FC2ブログ
2007年12月 / 11月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月
2007.12.12(Wed)

商人の歴史(6)~合理的国家を支える科挙 

  あの、話し言葉で・・・ということなんで、最初にちょっと余談しますが、許してください。
 
  私このシリーズ結構好きなんですよ。書いていくことで自分自身がものすごく勉強になるし、気合い入れてアホみたいにリンク引っ張ったりした記事よりも反響がいいんで(笑)。

  これはみなさんにもお勧めしたいんですが、どんなに稚拙でも構わないから、まずは自分なりの歴史の流れみたいなものを作ってみるといいんじゃないでしょうか。別にそんなたいしたもんじゃなくてもいいんです。事実誤認だったら後から直せばいいし、そもそも細かい事柄をいちいちフォローする必要はありません。
  私はだいたい中学1年生くらいから歴史というものに興味を持ってきましたが、若い頃の「覚えるのが楽しい」というところから、ずいぶん変わってきました。このシリーズが目指しているのは、暗記が苦手な人でも、歴史の「意味」を自分なりに作っていってもらうきっかけになることです。

  それじゃあ、始めましょう。前回は、中国の唐王朝の時代に本格的にできあがった「律令」という仕組みについて説明しました。この律令というのは、コメント欄でしょうたさんが面白いたとえをしてくれましたが、「西洋音楽の楽譜」と似ています。ルールに則ってプレーできれば、プレーヤーの生まれや文化的背景を問わないからです。
  律令を貫いているのは何かと言われたら、間違いなく言えるのは「合理主義」です。なぜ均田制といって、国家が土地を国民に割り当てるという仕組みを取るのか。その方が、領土を巡って争いが生じないので、合理的だからです。尚書省とかいう役所が存在するのは、中書省が作った勅命を伝えるためです。とにかく、律令の中にある仕組みには、全て必然性があります。
  こういう仕組みを導入すれば、唐という巨大な国を一つにまとめることができます。それは同時に中国を一個の商圏にできるということですから、権力者、つまり皇帝の周囲にいる御用商人にとっては非常にありがたいことだったでしょう。

  ところが、困ることがあります。この律令制度を忠実に動かしていくための人間がいないのです。

  日本みたいに貴族を使ったらどうなんだ?と思うかもしれませんが、そういうわけにはいきません。
  あと、中国の場合、だいたい戦乱を勝ち抜いて新しい王朝が生まれるもんですから、皇帝一家の補佐をやるような有力な貴族なんていうのは、おおかた皆殺しにされています。いつでも代打がいる状態では、天から統治権を授かる、すなわち易姓革命の論理が成り立たないからです。
  ここは同じランドパワー(大陸国家)でも、ロシアと違うところです。ロシアの場合、「モンゴル(キプチャク汗国)」や「カザン汗国」みたいな明確な敵が外部にいたので、内部での権力闘争に使うエネルギーを外部に放出できたのに対して、中国の場合は長城の中というリングが決まっているので、その中でバトルロワイヤルをやるしかなくなるんですね。もっとも、ロシアもソ連崩壊でエネルギーの外部放出ができなくなって、内乱みたいな状態になったことがあります。
  とにかく、そういう国では、二番手三番手を張れるような実力者を生かしておくと、いつ自分がやられるか分からないのです。だから、統一国家ができるときそういう有力勢力は軒並み殺害するか骨抜きにしてしまいます。

  そこで、使うことにした仕組みが「科挙」です。

  科挙は、要するに人材登用試験です。秀才や進士といった6科目を、2回に渡って行います。かなり過酷な試験だったようです。●こちら●こちら(続きになっている)に、その様子がよくまとめられているので、ご覧になっていただくと面白いです。

