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2007.12.14(Fri)

【中朝ロ】これからは「沿海州」の時代? 

  このニュースは面白いです。

[経済] ロシア極東経済特区の建設、中国企業に機会提供
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/news5/071126-2.htm
--------以下引用--------
終わったばかりのロシア 《中国年》活動から伝わって来た情報によれば、ロシア政府はウラジオストク市近郊の通商口に 《経済特区》を設立し、大規模な海外投資の誘致にて、この地域をロシア経済の東の大門として建設することになる。

黒龍江省社会科学院東北アジア研究所所長・宋魁は 《ウラジオストク経済特区の建設は中国企業に巨大なビジネスチャンスをもたらしてくれるだろう》と指摘した。

ウラジオストクはロシア沿海州地域の行政、工業、文化、商業の中心で、三方が海に囲まれている都市だ。

ロシア政府は 2007年以内にウラジオストク以外に、西北地区、西部地区、黒海地区など 4つの新型の通商口経済特区を建設し、今年年末前に通商口型経済特区の入札を完了しようと計画している。

宋魁は、ウラジオストク経済特区の建設は、豊かな建設経験を蓄積した中国企業にとって、絶好の創業機会を提供するだろうと述べた。

ロシア政府は計画により、ウラジオストクに飛行場を建設し、道路を修理することになり、このようなインフラ投資計画は今後 3年以内に完了することになる。 これと同時にロシアは 《沿海州と東シベリア地域にもいくつかの経済特区を建設》して、良好な投資環境を構築することになる。

宋魁は、ウラジオストク経済特区の建設はまだ始まったばかりであり、ロシア政府は今後何年かの内に大量の 《オイルマネー》を稼ぎ、沿海州地域のインフラ建設に投入することになると明らかにした。

宋魁は、これは中露貿易で何年もの間、辺彊貿易を主としていた局面を打開する上で助けになるだけでなく、中国企業のロシア進出において最も良い投資機会を提供することになるだろうと述べた。
--------引用以上--------

  ウラジオストクの場所を確認しておきましょう。

極東ロシア


  ウラジオストクがある日本海沿岸の地方はプリモルスキー(沿海州)と言われています。このブログでも何度か取り上げた「中国東北部」と隣接する地域というのがおわかりでしょうか。

  ウラジオストクは「極東のヨーロッパ」とも言われる場所で、シベリア鉄道の起点になっている駅です。ちなみに、モスクワとは約1万キロ離れています。
  この地域の発展は、ウラル山脈の西側である「ヨーロッパ・ロシア」に比べるとかなり遅れていると言われています。気候条件が厳しいのと、単純に首都から遠いからです。
  しかし、近年、シベリアの豊富な天然資源と結びつけて、この辺を経済開発の目玉にしようという動きも出てきています。上の記事は中国初の「希望的観測」とも理解できるのですが、以下の記事でも取り上げられています。

ウラジオストック開発にプーチン政権が本腰
http://www.melma.com/backnumber_45206_3829374/
--------以下引用--------

  中国主導の「東アジア共同体」、日中朝の「日本海経済圏」をつよく牽制へ
****************************************

 2012年、ウラジオストックでAPEC首脳会議の開催が決まっている。
 正式に露西亜は39億ドルの投資を決めており、年内に13億ドルがウラジオストック開発に注がれる。
ウラジオ空港の拡充と港湾整備、つぎにアルミ精錬所プロジェクトの実現、原子炉建設、さらに備蓄基地。
おどろくのは沖合ルスキー島にリゾートを建築するという不動産プロジェクトまで含まれていることだ。
「つぎの六年間に141億ドルを経済発展貿易省が約束している」(『ユーラシア・デイリー』、9月18日付け)。

 朝鮮の清津(ラジン)港開発は、北朝鮮でなく、中国が租借した上での開発を急いでいる。
 これは日本が「日本海経済圏」などと囃されて、中国が露西亜国境に「経済特区」をひらき、ロシアのポシェット港へ鉄道で繋げると言っていた時代(十年ほど前まで)、清津港の開発を、まさか、中国が行うとは考えていなかった。
 
嘗ての「日本海経済圏」構想は、事実上振り出しに戻っていた、と考えた方がいいだろう。

 ロシアの巻き返しは、プーチン政権の経済政策が、あまりにEU偏重であることへの極東からの反発と、取り残された極東シベリアに眠る資源開発に、ふたたび関心があつまってのプーチンのUターンが重なっている。

 アジア太平洋の時代と騒がれて、ロシアが極東開発へおもい舵取りをしたのは、じつはプーチン政権からである。

 ▼ 総予算が787億ドルとなると大法螺に聞こえるが。。。

プリモール県知事のセルゲイ・ダルキンは、APECウラジオ会議の重要性を突破口に、各種大プロジェクトの誘致に成功した。
 ダルキン知事は、APEC準備に58億ドルという途方もない予算を要求し、「こうしなければシベリア、極東から人口はますます減少するだろう」と警告を忘れなかった。
 漁場基地の拡充も、ことさらのように付け加えられた。

 さらにダルキン構想では、造船所を建設し、ウラジオストック周辺を一大「経済特区」へと生まれ変わらせ、アジア太平洋時代に対応するというもの。

かれの構想に従えば、「総予算は787億ドルにも達するが、地域GDPは2020年までに現在の六倍になると見積もられる」と豪語した。(インターファックス、9月10日)。
--------引用以上--------

  この記事の見方が面白いのは、ロシアの沿海州開発を単純な経済的動機ではなく、中国との主導権争いととらえていることです。

  実は、ウラジオストク周辺が、つい最近まで「中国領」だったということはご存じでしょうか。

  正確に言うと、1910年まで中国を支配していた「清」王朝の故地が、この近辺なのです。清は女真という民族の王朝で、かつては「金」(中国語の発音はjingなので清と同じ)という王朝を作り、華北一帯を支配したことがあります。その後、元や明といった王朝の支配を受けますが、万里の長城の外で、シルクロードという地政学上の急所から外れた地区にいたため、ゆるやかな支配に止まりました。
  沿海州やアムール川近辺が中国とつながっていたのは、清という異民族王朝が支配していたからなのですが、この地域は19世紀に入ってロシアからの激しい南下圧力を受けることになりました。ロシアの支配が決定的になったのは、1860年の「北京条約」です。イギリス・フランス連合軍と清が戦った「アロー戦争」という戦争の仲介を、ロシアが買って出たので、その「手数料」として、沿海州を割譲したのです。
  いわば、帝国主義によって奪われた領土ともいえるわけで、ただでさえ「中華思想」で自意識が尊大な中国には、ある意味屈辱でしょう。

  では、このウラジオストク経済特区と、それに続く極東開発で、日本がすべきことは何か?

