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2011.06.11(Sat)

自分がしでかした事故の後始末も出来ないような政府なのか 

米研究所が福島県沖で海洋調査 原発事故の影響評価へ
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011061101000216.html

 福島第1原発事故を受け、米ウッズホール海洋学研究所の専門家チームが、福島県などの沖合で広範囲の海洋調査を始めたことが11日分かった。海水や海洋生物を採取し、原発から放出された放射性物質が生態系に及ぼす影響を評価する。日本政府は米国からの調査申請を「かなりの短時間」(政府筋)で許可したが、米国による調査であることを理由に事実を公表していない。

 文部科学省などの調査では、原発周辺で海水や海底の土から放射性物質が検出され、魚介類からも放射性物質が確認されている。ただ、こうした調査結果を取りまとめ、生態系への影響を評価する作業には着手しておらず、米国主導の調査が先行する形となりそうだ。

 大量の放射性物質による海洋汚染について、同研究所は「初期調査が重要な意味を持つ」と指摘。半減期の長い放射性セシウムなどが、食物連鎖でどのように蓄積するかは不透明だと懸念を示し、将来的な人体への影響も調べたいとしている。

 関係者によると、今回の調査は4~19日の日程。ウッズホール海洋学研究所の専門家に加え、東大やスペインの研究者も参加。米ハワイ大の調査船で、日本の排他的経済水域(EEZ)を航行し、200キロ四方で採取活動を行う。原発沖合の海流についても調べる。

 原発事故では、高濃度の放射性物質で汚染された水が海に大量流出。海洋調査の拡大を求める声が上がっていた。文科省は「今回の調査には日本の研究者も加わっている。結果を共有したい」としている。


このブログでも伝えてきましたが、

●首相官邸で原発事故処理の指示を出しているのはアメリカ政府の人間
●汚染水の放出はアメリカ政府の「強い要請」によるもの

という感じで、まさに植民地支配の様相を呈しているわけですが、今回のはそれに追い打ちをかけるような体たらくです。

>文科省は「今回の調査には日本の研究者も加わっている。結果を共有したい」としている。

何なのでしょう、この他人事っぷりは。

本来なら、事故を起こした日本の政府がこれを主導しなければならないはずです。それなのに、アメリカ様が調査するから、それに加えてもらおうという態度でいるわけです。官僚組織が有事に役に立たないということは最近よく分かりましたが、ここまでひどいとは正直思いませんでした。



実は、私が空間中の放射線量や、土壌汚染よりも、何よりも気になるのがこの海洋汚染です。

海中に広がった放射性物質は、小型動物を通じて魚の中に濃縮され、それが結局人間の身体の中に食物として取り込まれます。いわゆる「生物濃縮」というやつです。翌名前の出てくるセシウムだけでなく、骨に吸着して白血病を起こすストロンチウムがこれによって人体に入り込んでくる可能性があります。

それだけではなく、海中には昆布やワカメのように、海水からの栄養分をダイレクトに吸収している海藻がいます。昆布はダシやおでんの種に、ワカメは味噌汁などに幅広く用いられています。つまり、海にばらまかれた放射性物質が、そのまま海藻に残ってしまうわけです。

ワカメの味噌汁はダメ、昆布だしもダメ、おまけにノリもダメとなると、日本人の食文化が根本的に破壊される事態になりかねません。

政府がやるべきなのは、福島の数十海里沖の調査だけでなく、

・沿岸部(東日本だけでなく、全国)の港湾の水の放射性物質の濃度測定
・全国で採れた魚介類・海藻の放射性物質の測定
・基準を上回る魚介類・海藻の出荷停止+買い取りによる補償


なのではないでしょうか。

海外に外務省の役人を送って「日本産は安全です!」などとPRしているというのは、恥の上塗りというだけでなく、手前の売り物の危険性をろくすっぽ調べずに出荷している点で、詐欺と同じです。

官房長官の「直ちに影響はない」詐欺、御用学者の「放射線は健康にいい」詐欺、首相の「めどが付いたらやめる」詐欺もそうですが、最近の政府の人間のやることなすこと、ほとんどが人を騙す反社会的な言動です。冒頭の引用記事のように、他の国の政府がやっていることに便乗して、仕事をするふりも、税金を掠め取る詐欺の一種でしょう。

騙されないように気をつけたいものです。

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2009.07.16(Thu)

親に必要なのは「反抗期上等」という気構えだと思う 

  たまには教育関係の話を書いてみます。

【コラム】 年ごろの娘はどうしてお父さんを嫌ったりするの?
http://news.livedoor.com/article/detail/4251276/

「優しさ、カワイさが魅力的な人。あとは、年上が好き」

今年デビューした明石家さんまと大竹しのぶの娘、IMALU。彼女がトークイベントで話した理想の男性像は「もしかして、それってお父さんみたいな人…?」という内容でした。

