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2008.06.08(Sun)

商人の歴史(8)~安史の乱と商業資本の果たした役割 

 大変長らくお待たせしました。「商人の歴史」シリーズの第8回目です。
  商人の歴史というより、ほとんど中国の歴史みたいになってきてしまってますね。でも、中国の歴史を避けて通れないんで、すいませんがしばらくお付き合い願います。
  さて、確か●前回は、唐の辺境防衛が強化されるに従って、中国国内で貨幣経済が発達していったという話をしました。物資の大量かつ頻繁な移動を伴うので、貨幣による決済でないとやってられなかったということですね。
  その兵力は、府兵制という、近代国家の国民皆兵に似た制度でまかなっていたんですが、今度は軍鎮というシステムに変わりました。府兵制は屯田兵に似た仕組みだったんですが、脱走者が多いわ、だいたい辺境ってのはやせた土地が多いんで、兵員の自給自足という原則が守れなくなって、軍鎮という常備軍に置き換わったんです。
  そうすると、あまりにも長い国境線が災いして、今度は軍鎮の統制が難しくなりました。電話も無線もなかった頃の話ですから、たぶん●今でもお馴染みのこういうケースが連発したんでしょうね。少なくとも、表向きはそういう理由で、軍鎮は悪い奴らだ、ということが言われ出したんでしょう。
  それをなんとかしようと、今度は軍鎮の監視をするための上位組織が生まれました。それが「節度使」です。●こちらのリンクを見てもらえば分かるように、異民族との国境に接するような感じでずいぶんたくさん置かれました。一応軍鎮の監視というのが存在目的なんですが、しだいにその地方の軍政を統括するような役割になっていきました。
  面白いのが、この節度使が保有する兵力が完全な募兵制だということです。つまり、節度使はカネさえあれば勝手に兵士を雇っていいわけです。これだと、密貿易なんかやって金儲けをするやつが勝手に軍事政権みたいなのを作るのを止められるわけがありません。

  そういう中で起きたのが「安史の乱」です。安禄山と史思明が起こしたので安史の乱といいます。775年に起こった反乱なんですが、なんと反乱側が都だった長安を攻め落としてしまいました。
  この反乱を指揮した安禄山と史思明という二人は、中国史を研究している元同僚に聞いたところ、なんとトルコ系だったそうです。名前が漢字だから分からないだけなんでしょうね。
  余談ですが、私がタイムマシンを一回だけ使っていいよ、と言われたら、聖徳太子がいたという時代に戻って、渡来人や豪族の顔を片っ端から写真に撮りたいんです。名前が漢字だから分からないだけで、絶対、日本人ぽくない顔の人が混じっているはずですから。あるいは、髪の毛をもらってDNA鑑定にかけても面白いかも知れませんね。
  トルコ系というのは、今までの唐王朝の中でもかなり異質です。唐の出自は隋と同様「武川鎮軍閥」という、万里の長城の北からやってきて定住した騎馬民族なんですが、それともまた違います。今のカザフスタンとか、ウズベキスタンにいる黄色人種がトルコ系ですね。一応トルコ人もそうなんですが、ペルシアやギリシア、アルメニアなんかと混血が進んでいるので、別に考えた方がいいかもしれません。
  そのトルコ系という異質な人間になんで辺境防衛を任せちゃうのか。日本で言ったら、対馬の警備を中国人に任せてるみたいなもんでしょう。とても危なくて見ていられないと思うんですが、唐の場合はいくつか理由があってそれを許したんだと思います。

  一つは、安禄山たちが現実に力を持っていたということです。要するにカネです。安禄山は西域、今の●東トルキスタンあたりで活動していたシルクロード商人だったんですね。
  シルクロード貿易って、よっぽど儲かったんでしょうね。そりゃ、東西をつなぐ比較的安全な、ここでいう安全というのは、商人が旅行するという意味ですが、そういうところってシルクロードしかなかったんですよ。大航海時代の終わりくらいになって、やっとインド洋航路が開拓されたんです。船が大型になったのと、アフリカ東海岸を牛耳っていたトルコ海軍をポルトガルが叩きつぶしたからなんですが、それまではシルクロードこそ富の源泉だったんです。なんといっても、ものを作らないで、商人たちからみかじめ料だけ取ってればボロもうけです。
  だからこそ、唐も必死になってここの権益を守ろうとしたんです。しかし、権益を直接守るとなると兵士の頭数が足りない。いろいろ仕組みをいじっても駄目だ。それなら、共通の利害を持っている人間に任せてしまおう、と考えたのでしょう。
  で、果たして安禄山が、黄河下流とか長江流域に住んでいる連中、いわば生粋の中国人を採用するかというと、するわけがありません。勝手に募集していいんだったら、自分と同じトルコ系と集めるに決まっています。そりゃ、簡単に反乱を起こされるわけです。