  このブログをご覧になっている方なら、こういう時に私はいつも「大陸に権益を持ってはいけない」と言っていることを思い出すでしょう。
  基本的にその考えは変えるつもりはありませんが、この構想に限っては「ロシア主導の経済開発に手を貸すべき」と断言します。
  理由は簡単で、そうすることが各国の力関係の維持、すなわちパワーバランスの面からみて一番妥当だからです。宮崎氏の記事にもあるような中国主導の「東アジア共同体」などというものが出来てしまったら、ただでさえ膨張している中国が勢いづくのは間違いありません。これ以上中国が軍事力を拡張すれば、いずれは朝鮮半島併合、次は沖縄、などという風に、やがて日本に魔の手が及ぶのは間違いありません。
  地政学的に見ても、13世紀に似たような状況がありました。モンゴル系の「元」王朝が、金と宋(淮河以南にいたので「南宋」とも言う)を滅ぼし、高麗とベトナムを支配下に置いて、日本をのぞく東アジアを征服したことがあります。つまり、「大陸に敵なし」の状態になったわけです。その後、「元寇」といって、二度にわたる日本への侵攻が行われたことは、みなさんもご存じのはずです。
  あのときは対馬と壱岐がやられるだけで、水際の攻防に日本の御家人が勝利しました。なにより、北条時宗という毅然としたリーダーが存在し、元の軍門には下るまいという意思表示をきちんと行うことができました。
  
  では、今の東アジアに「元」が登場した時、日本に北条時宗が出てくるでしょうか?

  今の政界を見てみると、それが望み薄なことに気づきます。それどころか、自民党にも民主党にも、「媚中派」とかいう連中がウヨウヨしているのに気づくでしょう。代表格は●「東アジア共同体」を熱心に提唱されているチンパンジー似のこの方です。公明党に至っては、政党自体が中国の犬みたいなものです。
  そういう状況ですから、「東アジア共同体」を推進しながら、しかも日本の都合の良いように持って行くのは非常に難しいのです。

  そのためには、中国を牽制する力のある勢力、具体的に言えば「北朝鮮」と「ロシア」を中国にぶつけるしかありません。日本が単独で中国を封じ込めるには、原子力潜水艦や核ミサイルがどうしても必要になります。こういうものを日本の今の制度で導入するのは難しいでしょうし、だいいちアメリカがやすやすと許すとは思えません。 
  ロシアを調略して、日本の思い通りに動かすのは、日本の情報力やコネクションではまず無理です。そうだとすれば、相手の用意した機会を利用するしかありません。
  ロシアは、沿海州という土地を手放してもいいなどと思っているはずがありません。ここを落とせば、太平洋への窓がなくなるだけでなく、後背地のシベリアが中国の圧力に晒されることになるのです。淡水が枯渇し、●資源のために大量虐殺を支援している悪徳国家が、シベリアを狙っていないはずがありません。げんに、シベリアには少なからぬ中国人労働者が入り込んでいます(上の地図にある「ハバロフスク」など中国人だらけ)。
  ロシアのその部分の動機だけは絶対に変わることはありません。どんな駆け引きをしても動かない「オセロの角」なのです。そうだとすれば、日本はそこを使っていくべきです。

  それに加えて、もう一つの牽制勢力である北朝鮮を巻き込むには、「沿海州開発に中国の朝鮮族および北朝鮮の朝鮮人労働力を使う」という手があります。
  ●こちらのリンクにもあるように、中国の朝鮮族のかなりの数が韓国への「訪問就業」に従事しています。また、北朝鮮にも、「ケソン工業団地」に代表されるように、いくつか工業地域があるほどです。
  これを、なんとか沿海州に持ってこられないものでしょうか?こういうときのために、「在日朝鮮人」という連中がいるように思うのですが・・・。

  ともかくも、この地域の情報は今後も見逃せませんね。

<参考記事>

●地政学を勉強してみよう(3)
●地政学を勉強してみよう・追補
●韓国が中国に飲み込まれる日

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2007.08.31(Fri)

ロシア旅行記(5)~ロシア人の生活、ロシアのこれから 

ロシア連邦外務省


  さて、モスクワ滞在も実質最終日になりました。

  午前中は「ヴェルニサーシュ」という蚤の市のような場所に行きました。滞在しているホテルがすぐそばだったので、土産物を探しにいったという感じです。

ヴェルニサーシュ入り口

  入り口付近の様子です。ヴェルニサーシュの本会場には10ルーブル(約50円)の入場料が必要ですが、場外は無料で散策できます。
場外のメインは衣料品で、かなり安いです。理由は簡単です。ほとんどが「中国製」なのです。
  全部中国製なんですかね、と言うと、ガイドのヴィタリーさんが、とある店を指さして「あそこに、ロシア製って書いてありますよ」と教えてくれました。やはり、「国産」の方が中国製より格が上なのは、日本と同じですね。そして、それが価格競争では完全に中国に敗北している点も・・・。
  ランドパワーの武器はあらゆるものの「低価格」です。人口が多く、労働者の保護が全く、もしくはほとんどないから可能なことです。この点、同じランドパワーと言っても、ロシアと中国では違いがあります。
  たとえば、この後、モスクワで一番大きな本屋にも立ち寄ったのですが、そこでも「イタリア製」の12色色鉛筆が400ルーブル(約2000円)なのに対して、「トルコ製」が100ルーブル(約400円)でした。人件費が不当に安いランドパワーの国で安く製造し、購買力のある国に売る・・・これがグローバリストの常套手段です。中国やトルコの低賃金も、グローバリストにはありがたいことなのです。ロシアも、グローバリゼーションと無縁ではないということが、よく分かります。

  ヴェルニサーシュの内部は、骨董品や絵画の出店がたくさん出展しています。私は、300ルーブルで、ロシアの民芸品「マトリョーシカ」を買いました。高さ13センチほどで七つ入りですから、かなりいい買い物をしたようです。空港で5つしか入っていないマトリョーシカが800ルーブルとかで売っていたのを見て、ヴェルニサーシュの安さ(空港の売店のぼったくり具合)に感動しました。

  中には、こういうものを売っている店もあります。

ヴェルニサーシュの熊

  ●ロシア人は熊が大好きらしいのですが、これではリアルすぎて可愛がる気が起こりませんね。

  政治家の「キャラクターグッズ」がやたらと売られているのですが、レーニンとスターリンが人気を二分しています。これほどまでかとビックリするほどです。クレムリンでも感じましたが、やはり共産主義の時代も一つの歴史だと捉え、懐かしむ気持ちがあるのでしょう。
  反対に、本当に人気がないのはエリツィンとゴルバチョフです。たとえば、ゴルバチョフのペレストロイカの時代は、自由にはなっても物が無い時代で、ものすごく生活が大変だったそうです。
  エリツィンは、自由主義的な経済政策を次々実行して、国民を困窮に陥らせた人物です。「オリガルヒ」と言われる勝ち組の新興企業家を徹底的に優遇し、政権にも彼らの代弁者(ユダヤ人のチュバイスや、天然ガスの大手ガスプロム社長のチェルノムイルジンなどが典型)が多数存在しました。
  まあ、早い話がゴルバチョフが小泉首相、エリツィンが安倍首相みたいなものだと思っていただければよいでしょう。

