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2008.03.14(Fri)

「好き→選ぶ」から「選ぶ→好き」へ 

  やっとADSLが開通いたしました。お待たせいたしました。

  地政学やら、経済の話やら、はたまた「商人の歴史」の続きなど、皆さんが待ちかねている話題もあると思いますが、せっかく卒業シーズンなので、それに合った記事にさせていただきます。

  私のいる塾では、3月の初めに、今までいっしょに勉強してきた受験生を集めてお別れ会みたいなものをやります。営利団体ですから、高校部への誘導みたいな意味合いがあるのですが、苦労してきた受験生に、改めてお疲れ様という声をかけられる場でもあり、私はそういう集まりが結構好きです。
  今年度は、教室を変わってしまう人も多いこともあって、最後に全員に向けて各先生が話をしようということになりました。以下は、中学3年生に私がした話の抄録です。

  まずは、お疲れ様。人によって本気を出して取り組んだ時期の長さは違うと思うが、みんなそれなりに力を出し切ってくれたと思う。よくがんばってくれた、どうもありがとう。

  さて、入試というのは、多分ほとんどの人にとって人生で初めて自分が試されることになる場面だったと思う。思い通りの結果を出してくれた人もいるが、そうでない人もいるだろう。
  実は、私も今までの人生は思い通りの結果を出してきたとはいえなかった。大学受験こそ先ほどの話(この前に、それぞれの先生が受験の思い出を披瀝していた)のようにうまく行ったが、それから先は無駄なことをいろいろやってきた。そのときそのときは本気で取り組んでいるんだが、目的達成までもう少しというところで進路変更をしてきてしまった。

  実は私は結構最近まで受験生だった。司法試験という、弁護士や検事になるための試験を受けていた。択一試験の方は何回か続けて通ったが、その途中に試験の制度が変わってしまい、法科大学院を出た人間でないと受験すらできなくなってしまう制度に変わった。合格者の数が激減してしまい、結局諦めることになった。
  はっきり言うと、この仕事も好きでやり始めたわけではない。昔は海外留学のための資金を貯めるため、その次は司法試験を受け続けるため、しょうがなくやってきたというのが本当だ。

  それでは、今はこの仕事をどう思っているだろう?みんなを教えてきた半年から1年間の間、「やっぱりこの仕事を早くやめよう」と思ったことは、何度あったかわからない。
  しかし、だからといって、仕事に行きたくないと思うことはなかった。どうしてだろうと考えてみると、やはりこの仕事が「好き」なのではないか・・・こうして全て片付いてほっとしているあなたたちの顔を見ると、そう思わざるを得ない。
  正直たいして社会に貢献している仕事をしているとも思っていないし、自分自身たいした人間というわけでもないが、こうして何十何年生きてきて、ようやく一つわかったことがある。それは(板書)

  「好き→選ぶ」

  よりも、

  「選ぶ→好き」

  と考えた方が、多分豊かな人生が送れるということだ。

  みんなもうすうす感づいていると思うし、第一志望に不合格だった人は自分の身で痛感したことと思うが、誰もが望むような道に進めるわけではないし、こうありたいと思うような自分になれるわけではない。才能や、環境という制約があるからだ。
  世の中では、好きなことを仕事にしたらいいという人が多い。学校の先生たちもそういう風に言う。

  本当にそうだろうか?

  好きな仕事や、なりたい自分になれなかったら人生として生きる意味がない。そういう考え方が本当だとしたら、この世の中に生きている人間のほとんどが不幸な人間だと言うことになってしまう。もちろん、自分の夢なり希望なり、実現しようと努力すればいいじゃないかと言うことはできるが、それだって誰にでもできることではない。
  そうだとすれば、そもそもの考え方を変えるべきではないのか。自分が選んだものの中に、何か良いところはないか、それを探すために努力する方がいいのではないか。努力すればいいことがある、という言葉が本当だとしたら、それは願望を実現するための努力ではなく、与えられた条件の中でいかに美しいものを見つけるかという努力なのではないか。

  こんな経験はないだろうか。全米興行成績1位とか、全世界が感動したとか、そういう宣伝がされていて、期待を抱いて見に行った映画がつまらなかったということは。
  逆に、つまらないと思って見始めた映画が、物語半ばにして急に輝き始めるような時もある。多分、そういうときの方が「ああ、見て良かった」と思うのではないだろうか。多分、人生もそれと同じだ。

  だから、不本意な進学先になってしまったとしても、何も嘆く必要はないと思う。与えられた条件の中で、精一杯の努力はしたはずだ。今度は3年間かけて、「選ぶ→好き」を実現する努力をすればいいんだ。少しずつでいいんだ。迷ったら、またこの教室に顔を見せに来るといい。

  長い人だと2年、短い人は半年、直接教える機会も多かったり少なかったりするけれど、みんなを教えることができて本当によかった。いい1年にできた。本当にありがとう。



  普段の授業の数倍も真剣に聞いている生徒の姿勢には正直びっくりしました。本当の声というのは伝わるものなのでしょうか。

  会が終わって職員室に行った後、ある生徒が声をかけてきました。

  その生徒は顔はよく知っているのですが、直接教えたことはあまりありませんでした。いったん塾をやめたり、学校に行かない期間があったり、いろいろあった子でした。それでも、ちゃんと高校へ行こうという気になり、受けた高校にきちんと合格することができたのです。

  「考えたら3年間同じところにいたんですよね。最後に、いい話を聞かせてくれて、ありがとうございました。」と、彼がさっぱりした顔で言いました。
  私も、正直に、「一時はどうなるかと思ったけれど、本当によかったよ。いろいろあったけど、合格は一人ひとり違うんだから、胸を張ってやっていきなさい。ただし、学校はなるべく休まずに」と、声をかけました。そして、苦笑いをしている彼と握手を交わしました。
  これからどうなるかは分かりませんが、彼が選ばざるを得なかった場所を、少しでも好きになって欲しい。戦い済んだ今は、ただそれだけを願っている自分がいました。

  よく考えてみると、結局私はこの「別れ」でえらそうなことを言うために、そこまでの1年間苦労しているのではないか・・・そう思えたりもします。
  こうして仕事に明確な区切りがつけられるような職業を、とりあえず嫌いにならずに続けられるだけ、私は幸福なのかも知れません。

  また1年間、がんばっていきたいと思います。

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