が、その質問を向けられると「そんな感じではないです」とバッサリ。男たるもの、娘に「結婚するならパパみたいな人!!」と言ってもらいたいものですが、現実はなかなか厳しいものがあるのかもしれません。

2008年5月に『L25』が行った父親に関する調査では、「結婚するなら父親みたいな人がいい?」という質問に対し、「いいえ」という回答がなんと約6割に上りました。

女性が父親を男性として魅力的に感じないのはなぜなのでしょうか? その理由やきっかけについて、20~30歳の女性にアンケートをとりました。すると、浮かび上がってきたのはこの2つ。

1・説教臭い、(一方的に)意見を押しつける
2・プライベートへの口出し


ほかにも、見た目のだらしなさや清潔感の欠如を指摘する意見もありましたが、この2つはほぼすべての回答に含まれていました。

また全体を通して、「小さなころは父親が好きだったのに、小学校高学年や中学生あたりからうとましく感じるようになった」という傾向も浮き彫りに。どうやら思春期になると、娘にとって父親は口うるさく、うっとうしい存在に変わるようです。

う~ん、モテパパとしての明るい未来を妄想するボクとしては、思春期の娘ともラブラブな関係を続けられる方法を探りたいのですが…。こんな煩悩を『子育て ハッピーアドバイス』の著者である精神科医の明橋大二先生にぶつけてみたところ、「それはあきらめた方がいいですよ」とのお話が。先生! なぜですか?

「女子は小学校高学年あたりから思春期に入り、自立心が強く芽生え始めます。そこで、今までとても立派な存在と感じていた父親に対しても、多少不潔に感じたり、様々な疑問を抱いたりするもの。基本的に、娘は父親より母親と良好な関係を築きやすいので、この時期に娘が父親と距離を置くのはある意味健全な行為なのです。逆に、思春期に入っても父親とべったりしている場合は要注意。幼少期のスキンシップ不足などから父娘間での信頼関係が十分に育まれておらず、それを思春期に取り返そうとしているとか、母娘の関係が悪いために父親離れが遅れているケースなど、心の成長に何らかの不具合が起きている可能性があります。もちろん子どもにとっては、それも必要なプロセスなんだけど…」

なるほど。では、娘が思春期に入って父親に冷たくなったとしても、それはむしろ健全な成長として温かく見守るべきなのですね。

でも、距離を置かれるのと、嫌われるのは似て非なるものです。思春期の娘といい関係を築くにはどうしたらいいのでしょうか。パパになる悩みのタネは尽きません(まだ結婚すらしていませんが)


>う~ん、モテパパとしての明るい未来を妄想するボクとしては、思春期の娘ともラブラブな関係を続けられる方法を探りたいのですが…。

  この部分に、果てしなく気持ち悪い印象を抱いてしまうのは私だけでしょうか。

  だいいち、モテパパってそもそも何なんでしょう。この人は娘を恋人にして近親相姦でもするつもりなんでしょうか?(笑) コラムでは、後の方で心理学の先生かなにかのご託宣を受けて、さすがにその願望(笑)は諦めたようですが、

>でも、距離を置かれるのと、嫌われるのは似て非なるものです。思春期の娘と
>いい関係を築くにはどうしたらいいのでしょうか。

  この辺に、まだモテパパ(爆)への未練を感じます。
  正直なところ、今の世の中には、こういう未熟な大人が非常に多いような気がします。

  経験を一般化する暴論は承知の上ですが、私が知っている若い女性で、反抗的だった人ほど、結婚式でするスピーチで「お父さんありがとう」という言葉に心がこもっている気がします。一度反発して、一人の人間としての距離感を知ったからこそ、親のありがたみが分かるのでしょう。
  その一方で、親離れ子離れできない家庭ほど、30や40になってもガキみたいな子供が育っている気がします。外見はそれ相応に年を取っているのですが、内面の深みというか、何かを決断して失敗した経験だとか、人生の苦さを知っていれば言えないことがあるとか、そういう大人を形作っている要素が欠落している人間が育ってしまっているのです。
  そして、そういう家には恐ろしいほど共通点があるのにきづきました。「父親の影が薄い」ということです。たいていは穏和でいい人という感じのお父さんなのですが、逆に言えば他人に対して「これが自分だ」というものを表現できていない男性です。
  嫌われないことを最優先にしていて、何も言えなくなってしまった寂しい父親の姿がそこにある、といったら言い過ぎでしょうか。

