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2008.03.23(Sun)

「循環を早める」ということ 

  たいしたことではないのですが、気づいたので書いておきます。「経済とグローバリゼーション」の項目に入っている意味は、読んでいただくうちに分かると思います。

  最近、東京の中央線沿線から、近郊の埼玉県某市に転居しました。
  東京にお住まいでない方のために簡単に説明すると、中央線沿線は東京・新宿といったターミナル駅や、高円寺や吉祥寺のような人気がある町があるため、他よりも家賃が高めです。以前は駅から15分もある20㎡に満たない部屋なのに、バストイレが一緒なのに7万円取られていました。
  どうせなら住環境がよく、家賃も安いところがいいと思い、現在の場所にしたのですが、部屋が一つ増えて風呂とトイレが別になったにもかかわらず家賃は7千円下がりました。まあ、郊外なのに駐車場付きでないとか、周りにコンビニエンスストアがないというのもあるのでしょうが、私にとっては好都合でした。
  
  さて、いざ引越をしてみると、ほとんど読んでいない本(古本屋に売却)ベッド(寝室が和室なので不要)やクローゼット(15年くらい使っていて半分壊れていた)を処分したので、部屋がスカスカになってしまいました。来客用に布団を2セット買っても、まだ収納が余っているくらいです。まあ、本来2人入れる場所なのですから、それも当然といえば当然なのですが・・・。
  居住空間に隙間があるというのは、今までほとんどワンルームにしか住んだことがない私にとってはどうも違和感がありました。一応二間のアパートにも住んだことがあるのですが、隣から毎朝聞こえてくる「なんみょーほーれんげーきょー」というお題目(笑)や、移ってから立て続けに体調を崩してしまったことに嫌なものを感じ、すぐに引っ越してしまっていたので、感覚はほとんど覚えていません。

  しかし、物をあまり置かないことで、劇的に変わったことがありました。それは、毎日掃除をするようになったということです。

  恥ずかしいことに、以前住んでいた場所では、掃除は2週間にいっぺんやればいい方で、ひどい時は3ヶ月くらいほっぽらかしにしていました。それというのも、私の性格がグータラなのだと思っていました。
  しかし、本当は違ったのです。単に、物がたくさん置いてあるから掃除する気にならなかったのです。
  物が置いてあると、ホコリや小さなゴミが目立たなくなってしまうばかりか、いざ掃除しようとなると、それを全て別の場所にしまわないといけません。それどころか、本や雑誌は明らかに本棚の許容量を超える数だったので、床に何冊か散らかしておかないと行き場がありません。これでは、掃除をやる前に、散らかった物の始末で精神的に疲れてしまいます。
  それに、掃除機をすぐに取り出せるところに置いておかなかったのも、掃除が億劫になる原因でした。以前はベッドの下に置いてあったのですが、それを屈んで取り出して、コンセントに入れるというのがもう面倒くさいのです。「そんなの少しやる気を出せばいいじゃないか」と言う人もいるでしょうが、私はそういう性格だから仕方がありません。
  そこで、今の家では、部屋の入口近くのコンセントに掃除機をつなぎっぱなしにして、ホースまで立てて置いておくことにしました。こうすると、起きて布団をしまってすぐに掃除機に手が届きます。
  改めて分かったことですが、掃除の秘訣、汚れをコントロールするためのコツは、少しでも汚れていたらきれいにしておくことに尽きるということです。

  部屋に隙間が増えてもうひとつ改善したのは、洗濯をする間隔が短くなったということです。
  以前は洗濯をしても、洗ったものを干すのが面倒で仕方がありませんでした。特に、干し物をハンガーにかける作業です。
  その面倒だった原因を考えてみると、要するに干す作業をするスペースが狭かったのです。狭いと、干し物をいっぺんに広げられないので、作業がどんどん遅くなるのです。
  そこで、今の家では、寝室(本棚と小さい棚以外はガラガラ)に干し物をぶちまけて、スペースをめいっぱい使ってハンガーにかける作業をやることにしました。そうなると、早い早い。幅の広い道路だと車のスピードが上がるのと同じです。
  以前は洗濯物が貯まりすぎて洗濯機の中からはみ出しているのが常でしたが、引っ越してきてからはそれがなくなりました。

