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2007.08.20(Mon)

なぜ戦争が起こったか、なるべく単純に考える 

  8月になると、どうしても原爆投下の日だの敗戦の日だの、「戦争」がキーワードになることが多いようです。
  子供を教える職業に就いている人なら、一度は子供に聞かれるなり、授業で必要に迫られるなり、ある場所で苦労した経験があるはずです。それは、

  「なぜあんな戦争が起こってしまったのか」

  というそもそもの疑問です。

  私は歴史家ではありませんから、細かい知識や詳細な検証をする能力も蓄積もありません。しかし、ここ最近、この分野をすっきり教えられるようになってきたので、それについて書いておきます。

  最大の原因は、国内の経済問題を、海外への経済進出によって克服しようとした勢力(要するに、グローバリストのこと。子供にはこの言葉は使わないが)がいたことです。

  明治時代に工業化に着手した日本は、教育程度の高さや勤勉さにものを言わせて、工業力をどんどん向上させます。初めは生糸と銅くらいしか輸出産業がなかったのですが、第一次世界大戦をきっかけにして綿織物産業が台頭します。1933年にはイギリスを抜いて世界1位にのし上がったほどです。
  しかし、こういう産業の拡大には常に付きまとう問題があります。「過剰在庫」です。もともと重商主義や資本主義というのは、必要なものを必要なだけ作るという生産本来の目的を逸脱し、お金を貯めること(貨幣価値の蓄積)を目的にしてしまっていますから、売れないということはあってはならない事態です。しかし、それにも関わらず、大量生産の仕組みは出来上がっているので、放っておくとどんどん売れないもの(要するにゴミと同じ)が出来てしまうのです。
  工場を潰せば早いのですが、それを許すと雇用が減るなどして世の中が不安定になります。そうなると、政府がバックアップして、新しい市場を探す他はなくなってくるのです。
  日本から近いところで、市場や原材料、労働力を供給するのに一番都合がいい場所は中国しかありません。生産力が低い割に人口が多いので、常に労働力が飽和してるからです。
  日本の当時の大企業(財閥)も中国を目指しました。日本国内で新しい需要を作り出すよりも、その方がはるかに簡単だからです。何か、今の大企業と似ていますね。
  その罪過を指摘するのは簡単ですが、一度膨れ上がった経済システムをしぼませるのはとても難しいということは、みなさんも忘れないで下さい。

  そして、マスコミや思想家たちも、それを止めることが出来ませんでした。むしろ、積極的にグローバリストを援護していたフシすらあります。
  ●以前紹介したPDFには、新聞が戦争を礼賛する方向へ傾いていった様子が克明に描かれています。マスコミもまた営利企業ですから、広告を出す大企業や、情報源である政府との関係をまずくするわけにはいきません。何のことはない、マスコミというのはその程度のもの、企業や政府が歪み始めれば、それを助長し、正当なものとして宣伝するのが彼らの仕事なのです。いつの世でも。
  また、「大アジア主義」を標榜する思想家や運動家が多数登場し、国民の世論を形成していきました。●頭山満などが代表例ですが、アジアを日本の力で一つにまとめて、白人に対抗すべきだという考えが流行ったのです。
  この時代もそうでしたが、世論というのは一定数のたいてい声のでかい連中が作ります。善良な市民は、なんだかよく分からないまま引っ張られていったというのが本当のところでしょう。ロシアに勝った一等国日本が、アジアを一つにまとめる・・・日本人は「融和」というのが好きですから、何となく賛成してしまったのかもしれません。まるで今の社会の「国際化」「多文化共生」のように、耳障りがよかったことでしょう。

  ここに、後からもう一つ別の勢力が加わります。革新官僚がそれです。
  革新官僚というのは、今までの古い枠組みにとらわれず、斬新な制度や政策を導入しようとしていた若手の官僚たちです。
  彼らの多くは旧制第一高校(一高)のような旧制高校から、東京帝国大学を経て官僚になった人々です。彼らの特徴としては、(1)江戸から明治に移り変わった頃の苦労を知らない(2)外国製の理論を好む(3)エリート意識が非常に強いことが上げられます。
  難しい試験をクリアして、全寮制で同じような仲間だけで固まっていれば、(3)になるのは致し方ないにしても、(1)と(2)は重大です。なぜなら、こういうタイプの人間は、えてして現実世界での細かい調整より、本に書かれた理想の世界にリアリティを感じてしまうものだからです。
  (2)について言うと、彼らのお気に入りはなんと言ってもマルクス主義でした。資本家ではなく、国家エリートが産業を統制して、理想の国家を作ることができることになっている理論だからです。当時は、のちのソ連の崩壊など誰も考えはしませんでした。世界大戦があって、みんな資本主義には限界を感じていたのでしょう。
  こういう革新官僚に、大チャンスが訪れます。それが満州事変です。満州は危険な土地だったこともあり、古株の官僚は新興国家の運営に参加しようと思いません。そこで、白羽の矢が経ったのが、●岸信介●椎名悦三郎●星野直樹といった若手の革新官僚でした。
  彼らはそこで、「五カ年計画」を成功させ、統制経済の運営に大きな自信を持ちました。そして、日中戦争後、国家総動員法に基づいた国造り(総動員体制)において重要な役割を担ったのです。
  こういう人間は、自分が理想の国家を作れればそれでいいのですから、自分たちの作った仕掛け(ランドパワー的な国家社会主義)が日本を取り返しのつかない方向へ導いたとしても責任を取りません。政治家や軍人を楯にし、GHQに媚びを売って、戦後まで生き延びました。●以前の記事でも、触れましたが、官僚というものは本質的にそういう性質があるようです。

  軍部は何をしたかというと、基本的に上のような人々の道具になって働いただけです。そうでなければ、軍事官僚も革新官僚の一部として考えるべきなのかもしれません。少なくとも、軍部が主導して戦争への道をひた走ったというのは大嘘です。

  では、なぜドラマや映画や教科書の中では、軍部だけが殊更に悪魔の使いのようにして描かれるのでしょうか。共産党や日教組や部落解放同盟が圧力をかけて、自虐史観を押しつけているからでしょうか?

  違います。その方が戦後の大企業やマスコミや革新官僚にとって都合がよかったからです。
  日本が戦前と戦後で全く別の国、別の政治体制になったと思っている人は、考えを改めた方がいいです。戦後の日本を支えた人材のほとんどが、戦前に戦争への道筋をせっせと作った張本人たちです。戦犯にもなった岸信介は首相に、椎名悦三郎はその官房長官になりました。満州で大工場を建設した●鮎川義介は日産自動車を経営し、三菱も三井も住友も形を変えて生き残りました。
  マスコミもです。GHQの検閲を受けることを条件にお咎めなしで当時の幹部がそのまま居座りました。ドイツでは、マスコミの上層部がみなナチスに協力したかどで粛清されたのにです(左翼はこういうことを全く触れない)。
  こういった人々は、いわば「真の戦犯」です。しかし、死人に口なしということで、全て東条英機ら軍部官僚に罪をおっかぶせてしまったというわけです。彼らにとって、自虐史観は、メリットでこそあれ、汚点でもマイナスでも何でもなかったのです。

  まあ、起こったことは仕方がありません。では、今後戦争を起こさないためにどうすればいいか、繰り返し私が生徒に伝えていることがあるので、次回はそれを書きます。ロシア旅行記は、原稿を書き進めておりますので、もうしばらくお待ち下さい。

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