  もうかれこれ十数年子供に接する仕事をしてきているのですが、その上で思うことがあります。子供と付き合う上で一番大事なのは、自分がよく思われることではなく、子供がどう育つかということなのだということです。
  そうだとすれば、自分の娘が自分の世界を持ち始めたことは、むしろ歓迎すべきことではないのでしょうか。
  そして、親としては、もし子供が危ない目に遭いそうなとき、全力で止めに入る覚悟があればいいのではないでしょうか。極端な言い方ですが、親に必要なのはその覚悟だけなのだとすら思っています。
  お父さん方は、かつて自分も、自分の世界を持つに至った娘を、どこかの家から頂戴しているわけです。それを、自分の娘だけは親子の檻の中に閉じこめようなんざ、虫が良すぎる話だと思うのですが・・・。

  親離れ以上に、子離れということが難しくなっている世の中だという気がします。子供をよく見た上で、適切な距離を保つことがますます大切になっています。
  そんなときに、大人同士の横のつながりがない社会が、いかに脆いものかを痛感するのです。反抗期の娘がいる親同士が、「なんだ、うちだけじゃないのか」と思えれば、どんなに心の支えになることでしょう。l核家族化が進んでいる現在、一人の人間である親が悩みを共有できないことの弊害はかなり大きなものがあると言わざるを得ません。
  ●以前の記事で紹介した「中野富士見中おやじ学級」のようなものが、もっとたくさんできてほしいと思っています。

  さて、これから3日間ほど神戸に取材に行ってまいります。神戸と言えば、歴史上この地にゆかりの深い人がいましたね。彼の記事をほっぽらかしにしていたので、そろそろ再開したいと思います。

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2008.10.26(Sun)

【発想の】イヌだけでなく、ネコも好きになってあげてほしい【転換】 

  たまには、「センセー」らしいことを書きます(笑)。

  中学校の三者面談が近いということで、塾でも保護者の方をお招きして進学相談みたいなものをやっています。その時に決まって出てくる悩み、というか愚痴に、

  「うちの子は言ってもきかない」

  というものがあります。
  別に、家に戻らずほっつき歩いているとか、親に暴力を振るうとか、そういう深刻な類ではありません。入試がだんだん迫ってきているのに、せっついて勉強している様子がなく、それを指摘すると馬耳東風だったり、「うるさいなぁ」と逆ギレされたりするということです。
  面談をしていると、男子生徒のお母さんの場合、ほぼ100%この話になります。女子生徒もごく一部を除いてそういう話をすることが多いですが、イライラの度合いは男子生徒に対するものの方が高いのが一般的です。どうも、女性の親には、男の子の行動というのがどうしてもがさつで我慢ならないものに写るようです。上にお姉さんがいたりすると余計にそのアラが目立ってしまうようで、いきおい本人への怨嗟の声(笑)も勢いが増します。
  かわいそうなことに、真面目な親御さんは、本人のためを思って言っているのに、なんでちゃんと聞こうとしないのか、困惑してしまうようです。
  私はそういう話を毎年何十人と聞かされているので、全く心配しないのですが、それを言ってもなかなか納得していただけません。よくあるケースなのですが、親御さんも自分の子供が世の全てという視点を捨てきれないようです。
  私も、そういうもんですよ、とか、普通ですよ、みたいな当たり障りのないことを言ってなだめすかしてきたのですが、最近いい比喩を思いつきました。

  「お子さんのことをワンちゃんみたいにきちんと言うことをきく動物だと思うからイライラするんですよ。ネコだと思って話してれば、頭に来ません」

  別に、受けを狙って言っているのでもありませんし、苦し紛れの言い逃れをしているのでもありません。本当に、こう思った方が自分にも相手にとっても良いことだと思うのです。
  ネコの行動をイヌと比べてみると、よくわかります。イヌ派(笑)の言い分に、「イヌは主人の言いつけを守ろうとするし、かわいがるとなついてくれる」というものがあります。たしかに、綱をつけないと行方不明になってしまうイヌというのは、あまり聞いたことがありません。散歩している犬を見ると、しょっちゅうご主人様の顔色をうかがっていて、歩くペースも揃えようとしているのがわかります(もちろん、しつけは必要なのだが)。
  他方ネコは、一緒に散歩すらできないほど散漫な行動をとる動物です。よくなついている飼い猫でさえ、勝手に家の外に出ていって、知らないうちに帰ってきているということが多いです。綱を付けておこうにも、首の辺りの骨格が華奢で気の毒になります。家の中にいればいるで、棚の上に上がって置物をひっくり返したりします。外見的なものや偏った好みを全く抜きにして考えれば、ネコの行動というのはあんまり可愛くありません。

