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2007.12.06(Thu)

商人の歴史(5)~律令制について 

  題名を見て「また始まったか」とか思わないでくださいね(笑)。

  さて、だいぶ前になりますが、唐の反映が絶頂を極めた裏に、既に滅亡に至るメカニズムが内包されていたという話をしました。

  専門的に細かく見ると、府兵制についての話とか、いろいろあると思うのですが、私はもう思い切って話を三つに絞ってみたいと思います。すなわち、唐という最強国家が最強国家となり、また没落していったその要因は、

  「律令」

  「科挙」

  「辺境防衛策」


  この三つだけだと断定してしまいます(笑)。もちろん、専門的な視点からすれば、とんでもないという批判は承知の上です。

  さて、まず一つ目の「律令」から見てみましょう。

  律令というのは、簡単に言えば「成文法」のことです。「律」というのは刑法のことです。「令」というのは、それ以外の法律、たとえば行政法だと思えばいいでしょう。一応付け加えると、これだけだと細かい部分の調整がきかないので、あとから「格式」というものも追加されることがほとんどです。要するに、「規則」「施行令」みたいなもんです。「延喜式」とか日本史でも出てきましたが、あれです。
  何でこれが唐が滅んだ原因なんだよ、という人もいそうですが、それはひとまず置いておいて、何で律令なんかわざわざ作ったのか、というところが問題です。
  目に見えるように書いてあるルールが成文法です。だから、何をやったらダメかということが、圧倒的に分かりやすいのが特徴です。まあ、法学の世界なんかでは「大陸法」っていってフランスとかドイツがそういう感じだとかよく言われます。イギリスはそうじゃなくて「慣習法
」だとか。
  でも、そういう区別とかはあまり重要ではありません。イギリスでも、新しいことや未知の分野を規定するときは、成文法を使っています。選挙法が良い例ですね。そうなんです。実は、成文法には、「未知の事柄も枠内にあてはめて飼い慣らすことができる」という特徴があるんです。
  唐や、その土台を作った隋がなぜこんなものを導入したのかといえば、簡単に言えば未知のものを飼い慣らす必要があったからです。要するに「異民族」です。
  もともと隋も唐も、「武川鎮軍閥」といって、万里の長城の内側に無理矢理住み着いちゃった騎馬民族です。民族で言うと鮮非(せんぴ)系です。だから、揚子江の辺りとか、シルクロードの先の方にいる連中なんていうのは人種が違うんです。
  ひょっとしたら、言葉も違ったかも知れない。この時代の写真が残っていれば一発でわかるんでしょうが、多分「中国」というのは顔も言葉も違う連中の集まりだったんじゃないかなと思うんです。

