですか?」と、それらの情報が持つ意味を再認識してもらうのです。
  私が思うに、武道を必修にするとか、国を愛する態度を涵養するとか、そんなことよりもまずいの一番に、こういう大人の集まりこそ必修科目にすべきなのではないでしょうか。
  「地域で子供を見守る」などというスローガンが吹聴されたります。しかし、実際はそうなっていません。理由は簡単で、子供を見守る側がバラバラだからです。文字で書かれた以外の、人間の体温や息づかいのする情報を共有できていないからです。
  同じ学校に通う大人、特に男親の集まりについて消極的な意見を持つ人は、「親にはそれぞれ都合がある」という考えをお持ちなのかも知れません。誰でも自分の生活があるのだから、それを阻害してはいけないということです。もっと端的に言えば、「面倒くさい」ということです。
  しかし、私に言わせれば順序が逆なのです。もともとそれぞれの個人や家庭が個々別々に存立し、他と関わらずに生きているという社会観の方がおかしいのです。都合があるからと集まることに消極的なお父さんであっても、会社では集団の中で他の個人との関係を作ることで「自分」というものを作り上げているはずです。
  問題なのは、お父さんが遠距離通勤をして勤務先で作り上げている世界と、地元にいる奥さんや子供との間で形成されている世界がズレていることなのです。ここを可能な限り重ね合わせることで、おそらく現代型の寂しい家庭が抱えている問題の多くは解決します。
  本当はみんなそういう機会ができてくれないだろうか、と、心のどこかで思っているのかも知れません。しかし、なかなかできません。そういう現状なのだから、絶望していても仕方がありません。
  それならば、既存の人的関係をうまく利用して、無理矢理にでも大人が集まる機会を作っていけばいいのです。冒頭の引用記事で、PTAの会長さんが、

>学校は地域のつながりの核

  と言っているのは、まさにそういうことを意味しているのだと思うのです。
  誤解を恐れずに言えば、今の学校、というより、近代教育制度の学校は、子供を刑務所にぶち込んで政府が公認した学習体系で洗脳するための施設です。成績がいい子が評価されているのは、いちいち文句をつけずに進んで洗脳を受けているからです。もっと有り体にいってしまえば、「滞在時間が決まっているカルト宗教の何とかサティアン」(笑)なのです。
  だから、放っておくと教師と生徒の間で、世の中の常識とずれたことがどんどん起こってくるのです。教員が生徒と性的関係を持つとか、明らかに非常識な性教育とかヘーワジンケン教育が行われるとか、そういう例が出てきてしまうのです。
  それを相対化するには、やはり「教育は私事である」という原則に立ち返り、親が子供の生活領域に関する情報を持ち、子供とそれについてほぼ対等にコミュニケーションできるようにならなければなりません。
  こういうときにメディアが放つ抽象的な分析結果やマニュアルに飛びついてはいけません。教育評論家だとか、学者だとかが調査結果を基にして活字やテレビの画面で発信している情報は、上のような情報不足を埋めるのに全く役に立ちません。それどころか、そういう味も素っ気もない情報に依拠して子供と関わろうとして、かえって溝を深めてしまうことになります。
  子供を理解する鍵は、子供の生活領域にあるということを、是非とも知っていただきたいです。「おやじ学級」 は、必ずその突破口になります。
  行政任せにせず、学校の先生に協力してもらいながら、3人でも4人でも始めてみたらいいんじゃないでしょうか?私も、できる限り早く参加したいです(笑)。

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