  また、もう一つの理由が、唐という国の仕組みです。●以前の記事で書いたとおり、律令制度というのは、支配者の文化的出自に左右されない普遍性があります。極端な話、安禄山が明日から皇帝になっても問題ないんです。漢文が分かる、もしくはそういう人が周りにいれば、律令制度というのは回していけるわけですから。
  逆に言うと、これを作った唐の政権側は、「素晴らしい仕組みだから他の民族にも応用できるはずだ」と思っていたんじゃないかという気がするんですね。
  日本にも時たまいますが、外国人が低賃金労働者として流入しても、「市民としての義務や日本の法律さえ守れば構わない」という意見の持ち主がいます。だいたい地球市民とか平和人権愛好家だったりするわけですが、大東亜共栄圏みたいな感じで右翼にもそういうのがいたりします。
  彼らに共通しているのは、自分たちの理念は素晴らしいから、外国人にも通用するに違いないと思っているところです。唐は生まれたときから、高句麗一国も服属させられない隋のようなヘタレではなく、シルクロードを力で守るという使命を課せられた王朝だったわけです。だから、歴代王朝の中で唯一禅譲なんていう形で武力によらず天下を取れたのでしょう。そういう国ですから、はじめから無色透明で、グローバルな制度を作らざるを得なかったんじゃないでしょうか。
  まして、唐を担っているのは科挙官僚です。机の上で勉強ばっかりしてきた連中ですから、頭で分かるものしか信じていません。彼らの金科玉条は律令と中国の古典ですが、中国の古典には異民族に防衛を任せるとどうなるか、なんてことは書いていないわけです。だから、リアリティを持って事に当たることができなかったんじゃないでしょうか。

  あと、たぶんこれがいちばん大きいんじゃないかと思うんですが、「兵力が足りないなら、別に外国人を使ったっていいじゃないか」とか言って、皇帝を動かしていた連中がいるんじゃないでしょうか。シルクロード商人と、それと結びついた政権側の人間です。連中にとっては中国がどうなろうと知ったことではないんです。自分たちが安全にシルクロードを旅することができればそれで構わないからです。
  商業資本というのが、基本的に権力者の持っている余剰生産物をさばく役割を担うことで登場したという出自からして、いつの時代でも権力と商人が近い場所にいたというのは間違いないと思います。このときもそうだったんじゃないかということです。
  これは、ちゃんと記録に残っていることでもあるんです。安禄山は唐の宰相である「李林甫」という人と仲がよかったんですが、この人物の縁でかの有名な楊貴妃や玄宗皇帝にも取り入っています。
  この李林甫という人物こそ、安史の乱の最大の原因、というか、唐王朝をめちゃくちゃにした張本人といってもいいと思っています。李林甫は唐の太祖(一代皇帝)の家系に属する人なんですが、唐というのは何度も言っているように合理的かつ普遍性のある制度ですから、昇進もフェアで、軍功を挙げた軍鎮の司令官が中央で出世するという慣例があったんです。
  それが、創業者一族だった李林甫には気にくわなかったんでしょうね。なんと、節度使に異民族である安禄山を投入したのは彼なんです。たぶん、安禄山一派とグルだったんじゃないでしょうか。
  外国資本と手を組んで、旧来の勢力を駆逐しようとする連中は、古今東西その国の最大の癌であるといういい証拠です。日本に置き換えると、唐の太祖が児玉誉士夫や笹川良一のカネで自民党を結成した岸信介、安禄山が米英の金融資本や韓国系のパチンコ資本、軍鎮出身の政治家が小沢一郎さんや亀井静香さんっていう感じでしょうか。李林甫は、もう誰か言わなくてもわかりますね。
  自分の権力のために外国人と手を組むと、痛い目に遭うということです。李林甫は官位を剥奪、身分を庶民に落とされた末に、子孫まで僻地に流されたらしいです。日本の李林甫はどうなるんでしょうね?(笑)
  もっとも、李林甫だけを責めるわけにはいきません。異民族に防衛という重大事を丸投げしてしまうことを、当時の皇帝や科挙官僚、宦官などの政府中枢はあっさり認めてしまったわけですから、彼らにも責任はあります。誰か一人だけを売国奴と認定して葬る、こんなことで満足したから、宋代になってもっと大変なことになってしまいました。徹底的な反省が必要な問題です。