  でも、それだと都合の悪い人たちがいますよね。それが「商人」なんですよ。

  以前、唐が隋から禅譲を受けたのは、商人、ここでは商業資本といった方が適当でしょうか、そういう連中が唐の方に乗り換えたからじゃないか、という話をしました。その理由は、隋と違ってシルクロードを守ってくれそうな勢力になりうるからじゃないかということも話しました。
  商人というものの発端が御用商人で、権力者の周りで御用商人が動き回るために作られたのが「都市」なのだとしたら、ごく初期の、たとえば孔子が生きていた時代の中国では、いろんな場所にプチ権力者(笑)みたいなのがいて、それぞれ商圏を形成していたのでしょう。「○王」とか言われる連中がそれです。
  しかし、秦や漢のような統一王朝が出来た辺りで、度量衡の統一や貨幣の大規模な鋳造が行われて、「中国」という統一市場が出来たのだと思います。まあ、この辺は国家がどうやって出来るかという難しい話になってしまうので、もうやめておきましょう。
  中国の商人たちにとって、一番儲かるのはシルクロードを使った交易です。絹織物、塩、茶、唐の時期になると陶磁器なんかも加わってきますが、そういった中国ならではの商品は、外国でよく売れるんです。やっぱり、気候風土なんかの制約があって、中国ほどのものは作れないからでしょう。塩に関しては、内陸の人間が活動領域を広げるためにどうしても必要でした。岩塩は?という人もいそうですが、海水塩とどっちが使いやすいかは一目瞭然です。
  そのシルクロードを使った交易を効率よく行うには、「大量」の物資を「速く」「安全に」動かす必要があるのです。どうですか、推進力は違うけれども、ベクトルは今の中国進出企業とか商社なんかと全く同じでしょう。
  要するに、いつの時代でも商人、特に商業資本と言われるほどの大きな商人は「グローバリスト」になる資格があるということです。「グローバリスト」というのは、このブログが勝手に悪用している言葉で(笑)、利益を極大化するために、自国への影響を考慮せず積極的に海外に進出し、国家間の垣根を取り払おうとする勢力のことを言います。中国の商人には、そういう原型かあるんじゃないかという気がしています。
  そういう商人たちにとっては、律令というのは非常にありがたい仕組みだと思うんです。なぜなら、権力者が変わっても、フォーマットが同じですから、誰が何をやるのかが簡単に分かります。これが「人治」だったらこうは行かないんです。煬帝は賄賂を出せば何でもやってくれたけれど、その息子は潔癖で、商人の言うことを聞いてくれない、なんていうのじゃ困りますからね。
  中国は「人治」国家だと言われたりします。何をするのもルールではなくて人が動かしているのだということらしいです。多分中国の方が遅れているということを言いたいのだと思いますね。愛国ブログみたいなのが、よく中国は決まりを守らない、金のためならルールをすぐ破るとか書いていますが、そういうときにも人治国家だというのを言っていたりします。
  しかし、私の考えは逆で、中国というのは隋唐以降間違いなく法治国家だったと思うのです。それは、中国の歴代王朝が律令制を踏襲していったからです。多分、冷戦時代に流布した、毛沢東の時期の中国のイメージにとらわれすぎていて、中国という国を見誤っている人が多いような気がしますね。右も左もそうだと思います。
  律令という制度のキモは、「仕組みさえ覚えれば誰でも操作できる」「特定の民族や文化にかかわらず支配が可能である」という点でしょう。唐王朝の支配層は鮮非ですから、中国人じゃありません。まあ、もうこの頃は中国化していたんでしょうけど、多分食べるものとか南の方と全然違ったはずです。余談ですが、今でも中国は、北は小麦(麺)、南は米の文化ですね。でも、そういう違いは律令制では問題ではない。極端な話、漢文という共通語が使えて、律令の仕組みを理解できる人ならば、日本人でも政治を動かせるはずです。
  それはなぜかというと、律令は非常に合理的な仕組みだからです。ある分野の仕事はその専門の部署がやるべきだとか、税金を納めるのは一家の男を単位にするとか、頭で考えれば理解できることです。八百万の神にお米を納めて収穫を感謝するとかいう仕組みと、根本的に違います。ああ、言っておきますけど、別に新嘗祭が遅れているなんて言っていませんからね。
  中でも、唐の律令というのは合理的だったと思います。均田制という土地管理の仕組み、駅伝制に代表される情報伝達システム、わかりやすく明確な租庸調という税制・・・だから、唐の周りにいる国はみんな律令制を採用することにしました。
  ていうか、実は私、ここは順序が逆なんじゃないかと思っているんです。本当は、律令が良い仕組みだから取り入れたんじゃなくて、律令を使った方が国を治めやすかった連中がいるんじゃないかと思うんですよ。日本でいえば、ずばり「渡来人」です。
  律令っていうのは、オペレーターの人種だとか文化を問いませんから、外国の人間が乗っ取りに使うのに非常に都合が良いんですよね。多分、新羅やベトナム、吐蕃(今のチベット)も、インテリ亡命中国人みたいな連中が支配層になるために、その国のリーダーに「これなんかいいですよ」とか薦めた結果、律令制を導入したんじゃないかと思うんです。
  そして、その後押しをしていたのが、ある国を統一したシステムで統治してほしいと思う商人層じゃないかと思うんです。日本でも、大宝律令が施行されている前後に、和同開珎が流通し始めているのがその証拠です。
  ただ、日本の場合は、土着勢力の持っている感化力みたいなのが圧倒的に強かったんでしょうね。だから、中国のようにはならなかった。次の科挙のところでもお話しますが、中国はここで「超合理的国家」になってしまったことで、もう坂道を転げ落ちるようにしておかしくなっていくんですね。まあ、最後にはまとまる予定ですので、みなさんとしては一応「律令制は民族や文化を超えた合理的システムだ」ということだけ覚えておいていただければ結構です。
  
  そして、律令とフィットする人材登用システムが、「科挙」だったというわけです。

  すみません。時間がないので次回に回します。多分明日には更新できますので、引き続きお楽しみ下さい。

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