  それと戦って、強いロシアを取り戻したのがプーチン大統領だというわけです。ペテルブルクのマリアさんも、ヴィタリーさんも、プーチンはあまり好きではないようですが、やっていることは評価しています。
  ゴルバチョフは「ソ連の指導者らしくなく開明的だ」とか「自由の価値を理解している」とか、外国の政府やメディアから好意的な評価を受けていました。しかし、国民にとっては何の役にも立たないどころか、害を与えた人物として映っているようです。影響力のある国の指導者など、外国に嫌われるくらいがちょうどいいのかもしれません(アメリカの今の大統領は例外かもしれないが・・・)。

  さて、土産物をホテルに置いた後、私とヴィタリーさんはモスクワ中心部に向かいました。「アルバート通り」という繁華街に行くためです。様子をいくつか紹介しておきます。

アルバーツカヤ通り

  「シュレック」夫妻です(笑)。露店では、アメリカのキャラクターものが結構売っています。まあ、やはりここでも最強のキャラクターはレーニンとスターリンですが(笑)。

プラニェータ・スシ

  СУШИは「寿司」のことです。このチェーン店はモスクワやペテルブルクの至るところにあります。他には、●ЯКИТОРИЯ(ヤキトリヤ)というチェーン店も有名です。ヴィタリーさんも何回か食べたことがあるようですが、味は微妙なようです。
  「ロシアは今和食ブーム!」などとマスコミで喧伝されていますが、はっきり言って前回紹介した●シャウルマや、中央アジアの●シャシリクとは認知度が比べものになりません。
  マスコミの言っている海外こぼれ話というのは、話半分で受け取った方がいいようです。

アルバーツカヤ通りの露店

  こんな感じで生鮮食料も売っています。意外ですが、こういう繁華街の露店の方が、スーパーマーケットよりも安いです(屋根付き、エアコン入りの売場だと高くなるらしい)。
  ロシアというのは、ちょっと場所が違うと物の値段が全然違います。たとえば、赤の広場の近くで500mlのミネラルウォーターが30ルーブル(約150円)ですが、地下鉄で15分の私のいたホテルの脇の店では1リットルで25ルーブルでした。だから、何か買いたいなら中心部から離れた場所で購入する方がお金を節約できます。

  この後、本屋で就職雑誌と車雑誌を購入し、向かったのは地下鉄の終点にある団地です。
  私が「モスクワの普通の市民の生活がどんなものか見てみたい」と願い出たら、ガイドのヴィタリーさんが「だったら、自分の住んでいる家やその近くを案内しよう」と提案してくれたのです。そこで、地下鉄でアルバート通りから30分くらいかけて、彼の家のある駅まで向かうことになりました。

  モスクワの地下鉄は、中心部にモスクワ川がある関係で、異常に深いところを通っています。そのせいで、エスカレーターもこんな感じです(写真は赤の広場の脇にある「プローシャチ・レバリューツィー駅」のもの)。
20070818213650.jpg

  100メートルは確実に超えています。高所恐怖症の人は、目をつぶっていた方がいいかもしれません(笑)。

  モスクワのメトロは均一料金制で、どれだけ乗っても17ルーブル(約85円)。2006年は15ルーブルだったそうです。他のものと同じように、どんどん値上がりしているようですが、郊外の駅から都心まで長い距離を乗るとかなり割安に感じます。

  地下鉄に乗っている間に、ヴィタリーさんの経歴などについても聞きました。

  彼はソ連時代に青春を過ごしました。工科大学を卒業した後、飛行機関連のエンジニアをしていました。しかし、ソ連崩壊の前後に公務員がどんどん解雇された関係で、国の研究所に勤めていたヴィタリーさんも失職してしまいました。ソ連では、これで路頭に迷い、自殺してしまった人も少なくないといいます。
  その後、雑誌の編集者などもしながら、日本語のガイドをやっていらっしゃるようです(ちなみに来日経験はなし。こういうガイドさんは意外と多い)。
  一応大学で日本語を学んだようですが、あまり上手ではないようです。日本語がペラペラなのは、モスクワ大学のアジアアフリカ学部出身者なのだそうですが、そこに入学するのは、超難関の試験をくぐり抜けてきた、外交官の子女ばかりだそうです。

  メトロに乗っていると、頭にスカーフを巻いたいかにもロシアという感じの婆さんがいて、「Помогите, пожалуйста(どうか助けてください)」と言いながら列車内をうろうろしています。ヴィタリーさんに、あの人は何?と聞くと、年金生活者だということです。ロシアは年金がわずか(月3000ルーブル=1万5千円くらい!!)なので、家族が援助するのが普通らしいのですが、身寄りがないとああいう風にして物乞いをしないといけなくなるというのです。
  まさかこれでは「先進国」を名乗るわけには行きません。どうやら、ロシアの弱点は社会保障の貧弱さにあるようです。

  また、雇用面も多少心配です。地下鉄に乗っているときに目に付いた広告です。

メトロの広告

  машнистというのは、地下鉄の運転手です。その下の職業は、まあ駅員さんだと思っていただければいいでしょう。1ルーブル=5円と考えると、16万5千円ですから、単純に日本と比べると高い賃金とは言えないようです。もっとも、賃金は上昇傾向にあるようですから、数年したら日本との差は縮まっているかもしれません。
  物価については、あとでもう少し述べます。

  さて、ヴィタリーさんがお住まいの団地はこういう感じのところにあります。

ディミトリ・ドーンスカヤ駅付近

  日本の新興住宅地と似ていなくもありません。やけに空が広く感じるのは、建物の隙間が大きいのと、電線がないからでしょうか。

  駅の近くに、家電量販店がありました。冷蔵庫の広告があります。

ロシア語で「ハラジールニク」

  9900ルーブル=5万円程度ですから、それほど値段は高くないようです。ただ、ヴィタリーさん曰く「中国製ですよ」とのことです。ああ、やはり・・・と頷いてしまいました。