  同じように、仕事に着ていくワイシャツも、貯めておかず、時間があればすぐにクリーニング屋に持って行くようになりました。以前は、でかいトートバッグに10枚とか、ひどい時は20枚近く詰めて行ったものですが、今は2~3枚です。なんでも、ワイシャツの襟や袖の汚れは、時間をおくと落ちにくくなる(汚れの水分が蒸発して濃くなるから)というので、ワイシャツが着られなくなってしまうともったいないと思ったのです。
  
  このように、洗濯物をまめに片付けるようになって、気づいたことがありました。どうも、自分はワイシャツや下着をたくさん持ちすぎているのではないかということです。たくさん持っているのは、洗濯物を貯めてしまってたからです。予備がたくさんあれば、少しぐらい(相当)洗濯をしなくても着ていくものがないという事態は避けられるからです。それに、色やデザインの関係で、頻繁に着る衣類とそうでないいるというのはだいたい決まってくるわけで、結局ほとんど着ないシャツが半分近く出てきてしまいます。「本当は着たくないけど、洗い替えがないからこれにしよう」という感じで消費することになるわけです。
  しかし、「予備」をたくさん抱えると、無駄にしまう場所がかかってしまいます。結局それが物の置き場を狭くして、部屋を散らかすことになったのではないかと、ここに来てようやく気づきました。
  逆に言えば、洗濯するサイクルを早くすれば、手持ちの衣類が少なくても何とかなるのです。

  よく考えてみると、これは、先に挙げた掃除も同じなのです。

  「循環を早くするとうまく行く」

  これは、世の中のあらゆる場面で妥当することなのではないでしょうか。

  食べもので考えてみると分かりやすいです。今の食品産業は、付加価値の大きいものをのぞけば、大量に作り、大量にさばくことで初めてもうけがでるようになっています。
  しかし、いつもいつも作った分だけ売れるとは限りません(過剰在庫の存在)。過剰在庫というのは、私が持っている20枚以上の長袖のワイシャツ(笑)と同じで、循環から外れてしまっているものです。
  これが生鮮食料品だったら、傷んだものを捨てることになります。大変もったいない話です。お金も無駄になります。
  そこで、加工品にして、保存期間を長くする工夫がされるわけです。缶詰というのが一般的でしたが、最近は「保存料」という添加物で、歩留まりの期間を長くするという方法が採られています。特にアメリカでよく見られるのですが、穀物は相場を見計らって出荷することが多いので、倉庫で長期間保存できるように収穫した後も農薬や殺虫剤を使っています(ポストハーベスト農薬)。
  あるいは、冷凍食品という形で長期間の保存を可能にして、なんでも中国で加工するというのもあります。毒餃子事件は、そういう中で出てきた現象です。そもそも水や土が汚染されている国で、コストの低下だけを狙って作っているからああいうことが起きるのです。

  こんな方法が、人間の身体に悪影響を及ぼさないわけがありません。

  そもそも、人体に害を及ぼすような保存料を使わなくてはいけないほど、遠くに食べ物を運ぶという発想が間違っているのです。食べ物は、消費される場所の近くで作るべきです。
  要するに、生産から消費までのサイクルを小さくすることです。そうすれば、保存料もポストハーベスト農薬も必要ありません。小麦は国産を使うことになるので、ラーメンやうどんは少々高級な食べ物になってしまったり、材料に時のものが少ない外食を食べる機会が減ったりするかもしれませんが、安全だということは間違いありません。