  しかし、人間というのは、どちらかというとネコに近い動物なのではないかと思います。

  いつまでも親が飼い主のごとくエサをやったり散歩に連れて行ったりするわけにはいかないのです。子供の頃はイヌ的な行動をとっている子供が多い(筆者はすでにネコ的だったが)のですが、人間はいつかネコ的な行動(人の言うことを聞くのではなく、自分で行動してエサを取ったり伴侶を見つけたりする)を取らざるを得なくなります。その方が、生きていくには好都合だからです。
  もちろん、一番いいのは、普段はイヌ的に人と接していて、いざというときはネコになるような「かしこい」子供なのでしょうが、そんな子供はほとんどいません。「ドラえもん」のしずかちゃんや出来杉くんみたいな子供は、世の中には存在しないと思っておいた方がいいと思います。

  そもそも、子供というのは、イヌのように言うことをよくきくから可愛いものなのでしょうか。上司と部下という関係だったらイヌみたいな部下の方がやりやすいのでしょうが、親子はそういう、後天的に獲得された関係、というか、人工的な関係ではないはずです。
  ネコが家を出て行って、行方不明になることもよくあるようですが、それでも大抵のネコは、食器を床に落としたり、発情期にブーブー鳴きながら外に飛び出していったりしながらも、ちゃんと飼い主のところに戻ってきます。一緒にいれば愛着が湧かないはずがありません。
  受験で結果を出すのは、本人の仕事です。それを客観的に見て手伝いをするのが我々塾講師(というか教師)の役割です。
  親御さんの役割は、そんなに小さいものではありません。ネコにとっての飼い主の自宅のように、本人にとっての最後の拠り所となることです。
  本当にピンチになれば、子供は私なんか頼りません。親御さんに泣きつくはずです。神社仏閣じゃないんだから、困った時だけ拝みにこないでほしい、という気持ちは分かりますが、子供はネコみたいなものなのだから、それでいいのです。ていうか、この世の中で最終的な庇護者という役割を代わりにやってあげられる大人はいません。そういう振りをして近づいてくる悪い奴はたくさんいますが・・・。
  ほっぽらかしにせず、何か声を掛けること自体は全く構わないのですが、それを本人が聞かないからといって絶望したり、イライラする必要はありません。ネコに「お手」とか「おすわり」を教えて、できないから落ち込む飼い主がいたら、笑いものになります。
  しかし、ネコにトイレの仕方くらいは教えるはずです。ネコにとってのトイレが、人間の道徳とか社会常識だと思っておくといいのです。それ以上のこと、たとえば「上手な生き方」や「出世の仕方」は、親御さんが教えることではありません。別に話すのをやめろとはいいませんが、ネコがそれを聞かないのは当たり前とでも思っておかないといけません。
 
  「こどもを一人の人格者として扱って」とか、「おとなには教え導く権利などない。ともに学んで逝くだけ」とか、まるで日教組みたいな美辞麗句を唱えている人ほど、子供をすばらしい存在だと勘違いしているようです。そんな発想を貫徹出来るのは、マザー=テレサみたいな超が10個くらい付く人格者だけですから、一般人にはなんのプラスにもなりません。せいぜい「でかいネコ」程度に思って接するべきです。
  そうすれば、時たますり寄ってくるとかわいく思えるはずです。

  「子供はイヌではなく、ネコである」

  子供が思春期になったら、ぜひ思い出してください。

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2008.09.14(Sun)

【横文字乱発】美しい日本語を押しつけるより、役所の外国かぶれをなんとかした方がいい 

  人を殴ったり、ものを壊したりした人間が「ついカッとなって」という、愚にも付かない言い訳をすることがありますが、私の場合、カッとなるとブログの記事を書いてしまうようです(笑)。
  私がカッとなったのは、この記事のせいです。
  
ドア開いたまま2.7キロ走行=けが人なし、乗務員気付かず-JR高徳線
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008091300335
--------以下引用--------
 13日午前11時10分ごろ、徳島県藍住町のJR勝瑞駅に到着した鳴門発徳島行き高徳線普通列車(2両編成)に乗り込んだJR四国の社員が、2両目の右側後部ドアが約44センチ開いているのを発見した。ドアは約2.7キロ手前の池谷駅を出発した時から開いたままだったとみられるが、乗客約60人にけがはなかった。
 国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、一歩間違えれば事故につながりかねない重大インシデントとして、調査官2人を現地に派遣した。
--------引用以上--------

>重大インシデント

  ●この人みたいなノリで書いてるのかな、と思ったら、本当に行政用語で存在するようです(詳しくは●こちら

  それにしても、なんで、「事故」と言わないのでしょうか?