  彼の住む団地は、まあ普通のモスクワ市民が住んでいる場所だと思ってもらってかまわないでしょう。日本の団地と同じように、高層住宅とその周りに駐車場、公園、学校が配置されています。
  私は●以前の記事で、ロシアで日本車が売れている・・・という記事を書きましたが、どうやら少々誤解をしていたようです。ロシアでは日本車はやはり外車=高級車のようです。
  車の雑誌を買って、帰りの飛行機で眺めてみたのですが、日本では新車の諸費用込で230万円程度になるスバルの「フォレスター」が、邦貨換算で300万から400万円ぐらいします。「日本車が多いのはモスクワの中心部ですね」と、ヴィタリーさんもおっしゃっていました。
  しかし、ロシアにも国産大衆車があります。「ラーダ」です。たとえば、この車。

ラーダ「サマーラ」

  1500ccですから、日本でいうカローラやサニーみたいな感じです。これだと、7000ドル程度で購入できるそうです(ロシアではドル建てで車を買うことが珍しくないらしく、車の雑誌でもドル表記のものがかなり多い)。この団地では、ラーダが圧倒的に多く見つかりました。しかし、どの車も汚いですね(笑)。

  スーパーマーケットにも行ってみましたが、●以前の記事で紹介した、ロシア産の「バルチカ」ビールが売っていました。

バルチカビール

  約14ルーブル=70円です。安いです。フランス産ワインが1リットル400ルーブル(それでも1200円)だったのに比べると、その安さがわかるというものです。

  最後にヴィタリーさんの住まいにも案内してもらいました。えらく親切です。まさか、身ぐるみを剥ごうというつもりじゃないだろうな・・・と疑ってしまいました(笑)。
  まあ、もちろんそんな危険な事態に陥ることもなく、普通に家の中を案内していただくことになったのです。内部の画像です。

ヴィタリー氏の居室1


ヴィタリー氏の居室2

  日本で言うところの2Kという感じですね。断っておきますが、「分譲」です。ローンを組んだようですが、どうやら庶民でも頑張れば何とか郊外にマンションを買えるようです。
  「最近はモスクワの郊外でも家の値段が上がっている」とヴィタリーさんはおっしゃっていました。翌日、シェレメーチェヴォ空港に向かう車(運転手が異様に怖いおっさんだったので、写真撮影は控えた)から見ても、確かに高層マンションが大環状線沿いにどんどん建設されていました。都心で値上がりした地価が、郊外に波及しているというのは本当でしょう。

  さて、一休みしようということで、ヴィタリーさんにこんなものをごちそうになりました。

クヴァース

  「クヴァース」です。黒パンを発酵させて作る、ロシアの夏の風物詩みたいなものです。最近はあまり見かけなくなっていて、私も旅行中初めて見ました。露店で売っているのはどこに行ってもコーラとミネラルウォーター、それにジュースです(「ファンタ」が人気らしい)。飲んでみると、ワインのように良い香りがしました。思わず「コーラよりずっとうまい」と、ロシア語で言ってしまいました。

  その後、世間話みたいなものもしたのですが、共産主義の時代を知っている人物なので、大変面白い話が聞けました。(ヴィタリー氏は50代)
  共産主義の時代は確かに物がなかったようですが、それでもブレジネフの時代は果物と肉が不足しているくらいで、あとは少し並べば確実に買えたようです。まあ、このへんは非効率的な流通も関係あるのでしょう。
  しかし、ゴルバチョフ時代になると、並んでもパンが買えないことさえあったそうです。
  ゴルバチョフや、続くエリツィンの時代には世の中が自由になったのですが、どうやらその利益を享受できたのはごく一部の人間だったようです。その代表格が「オリガルヒ」と言われる富裕層で、その大半はユダヤ人でした。ブレジネフ時代までおとなしくしていた連中が、ペレストロイカをきっかけに欧米の同胞とのコネクションを生かして「ビジネスチャンス」を得たというわけです。
  自由化、規制緩和の中で、利益を得るのは一握りの人間で、その人々が外国人と結び付いている・・・どこかの国と似ていませんか。「あの時代が、一番苦しかった」と、ヴィタリーさんは苦笑いしていました。
  ヴィタリーさんはかつては国営企業のエンジニアだったのが、人員整理にあったという境遇の持ち主です。むかしに戻りたくありませんか?ときくと「いいえ、今の方がいいです。」と言いました。きくだけ野暮だったでしょう。並んでもパンすら買えない時代と、スーパーマーケットで14ルーブル出せばすぐにビールが買える時代が、比較になるはずがありません。
  彼が今の状況を肯定的にとらえられているのは、おそらく共産主義から比較的自由な時代へと変化する激動の時代をくぐってきたことが大きいのだという気がします。

  私は、ロシアにとっての正念場は、自由な時代しか知らない若者が大きくなった時だと考えます。
  ロシア経済は好調ですが、明らかなインフレ状態です。物価の上昇が賃金の上昇するペースよりも早いという印象を受けました。
  高度成長期の日本も同じような状況でしたが、それなりに社会保障を充実させ、税金を地方に還流する仕組みを整えました。これによって、貿易依存度は低く押さえられ、内需中心の経済が出来上がりました。
  ロシアも、資源や兵器の輸出に依存する体質から、内需中心の仕組みに移行するべきでしょう。それをせずに、一部の輸出関連企業や政治家とコネのある人間だけが潤う仕組みを存続させれば、きっと国民の間に不満が出てきます。
  ソ連からロシアへの端境期を知っている人々なら、「昔よりは今の方がいい」という感覚があるのでそれほど大きな不満を持ちませんが、若い世代はそうではないということです。
  ロシアの対外債務を完済させ、再び大国として雄飛させようとしているプーチン大統領は、ロシア憲法の規定により、2008年で引退しなければなりません。後継者は、イヴァノフ、メドヴェージェフの両副首相のどちらかになることはほぼ決まっています(●こちらのニュースを参照)。
  彼らは、ロシアという国を上昇気流に乗せることができるでしょうか?荒れ狂う嵐の中で、滑走路から見事に離陸させた強力な前任者と常に比較されながら・・・。

  翌日の飛行機に搭乗し、9時間のフライトののち、無事日本に帰り着くことが出来ました。

  実質「初めて」の海外旅行でしたが、無事に旅を終えられたことを喜びたいと思います。
  マリアさんとヴィタリーさん、二人のガイドさんにも感謝しなければなりません。ロシア語のおぼつかない私は、お二人がいなければ、有意義な旅行はできなかっただろう思います。Большой спасибо!!
  そして、旅先から書き込んだ読みにくい英語のコメント及びブログ本文をお読みいただいた本ブログの読者の皆様、ならびに「三輪のレッドアラート」読者の皆様にも、感謝いたします。みなさんに、少しでもロシアの町の空気を感じて頂けたのなら、管理人(コメント投稿者)冥利に尽きます。

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テーマ : ロシア - ジャンル : 海外情報

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2007.08.18(Sat)