  科挙が導入されたのが、久々に中国での統一王朝が実現した隋王朝の頃だったというのは、興味深いです。行政組織をきちんと作ろうにも、手足となって働くのに適当な人間がいなかったということです。
  隋は、結局十分な人材を登用できないまま、30年くらいで幕を閉じましたが、この仕組みはきっちり唐に受け継がれました。大運河といい、科挙制度といい、隋は唐に多くのものを残していったことがよくわかります。
  この科挙ですが、「登竜門」だと言われていたというのはご存じでしょうか。この試験に受かると、竜になれるわけです。要するに、どんなに身分が低かろうと、受かりさえすれば一生政府の役人として高い身分を保障されたのです。
  そういう試験ですから、当然みんな受けに来ます。倍率は3000倍なんてこともあったようですね。合格者が500人しかいなかった頃の司法試験でもせいぜい70倍から80倍くらいの倍率ですから、どれだけすごいかよくわかるというものです。
  こういうことをいうと、すぐ「受験教育の弊害」だとか、まあ私みたいな職業の人間には耳に痛いことが言われるわけですが、はっきり言って日本の難関大学受験程度で弊害うんぬんなんて言っているようでは甘いです。科挙の場合小学生くらいから四書五経の丸暗記やら、答案の書き方を勉強し始めて、合格者の平均年齢が36歳です。70歳過ぎて受かっても親族一同でお祝いしたなんていう記録が残っています。一生を科挙に捧げるわけですね。
  そんな人間使い物になるのかよ、とか思うかも知れませんが、なるんです。というか、そういう風にして、ものごとを丸暗記するのがクセになっている人間の方が、むしろ律令体制にはフィットするんです。
  記憶力を試す試験というのは、必ず出題される範囲や内容が決まっているものです。その枠内でどうやって知識を覚えたり、使ったりするかという能力が問われるわけです。四書五経に書いてあることは、まあ確かに役に立つんだろうけど、誰が何をどういったか、その解釈にはこういう仕方があるなんていうのを、丸覚えしていても、少し場面が違うことが出てきたらたちまち通用しなくなってしまいます。
  これって、結局律令と同じなんですよ。現実の世界というのは、はっきり言って人間は生まれてきたら必ず死ぬことぐらいしか確実なことはないと思うんです。昔みたいに、科学的世界観が発達していない頃は、不思議なことだらけだったはずなんです。
  しかし、律令というのは違う。皇帝が治める中国という国はこうなっていて、こういう風に治められなければならない、という風に、あらかじめ決めつけてしまうんですね。普通は、現実にいろいろ起こってからそれに対処するということを人間はやっているんですが、そうではなくて、「世界はこうだ」と決めつけて、その中で自己完結させるのが律令という合理的システムなんです。
  はっきり言ってしまえば、一種のフィクション、ファンタジーです。近代国家というのもそうでしょう?権力を三つに分けてとか、議会が作った法律を根拠にして政治をするとか、いろいろやってますけど、これって考えてみたら変じゃないですか。「国家」とか「法体系」なんてものは、誰も見たことがないはずです。人間が考え出したという点ではフィクションです。
  そういうものを運営する時、人間関係だとか縁故だとか情愛とか、そういったものを優先させてしまう人間は邪魔なんですね。コネで採用するとか、かわいそうだから税金取るのをやめておこうとか、そういうことを必ずやってしまいますから。
  それなら、科挙で選んだ人間の方がいいわけです。科挙人間は勉強漬けで生きてきた人間から、個別の人間関係はともかく、律令だとか国家だとかいったフィクションがあると、それをまず忠実に覚えようとしてくれます。そして、それがあるべき姿だと思って、現実に反映させるようにがんばってくれます。