  「米中ダブル崩壊」の特集が終わったら書いてみたいのですが、「循環を早める」ために、こういう実験をしてみるのはどうでしょうか。

  地方の小さい町(郡単位でもいい)で、農協と郵便局と小規模な商店が協定を結んで、ポイントカードみたいなものを作るのです。ここに、協定を結んだ企業体で使える「地域限定ポイント」を入れて、現金同様に使えるようにするのです。もちろん、このポイントは現金で買うことも出来ます。
  協定を結んだ企業は、従業員の給料の一部をポイントで払うようにするのです。そうすれば、ポイントだけで野菜やお米や薪(燃料にする)を買うことが出来たり、ゆうパックを送ることができたりするようになります。
  軌道に乗り始めたら、このポイント協定に町役場などの公的機関が参加するのです。人件費の一部をポイントで支払うことにすれば、財政改善に役立つでしょう。何でもかんでも切り詰めろと叫んでいる馬鹿なカイカク真理教信者も、ポイントの「バラマキ」ならぐうの音も出ないはずです。
  このポイントは、経済の循環を早めるために半年経ったら消えることにします。クレジットカード(たとえばVISAカード)のプレゼント用ポイントは、明細に毎月「今月失効するポイントは○○」という表示がしてあるほどですから、システム的にはそれほど難しいものではありません。

  おわかりでしょうか。これが、以前からこのブログでも訴えている「地域通貨」「自然主義経済」というやつなのです。

  カネにしろ食べものにしろ洗濯物にしろ、循環を早くすることで手持ちが少なくても豊かな生活を送れるようになるはずです。昔から「カネは天下の回りもの」といいますが、実は、全てが天下の回りものなのだと思います。

  たくさん持っているということは、それだけで病的だということに、もっと多くの人が気づいてほしいものです。

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2008.03.23(Sun)

米中ダブル崩壊の日は来るか(2)~アメリカ製造業壊滅絵巻 

  ●前回は、アメリカを国際貿易の中心とする仕組み(いわゆるブレトン・ウッズ体制)が、日本や西ドイツといった国々の産業競争力の向上に伴って機能しなくなってきたということをお話ししました。

  ここで、アメリカの「敵」になってしまった国の経済発展について見てみましょう。たとえば、我々の日本です。
  日本は今でも貿易依存率が2割程度の国ですが、ニクソン・ショック以前はさらに低く、10%程度でした。当時の日本は強大な産業競争力を持っており、メイドインジャパンを世界中(特にアメリカ)に売り込んでその利益を国内に還流し、どんどんでかくなっている化け物のような国です。
  日本が右肩上がりで成長することができた強みは、国民全体の所得を無理のない形で上昇させて、総需要をふくらませていたことにあります。その鍵は、インフレ率に比例して生産性が向上するという、絶妙の経済政策にありました。
  インフレ(物に対して金が余っている状態)になると、物価が上昇しますが、それは裏を返せば企業が物を売る値段も高くなるということです。賃金も上昇する傾向になりますから、それに合わせる形で物を作る量を増やせば、経済全体が一回り大きくなった形で、物と金の関係がイコールになります。ここに、輸出であげた利益を付け加えれば、それだけ需要が大きくなっていくというわけです。
  この経済政策を可能にしていた要因は、二つありました。一つは「地価のゆるやかな上昇」、そしてもう一つは「官僚による統制」です。前者が穏やかなインフレを誘導し、後者が生産性の上昇とそれによって生じた利益の配分をコントロールしていたのです。
  日本ほどではないにしても、冷戦崩壊までに経済発展を成し遂げた国(韓国や台湾、西ヨーロッパ諸国)はこのような仕組みを多かれ少なかれ持っていました。
  アメリカはソ連と競争する上でそれらの国の成長は黙認していたのですが、これらの国々、特に日本がアメリカ中心の貿易システムを脅かすようになってきて、考え方を変えたのです。

  さて、これらの「敵」をアメリカが叩きつぶすためにはどうすればいいのか?

