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2008.03.26(Wed)

【世界激変】米中ダブル崩壊の日は来るか(3)~吸血鬼アメリカ 

  ●前回の記事ではアメリカの製造業が70年代から衰退し、今日では自国の生産をまかなう能力もなくなってしまったという話をしました。
  しかし、アメリカのGDP(国内総生産)は相変わらず世界一です。そのアメリカの経済を支えているのが、「金融」という特殊な業種なのです。

  金融とは何か、誤解を恐れずに断言すれば「吸血鬼」です。

  吸血鬼というのは、●ドラキュラのように、他人の生き血を吸って生きていく魔物です。その生き血は、「金利」と呼ばれています。たとえば、弁済期が1年後の借入金に年利5%という金利がついていたら、1年後には借りたお金に5%上乗せして返さなくてはなりません。
  この5%には大きな意味があります。貸した人間に金利を支払うために、5%余計に働かなくてはいけない人間がいるということです。
  では、貸した人間が何か特別なことをしたのかというと、ただ貸しただけです。札束をヒョイと渡す、あるいは銀行口座の数字をちょっといじるだけで済んでしまいます。実質的に見たら、何もしていないのと同じです。
  つまり、金利を取るという行為は、余っているお金のある人間だけに許される行為であり、本来的に差別や格差を前提としているのです。放っておくと、貸し手は金利という生き血を吸ってどんどん大きくなり、逆に借り手は一生懸命働いても、稼いだ利益が金利を下回っていれば何も手にすることができません。
  だからこそ、昔は金利が邪悪なものと考えられていました。中世まで、キリスト教は利子を付けた金の貸し借りを禁じていました(だから、ヨーロッパで金融業をやっていたのはユダヤ人だけだった)。イスラム教は今でも禁止しています。金利という仕組みを許すと、金持ちが一人勝ちしてしまうということを、昔の人は経験的に知っていたのかもしれません。

  アメリカが吸血鬼、すなわち金融中心主義の国になるまでにはいくつか段階があるのですが、主なポイントを上げてみます。

1.1978年 確定拠出型年金(いわゆる401K)制度の創設
2.1980年 金融制度改革法で、預金金利の自由化
3.1987年 銀行子会社による証券業務取り扱いを開放


  1.によって企業年金(アメリカは公的年金が弱いので、これが年金の主力)の多くが証券市場に流れ込むことになりました。これによって、アメリカの株価は一時期をのぞいて逐次高値を更新していくことになります。この上がり続ける証券市場と、日本やヨーロッパよりも高めに設定した金利で、アメリカは世界中から投機マネーを呼び込むことに成功します。
  一方、2.によって、預金を扱う銀行間の競争が激化します。経営基盤の大きな銀行が客寄せのために金利をつり上げると、中小銀行はついていけなくなり、廃業したり、大手銀行に経営権を譲ってしまうこともしばしばでした。
  そして、これによって規模を大きくした銀行が、証券取引という形で資金を積極的に運用するようできるようになったのが3.です。
  こうして、アメリカの金融制度改革は、中小の銀行を「間引き」して、巨大な資金を動かす大金融資本を形成する結果を生みました。おそらく、それが狙いだったのでしょう。
 
 こうなると、地元の製造業の運転資金を貸し付けるなど、ばかばかしくてやっていられなくなるわけです。もともと日本や西ドイツの産業競争力の向上と、それにともなう産業の空洞化でうまみがなくなっている製造業は、これで決定的にとどめを刺されました。
  ゼネラル・エレクトリック(GE)という企業をご存じでしょうか。この企業は「ダウ・ジョーンズ工業平均」というニューヨーク株式市場のインデックス(株価指標)が創設された当時のメンバーとしては唯一の生き残りです。名前の通り、電気機器を作っていたのですが、1970年代から事業を縮小し、いつの間にかテレビ放送局を買収したり、保険や証券取引を扱ったりする会社になってしまいました。今は、中心は企業向け融資(GEキャピタル)や個人向け金融(GEマネー)です。
  このGEの変身ぶりこそが、アメリカの縮図だといっても差し支えないでしょう。それくらい、アメリカは変わってしまったのです。

  面白いことに、アメリカが金融中心経済に切り替わっていくのと比例して、徐々に資本主義経済を取り入れていった国があります。それが中国です。
  中国が市場経済を導入する構えを見せたのは、1978年以降です。いわゆる「改革開放」が唱えられ、市場経済への移行をにらんだ様々な政策(たとえば、生産責任制度)を導入していきます。外国企業に進出場所を開放し始めたのもこの時期です。
  これによって生じた国民の反発が形になったのが「天安門事件」だったのですが、中国は民主化の声を弾圧して改革を断行します。そして、1992年にはついに市場経済を導入しました。
  その結果として、中国には外国からの投資がなだれ込みました。そして、いつしか世界の工場などと言われるようになったのです。日本や、他の先進国の工業製品や食料品の需要を食い荒らしながら・・・。
  もうおわかりですね。そのとき、外国企業が中国で行う設備投資のお金を融通したのは・・・金融中心経済に移行していたアメリカの金融機関だったのです。
  中華人民共和国の生みの父・毛沢東が死去したのが1976年でした。小平たちが市場経済導入をスタートさせているのはその2年後です。これは全くの想像ですが、もしかしたら、米中国交回復と同時か、その少し後ぐらいに、アメリカ側と小平が「中国に市場経済を導入して、アメリカと中国で世界を制覇しよう」というような密約を交したのかも知れません。そうでも考えなければ、両国の、まるでコインの裏表のような変貌を説明することが出来ません。

  アメリカと中国が衝突する、という主張をよく見かけますが、ちゃんちゃらおかしい。冷戦前後の混乱期の米中の動きを見れば、アメリカにとって最大の友好国は中国であるというのは歴然とした事実なのです。

  次回は、このアメリカと中国の関係を詳しく見ていきます。ここにこそ、将来の世界の変化を読み解く鍵が隠れているからです。

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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

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