  善し悪しは別として、近代国家にはこういう「科挙官僚」が必要なんです。だから、近代になってもこれを真似した国があります。革命があった後のフランスです。今でもある仕組みなんですが、「グランゼコル」というのがそれです。まあ、特殊な大学みたいなもので、中に入ってからも科挙みたいなすさまじい量の勉強を課されます。昔は貧しい家の師弟がのし上がる手段だったみたいで、●こちらのブログの記事にそういう雰囲気をよく伝えてくれる記述があります。
  以前、●このシリーズの記事で私は、革命後のフランスというのは保守的な文化伝統がほとんどない国になったということを話しましたが、それとも関係があります。百年戦争だとか、絶対王政の時代は、フランスの官僚というのは貴族から供給されていました。しかし、この貴族というのはやっかいな存在なんですね。気位が高いし、いざとなれば自分の領地に帰って生活していくことができるので、なかなかコントロールできないんです。商人みたいにお金だけあって身分が低いひとたちにとっては、特にこの貴族出身官僚というのは鬱陶しくてしょうがないのです。
  だからフランス革命やって貴族をみんなぶっ殺して、「グランゼコル」を出た科挙人間を官僚にするようにしたという言い方もできるんです。何しろ、科挙人間は自分が学習能力で偉くなったという自負がありますから、システムとか法体系とかに異常なまでに固執してくれます。そして、ここがおそらく、多分一番大事だと思うんですが、合理的だと思ったことは制度として採用してくれるんです。
  唐の律令というのは、近代を生きている我々にとっては無駄が多い時代だなという感じがするんですが、当時からすればすさまじく合理的なシステムだったと思います。もちろん中国のことですから(笑)ボロはすぐ出ちゃったんですが、何しろ人間の感情や欲望を無視して合理的に国家が運営されるということを、あの時代にあそこまで追究できたっていうのはすごいことだと思うんです。もちろん、いいか悪いかは別ですが・・・。

  でも、すぐ感じるんじゃないですか。科挙にしろグランゼコルにしろ、「非人間的」な匂いがすると。何か、科挙人間って、人間と言うよりは、コンピュータみたいですよね。
  それは間違っていません。偏見だというそしりを覚悟でいいますが、科挙というのは、行政を担当する人間の人間性を抹殺するためのシステムなんです。合理的な世界観を植え付けて、人間を生まれ育った土地だとか、家族だとか、文化伝統から切り離して、為政者の命令通りに動くロボットにするということです。
  何のために必要かって?政治を担当する人間に反抗させないためです。科挙官僚が反乱を起こした話なんて、私は聞いたことがありません。フランスのグランゼコル出身者が暴動に加わったという話も聞きません。軍人という連中と、正反対の存在が科挙官僚なんです。
  もともと、律令が国籍や文化的背景を問わない「透明な」仕組みだったわけですから、それを扱う人間も「透明な」人間じゃないとダメだということです。自分流に解釈をしたり、地元を優先したりする人間はダメだということです。
  彼らは科挙官僚になる過程で、曖昧な判断だとかその場その場に応じたテキトーな行動を否定するようにしつけられていますから、官僚になった後も合理的「だとされている」価値観や仕組みを忠実に反映させる人間になります。だから、官僚というのは合理的だ合理的だと信じさせることができれば、要するに「洗脳」すれば、あとはそっちの方へ突撃してくれるんです(笑)。昭和初期の革新官僚とか、いまどきのグローバルスタンダードを盲信している若手官僚とか、みんなそういうパターンですね。
  だから、真の意味で政治を支配したいと思えば、科挙的官僚が「すばらしい、合理的だ」と信じるような仕組みなり雰囲気なりを作り上げてしまえばいいんです。「大学」と「マスコミ」さえ握れば、そんなに難しい事じゃないですよね。多分、昔イギリス、今アメリカといった国々、ていうか、そういう国々を支配している商人(たとえば、●こういう連中)は、そうやって日本を含めた後進国を動かしているんじゃないでしょうか。ああ、この一家の話は、しばらくしたら独立して扱うかも知れません。
  
  ともかく、律令という合理的世界観と、それを支える透明人間である科挙官僚を備えた唐というのは「世界史上初めて生まれた近代国家」だと言っても過言ではありません。

  しかし、それが国家として本当にうまくいくのか、ということはまた別の話です。

  「律令」「科挙」以外にも、唐が繁栄し、また滅んでいった要因がありました。それが「辺境防衛」です。

  ずいぶん長くなりそうですね。多分、こんな感じでダラダラ続いていきます。続きをお楽しみに。

★人気blogランキングへ←クリックして応援よろしくお願いします。
スポンサーサイト



EDIT  |  00:58 |  話し言葉で歴史を語る  | TB(2)  | CM(10) | Top↑
 | BLOGTOP |