  確かに、航空事故に関する科学的な研究が欧米で進んでいて、それを取り入れたので、incidentという英語をそのまま持ち込んだのだ、という説明はできます。
  しかし、今回の引用記事を見る限りでは、「インシデント」などという言葉を使わなくても十分に表現が可能であり、むしろ「事故」といった方が直接意味を理解することができます。

  そういえば、行政用語には、一見しただけで意味不明なカタカナ言葉がたくさん存在します。「インシデント」は国土交通省ですが、「パブリック・コメント」「アカウンタビリティ」(全省庁)、「ワーク・ライフ・バランス」「ハローワーク」(厚労省)、「プライマリー・バランス」(財務省)、「ミニマムアクセス」(農水省)、「ベター・レギュレーション」(金融庁)、「グローバルCOEプログラム」(文部科学省)・・・調べているだけで腹が立ってきました(笑)。
  国際化しているから、などというもっともらしいことを言う人がいますが、それならなぜちゃんと英語で書かないのでしょうか。日本語と英語を併記しても良いはずです。英語で表記しさえすれば国際化するわけではありませんし、そもそも国際化といえば何でも許されるわけではありません
  何か、一般人に分からないカタカナ言葉を並べて「どうです、すごいでしょう。僕たちは頭が良いんですよ」と、役人がニヤニヤ笑ってるように見えて仕方がありません。

  こういうことが起こってしまうのはなぜかと考えてみると、やはり「国家公務員に欧米かぶれがあふれている」ということなのでしょう。
  今の官僚制度は、明治時代に端を発したもので、その成り立ちからしてフランスやドイツの真似でした。戦後はアメリカの猿真似です。だから、今でも「日本の制度は優れていて、欧米の制度は素晴らしい」という意識が根本にあることは十分に推測が尽きます。国家公務員には、税金で外国に留学してくる「在外研究員制度」というものがあります。これまでに2000人を超える人数が派遣されており、その留学先の70%強がアメリカです。
  しかも、腹の立つことに、そうやって国民の金で留学したキャリア官僚の1割程度がすぐに退職してしまっていたそうです(●こちらを参照)。政治家の事務所費や、市役所の下っ端公務員の手当うんぬんで目くじらを立てるより、こういう事例を「税金泥棒」として告発すべきではないでしょうか。
  一応、2006年から退職したら費用を返す義務が生じるようになり(●こちらを参照)、留学即退職というふざけた事態は激減しましたが、昨今の行政のあり方を見ていて、制度自体が本当に役に立っているのだろうかと疑問が湧いてきます。
  それどころか、アメリカやイギリスで仕入れてきた言葉や概念を日本に当てはめようと必死で、何をしたら日本国や日本国民のためになるかという視点が根本的に欠けているのではないでしょうか。最近の行政用語にカタカナ言葉が異常に多いのは、その現れだと思えてなりません。
  もちろん、これとは別に律令制以降の伝統というものはあって、職務意識の高さや、文書管理の厳密さという形で今の日本にも受け継がれています。しかし、これはむしろ「武士の道徳」みたいなもので、別に欧米に習ったから良くなったというものでもありません。
  それを言ったら漢字だって中国の言葉じゃないか、などという人がいるでしょうが、的外れです。少なくとも、鎌倉時代以降の我が国の行政機構は、中国式の言葉や概念を、日本に合う形で改造して用いており、日本の風土や日本人の精神性と調和させようと努力をしてきました。今の官僚がやっていることは、欧米から輸入した制度や言葉を、そのまま日本に当てはめようとしているだけです。「牛鍋を食べるのがハイカラ」とか「ダンスパーティーをすれば不平等条約を改正できる」などといった考えと同じレベルの、幼稚な行為と言わざるを得ません。

  政治家に、ある種の人間たちの人気取りをしたいがために「美しい日本語を身につけよう」とか「我が国のことばの伝統を理解しよう」などと言っている人間がいます。ブログを書いている人間にも、日本文化や日本の伝統をご神体にして拝んでいる連中がいます。
  そういう人びとは、なぜ官僚が欧米文化に毒されて帰国し、向こうで習ったことを金科玉条にして行政を行っている現状を告発しようしないのか、私には理解できません。
  本当に日本が素晴らしいと思うなら、我々の祖先が築いてきた遺産を活用しながら生活を営むべきではないでしょうか?