  簡単です。「インフレ率に比例して生産性が向上する」という、経済発展の公式を狂わせればいいのです。要するに、世界中にデフレ(金に対して物が余っている状態)を起こせばいいわけです。
  細かい話をし出すとキリがないので、アメリカの情報戦略などは省略しますが、このデフレを世界的に起こすために絶対に必要だった国があります。それが中国なのです。
  ドルと金の交換停止をしたのはニクソン政権ですが、そのニクソン政権が同時に行ったことがあります。それが「米中国交回復」です。
  この事件はよく、ソ連陣営から中国を引きはがすために行った外交行動だと言われることがありますが、あまりにも表面的な見方でしょう。だいいち、冷戦というのは、前回も述べたように、国際貿易に参加してくるとアメリカを中心とした国際貿易が不安定になりかねない(地政学的にシーパワーの勢力圏でない)国々を、共産圏という形でソ連が囲い込んでいたものです。このシステムも完璧ではないので、時折局地紛争というエラーが生じますが、アメリカの国際貿易支配にとってはメリットの方が圧倒的に多い仕組みでした。
  そうなると、米中国交回復の本当の目的は、中国を国際貿易の世界に参加させ、世界中を生産過剰=デフレ状態にたたき込むことだったのです。
  中国の最大の武器は、今も昔も人口と、それを背景にした単価の安い生産力です。中国が共産圏の囲いから外に出たしばらく後の1980年でさえ4億3千万人の就業人口がいました(現在は7億人に届く勢い)。そもそも中国の人民元は国際的に取引されている通貨ですらなかったので、給料が払われていると言っても人件費はただみたいなものです。
  これが、いきなり国際貿易体制の中に参加してきたらどうなるか?生産が過剰になるに決まっています。もっとも、中国には近代的な工業を可能にするような工業設備は、戦前に日本が作り上げた満州の重化学工業地域くらいしかありません。
  そこで導入されたのが「経済特区」です。工業がほとんど根付いていない南部の沿岸都市に外資を呼び込み、安い労働力を利用させるようにしたのです。
  この発想も、もしかしたらアメリカの上層部(投資銀行や証券会社、ロックフェラーやモルガンのような財閥)がアドバイスしたのかもしれません。なにしろ、中国の国際貿易デビューは、アメリカと国交を回復したからこそ実現できたのですから・・・。
  ●こちらのホームページを見ていただくとよくわかりますが、中国の工業生産額は1990年代初めから急激に伸び始めています。1980年から20年で約15倍です。同じ時期の世界のGDPは約3倍に増えているのと比べると、そのすさまじさがわかるというものです。
  当然ながら、中国国内にはこの工業生産を消費するための購買力(個人や家庭の手持ちの金)はありません。その大半が、輸出に回ったと考えて間違いありません。この輸出は、冷戦中には存在しなかったわけですから、どこか他の国(たとえば日本)の工業生産が沈んだとしても、ものすごい生産過剰状態になったということです。
  アメリカの狙い通り、経済的なライバルだった日本はデフレの泥沼に陥りました。他の工業国も軒並み生産過剰になり、工業生産を縮小せざるを得なくなりました。中国を「開放」して、世界中をデフレの渦に巻き込むという作戦は成功したのです。

  しかし、疑問に思うことがありませんか。そんなことをしたら、世界一の工業生産額を誇るアメリカの工業も潰れてしまい、デフレで経済が立ちゆかなくなってしまうのではないか、ということです。