ロシア旅行記(4)~ランドパワーの都モスクワ 

  8月10日からはモスクワに滞在しました。

  ペテルブルクのホテルから地下鉄とバスを乗り継いでプルコヴォ第1空港に向かい、飛行機でモスクワに到着したのは11時半過ぎでした。この移動の間、冷や冷やすることが何度もあったのですが、それは最終回にまとめて紹介します。

  20070818213521.jpg

  8月10日のモスクワ、赤の広場入り口です。行く先行く先で好天に恵まれ、良い旅行になったと思います。

  さて、ホテルのロビーでヴィタリーさんというガイドさん(50代男性)と待ち合わせ、クレムリンと赤の広場を案内してもらいました。彼がどんな人については、次回の記事で詳しく紹介します。
  
  まずは、クレムリンです。もっとも、正確には「モスクワのクレムリン」と表現しなくてはなりません。クレムリン(клемль)というのは、本来は「城塞」という意味で、大きな町には大抵存在しています。モスクワのクレムリンが有名すぎるので、固有名詞のように扱われているというわけです。
  こちらを見学するときの注意点は二つあります。一つは、チケット売場は信じられないくらいの長蛇の列になることを覚悟すること、もう一つは、よほど小さいものでない限りバッグは内部に持ち込めないことです。
  バッグがなぜ持ち込めないかは、このあとすぐに分かります。私は肌身はなさずに置くために、●このバッグにしたのですが、断られました。入り口の階段を下りたところに預かり所があるので、そこで60ルーブル(1ルーブル=約5円)払って預かってもらいます。
  その後、警備係のボディーチェックを受けて、入城です。

  入ってすぐ左側は陸軍の詰め所があります。その前に、ナポレオン戦争で使った大砲などが飾ってあります。

  さらに奥に進むと、こんな建物がありました。


20070818215908.jpg

  左が大統領官邸です。右にあるのは補佐官たちの宿舎ということです。この日は土曜日でしたから、大統領が側近を集めて会議を開く日でした。プーチン大統領の姿を見られるかなと少し期待しましたが、さすがにダメでした。
  代わりと言ってはなんですが、●こちらのリンクをご覧下さい。「さすがランドパワーのボスは違う」と思うこと請け合いです。ロシアという国をまとめるには、こういうタイプが理想なのでしょう。ゴルバチョフみたいな優しいインテリタイプはダメなのです。

  クレムリンは散策に適した公園もあります。リンゴも落ちています。


20070818213619.jpg

  よく拭けば問題なく食べられます。味は保証しません。ロシアのリンゴは日本で栽培されているものよりかなり小さいので驚きました。


20070818213603.jpg

  「大砲の皇帝」という名物です。でかすぎて、実戦では使えませんでした(笑)。
  もう一つ、「鐘の皇帝」という名物もあります。鋳造中に割れた欠片だけで11トンある巨大な鐘です。もちろん、鳴ったことはありません(笑)。
  この二つのモニュメントは人気で、たくさんの観光客が写真を撮っていました。欧米系の観光客を観察していると、「グラーチェ」とか言う声が何度も聞こえました。ロシアに来るヨーロッパ人の観光客は、イタリア人が一番多いらしいです。

  この後、ロシア陸軍のパレードみたいなものが●ウスペンスキー大聖堂の前であり、それを見てから赤の広場に行きました。

  ロシアの歴史の生き証人ともいうべき場所です。15世紀に●イワン雷帝が整備し、19世紀初めにはナポレオンの軍隊によって周辺の建物が次々破壊され、20世紀にはソビエト軍の閲兵式が行われてきました。今でも、クレムリンの城壁沿いに、レーニンの遺体を納めた廟と、ソ連共産党歴代の書記長の墓があります。
  赤の広場を歩いていて非常に印象に残ったことがあります。それは、サンクトペテルブルクに比べると、遙かにアジア系の人間が多いことです。
  ガイドさんにシャッターを押してと頼んできた若いカップルは、朝鮮系でした(ロシア語ができるので、ウズベキスタンかサハリンの朝鮮族だろう)。朝青龍みたいな顔の頬の赤い青年は、おそらくカザフ人でしょう。それ以外にも、明らかに中国人だとわかる人々がいます。それも、一つではありません。
  ペテルブルクがヨーロッパに向けて開いた窓だとするならば、ここモスクワはユーラシア大陸の十字路だと言えそうです。シベリア鉄道は有名ですが、旧ソ連であるカザフスタンやウズベキスタン、それに北京やウランバートル、はてはピョンヤンとまで鉄道でつながっているのがモスクワなのです。
  なるほど、これがランドパワー(大陸国家)というものなのかと私は実感しました。陸続きで13もの国と接するロシアには、様々な民族が出入りしています。そして、彼らが目指すのがモスクワなのです。
  ランドパワーの性質の一つに、「首都から国境線を遠ざけようとする」というものがあります。モスクワは四方が草原ですから、外敵が来れば自然の国境線で妥協することができず、生き残りをかけて戦わざるを得ないという宿命がありました。そこで、国家の存続を脅かす異民族をなるべく遠ざけておくために、前方に向かって逃避するのです。
  今までは感覚でしか分からなかったのですが、赤の広場の光景を見たときに、ロシア人が持つ潜在意識の一端を理解できる気がしたのです。白人であるロシア人が、押し寄せてくるアジア系を見たら、きっと恐怖に襲われるだろう。やがて、乗っ取られてしまうのではないか・・・と。
  しかも、ロシアに入り込んでくる外国人の大半は、厄介な人種のダブルパンチです。それは「中国人」「イスラム教徒」です。(まあ、「朝鮮人」が加わってトリプルパンチになっていない分まだ救われているが)

  まず、中国人はこんな感じです。

モスクワの中国人市場
http://moscowlife.cocolog-nifty.com/moskva/2007/07/post_3314.html

--------以下引用--------
閉鎖されることが決定したチェルキーゾフスキー市場。中国人が一画を占めたイズマイロヴォ側では、ロシア人客向けの衣料品や中国人向けの生活商品が山積みされていた。

あからさまに撮影すると、税務警察とまちがわれるかもしれないので隠し撮りである。生きたまま売られているカモやコイがいたが、「いけす」が下の方にあり暗くて写らない。

現地発行の中国語新聞によると、この地区一帯には商品の小売のほか、貸し倉庫・地下銀行・鉄道運送業者・債権取立て業者・ヤミ産婦人科・レンタルビデオ屋・中国語で表示する携帯電話を売る店・中国人向け歓楽娯楽施設などが混在している。もちろん看板などないので、どこが何をやっているところかわからない。

担ぎ屋で一儲けしたあとは、中国人店員のいるカジノで一攫千金を狙う。客だと思っていた中国人が、すっと八百屋の奥に入っていくところを見ると、そこが地下銀行の窓口になっているのだろう。

まさにモスクワのチャイナタウンと呼ぶにふさわしく、中国人が外国生活を送るにあたって必要なものを自給できるシステムが作られている。中国人が多く住んでいる学生寮よりも、旺盛なたくましさを感じる。