  次回は「韓国崩壊」の続きを書きます。少々お待ち下さい。

【参考】

日本の役所は欧米に学ばなければ何も出来ないのか?
http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-77.html

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2008.08.12(Tue)

「若者」を宇宙人扱いしないこと~富山県の試みに注目 

  先日、●「巨大派遣会社と戦うドンキホーテのブログ」様からトラックバックをいただいたのですが、管理人の派遣太郎さんがブログと平行して運営している掲示板に、興味深いサイトが紹介されていました。
  たまたま昨日私が訪れた富山の事例でもあり、みなさんにも知っていただきたいと重い、記事にして紹介することにしました。どうかご覧ください。

山口義行のこれが言いたい(9)~若者の雇用問題とどう向き合うか―富山に学べ!―
http://www.media-kiss.com/yamaguchi/content/koregaiitai/09.html 
------------以下引用------------
 仕事に生きがいややりがいを見出せない若者が増えている。2006年度国民生活白書によれば、適職探しをしている若者は558万人(2004年度)いる(図表1)。これは1987年に比べて3割増、在学者を除く若年者全体の2割以上に達する。また、フリーターやニートの増加も社会問題になっている。定職に就かない若者の増加は社会を不安定にさせたり、経済の活力を減退させたりするものとして危惧されている。(中略)

 なぜ定職に就かない若者が増えているのか。その理由の1つは、言うまでもなく企業が正社員の採用を絞ったことにある。2002年に正社員として就職できた割合は、大卒で66.7%、高卒では40.4%にとどまっている(図表2)。ともに10年前より20%以上悪化している。これに代わってパートやアルバイトでの採用が増加しており、若者をめぐる不安定雇用の背景となっている。

 もう1つの理由は、若者の職業観にある。社会で責任を持つことに抵抗感を持っていたり、できるだけ長くモラトリアムを享受したいと考えている若者は多い。就職してもちょっとした失敗で会社を辞めてしまい、働くことに夢が持てないまま日々過ごしているケースも目立つ。若者の職業意識や社会人としての自覚をどう育てるかが課題となっている。今回は、この後者の問題に立ち入ってみたい。

 この点に関して興味深い表がある(注:リンク先参照願います)。「フリーター比率」とよばれるもので、新卒者のうち進学も就職もしない者の比率を調べたものであるが、図表3に明らかなように、この比率が全国で最も低いのは、富山県である。全国平均15.3%に対し、富山県は5.0%である。フリーター比率の低さに直結しているかどうかは別にして、確かに富山県では若者の職業意識を育てるために様々な試みが行われている。

 その1つが「14歳の挑戦」。これは富山県が国公立中学を対象に義務づけているもので、中学2年の生徒たちが5日間学校を離れ、地元の企業で実際に働きながら、仕事とは何かを学ぶ体験学習である。2005年度は10,028人の中学生が参加し、受け入れ事業所は3272ヶ所に達している。

 「14歳の挑戦」を立ち上げた山本晶氏(現富山県立富山養護学校校長)は、この試みを始めたきっかけを次のように語っている。

「中学生で最後の担任を受け持っていた昭和63年頃、中学2年生の真面目な生徒がこんなことを言い出しました。

『大人っていいがねぇ。仕事が終わったらパチンコにビール。自分たちは学校の授業が終わっても午後6~7時頃まで部活。それから家に帰ってきて塾に通い、夜は宿題で1日が終わらない。なのに大人は夕方5時頃には会社から開放されてパチンコをしている』。

私はショックを受け、『ちごがい。大人は大変な仕事を一生懸命やっているんだよ。だから、仕事が終わってからビールを飲んで1日の疲れを癒すんだよ』と説明すると子供たちは『うっそぉ~』と言ってなかなか信じようとしなかったのです。

・・・あるツッパリの生徒はこんなことを言いました。『担任の先生は、父ちゃんは子供のためにつらい仕事を我慢して働いているんだから自分も頑張れと注意する。会社は我慢していればお金をくれるけど、自分が我慢して学校に行ってもお金はもらえない』これは、大人をなめている。なんとか大人の働く姿をみせないといけない。そう強く感じたのでした」



 「14歳の挑戦」を体験した中学生は、それをきっかけに父親を見る目が変わったり、家族との会話がはずんだといったことを事後報告している。また、将来自分がやりたい仕事を考えるきっかけになったと答えた中学生もいる。