  結論を言うと、アメリカ(少なくともその上層部)は、自国の工業が潰れようが構わないという考えでいたのです。

  実は、アメリカでは1970年代から「産業の空洞化」現象が進んでいました。産業の空洞化とは、「企業が海外に生産拠点を移すことによって、雇用の減少などの弊害が生じること」とでも理解しておけばいいでしょう。
  その動機は、利潤追求という企業の論理です。アメリカ人を雇ったら金がかかるから、たとえば南アフリカやバングラデシュみたいな発展途上国に生産拠点を移してしまえという感じです。ここ10年くらいで日本の企業が中国に次々進出していったのも同じ動機です。
  アメリカの場合は、もともとが人工的に作られた国だと言うこともあって、その辺は徹底しています。非農業部門の就業人口割合を見ると、1970年のアメリカの製造業の割合は27.3%でしたが、1990年にはなんと17.3%まで低下しています。10%の低下ですよ。ただごとではありません。アメリカの農業はもともと大規模で機械化されていますから、農業で雇用を吸収したわけではありません。みんな、サービス業に流れたのです。
  これは、自然とそうなったというより、あえてそのようにしたのだと考えるべきです。つまり、アメリカは、製造業の部門で日本や西ドイツのような追撃者と競争することを完全にやめたのです。
  そして、工業製品は日本などからの輸入で補い、雇用はサービス業で吸収するという方向を固めたのではないかと思われます。国内で循環させる金は、赤字財政支出でまかない、不足した税収は国債の発行で穴埋めするのです。なにしろ、アメリカドルはすでに金(ゴールド)の裏付けを必要としなくなっているのですから、札を刷って使いたい放題なわけです。
  そうして、1980年代のアメリカは輸入の増加と赤字国債の連発で「貿易赤字」「財政赤字」の双子の赤字を抱えることになりました。
  この頃のニュースなどを見ると、デトロイトの町の真ん中で日産の車がボコボコにされる映像などがよく出てきていました。日本の輸出でアメリカの雇用が失われているというのが、アメリカ国内での見方だったようです。アメリカ政府もその意向に沿う形で、自動車交渉や日米構造協議などで、「アメリカ製品を輸入しろ」「輸出しないで内需を拡大しろ」と日本にやかましく命じていました。
  しかし、今となってみると、これは単に政府が国民に対してまじめに仕事しているふりをしていただけなのではないか、という気がするのです。要するに、選挙対策です。本気で輸入を止めたければ、日本以外にも、アメリカ向け輸出をするために海外に生産拠点を移したアメリカ企業(●こちらのグラフを参照)の方をなんとかしなければならなかったはずなのに、その対策は全くしませんでした。
  そうこうするうちに、アメリカの産業は決定的な打撃を被ることになりました。まず、工業製品を作るための道具(中間財)を輸入に頼るようになってしまったのです。●こちらのグラフを見ると、消費財の輸入がプラザ合意(1985年)によるドル高是正後に減少しているのに対して、資本財の輸入はずっと増加しているのがわかります。要するに、製品や部品を作るための道具を、日本などの技術力に優れた国から輸入し続けていたということです。
  それがさらに進むと、今度は部品まで輸入に頼るようになってしまいました●こちらのグラフを参照)。もうこれでは、アメリカ本土の工場はただの製品組み立て工場になってしまうことになります。
  そして、現在では、その組み立てすら中国の工場に奪われてしまっているのです。アメリカの製造業の雇用は全体の13.3%しかありません(農業人口は0.7%だから、非農業部門でも14%に達しないことが推定される)。
  アメリカが世界の産業をリードする、などという、冷戦の頃には当たり前だった図式は、もう完全に過去のものになってしまったようです。アメリカには、もはや自国の生産をまかなっていけるだけの工業力はないのです。

  しかし、それにも関わらず、アメリカがなぜGDPでぶっちぎりの世界1位の座に君臨していられるのでしょうか?

  その理由は、アメリカは日本や西ドイツなどの工業国と違う次元に戦いの場を移したからです。その舞台は「金融」です。実は、これこそが、世界中がデフレになっても、アメリカだけが一人勝ちすることが(一時期ではあるが)できた秘密なのです。

  次回は、金融が基幹産業となったアメリカの姿を見ながら、この金融という不思議な業種についてじっくり考えてみたいと思います。

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