外国人を追い出そうと懸命なロシア政府当局と3Kを厭わない労働者が必要なひずんだ産業構造が中国人社会拡大に拍車をかけてきた。

中国政府にとっても、地方都市に余剰している労働力と中国製品は主要輸出品目だ。ロシアが外国人労働者を嫌がっても、簡単に規制することはないだろう。公式には姿を消す予定のモスクワチャイナタウン。だが、中国人はそう簡単にロシアを去りはしないはずだ。
--------引用以上--------

  赤の広場でも、帰りのシェレメーチェヴォ空港でも、かなりの中国人を見ましたから、この記述は誇張でもなんでもないということが私には分かります。

  イスラム教徒はというと、もうすでに文化レベルで浸透しています。その証拠がこれです。


20070818231053.jpg

  細切りのポテトフライが付いていて、なにやら西洋風の料理のようにも見えますが、これは「アラブスカヤ・シャウルマ」という料理です。ホテルの近くのカジュアルなレストランで食べました(198ルーブル=約1000円)。量が少なそうですが、これとボルシチだけで腹一杯になりました。
  この料理は名前からもわかるように、アラブ圏の料理です。●こちらのブログには、ダマスカスで食べたという記述があります。
  もちろん、全てのロシア人がこれを食べているわけではない(ガイドのヴィタリーさんは、●以前の記事で紹介したシャシリクやラグマンも食べたことがない)のですが、若者向けのレストランに、キエフ風カツレツやらキノコの壺焼きを差し置いてシャウルマが出てくるというのが重要なのです。つまり、シャウルマを食べる人々がたくさんロシアに入り込んできており、その人たちの食べ物が若者の間で新たな食文化として定着しつつあるということです。まるで、我が国のハンバーガーやスパゲッティやキムチのように。
  初めはソ連仲間である「なんとかスタン」だけだったのでシャシリクやラグマンで済んでいました。しかし、アラブスカヤ・シャウルマまで入ってきているということは、もう本場物のイスラム教徒が張り込んできているということです。

  ロシアは少子化がただでさえ進んでいるので、労働力として、「大量に」「安く」手に入る中国人とイスラム教徒は、必要悪みたいに思われているのかもしれません。
  そう思ったとき、私は東京の池袋や新大久保を歩いているときのような嫌な気分を感じました。恐ろしい、これがグローバリゼーションなのか、と(もちろん、シャウルマ自体はおいしく頂きましたが・・・笑)。

  短くすると言いながら、ずいぶん長くなってしまいました。次回は、いよいよ私が一番知りたかった「ロシアの庶民の今」について、記事にまとめます。乞うご期待。

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2007.08.16(Thu)

ロシア旅行記(3)~ロシアとユダヤ人 

  今回は、旅行記的な部分は少な目ですが、単なる感想文よりは皆さんにも得るものがあるかと思います。どうかお付き合い下さい。

  ロシアという国を考えるとき、ユダヤ人の存在は外すわけには行きません。

  ここで、ユダヤ人というのは、二つの視点で捉える必要があります。それは、「シーパワー」「ハザール人」です。

  シーパワーというのは、このブログでもよく触れています。詳しくは、●江田島孔明氏の「世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略」をご覧下さい。ここで、ユダヤ人のシーパワーというのは、主に「貿易」についての話です。
  みなさんは、シェークスピアが書いた『ヴェニスの商人』という有名な戯曲をご存じかと思います。金がないなら自分の身体の肉で払え、というあれです。あの話には、船が難破して借金が払えなくなったという話が出てきますし、舞台は港町ヴェニス(ヴェネチア)です。ユダヤ人が、ヴェネチアに沢山住んでいたのはよく知られている事実です。
  ヴェネチアに限らず、ヨーロッパの港町にはだいたいユダヤ人がいて、遠隔地との貿易を行ってきました。●以前の記事でも書きましたが、貿易の仕事というのは、先方の事情に通じた代理人のような人が必要です。宗教上の迫害を受けて、各地に離散していたユダヤ人には、現地の事情に通じた同胞がたくさんいたため、貿易を生業とするのは非常に有利でした。
  近代の経済システムの基盤は、彼ら貿易に携わるユダヤ人が作り出したと言っても過言ではありません。たとえば、為替手形、信用状、複式簿記といった技術や、銀行業、金融業といった仕事は、すでにヴェネチアやジェノヴァといったイタリアの港町でルネサンス時代に成立していました。また、スペインを追われたユダヤ人が、オランダやイギリスに大挙して押し寄せた後生みだしたのが、株式会社という仕組みでした(正確に言えば組合企業だが、●東インド会社は有名)。そして、彼らが移り住んだ地域はみな、貿易が盛んになり、経済が活性化しました。これこそが「シーパワー」というものの本質なのです。
  逆に言えば、世界規模、そこまで行かなくても、ヨーロッパ地域で大量取引を伴う貿易を行うとなると、ユダヤ人が作り出したネットワークを利用するしかありません。ロンドンも、アムステルダムも、ハンザ同盟諸都市も、そして地中海の港も、ユダヤ人の商人が縄張りを築いてしまっているからです。かなり粗っぽい言い方ですが、海上貿易で利益を得るということは、ユダヤ人を国内に受け入れることに他ならないわけです。


20070816214715.jpg



  さて、ペテルブルクが建設される以前のロシアといえば、典型的な「ランドパワー」でした。国土は広い、人もたくさんいるが、ものを売り買いするノウハウが足りません。ちょうど、改革開放の前の中国のようなものです。もちろん、ノヴゴロトからモスクワを経て黒海に出る貿易ルートはずっと昔から存在していましたが、物資量が乏しく、貿易品も毛皮や琥珀程度、これでは近代国家に相応しい経済力(貨幣の蓄積)は獲得できません。
  かの有名なピョートル大帝が、自ら陣頭指揮を執り、その作業の過酷さゆえに「屍の上に築かれた町」と言われながらもサンクトペテルブルクを建設したのは、シーパワーに対して門戸を開放するためだったのではないかと、私は考えているのです。
  黒海沿岸は、オスマン・トルコという世界最強の陸軍国(しかもイスラム教徒)が邪魔をしていて思うように使えません。軍事力でどかそうにも、当時のロシアにはトルコと戦って勝つだけの力がありませんでした。だからこそ、バルト海に面した港町、北ヨーロッパに向かって開かれた窓が必要だったのです。幸い、こちらを牛耳っている最大の勢力だったハンザ同盟は衰退し、あとは中堅国のスウェーデンくらいしか敵がいませんでした。
  そして、ペテルブルク開港後のロシアは、エルミタージュ美術館に象徴されるような、一流の文化国家、列強の一角にのし上がっていったのです。