「インターン先の八嶋さん(八嶋合名会社社長)の話が印象的でした。

『仕事とは、人のために役立つことを考えるもの。仕事は、ただ生きる、家族を養うためのものではない』そう言われました。

普段は、友達と家でゲームばかりでしたが、インターンをキッカケに、仕事とは何か考えるようになりました」



 「14歳の挑戦」は、生徒を受け入れる企業の協力がなければ成り立たない。

「『あたたかく受け入れてあげよう。仕事の楽しさを教えてあげよう』と従業員と生徒の受け入れについて事前に話し合いをします。たった5日間でも生徒が成長していく様子を見ることができ、私たちにとってもうれしい体験です」(㈱サンエツ 板川信夫社長)。

「生徒の緊張をほぐしてあげるために事前の説明や見学を実施しています」(中尾清月堂 中尾吉成)。

「お皿を下げることからはじた生徒が最後には自ら工夫してお客様に声をかけるようになるんです。店のみんなが成長ぶりを驚いたほどでした」(エクボ 国奥真由美店長)。

 また、受け入れる企業側にも大きなメリットがあると経営者たちは語っている。生徒の指導役に入社2~3年目の社員をつけることで、社員自身が仕事の楽しさや失敗体験等を伝えるうちに、仕事の意義や自社の良さを自覚でき、仕事のやりがいを改めて見出すきっかけとなるのだという。

 さらに富山県の高校では、もっと進んだ取り組みを行っている。たとえば、県立富山商業高校が実施している「TOMI SHOP」。これは、生徒800人が1株500円で出資して設立した株式会社。生徒全員が社員となり、校内に売り場を作り、生徒たちが仕入れた商品を客として訪れた人たちに販売する。オリジナル商品の開発も行っている。販売日は毎年11月の2日間だけ。それでもこの2日間だけで、昨年はおよそ1350万円もの売り上げを上げた。商品は100円のお菓子から100万円の車まで。富山の名産物である魚やクラブ活動の様子などを柄にしたネクタイを開発するなど、ユニークな取り組みを行っている。ちなみに、このネクタイ(1本2500円)は2日で600本も売れるという。

 参加した生徒も「コミュニケーション能力の向上」を「TOMI SHOP」体験の効果としてあげているが、実際仕入れのための交渉、商品開発のための話い合いなど、企業関係者と立ち入ったコミュニケーションを積み重ねなければ事業はできない。

 富山商業高校の安田隆教諭は「必要なのは社会の人たちからしかられたり褒められたりすることです」と語り、高校時代に「TOMI SHOP」の社長を務め、現在㈱オーパーツに勤務している藤井南さんは「いろいろな立場の人とお話をしても、気後れしないでお話しすることができるのは『TOMI SHOP』の経験があるからだと思います」と言っている。「コミュニケーション能力の向上」はまさに社会に出るための準備であり、職業人養成のための重要な教育機会となっている。

 山本氏は、「14歳の挑戦」の意義について次のように語っている。

 「困ったときに人に助けてもらうことの重要さを知るのです。今、学生時代から『自己実現』を教えようとする気運が高まっていますが、それはどうなのでしょうか。自分がどうしていいか分からない時、やり方が分からず思うように物事が進まない時に、人の助言に耳を傾け、相談してみること。いろんな人が手を差し伸べてくれるんだということが心に残ることが、今の中学生にとっても、社会全体にとっても大切なことなのです」(同上、8ページ)。

 こうした言葉にも示されているように、小さな職業体験が人への信頼、社会への信頼を生むきっかけとなり、生徒たちは自分も人に「手を差し伸べて」あげられる人間になりたいと感じるようになる。これはまさに「社会人育て」である。周りの大人たちが支えてくれることを体験し、人に対する信頼が生まれ、さらに自分もその役割を果たしたいと思うようになり、社会人になっていく。こうした「社会人育て」を通して、若者の健全な職業観が醸成されていく。それを地域の試みとして実践している富山県から学ぶべきことは多い。
------------引用以上------------

  こういう地方自治体があるから、私は「公務員は駄目だ」という決めつけに反対なのです。塾や私立の学校が、上の文章にあるような富山県のような取り組みを一度でもしたことがあるでしょうか?
  よく、若者への評価として、私や、さらにその上の世代から、「今の若いやつは指示を待ってばかりで使えない」とか「俺の子供の頃と違って我慢が足りない」などという言葉が出てきます。そういう人の表情や口ぶりを観察していると、まるで宇宙人について語っているかのように見えます。若い人間を一方的に異物として見ているのです。
  しかし、若者ばかりを責めるわけには行きません。日本のように成熟した社会では、子供は生まれた頃から便利な環境を当然のものとして育ってくるのは仕方がないことです。だいいち、今の便利さと、20年前のそれとでは、江戸時代の人たちから比べたら五十歩百歩です。俺の若い頃は、などと言っている人は、子供の頃から水道や冷蔵庫も使ったことがないのでしょうか?
  よく言われる「今の若いやつは使えない」「やる気がない」「すぐ挫折する」などというような酷評も、そういう生育環境のギャップから出てきているのは間違いありません。だから、文句を言っても仕方ないのです。