  で、安史の乱は8年くらい続くんですが、さすがに古代の軍隊では長安を征するのが精一杯でした。唐の政府中枢は四川省に逃れて、反撃の機会をうかがいました。結局、安禄山一族や、その跡を継いだ史思明一族の内紛があって、唐は長安を奪い返すことができました。
  しかし、実は反乱軍を破ったのは唐の軍隊じゃなかったんです。なんと、鎮圧に外国の軍隊を使ったんです。その外国というのは、「ウイグル」という遊牧国家です。
  ウイグルは、安史の乱の鎮圧前から唐とは友好関係にあった国です。唐王朝ができた頃、突厥という強力な騎馬民族がいました。ウイグルは突厥の西側にいた部族で、唐が突厥を叩いてくれたおかげで勢力を伸ばしました。たぶん、唐も突厥を牽制する役割を期待していたんでしょう。
  その後、ウイグルは8世紀中頃に大帝国を築くことができました。ウイグルが突厥を滅ぼしたのは751年ですから、安史の乱と時期がよく似ていますね。建国の熱気が冷めないうちに、唐に援軍を送って、安史の乱を鎮圧したのです。
  実は、この時期にちょうどウイグルは遊牧をやめて定住し始めるんですが、そのバックには「ソグド人」という連中がいました。マニ教という宗教を信じている部族で、なんともっぱらシルクロードで商人をやっていたそうです。ウイグルの行政機構もソグド人が担っていたらしいです。
  もしかしたらこのソグド人が安史の乱やそれに続くウイグルの介入も、全てプロデュースしていたっていうことはないでしょうか。だって、後にも言いますが、安史の乱で一番得したのはウイグル、中でもその商業を担っていたソグド人なんですよ。
  まあ、こういうことを話し始めると陰謀論めいてくるので、このへんでやめておきましょう。(笑)。

  当たり前ですが、安史の乱鎮圧後、ウイグルは唐に対して政治的に有利な立場に立ちました。たぶん、見返りを具体的に提示してたんじゃないでしょうか。唐の対ウイグル貿易はすさまじい赤字になってしまったということが知られています。貿易というより、貢ぎ物というのが実態だったのかも知れませんね。
  外国人の反乱を、外国人で抑える。「夷を持って夷を制す」なんていえばかっこいいですが、実態はこんなもんなんです。後で出てくる宋王朝もそうなんですが、中国人は外国というものを「自分たちの理念通りに動く道具」みたいに勘違いしてきた節があります。
  そういう中国人の行動様式を説明するのに、「中華思想」なんていう言葉が使われたりします。唯我独尊の態度をさして使っている人が多いみたいです。私もそう思っていたんですが、はっきり言って誤用です。中華思想というのは、そうやって異民族に頼らなければ国を維持できなかったこと、さらには少なからず二度にわたって異民族に支配されてしまった恥を覆い隠すための考え方なんじゃないでしょうか。
  つまり、マイナスの意味のグローバリズムです。「我々は異民族に屈服したように見えるが、実は違う。我々が異民族を飲み込んだのだ。なぜなら、中原は世界の中心であり、辺境は本来であれば中国に属すべき土地なのだ」と、支配された恥をごまかすための方便だったんじゃないかということです。
  程度の差こそあれ、漢の時代もそうだったのかもしれません。しかし、それが本格的に固まったのは、唐の時代だと私は思っています。
  なぜなら、唐の時代に初めて律令制度をもって異民族に接したからです。普遍的な仕組みは、必然的に能力のある外国人を呼び込みます。理念的にはそれでいいんですが、実態は絶対に齟齬が起こります。安史の乱みたいな混乱を招くこともあるでしょう。
  そして、そういう仕組みで得をしているのは、国民なんかではない、安禄山やソグド人みたいな商人なんです。これは絶対に忘れてはいけません。商人の利益が、国民にとっての利益になるとは限らない、むしろ対立する場面も多いということです。

  このまま行くと、続編で宋王朝の話をするのが流れとしてはいいのかもしれません。しかし、実はヨーロッパで取り上げておきたいところがいくつかあります。西洋か東洋か、どっちにしようかちょっと迷っています。
  まあ、たぶんこのシリーズ自体次にいつになるか分かりませんから、どっちになるか楽しみにしながら、気長にお待ちください。それでは、今日はこの辺で失礼します。

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