  しかし、今振り返ってみれば、その歴史は戦争の歴史でもあるわけです。中央アジアでのイスラム勢力との戦争、南下政策でのトルコとの対立(トルコとロシアは13回も戦争している!)、そして極東ではイギリスの代理人である日本との戦争・・・ヨーロッパ中央部(地政学で言う「ハートランド」)を巡る戦いに加わったことも一度や二度ではありません。
  そのような戦争がなぜ引き起こされたか考えると、いろいろ理由があるのでしょうが、一番大きいのは、ユダヤ人のもたらした金融という仕組み、要するに近代経済が、常に原材料の獲得や市場の拡大を必要としているからです。
  卵と鶏のような話になってしまうのかもしれませんが、ロシアが戦争に次ぐ戦争を余儀なくされたのは、ペテルブルクという窓を開いて、近代経済を受け入れたからなのではないかということです。もちろん、近代経済がある種の豊かさをもたらすことは間違いありません。
  しかし、その反面、マルクスが喝破したように、国家が自転車操業を余儀なくされてしまうという悪しき面もあります。
  要するに、ユダヤ人(=シーパワー)というのは、取扱い注意の劇薬なのです。これは、忘れてはいけません。

  そして、もう一つの「ハザール人」という側面です。

  みなさんは、今イスラエルやアメリカにいる「ユダヤ人」の大半が、本当はヘブライ語を母語とするユダヤ人でないと知ったら、どう思われますか?
  旧約聖書におけるアブラハムの子孫というのは、セム=ハム語族といって、アラブ人に近い黄色人種です。しかし、イスラエルの首脳陣など見ると、どうみても白人です。彼らこそ、ユダヤであってユダヤ人ではない、「ハザール人」という人々なのです。
  ●こちらのホームページを見ていただくと詳しいことが書いてありますが、ハザール人というのは現在のロシア南方の平原にいた騎馬民族です。彼らは9世紀にキリスト教の東ローマ帝国、イスラム教のイスラム帝国に挟まれてしまうという状況で、なんとユダヤ教に改宗してしまいました。そして、民族の歴史も書換てしまい、自分たちはアブラハムの子孫だったということにしてしまったようです。
  ハザールの勢力圏内は、当時国家としてまとまり始めていたロシア(キエフ=ロシアという諸侯連合)と隣接していたので、両者には抗争が絶えませんでした。ハザールはロシア人を捉えては、イスラム諸国に奴隷として叩き売っており、その恨みもあって、ハザールは10世紀にキエフ=ロシアによって壊滅させられます。
  そして、さらにモンゴル帝国の遠征が追い打ちをかけ、12世紀にはハザール国家は完全に崩壊しました。その後、いろいろあって、彼らの多くはポーランドやウクライナに逃げ込みます。●ポーランドのクラクフ●ウクライナのリヴィフは、それらのユダヤ人(一般に「アシュケナジー・ユダヤ」と言われる)によって発展した町です。もちろん、彼らの生業は貿易や金融業でした。
  そうなると、これらのユダヤ人は、初めに言及したシーパワーであるユダヤ人とは、重なっている部分もあるわけです。混乱しやすいところですが、ロシアとの関係ではとりあえず分けておいた方が理解しやすいです。
  さて、問題になるのは、18世紀末のポーランド分割によって、再びロシア領内にアシュケナジー・ユダヤ、すなわちハザール人が入り込んできてしまったことです。ロシアは奴隷として売られた恨み、ハザールは国家離散に追い込まれた恨みがあるので、和解などできるはずがありません。そこで、帝政ロシアの領内では、たびたび「ポグロム」と言われる、大規模な「ユダヤ人」虐殺が起きることになります。
  もちろん、ある人種をターゲットにした虐殺など許されるわけがありません。
  しかし、自分の妻や恋人が強姦され、親兄弟が首に縄を付けて売られたことのあるとしたらどうでしょうか。それなのに、今現在のそいつらはといえば反省する素振りもなく、●「異教徒は家畜だから騙しても構わない」などと吹聴し、法外な利息で金を貸してきて、返せなければ根こそぎ財産をかすめ取っていくような汚い真似を日常的にやらかしているのです。こんなのが隣りに住んでいたら、腹を立てるなと言う方が非常識です。
  そういうわけで、ロシア領内のユダヤ人は迫害されてきました。

  しかし、そんな彼らがある日逆襲を開始します。それがロシア革命です。
  ●こちらのリンクで、ロシア人の元外交官がその辺の経緯を語っているテキストが見られます。私はこれを読んで、ショックを受けましたね。なにしろ、レーニンやトロツキーやスターリンの側近やらが、みんなユダヤ人だったなんて、歴史の教科書のどこにも書いていないのですから。帝政ロシアが国民を虐げたとばかり思っていましたが、実は相ではなかったのです。
  共産主義というのは人類開放の理論でも何でもないのです。なんと言っても、それを提唱したマルクスすらユダヤ人だったのです。要するに、共産主義というのはユダヤ人が国家をぶっ壊すためのカルト理論で、ロシア革命はハザール人によるロシア乗っ取りに他ならなかったのです。

  社会民主党とか共産党とか応援しちゃってる人たちは、そういう歴史を知っているんでしょうか?

  まあ、乱暴な言い方ですが、シーパワーのユダヤが劇薬だとすると、ハザール人は寄生虫みたいなものです。そして、この二つのユダヤ人との相克を経て、今のロシアがあるというわけです。

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  さて、ロシア人がユダヤ人を嫌っているという生の声を聞かせてくれたガイドのマリアさん(23歳女性)は、何とすでに一児の母です。結婚したのは19歳で、相手は大学の先生(30歳近く年上!!)だったそうです。当然、旦那さんは今も大学で教鞭をとっていらっしゃいます。
  いろいろ話を聞いたり、建物の案内を受けながら歩いていたときのこと。ちょうど、サンクトペテルブルク総合大学の校舎の脇を通り抜けようとしました。
  アインシュタインがユダヤ人だというのを思い出した私は、

  「もしかして、大学の先生はイェブリェーイ(ユダヤ人)が多いんですか?」

  と、きいてみました。すると、なんと、

  「サンクトペテルブルク総合大学の教授のほとんどはユダヤ人ですよ」

  と、驚くべき事実を教えてくれました。旦那さんから聞いたので、間違いないということです。

  これが、ユダヤ人の常套手段です。学会やマスコミのような知的階級の中に紛れ込み、さも客観的な真理を語るようにして、自分たちに都合のいいように世論や風潮をコントロールしていくというやり方です。
  それにまんまと乗っかり、馬鹿げた戦争を繰り返して武器商人(もちろんユダヤ人!!)を儲けさせているのがアメリカという国なのです。ユダヤ人にとっては、イデオロギーや愛国心というのも、大衆操作の道具でしかありません。自由主義で規制緩和しまくり、不満が出ると戦争賛美で煽りまくり、厭戦気分が増すと今度は共産主義で国民を煽るのです。最後には、絶対に自分たちが損しないように、右にも左にも逃げ道を作ってあるのです。
  
  サンクトペテルブルク出身のロシアのボス、プーチン大統領は、上のような状況をどう考えているのでしょうか?