  問題は、そういう若者をどうやって「使える」ようにするかです。

  思うに、今の若者が社会に出たときショックを受けてしまう、もしくは初めから大人の社会に足を踏み入れようとしないのは、彼らが子供の頃から学校や親から教わってきている社会像と、現実の社会のギャップがあまりにも大きいからです。
  ●以前の記事のコメント欄で「しわさん」たちがおっしゃったことともつながってくるのですが、どうも我が国の学校教育は、子供に対して「夢を実現するために努力することこそ尊い」とか「自分のやりたいことをやればいいんだ」というように、自己実現というものを過大に評価しすぎているのではないかと思うのです。子供の頭の中には、「あれがやりたい」「こうありたい」という観念ばかりが詰め込まれてしまい、実際に社会で直面する苦労や障害は全く意識されません。
  別に、私は子供は大志を抱かずこつこつやることだけが正しい生き方だ、などと言っているのではありません。教育の現場では、夢を語るよりも他にやるべきことがあるのだと言いたいのです。その一つが、「社会に出たときに、学生時代に与えられてきた世界観と、現実との違いで受けるショックを緩和する」ということです。
  富山県の取り組みで感心させられるのは、●こういう欺瞞に満ちた職業指南書●ディズニーランドの二番煎じみたいな職業体験テーマパークとは違い、現実の世界で活動している大人の中に子供を参加させ、その苦労や工夫を社会人と一緒に経験させている点です。私の個人的な経験で恐縮なのですが、うちが「自営業」をやっている友達というのは、親に対しての姿勢がゆがんでおらず、しっかりした友達が多かった気がします。少なくとも、不良になったり、引きこもったりと、のちのちに社会と齟齬を来した人間は一人もいません。親の苦労を近くで見ているというのは、貴重な経験なのです。
  みんなが自営業をやるのはどう考えても不可能なわけですから、教育する側が無理矢理そういう状況を作り出して疑似経験をさせてやるしかないのではないでしょうか。
  受け入れる企業も大変素晴らしいと思います。足手まといになるからと、未経験の若者を疎外したら、永遠に彼らの社会経験が積み重ならないからです。どうせ文部科学省の官僚が税金を使ってやってもたいしたことができるわけではないのですから、その分こういう企業に、法人税を減税してあげたらどうでしょうか?
  このような営みこそ、「社会全体で子供を育てる」ということです。昔は、小うるさい家族や親戚との関係や、うっとうしい近所づきあいを通じて、自然と大人とつきあう要領や、するべき我慢の程度を覚えていったのでしょう。逆に言うと、そういうものを「邪魔だから」「面倒だから」と切り捨てていったのが戦後の日本だったということもできます。
  今はなかなかそんな濃密な経験をする機会がなくなっています。公的な機関はそのへんをきちんと認識して、子供が社会に出て行くためのアシストをしてやるべきなのではないでしょうか。指導要領で決められた科目だけを教えていればよかった時代とはわけが違うのです。それを分からずして、「今の子供はおかしい」とか、モンスターなんとかのせいにしていていいわけがありません。
  当たり前すぎていちいち書きたくないのですが、いくら愛国心や公共精神を教えたところで、若者が現実と直面して感じるギャップを埋めてやることはできません。仕事で壁にぶつかったとき「ヤスクニの英霊に顔向けできないからがんばろう」とか「明日の日本のために戦おう」なんてことを思って乗り切る若者なんているわけがありません(笑)。当たり前ですが、ジンケンのソンチョーだとかヘーワのトートサとか、センソーセキニンなんてものを教えても同じことです。
  何を教えればいいだとか、こういう教員採用システムにすればいいとか、そういう発想ばかりしているから若者がきちんと育たないのです。そういう発想をするのは、あなたが子供を都合の良いように洗脳することばかり考えている人間だからです。洗脳では、大人の側が教育をしているつもりになることはあっても、現実の子供が抱えている問題を解決できません。
  若者は、宇宙人ではないのです。大人にとって都合の良い子供だけを選別するのではなく、一人でも多くの子供が、社会に出ていくときの摩擦が少しでも少なくなるように、手をさしのべる仕組みを作っていくべきです。
  富山県の教育行政に携わっている担当者の方におかれましては、「14歳の挑戦」のような試みを、信念を持って継続されていくことを期待しています。

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