  残念ながら、時間があまりなかったので、そこまではマリアさんに聞くことができませんでした。しかし、私なりに考えたことはあります。


20070815210304.jpg

  サンクトペテルブルクの町を歩くと、中心部の至る所でこのように新築・改築の工事をしています。
  左下のトタン屋根の下を歩くのですが、とにかく狭いです。前からいかにもロシア人という感じのおっさんが歩いてくると、異様に緊張します(笑)。


20070815210317.jpg

  こちらもです。建築基準法みたいなのがあって、告知はロシアの国旗と同じ柄にしろと言われているらしく、どこに行っても三色旗が貼ってありました。

  中心部で、建物を建て替えているということは、それだけこの町が活況を呈しているということを表しているような気がします。古い建物を手直ししようというのは、これからもずっとここで商売を営んだり、住居を構えたりするという気持ちの表れです。つまり、ロシアは経済に対する見通しが明るいということです。
  この背景には、もちろんロシアの狡猾な資源外交があるに違いありません。しかし、プーチンという指導者の本当に優れた面は、そこではないと思うのです。

  彼の頭の良さは、シーパワーを完全に排除するのではなく、対等以上の立場で利用し、しかも接触範囲を限定しているということです。ピョートル大帝と似ているようですが、それとはまた少し違います。詳しいことは、モスクワの話の時にもう少し紹介してみます。

  ペテルブルクのにぎわいと工事の多さを見たとき、プーチン大統領は独裁者と言われようと民主主義の敵と烙印を押されようと、ロシア国民をきちんと食わせいく度量を持っているという憶測は、確信に変わりました。それに比べて、美しいだの国を愛する態度するだの、お題目ばかりで国民に何も与えられない我が国の総理大臣のショボさといったらありません。
  もっとも、それがピョートル大帝以降の帝政ロシアと同じく、周辺諸国との戦乱にロシアを駆り立てるのか、それは今のところ分かりません。そういう徴候も、なくはないからです。

  ただ、ロシアというランドパワーは、我々が考えているよりも奥が深いということは分かります。少なくとも、アメリカや日本の底の浅いメディアが言うような、どう猛で非理性的で前近代的な国であるという漫画チックなイメージ(多分いまだに頭の中が冷戦中なのだろう)でとらえるべきではありません。

  次回は、いよいよロシアの中のロシア、首都モスクワへ向かいます。

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2007.08.15(Wed)

ロシア旅行記(2)~サンクトペテルブルクにて 

  ロシア第2の都市、サンクト・ペテルブルクに滞在した日の記録です。

  ●前回の旅行記の最後に紹介した、ホテルの窓からの風景は、朝になるとこんな感じになります。

20070815205928.jpg


  ペテルブルクが美しい町だということが、この画像からもお分かりでしょう。ちなみに、右手に見える軍艦は、日露戦争にも参加した「巡洋艦オーロラ」です。

  この日は、日本語のできるガイドさんとホテルの1階で合流し、まずはエルミタージュ美術館へ向かいました。

  世界三大美術館の一つにも数えられている有名な美術館です。五つの大きな建物の複合施設ですが、もともとはロシア皇帝エカテリーナ2世のコレクションを大事にしまっておく場所でした(Эрмитажはフランス語で「隠遁場所」という意味)。
  ものすごい数の作品が展示されていますが、いくつか紹介しておきます。もともと美術にあまり興味のない私なので、センスに欠けるのはご勘弁下さい。
  なお、展示物について詳しく知りたい方は、●エルミタージュ美術館のホームページ(英語版)をご覧下さい。

20070815205955.jpg

  ピョートル大帝も座ったというロシア皇帝の玉座です。座って撮影するのはもちろん禁止。


20070815210047.jpg

  エカテリーナ2世がイギリスの職人に作らせた、「孔雀の時計」です。よく見るとわかりますが、リスやキノコもあって、時間が来るとみんな仲良く踊り出すそうです(現在はメンテナンスの都合上あまり動かすことはない)。


20070815210118.jpg

  レオナルド=ダ・ヴィンチの2枚の作品と並んでこの美術館を有名にしている、レンブラントの「放蕩息子の帰宅」です。おじさんのハゲ頭の方が気になってしまうのは私だけでしょうか。


20070815210142.jpg

  ナポレオンです。ロシア人は歴史の関係上ナポレオンがあまり好きじゃないはずなのに、ずいぶんかっこいいナポレオンを展示していますねとガイドさんに言ったら、大笑いしてました。


20070815210159.jpg

  美術に疎い私でも、ゴッホの絵だとすぐ分かりました。ロシア語ではГог(ゴーク)と言います。Gochのchは欧米人にはそういう風に聞こえるんでしょうが、日本人に「これはゴークの絵です」などと言っても訳が分かりません。


20070815210226.jpg

  ピカソの作品です。陶芸もやっていたとは知りませんでした。しかし、焼こうが煮ようがピカソはピカソらしいですね。

  この後、市街を回ろうということになったのですが、その時非常に興味深い景色が目に入ってきました。この画像です。

20070815210248.jpg


  真ん中に見える人物はどうでもいいので、その背後に注目して下さい。ヴァシリエフスキー島といって、船着き場があった場所です。

  ガイドのマリアさん(23歳女性)に、あれ何ですか?と聞いたところ、赤い2本の柱は「ロストラの灯台」と言って、開戦に勝利したとき、船の舳先(ロストラ)を切り取るという故事にならって作られたものだと教えてくれました。そして、白い建物の左の方は、「中央海軍博物館」で、もともと証券取引所だった建物です。

  船着き場、証券取引所・・・。

  私の頭の中に、ロシアに来たら是非ロシア人に聞きたいと思ったことが浮かびました。そこで、マリアさんに、

  「じゃあ、この町にはユダヤ人が多かったんじゃないですか?」

  と、きいてみたら、彼女は表情を曇らせて、ええ、と答えました。案の定です。そこで、続けて、

  「あなたは、ユダヤ人が好きではないんですか?」

  と、きいたら、はっきりとこう答えました。

  「私も、私の夫も、ユダヤ人が嫌いです」

  なぜ、私がこんなことを聞いたのか。ロシア人の反ユダヤ人感情には凄まじいものがあり、それが世界の歴史を大きく動かしてきた要因であるということを確かめたかったからです。

  長くなりそうなので、次の記事に続けます。

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